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川面の死体 1/2

 街の中心部を流れる川で、男の死体が浮いているのが見つかった。所持していた免許証から、男は暴力団の構成員であることが分かった。

 ここ一ヶ月ほどの間、街では、勢力を二分する二つの暴力団、虎王会(こおうかい)竜王会(りゅうおうかい)の抗争が激化の一途を辿っている。主に夜の繁華街を中心に、構成員同士のいざこざが頻発しており、警察の出動も連日に及んでいた。今回の死体は、その抗争の結果によるものと見られたが、容疑者は掴めないままだった。

 それから数日後、再び川に死体が浮かぶ。今度の被害者も、やはり構成員のひとりで、前回は竜王会、今回発見されたのは敵対する虎王会の構成員だった。



「いずれも、全身数箇所を刺されたことによる失血死が死因と見られている」


 探偵の事務所を訪れた警部は、出されたアイスコーヒーにミルクとシロップを投入しながら言った。


「ははあ、ヤクザ同士の抗争ですか。僕に縁がある(たぐ)いの事件とは思えませんけれど」


 テーブル越しに警部と対面する探偵も、見せられた写真資料に目を落としながらグラスに、こちらはミルクだけを投入した。


「だいたい、ヤクザ屋さんが相手なら、縁が薄いのは警部も同じなのでは? 組対(組織犯罪対策課)の守備範囲でしょう」

「殺人事件に発展した以上、そうも言っていられんさ。捜査一課も動かざるを得ない」

「しかも、僕のところを訪れるだけの要因がある、と」


 警部はストローでコーヒーを吸い上げながら頷いて、


「虎王会と竜王会の抗争による被害者と見られているが、実はまだ犯人は挙がっていない」

「そうなんですか」

「目撃情報がゼロなんだ。被害者の衣服や持ち物からも、めぼしい指紋や遺留物は出ていない。虎王会と竜王会、ひとりずつやられてることから、両陣営の特別血の気の多いやつらを、組対と一緒に片っ端から当たってみたんだがな。当たり前だが、自分がやった、などと名乗り出るやつがいるわけがない。しかも、ほとんどのやつは被害者の死亡推定時刻にアリバイがある。アリバイのないやつにしても、どうも要領を得ない」

「こいつは犯人じゃないっていう、あれですか、刑事の勘」

「そんな大層なものじゃないがね、何となく感じるんだよ。あいつらは単純だから。君ら探偵が相手をしている超犯罪者連中と違って、人を殺しておいて平然と関係者面していられるようなタマじゃあない。必ず何かしらボロを出すはずなんだ」

「でも、誰にもそれがない、と」


 ああ、と警部はまたコーヒーをすすってから、


「それと、もうひとつ。これがここに来た理由でもあるんだが。昨日、犯行現場と見られる場所が特定された」

「どちらのですか」

「両方だ」

「両方? 被害者の二人は同じ場所で殺されたっていうんですか?」

「どうやらそうらしい。その場所というのが、繁華街の裏路地に面したビルの一階だ。床から血痕が見つかり、DNAが被害者二人のものと一致した。そのビルは奥まったところにあるうえに、取り壊しされることが決まっていて、テナントはすでに退去している。人を殺すには格好の場所だ」

「犯人は、そこで殺してから、被害者を川に遺棄した」

「そう見られている。だがな、そのビルというのが、川から結構離れてる」

「川に死体を遺棄するという行為が、不自然だということですか」

「ああ。殺したら、そのまま死体をビルに放置しておけばよかったんだ。そうすれば、死体の発見はもっと遅れたはずだ。今回のことだって、死体が川から見つかったから、殺害現場を捜索する一環でビルに踏み込んだんだ。何も事件がなきゃ、あんなビルをわざわざ調べたりしない」

「犯人には、殺害現場に死体を置いたままにしないで、運んで川に捨てるべき理由があったということですか」

「知恵を貸してくれ。ついでに犯人も特定してくれれば言うことはない。これが死体の検案書だ」


 警部は鞄から取りだした書類をテーブルに並べた。探偵はグラスを置いて、代わりにその書類を手に取って視線を走らせる。


「……死因は失血死。どちらも外傷は、首筋、片腕前腕部、胸、腹部、脚と、多岐に渡っている。めった刺し、とまではいかないけれど、結構な回数刺されたり切られたりしていますね。これにも意味があるのかな……。それと、手足に縛られたような跡がありますね。で、これが実際の殺害現場の写真……。二人も刺殺した現場の割には、血痕が少ないですね」

「ああ、鑑識でも問題になった。死体の傷には生活反応があったから、大量の出血があったはずなんだがな。犯行時はビニールシートでも広げて、その上で殺していたんじゃないか、という結論に落ち着いた。実際、シートを広げていたと思われる痕跡もある」

「ああ、ここですね。血痕が不自然に途切れている。ここがシートと床の境目だったんでしょうね。でも、そこまでやったにしては、今度は、かえって血痕の残滓が多いように思えますね。血痕を残したくなかったにしては、仕事が杜撰だ。これだけ刺せば、かなりの出血があることは分かりそうなものなのに。だからこそシートを用意したのか? でも、この残りようは……。死因は失血死。川に死体を遺棄。発見されにくいビルの中から、わざわざ運搬のリスクを負ってまでも……」


 探偵は一旦書類を置いてグラスに持ち替えると、コーヒーの残りを一気にすすりあげた。残された氷が、カラリ、と乾いた音を立てる。探偵は警部のグラスも空になっているのを見ると、


