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川面の死体 2/2

 警部が再び探偵の事務所を訪れたのは、それから数日後のことだった。 ソファに腰を下ろすなり、警部は、


「えらいことになった」

「どうしたんですか?」

「また死体が出た」

「死体? 何の?」

「血を抜かれた死体だよ」

「えっ? 富良織(ふらおり)が殺したのは、二人だけじゃなかったんですか?」

「それがな、どうも様子がおかしい。当然、富良織に尋問したんだが、やつは、自分が殺したのは二人だけだ、と言い張って譲らない」

「死体は、やはり川に遺棄されて?」

「そうだ。今回の死体は、流れへの乗り方が悪かったのか、群生する水草の中に絡まって、半ば沈んだようになっていた。それで発見が遅れたんだ」

「その死体の死亡推定時刻に、富良織のアリバイは?」

「ないな。富良織はひとり暮らしで、人付き合いもほとんどないから、アリバイを証言してくれる人間がいない。当然やつは、その時間はアトリエにいて、ひとりで作業をしていたと言っているが」

「血液は、どうですか?」

「やつのアトリエに残されていたものだな。もちろん調べた。ええとな……」と警部は手帳を広げて、「最初と二番目に見つかった二人の被害者の血液型は、A型とO型。今回発見された三人目もO型だ。で、アトリエから、A型とO型の血液が入った瓶が発見されたんだが、量が少ない」

「量が?」

「そうだ。人の血液は、だいたい体重の七から八パーセント程度あるそうだな。三人の被害者の体重を合計すると、約二百キロ。富良織の供述と検視の結果から見るに、死体からは約五パーセントの血が抜かれたと見られている。二百掛ける五パーセントは、十リットルだ。だが、アトリエには五リットル程度の血液しかなかった」

「半分しかない」

「そうだ。だが、二リットル分の行き先は分かっている」

「行き先? もしかして富良織は、すでに血液を使って絵画を描いていた?」

「いや、そうじゃない。富良織は、本物の血液を使った絵はまだ描いていなかった。アトリエにある絵を全て調べたが、通常の絵の具を使って描かれた絵ばかりだった。やつは集めた血液を売っていたんだよ」

「何ですって?」


 待て、と警部は手帳のページをめくって、


「売った相手は、仁鬼塚市(にきつかいち)と、剛段輪豪(ごうだんわごう)。この二人に富良織は、血液を一リットルずつ売っている。二人とも駆け出しの画家で、富良織の数少ない知り合いだ」

「画家って、まさか」

「そう。この二人は『鮮血の魔術師』富良織の信奉者でな、彼らも血を題材にした作品を多く描いている。この二人それぞれのアトリエからも、血液一リットルずつを押収した」

「その二人も、買った血液を使っていなかったということですね」

「そうなんだ。そういうことだから、三人の所持していた血液を合計しても、七リットルにしかならない」

「三リットル分が行方不明……。約人間ひとり分の五パーセントの血液量に相当しますね」

「俺たちは、仁鬼塚と剛段、二人のどちらかが富良織の真似をして、自分でも直接血を求めて犯行を犯したのだと考えた。これも富良織がやったのと同じように、ヤクザの抗争に見せかけてな」

「その二人のアリバイは?」

「ない。やつらも人付き合いのないタイプの人種だ。アトリエにひとりでいたと言ってる。どちらも近くに居住している。家宅捜索も徹底して行ったが、富良織から買い取った一リットル以外に血液は出て来なかった」

「二人も犯人である可能性は低い、ということですか」

「だがな、死体の状態は、前二件とほとんど同じだ。血液はほとんどなくなっていて、カモフラージュのための多数の刺し傷。手足の拘束跡。報道には、死体の細かい状態は公開していない。同一犯か、富良織のやり方を知っている人間による模倣犯としか思えん」

「模倣犯……。仁鬼塚と剛段の家から、採血に使う道具なども出て来なかったんですか? 血液を抜き取るとなると、それなりの器具や凝固防止剤なども必要になってくるはずですが」

