生ものですのでお早めにお召し上がりください
おいしい食事を作るには、食材がよくなければ作れない。
生まれた時から、いや、生れる前からそれなりのものを与え、育て、旨くなるように整える。
市場にはそういうものがたくさんある。
勿論、契約農家があるので自分で探さなくても、そこへ行けば難なく手に入るわけだが今日はそういうもてなしじゃない。
客が二人、遊びにくる。以前うちに来た客人に紹介された。お客を招くからには、それなりのおもてなしが必要となる。
さて、今回の材料はもう決まっている。あとは上手に料理をすればいいだけだ。
「お待ちしていました」
「お招きありがとうございます。玄関先に咲いているお花たち、とてもきれいですね」
「ええ、あれは妹の趣味でしてね」
「そうでしたか」
「ささ、どうぞこちらへ」
玄関先での挨拶もそこそこに、この夫妻を家に招き入れた。
仕込みの最中なのでそんなに長い時間キッチンを空けることができない。
「こちらで少々お待ちください。今飲み物をお持ちしますので」
「ありがとう」
やや年配の夫婦はお互いに白い服で揃えている。婦人の被っている帽子はオーダーメイドだろう。召使いが夫婦をリビングへと案内し、俺は足早にキッチンへ戻った。
「まあ、なんて素敵なお屋敷なんでしょう」
「噂には聞いていたけど、ここまでとはね」
召使いは恭しく頭を下げ、一言も発せずにその場を後にした。
「どんなお料理が出るのかしらねあなた、楽しみね」
「そうだな。専務の話だとここでしか食べられないものみたいだからな」
「それは楽しみだわ」
「お、そうだそうだ。お前、土産物を忘れてるじゃないか。土産を渡しに行こう」
「ああ、そうね、私ったらすっかり忘れていたわ」
夫婦は紙袋から土産の品を出すと、さきほど召使いが出て行った扉のほうへ歩き、扉を開けた。
「大きいお屋敷だから何がなんなんだかわからないわね」
「いい匂いがするからきっとこっちだろう。行ってみよう」
二人は匂いにつられ、長い廊下をにおいを頼りに先へと歩いた。
「何をしていらっしゃるので?」
廊下を歩いてきた夫婦の前に召使いがヌルリと現れ、目を合わせずに話しかけた。
「い、いや、ね、このお土産をお渡ししようと」
「旦那様は今手が離せないところなので、それは私が」
「え、でも」
グギイィィィィぃぃぃ.......バキバキバキ
ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ......ヤメデェェェェェェぇぇぇぇ......
ギュルルブシュシュシュシュ...
「何……今の」
「さ、どうぞお部屋へお戻りください」
召使いはお土産の箱を雑に取り上げると、案内しますと言い、夫婦を連れてさきほどの部屋へと誘導した。
「ねえ、すみません、やはり気になりまして。今のって、まさか人の声じゃ......」
「......この屋敷には私たち以外誰もおりません」
「じゃあ、なんだったの今のは。何かあったんですか?」
「......お気になさらずに。今食前酒をお持ちしますので」
質問に答えることなく召使いは慣れた様子でたんたんと言い、頭を下げた。
「あなた、なんか私ちょっと不気味だわ」
「そ、そうだな。確かに何かが変だとしか思えない」
「帰りましょうよ。あの召使いといい、さっきの声といい、なんだか怖いわ」
「......」
「今なら誰もいないし」
「あ、ああ」
二人は顔を見合せて頷くと、入ってきた扉の方へ近づき、そっと押し開けると、召使いがあの変な声のした部屋へ入っていく後ろ姿が見えた。
「今のうちに出てしまおう」
「ええ」
震える手で帽子を被り、静かに扉を......
