第11話 死闘(バトル)
私の奇策をいとも簡単に見破り、不敵な笑みを浮かべるシャール。
考えたことが筒抜けなのは事実のようだ。理屈で押し通す以外に勝機はない。
「そのとおり。僕は変化球には手を出さない。ただし、にわか直球は通用しない。せいぜい楽しませてくれよ。じゃあ、今度は僕の番だ。運営規則第144条に『執行者の妨害排除権の行使』という規定がある。この意味がわかるかい?」
『そのまま読めば、イベントの執行を妨害する者がいる場合、執行者にはその者を強制的に排除する権限があるってこと……』
思わず言葉を飲み込んだ。それは「あること」が脳裏を過ったから。この状況で「イベントを妨害する者」と言えば1人しかいない。そんな者を執行者である死神は排除することができる。その方法は定かではない。ただ、シャールは「サラの口をきけなくする」と言っていた。
「ビンゴ! さすがは陽子さん。よくわかっているじゃないか。イベントの適正な執行を妨害する者は消えてもらう。それが誰であってもね」
イヤらしい笑いを浮かべながら、シャールは右手の人差し指でスーツの左胸の内ポケットを指し示すと、その手で自分の首を切るような仕草を見せる。
『ちょっと待って! サラちゃんは関係ない! イベントはあくまで私とあなたとの契約よ! 第三者である彼女に手を出すのはおかしいじゃない!』
「君の言っていることは、ある意味正しい。ただし、《《正しくない場合があること》》を認識する必要がある。通常であれば、イベントの存在を知る者も、それを妨害する者もいやしない。しかし、今回はそんな者がいる。条文には『執行者はいかなる場合であっても、イベントを妨害する者又は妨害しようとする者を排除することができる。なお、その方法は執行者が決めるものとする』と規定されている」
シャールの話を聞く限り、この条項は、当事者の故意・過失に関係なく、妨害した事実さえあれば適用される、いわゆる「無過失責任」を問うことができるもの。サラの一言でイベントがストップしたことを考えれば、妨害したという事実を覆すのは容易ではない。このままではサラが危ない。
『シャール、あなたはサラちゃんが「嘘をついている」と決めつけている。しかし、それを裏付ける、確たる証拠はない。つまり、彼女があなたの存在を感じ取っている可能性は依然として残っている。彼女は私の未来を左右するキーマン。そんな彼女を憶測により排除する行為は、私の権利を著しく阻害するものであって、フェアじゃない。私の国の民法では、法律に違反する行為、つまり「不法行為」を行ったと疑われた者がいた場合、疑った者がその違法性を立証することとされている。その理屈に鑑みれば、あなたにはサラちゃんが嘘をついていることを立証する義務があるわ』
「また変化球かい? しかも切れの悪い小便カーブときてる。君の国の民法とイベント運営規則とでは法の成り立ちや性格が全く異なるじゃないか。それをいっしょくたにして、考え方を無理やり当てはめるなんて乱暴にもほどがある。とても検事の言葉とは思えない。はっきり言って、情けないよ……」
シャールはわざとらしくため息をつく。
「でも、そんなことを言っても埒が明かない。ここは100歩、いや、100万歩譲って尋問に答えてやるよ。理由は簡単だ。僕が彼女の考えていることを読んだのさ。『そんなことできるわけがない』なんて反論はやめてくれよ。現に、僕は君の考えていることを100%把握しているんだからね。もし疑うのであれば、『僕が彼女の考えを読めないこと』を君が立証するんだ。それが、君の言う不法行為の立証責任なんだろ?」
まるでベテランの検察官を彷彿させる、シャールの尋問。
完全に彼のペースでことが運んでいる。
確かに、シャールはサラの真意がわからずパニックに陥った。しかし、すぐに冷静さを取り戻したのは、彼女の考えを読んだからだと考えれば辻褄が合う。そこを攻めても彼の論理を崩すことはできそうにない。ここは攻め方を変えるのが得策だ。
『仮にサラちゃんの言っていることが嘘だとしても、もともと彼女はこのルールを知る術がなかった。法律というのは、正規の手続きを経て成立した場合であっても、形式的な要件を満たしていなければ効力は発生しない。つまり、当事者へ広く知らしめる「公告」の手続きが必要なの。あなたのルールは、人間に対してそんな公告手続きがなされていない。だから、法令の存在自体を知る術のない彼女を一方的に排除するのはフェアじゃないわ』
「いい加減にしてくれよ! へっぽこ検事さん。そんなのは、君の国の論理であって、僕たちの世界には当てはまらない。それに、君たちの世界でも『慣習法』というものがあるじゃないか。正式には法として定められていないルールでも、ある業界や地域で反復して何年も適用されていれば、それは法と同じ効力があるとみなされる。そう考えれば、死神の世界で数千年にわたり反復適用されているルールが無効だなんてどうして言えるんだ? 僕の言っていることがおかしいと思うなら反論してみろよ!」
シャールが法の知識に長けていることにも驚かされたが、それ以上に彼の駆け引きの巧妙さは尋常ではない。百戦錬磨の私が手のひらで踊らされている。はっきり言って、勝機が見えない。ここはサラの命を第一に考えなければいけない。私の命を捨ててでも。
『わかったわ。ただ、妨害を排除するというなら、これ以上妨害行為が行われないように最低限のことをすればいい。あなたの能力でサラちゃんを眠らせるの。彼女が眠った時点でこのイベントは終了する。予定どおり、あなたは私の魂をあの世へ送ることができる。それですべて丸く収まる。そうでしょ?』