「そういったものも出て来なかった。血液と一緒に、どこかにうまく隠してあるのか……」


 手帳を閉じて、警部は嘆息した。探偵も、深い息を吐くと、


「やっと、ヤクザ絡みの事件から解放されたと思ったら、警部も大変ですね」

「死体が出た以上、仕方がないさ。それに、組対のやつらに比べたら何てことはないよ」

「抗争は依然続いているようですね」

「ああ、両陣営からひとりずつ出た死体は、抗争とは無関係な富良織の犯行と分かったが、そんなことやつらには関係ないからな」

「三人目の死体の死亡推定日時は、いつなんですか?」

「一週間ほど前だ。ちょうど、富良織のアトリエに乗り込んだ日だな。その時点ではまだ富良織は自由の身だったから、ぎりぎりあいつに犯行は可能だと思っていたんだが。その日は前日から色々とあって、大変な一日だったよ」

「富良織のガサ入れの他にも?」

「ああ、主に組対のほうだがね。珍しく、同じ日にあちこちで小競り合いが起きたんだ」

「虎王会と竜王会の?」

「もちろん。主に虎王会の連中が、竜王会のチンピラを見つけては因縁を付けるという喧嘩騒ぎが数回起きた」

「……色々とあったのは、前日からだというお話でしたが」

「ああ。その前の日には、虎王会が奇襲を受けていたらしい。幹部クラスが狙われたという話だったが。だから、翌日の虎王会の動きは、その反撃だったんじゃないかと思われているな」

「……その奇襲を受けた幹部というのは? どうなったんですか」

「分からん。一般人の目撃が一切ない状況で起きたらしいからな。詳細は不明なんだ。そんなだから、組対も両陣営の事務所や関連会社への見張りを強化している。人の出入りはもちろん、持ち出した物品や出されたゴミに至るまで徹底マークしてるよ」

「……三人の被害者は、どちらの陣営の構成員でしたか? 順番は?」

「一人目が竜王会、二人目は虎王会、そして、三人目が竜王会だ」


 それを聞くと、探偵は両手を組み合わせて額につけた。それが探偵が考え事をするときの癖だと分かっている警部は、ゆっくりと立ち上がって、


「コーヒーもらっていいか? ペットボトルのは、まだあるのかな?」


 台所に足を向ける。


「警部!」

「何だ?」


 冷蔵庫を開けかけた警部は、探偵の声に手を止めた。


「虎王会へ行きましょう」

「は? どうしてだ?」

「証拠を処分されてしまう前に」

「証拠って?」

「三人目の被害者を殺した証拠をですよ」

「何だって? それじゃあ」

「そうです」探偵は、夏物の薄手のジャケットをハンガーから引ったくって袖を通しながら、「三人目を殺したのは、虎王会の連中です」



 警部の運転する覆面パトの助手席で、探偵は、


「虎王会の誰かが、富良織の一件目の犯行を目撃していたのでしょう」

「竜王会の構成員を襲って、血を抜くところをか?」

「ええ、少なくとも、ビルの中で行われていたことは目撃していたはずです。そのときに何も手出しをしなかったのは、敵対する竜王会の構成員が犠牲者だったから、傍観していた。もしかしたら、目撃者が下っ端だった場合、富良織の鬼気迫る犯行の様子に怖じ気づいて、被害者が誰であろうと傍観に徹しているしかなかったかもしれませんが。ですが、その話はすぐに虎王会の中で広まります。それを聞いた中に、川で発見された死体の状況と合わせて、その犯人の目的に感づいた構成員がいたんです」

「犯人、富良織の目的が血液を採取することだった、いうことに」

「ええ。犯人、富良織が、自分たちの抗争を隠れ蓑にして犯行を行っていると、そこまで推理したのかもしれませんね。ですが、だからといって、ヤクザがわざわざそんなことを警察に通報するわけがありません。ところが、二件目に虎王会の構成員が被害に遭ったことで、やつらも看過できなくなった」

「二件目の事件の直後、虎王会の動きが突然活発化したのは、それが理由か! 虎王会の連中は、事件の犯人が竜王会ではないと知っていた。謎の犯人、富良織を捜し出そうとしていたんだな」

「ええ、恐らく。ですが、そんな中、虎王会の幹部が竜王会から奇襲を受けます。竜王会のほうでは、殺人犯は虎王会の構成員だと疑っていなかったでしょうからね。余計に頭に血が上っていたのでしょう」

「さっき話した事件だな」

「そうです。目撃情報がないため詳細は知られていないのですが、恐らくその奇襲で、虎王会の幹部は重傷を負ってしまったのではないでしょうか」

「どうしてそう思うんだ」

「その翌日、虎王会が派手に動いた目的が、富良織と同じように血液の採取だったからです。虎王会は、以前目撃した富良織の犯行を思い出し、今度はこっちが富良織を利用しようと考えた。謎の採血鬼の仕業に見せかけて、竜王会の構成員から血液を採取したんです」