「食前酒をお持ちしました」
夫婦の前に、きれいな服を着た女がシャンパンを持ってきた。
「いや、あのー、あれだ、我々はちょっと急用ができましてね。これで帰らせて………」
「あぁ、またですか。分かりますよ。その理由は先ほどの声ですよね」
「声? やはりあれは………」
「あれはマシンの音です」
「まさか」
「あら、気になるならご覧になります?」
こちらへと夫婦を案内した女は開かれた扉の中に堂々と入ったが、夫婦は扉の中を怖くて覗けなかった。
「お兄様、やはりこのマシン、変えたほうがいいですわよ」
「………なぜ」
「お客様が怖がります」
「ああ、またか。また怖がらせてしまったのか」
「ええ」
「でもな、修理に出すと何ヵ月か使い物にならなくなるんだぞ」
「それはそうとしても、でも、ほら、現に今も、いらしてるお客様が怖がってしまって、この部屋にすら入れないのよ」
「すみません、怖がらずにお入りください」
「どうぞ、お入りになって」
中から聞こえた声に、二人は躊躇しながらも恐る恐る足を運んだ。
「ああ、これはこれはびっくりさせてしまいましたね。不気味な声に聞こえましたよね、失敬失敬」
「……こちらこそ、その、びっくりしてしまいまして。あの、これがその……マシンですか」
ギェェェ……
ググググブチュビシュ…………
「ほら、こうなるんです」
マシンの蓋を上下に上げ下げすると、人の悲鳴のように聞こえる。
「ああ、そうでしたか、それは安心しました」
「それでは、今新しい食前酒をお持ちしますのでお部屋へ」
「いえいえ、新しいのなんてそんな、それでけっこうですよ」
「とんでもありません。お客さまなんですから」
夫婦の見ている前で酒を捨てた妹の小夜子は召使いに合図をした。
「お気遣いありがとうございました」
土産の箱を持ち上げ、夫婦にお礼を言うが、夫婦が見えなくなると、土産の箱をごみ箱に投げ捨てた。
「こんなもん、いらねえよ」
マシンの下には死にかけの女が一人。半開きの目によだれ。蓋を開けたときに出た「音」は、締め上げられた首から出される最後の悲鳴。あの夫婦はそんなこととも知らず、簡単にだまされた。
「小夜子、あいつらを見張っとけ。計画が台無しだ」
「ええ、そうします」
「お待たせしました」
夫婦を待たせているリビングに料理の皿を乗せたワゴンを運び、テーブルに並べる。
「すみません、うちではこのスタイルですので」
ダイニングではなく、リビングのソファーに座ったままで食事をすることに軽くお詫びをした。
「ああ、これも聞いてきていますからお気になさらずに」
「ありがとうございます」
それでは…………
召使いに命じ、皿に肉を盛らせる。その横に野菜もつける。肉のソースから放たれる食欲をさそう、におい。
喉がなる。
「うまい!」
「おいしい」
夫婦は目を輝かせ、休むことなく血の滴るレアな肉にナイフをズブリと刺す。切る。ソースを絡めて口に運ぶ。
俺はそれを見ながらほくそ笑む。
「これはどこの肉なんです? 初めて食べるようなお肉で、おいしい。珍しいんでしょうね?」
「いえいえ、あなた方はよーくご存知だと思いますよ」
「……牛かしら? にしては柔らかくて味が濃いわ」
「おまえ何を言ってるんだい、これは牛なんかじゃないよ。これは………豚だろう?」
「これが豚なもんですか」
「牛のにおいと食感じゃないだろう」
「豚の臭みもないわ」
あははははははははは。
「いやいや、ちゃんとお教えしますから、そんなむきにならずに、食事を楽しんでください」
おかしくて笑いが出る。どんどん食え。最後の1滴まで舐めつくせ。
シャンパン片手にこの夫婦の食べっぷりを眺める。
これだけ美味しそうに食べてくれれば料理のしがいもあるってもんだ。庭では小夜子がいつものように最後の仕事に入っていた。
妹ながらに、残酷なやつだ。
俺は料理は好んでするが、そこまでた。
捌くのは俺の仕事。
飾りつけは小夜子。
喰うのも小夜子だけだ。
俺はそれを見ながら酒を飲んで、料理される前のモノを思い出し、こうなる過程を何度も頭の中で繰り返す。
至福。
小夜子。
あの女は狂っている。俺よりも、もっと。
チラリと腕時計を見たらそろそろいい時間だ。夫婦の腹も満たされてきただろう。
満足気な雰囲気でそれが分かる。
傍らで控える召使いに目で合図をし、恭しく頭を下げると部屋から出ていった。