「警部、お代わりいかがですか?」

「ああ、頼むよ。このアイスコーヒーは美味いよ。腕を上げたな」

「今は僕のブレンドを切らしていて、これはペットボトルの既製品です」


 探偵は不機嫌そうな顔になって、空のグラスを二つ手に取った。



 それから数日後。


「君の推理通りだった。富良織伊作(ふらおりいさく)のアトリエ地下にある冷蔵庫から血液が見つかった」

「やはり、そうでしたか」

「人間の血液を使って絵を描くつもりだったなんて、とんでもない画家だよ」

「『鮮血の魔術師』なんて渾名をつけられて、もてはやされていましたけれど、それだけでは満足出来なかったのでしょうね」

「しかし、よく分かったな。犯人の目的が血液だったなんて」

「状況から推理したまでです。犯行現場でシートを張っておきながら、血痕を完全に消そうとまではしていない。あれは犯行を隠蔽することが目的ではなくて、出来るだけ床にこぼさずに血液を集めるためだったのではないかと」

「全身の刺し傷、切り傷は?」

「そこまで含めてお話しします。富良織の犯行はこうです。繁華街を歩き回り、まずはターゲットを見つける」

「獲物は、虎王会か竜王会の構成員だな」

「そうです。富良織は両組織の抗争を利用して、犯行をヤクザ同士のいざこざの結果に見せかけようとしたのです。ターゲットは、繁華街をひとりで歩いている構成員。ああいった連中は、全身からカタギではない、いかにもな空気を発しているので、容易に見分けがついたでしょう。人気(ひとけ)のない路地裏にターゲットが入ったら、犯行開始です。まずは、後ろから首筋に強力なスタンガンを一撃。気絶させたターゲットを、持ち歩いていた大型のスーツケースに入れて殺害現場まで運びます」

「例のビルだな」

「ええ。ビニールシートを張り、ターゲットの手足を縛ります。暴れられないように、縛ったロープを窓枠なんかにしっかりと固定したのでしょうね。悲鳴を封じるために、さるぐつわも噛ませていたはずです。そこまで準備が調ったら、作業開始となります。用意していた採血キットを使って、ターゲットから血液を抜き取る。通常の献血でやるように、腕の動脈に注射をして行ったのでしょう。被害者も目を覚ましたでしょうが、体を固定されたうえ、さるぐつわまで噛まされているのですから、どうにもできません。通常の献血ですと、一回で抜く血液量は四百ミリリットルですが、当然そこで終わらせるはずがありません。富良織は可能な限りの血液を抜いたことでしょう。被害者は当然、失血死します。ですが、その前に富良織にはやることがあった」

「被害者が生きているうちに体のあちこちを刺したんだな」

「そうです。血液を抜いたことを悟らせないためです。死亡後に傷を付けると、傷口から生活反応が出ませんからね。めった刺しされて殺されたように見せかけた。最初に付けたスタンガンの傷の上からも、ひと刺しして、電撃による火傷の跡を消しました。注射をした前腕部にも、それを隠蔽するための傷を入れます。最後のとどめの一撃は腹部です。腹大動脈(ふくだいどうみゃく)を傷つけるとともに内臓を露出させ、川に死体を遺棄したときに、できるだけ体内に残った血液が水中に流れ出やすくするための措置です。死体に血液が残っていないのは、川に落とされたことで水中に流れ出たためだ、と思ってほしかった」

「そのまま死体を残したほうが、発見されるまでずっと時間が稼げるが、現場の血痕と死体の残留血液にあまりに差が出てしまい、犯行目的が血液そのものにあると悟られてしまうと思ったんだな。それが、富良織が目撃される危険を背負ってまで、最終的に死体を川に遺棄した目的だった」

「そういうことです。犯人の目的が血液にあったと知れたら、まず自分が疑われると踏んでいたのでしょうね。血をモチーフとした絵画しか描かない異端の画家、富良織伊作といえば、少しは名の知られた人物ですからね。おまけに、アトリエもそう遠くない場所にある」

「だが、君には通じなかったというわけだ」

「僕は、現場の状況や死体の遺棄の仕方から、もしかしたら犯人は被害者の血液が狙いだったのではないかと思いました。そこで、富良織のことが真っ先に頭に浮かんだんですよ。『まるで生き血そのものを塗りたくっているようだ』とまで評されるほど、血の描写に拘っている、鮮血の魔術師画家のことが」

「君が美術界にまで詳しいとは知らなかったよ」

「暇に任せて図書館通いをして、目についた雑誌を片っ端から読み漁っていた成果が出ました。何事にも興味を持つって、やっぱり大事ですよ」

「富良織は看護師資格も持っていた。採血作業は、お手のものだったんだろうな」

「それで警部、ヤクザの抗争のほうは沈静化しそうなんですか?」

「いや、全然だよ。聞いた話だと、理由は分からんが、虎王会の連中の動きが活発化してるらしい。だが、事件が解決したので、俺はお役ご免だ。あとは組対の連中に任せるよ」

「そうですか。それじゃあ、まだゆっくりしていけますね? 今度こそ、僕のブレンドアイスコーヒーをご馳走します。アイスコーヒーって、ただ単にコーヒーを冷やせばいいってわけじゃないんですよ。アイス用に特別に焙煎された豆というのがあって……」


 嬉しそうに台所に向かう探偵の背中を、「帰る機会を逸してしまった」という表情で警部は見つめていた。

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