「……どういうことなんだ?」

「輸血ですよ」

「あっ! 重傷を負ったという幹部のために?」

「そうです。ヤクザが抗争で負った傷の手当てをするため、まさか保険証を持って普通の病院に行くなんてことありませんよね。銃創や刃物傷なんかを医者に診せたら、真っ先に通報されてしまいます」

「ああ、だから、ああいった連中は、自分たちのために闇医者というのを抱えてる」

「その闇医者のところに用意してあった、輸血用血液が足りなくなったのではないでしょうか」

「そのため、竜王会のやつらを襲って?」

「ええ。三人目の被害者の血液型はO型だったそうですね。虎王会の連中は、血液型判別キットを持って、町中に散らばったんでしょう。そして、竜王会の構成員を見つけては因縁を付けて、殴るなりして血液型を調べる。輸血可能な血液型の人物を見つけたら」

「そのまま拉致して、というわけか。そういえば、O型の血液はどの血液型にも輸血が可能なんだったな……。着いたぞ。組対の刑事がどこかで張ってるはずだ、まずは合流して――おい!」


 警部が覆面パトを路肩に停めると同時に、探偵は降車して事務所の玄関に向かった。


「こんにちは」


 まるでコンビニにでも入店するかのような気安さで、探偵は虎王会事務所のドアを開けて敷居を跨いだ。慌てて警部がそのあとを追う。事務所にたむろしていた構成員たちの鋭い視線が一斉に向き、同時に怒声が浴びせられる。が探偵は、視線も怒声もどこ吹く風とばかりに事務所を縦断して、奥の部屋のドアを開けた。そこには、包帯を巻かれてベッドに寝かされたひとりの男がいた。部屋の隅の屑籠には、血液がこびりついた容器が捨ててある。


「おいおい!」

「何だ! お前ら!」

「おい! どういうことだ?」


 警部と構成員、さらに外で張っていた組対刑事らも駆け込み、事務所は騒然となった。



「屑籠にあった血液と被害者のものとが一致した。十分な証拠になる。本当ならばすぐに捨ててしまいたいところだったんだが、組対が人から物品からゴミから、とにかく関連施設への出入りを徹底マークしていたので、事務所に残しておくしかなかったんだな。何とか処分する方法を考えていた最中だったらしい。ついでに、組対の活動の甲斐あって、両会の抗争も下火になったそうだ」


 後日、探偵の事務所を訪れた警部は事件の結果を報告した。


「それはよかったです」


 探偵も上機嫌顔で聞いている。


「しかし、事務所にいきなり乗り込んでいくのは無茶だぞ。ああいった場合は、まずは組対と打ち合わせをしてだな……」

「まあ、こうして無事だったんだから、いいじゃありませんか。それよりも、今回は何だかおかしな事件でしたね」

「君といると、おかしな事件にしか遭遇しないよ」

「はは、その事件を持ってくるのは警部じゃないですか。僕がおかしいと思うのはですね、血液を採取するという行為について、看護師資格を持っていて、画家というきちんとした職業に就いている富良織が、絵の具代わりに使うなんていう不心得な目的だったのに対してですね、反社会的な存在であるヤクザが、輸血というまっとうな目的のためにそれを行ったということですよ」

「そんなに面白いものかね」

「面白いじゃないですか。あ、警部、今度こそ僕のブレンドしたアイスコーヒーをご馳走しますよ。アイスコーヒーは、やっぱり水出しに限りますね。この水出しというのがですね、時間と手間がかかる代物で……」


 上機嫌のまま、探偵は台所に向かった。

 お楽しみいただけたでしょうか。

 本作は元々、安堂理真ものの短編から中編用に構想していたネタだったのですが、長々と引っ張るには弱いネタかな、と感じたため、無駄をそぎ落としきって超短編としてまとめました。そして探偵役として、超短編にはこの人ということで、名前のない探偵と警部に再登板願った次第です。

 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 川に死体を捨てた理由が、非常にユニークですね。たいていは「死体が濡れていたのをごまかすため」あたりで落ち着くので。このアイデアには脱帽しました。 血液を集めるという一見不可解な行動に、「…
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