「時に、お嬢さんはお元気ですか?」
「……………」
夫婦の顔が曇る。それもそうだ。この夫婦には隠しておきたい娘が一人いる。人間として問題のある娘は昔から問題ばかり起こし、高校を中退した後、ふらふらと遊び回り、悪い噂しか流していない。この辺りでは有名な金持ちのこの夫婦は、そんな娘がそう、邪魔なんだ。
兄が一人いるが、それはちゃんと仕事にも就き、朝から夜遅くまで働き、テレビや雑誌にも出るくらい有名だ。
雲泥の差。
『消し去りたい』と言っていたのを聞いたことがある。
だったら、
俺が消してやるよ。
「どうです? 肉は柔らかかったでしょう? いい肉だから柔らかいんですよ。とくに『女』は柔らかい」
「女?」
「捌くときに悲鳴が上がるんですがね、それが肉にいい影響を与え、柔らかくするんです」
「………」
「血もちゃんと処理して、ソースにするし、だからほら、コクとまろやかさが違ったでしょう」
「ちょ………」
「デザートをお持ちしました」
顔面蒼白な夫婦の前に召使いがクリーム色のシャーベットを置いた。
「………」
「ああ、デザートはフツウのシャーベットですよ。お口直しにどうぞ」
「ねえ、ちょ……この肉って………」
「肉? デザートはいらないんですか? 食べておいたほうがいいですよ。ダサレタ後でシャーベットの香りになるので、楽かと」
「それ、どういう………ダサレタ後って、何を」
「そんなもの」
腹をぽんぽんと叩いて見せた。真っ青になる夫婦は自分の膝の上に置かれている皿と、ワゴンの上の鍋とを見比べている。
「まだ肉が足りなければどうぞ。これでも足りなければまた作ります。違う肉で。おい」
召使いが素早くワゴンの前に立ち、鍋の蓋をあけ、中身をかき混ぜた。
夫婦はそれをじっと睨み付け、言葉を失っていた。
召使いは、鍋からその中身を掬い、新しい皿に流し込んだ。
「ウィンナーに見えますけど、それ、指です」
「………」
「出汁をとるのに10本全てを切り落として中に入れてます」
うっと嗚咽が漏れる。それだそれだ、その顔がいい。
「さっき召し上がったモノ、覚えてます? ほら、袋の中に入った肉詰め。ナイフで切って中身を削いで食べたでしょう? あれ………」
口元をハンカチで覆った。
もう少しだ。
くくくくく。
「中の肉は股肉。脚の肉です」
ぐえーと音が聞こえ、でも、飲み込んだ。そうそう、出してしまったらもったいない。
「おい、まさかこの肉って」
「なんだと思います?」
「まさか」
「まさか?」
言えないはずだ。自分の口から言えるわけがない。うすうす感じているはずだ。うちに遊びに来た専務とやらから話を聞いてきているはずだ。
まさかと思ってるんだろう。
だったら………見せてやるよ。
リビングのカーテンをボタン操作で開き、部屋の中の電気を暗くした。
外に映し出された光景に、夫婦は腰を抜かしソファーから立ち上がれなくなっていた。
よし、それでいい。
夫婦の目の前に現れたのは、血まみれの小夜子。手をソレにつっこんでは真っ赤なモノを自分に塗ったくる。
キーキーと音をたてて揺れるソレは両腕を縛られ上から吊るされていた。
そこに指はない。
頭は不自然に背中の方に折れ、喉からへそまでを切り裂かれ、中身の残りが皮にひっかかり、揺れている。そこから滴る血を小夜子は更に自分に塗りたくる。時折、顔をソレの中に鎮め、飲んでいるようにも見える。脚はない。というより、下半身はない。
それはそうだ。
俺が食材として使ってしまったんだから。
小夜子はソレを抱き締めたり、舐めたり、食ったりしながら肋骨のまわりについてる肉を食いちぎり、骨をしゃぶる。
悲鳴にならない音を上げてまず婦人のほうが意識を失った。
自分の、今さっき自分の胃袋に収めたモノすべてを吐いて、意識を無くした。
男の方は呆然として小夜子を凝視している。身体中は震えているが、ソレが自分の娘だと思うことに反発していた。
だから、小夜子に顔を見せてやれと合図を送った。
小夜子は嬉しそうに笑うと、男を見たまま、ゆっくりと、弄ぶようにソレを回し、背中に張り付く頭を男に向けた。
瞬間、男は自分の顔をひっかきながら叫び声をあげた。
そこに見たモノは、まさしく自分の娘だった。
鼻はもげ、唇は切り取られているけれど、間違いなく自分の娘だと気付き、食べてしまった自分の娘を吐き出し、胃の辺りを執拗にひっかき始めた。