白旗をあげた、私の言葉に何度も頷くシャール。
しかし、突然その表情が邪悪なものへと変わる。
「いやだね! 誰がそんな甘いことするもんかよ! 自分が犠牲になるからこの小生意気なクソガキを逃がしてくれだって? 何か勘違いしてないかい? もともと君は死ぬ運命なんだ。自分の命がサラの命の取引材料として使えるなんてどんな了見だよ。本当におめでたい人だ。君は」
『じゃあ、今すぐイベントを終了させる! イベントの途中終了の規定があったでしょ? あれを適用するわ! 私の意思で適用できるはずよ!』
ここでイベントを終了させれば、シャールの妨害排除権も消滅する。そうすれば、犠牲になるのは私だけでサラの命は助かる。これが今の私にできる精一杯のことだ。
「おいおい、無茶言うなよ。あの条項は一度適用された後、僕の権限で取り消されてるんだ。イベントの終了時間は『潤一郎がこの部屋を出るまで』に延長されている。サッカーで言えば、正規の時間が終了した後の『アディショナル・タイム』に入っている。今更止められるわけないだろ? 潤一郎が病室を去らない限り、イベントは終了しないよ」
『そんな……それじゃあ、サラちゃんは……潤一郎! サラちゃんを連れて病室を出るの! 今すぐ出て行って! お願い!』
心の中で叫び続けた。もちろん潤一郎やサラに聞えないことはわかっていた。ただ、叫ばずにはいられなかった。
「うるさいよ。僕にはしっかり聞えてるんだ……そうだ。サラはひと思いには殺さない。少しずつ苦しみながら死んでもらう。なぜかって? 理由は2つ。1つは、苦しみながら絶望感を味わうことで魂の価値が上がるから。もう1つは、このクソガキは僕のことを散々バカにしやがったからさ。虫けらの分際でね」
「シャール、何やってるの? そろそろ時間よ! 早く約束を果たすの! とっとと陽子の身体を元に戻しなさい! ホントに愚図なんだから」
シャールに向けられたサラの言葉がさらに攻撃的になっている。
「口の減らないガキだ」
サラの背後に立って邪悪な笑みを浮かべるシャール。
高々と掲げた右手からどす黒い何かが溢れ出す。病室の空気が重みを増す。息が苦しくなってきた。これはシャールの部屋で感じた感覚と同じ。モミの木を半分だけ枯らした能力に間違いない。
『シャール! 私はどうなってもいい! でも、サラちゃんには手を出さないで! お願い! お願いよ!』
私は心の中で必死に叫んだ。しかし、そんな叫びを気に留めることなく、シャールは右手の手のひらをサラの首の後ろに添えた。
「……あっ……あぁ……あぅ……」
見えない目を大きく見開き、胸を押さえながら苦しそうな表情を浮かべるサラ。
目に溜まった涙が溢れて一筋の滴が頬を伝う。次の瞬間、口から吐き出された、夥しい量の血でベッドのシーツが真っ赤に染まる。
「サ、サラ……待ってろ!」
突然の出来事に動揺を隠せない潤一郎。
ベッドの脇にあるナースコールのスイッチに手を伸ばす。
「……待って……連絡はしないで……」
ベッドの手すりにつかまり身体を起こしながら、サラは必死に首を横に振る。
「……約束したでしょ……わたしを見守るって……お願い……潤一郎……」
「サラ……」
サラの鬼気迫る言葉に潤一郎の動きが止まる。
「何を強がってるんだ? このクソガキは。まぁ、医者が来ても止血なんかできないけどね。なぜこんなにたくさんの血が噴き出しているのか疑問に思っているうちに、こいつは出血多量で死亡する。そう考えれば、世話になった潤一郎に最期を看取られるのは最高に幸せなんじゃないかな? サラの幸せに手を貸せたみたいで僕もうれしいよ!」
皮肉交じりの言葉を吐きながら、シャールは病室中に響き渡るような大声で笑った。
『サラちゃん……ごめんなさい……あなたを巻き添えにしてしまった……もっと私に力があれば……死神を論破できるだけの力があれば……悔しい……悔しいよ!』
「陽子さん、次は君の番だ! そこで思い切り絶望を味わっているがいいさ! サラがあの世で迎えてくれるぜ!」
満面の笑顔を浮かべると、シャールはどす黒い瘴気を帯びた右手を再びサラの首の後ろに当てる。
「……がはっ……!」
口から大量の血を吐き出すサラ。焦点の合っていない目が宙を泳いでいる。顔からは血の気が失せ肌が青白く映る。とうに限界は超えている。
次の瞬間、サラは引きつったような笑みを浮かべる。
「あはははは! こいつ、とうとう気が触れやがった! 壊れた人形がぼろ雑巾になり下がったってわけだ! でも、安心しな。お前の魂はあの世で有効活用してやるよ!」
『……ひどい……やめて……もうやめて!』
シャールの笑い声と私の叫び声。どちらもサラの耳に届いていないのは明らかだった。聞こえているとしたら、隣で必死に名前を呼ぶ潤一郎の声だけ。
しかし、誰も気づいていなかった。
そんなすべてをサラが力に変えて戦っていることに。
ゆっくりと振り返るサラ。そこには、右手を突き出しながら高笑いをするシャールがいた。血に染まった人差し指を小刻みに震わせながら、彼女はシャールの右手を指し示す。そして、最後の力を振り絞るように喉の奥から声を絞り出した。
「……やっぱりいたのね……シャール……これはあんたが能力を使ったときに感じたのと同じ感覚……バラの花を半分だけ枯らした能力……陽子……わたしたちの勝ちだ……潤一郎……やっとあんたの役に立てた……」
力尽きてゆっくりと崩れ落ちるサラ。
その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
つづく