小夜子はそれを見て満足そうに微笑むと、ソレの髪の毛を、血まみれの髪の毛をコームでとき、毛先から滴る血を男に見せた。
妹ながらにやることが酷い。
男はもはや正気を保てず、よだれを垂らし、部屋の中を悲鳴を上げながら歩き始めた。
そう、こうなるのを待っていた。これが見たかった。このために料理をしたんだ。
生きたまま捌かれる悲鳴が俺の好物。肉は小夜子が喰う。
客は正気を失うが……………
でも…………………
男はワゴンに乗っている鍋に目をとめると、側で立っていた召使いを突き飛ばし、今度は鍋の中を素手でかき回し始めた。
指や骨、腸の一部と脚の肉を煮込んでいる鍋をかきまわし、いろいろなモノが入っている鍋の中を見て………
涙を流した。
一心不乱にかき混ぜた後、手で中身を掬い上げるとそれを次々と食い始めた。
狂い始めた。
泣きながら食い、『うまい』という。
泣きながら自分の娘を喰らって、うまいと言う。
肉を噛み砕いて飲み込んで、うまいと言う。
血をたっぷり混ぜたスープやソースを舐めるように飲み込み……………
『愛してた』と言った。
小夜子はそれを眺めながら、ソレの目玉のあったところに腕をつっこんで中身をかき混ぜて遊んでいる。
俺は召使いにいつものように一言二言命じ、満足してそこを後にした。
ーーーーーーーーーー
「ああ……………やっとお目覚めですか」
老夫婦は飛び起き、周りを確認した。
自分の体をべたべたと触り、そこに吐瀉物がないことを見て、顔を見合わせた。
不思議なんだろう。
カーテンを勢いよくあけて外を確認したが、そこには庭師によってきれいにされた庭があるだけだ。
俺の顔を化け物でも見るかのように見て、目を限界まで開いた。
「すみません、料理に時間がかかってしまって」
「………」
「妹がお酒をすすめたようで、ちょっと酔われてうとうとしていらっしゃったんですよ」
「うとうと?」
「ええ、ささ、料理ができましたので、こちらへ」
「いや、料理はもうけっこう。帰らせていてだきたい」
「そんなこと言わずに、せっかく作ったんですから」
「まさかと思っていたが、夢ならそれでいい。あの話は無かったことにしてもらう。専務には私から言っておくから、もうこの話は忘れてくれ」
「あなた、なんなことなんですか? 話というのは」
「お前はいい」
男の方はもう頑なに帰ると言い張り、女の方はそれに黙って従っている。
「それはすみませんでした。私の手際が悪くて」
「失礼する」
帽子を取り、相変わらず顔面蒼白のまま。
「…………妹さんは?」
思い出したように婦人が小夜子のことを聞いてきた。
彼女は今は…………
「妹は酒で酔ったりはしませんから。俗に言う、ザルというやつです」
「……はぁ、そうですか。それでは………」
腑に落ちないということなど婦人の顔を見れば分かる。
召使いは客を外まで案内し、俺はそれをニタニタと眺める。
なぜなら……………
「お帰りなさい」
「そ、そ、そ、そ、外に、外に、外に、外に、外に、」
「外に?」
「娘が」
「はぁ。娘さんですか」
「おまえ、どういうことだ! たった今、あの話は無かったことにしたはずだぞ!」
「はぁ。ここへ来てからではもう遅いとは思いませんでしたか?」
「あなあなあなあな………あなたななななんの話」
「薄々分かっているでしょう? あなたの旦那さんは私に………」
「言うな」
「娘を……………娘をどうしたの?」
「……………あなたの娘さんを……………あとかたもなく始末してしまいたいと………………」
「始末? 始末するってどういうこと! 娘をどうしたの! うそ、まさか、そんな」
「それを俺に頼んできたのは、そちらでしょう?」
「あなた…………なんてことを」
「だから、ほら」
玄関先では小夜子がソレの残りを解体し、喰らっているはずだ。
そこには鉢植えがたくさん置いてある。その横には小夜子が作っている家庭菜園もある。今日の食事の付け合わせの野菜もここからもいだものだ。肥料もたっぷり。
この土の下には、小夜子が食い散らかしたモノの残骸が静かに眠っている。
水をやるように、血を滴らせるのが好きな小夜子は、必ずそこへ持っていって食い尽くす。
この夫婦は目覚めた時に、ちゃんと食事をしていればあんな光景を見ることはなかったのに。
ただの悪夢で終わらせられて、いつまでも帰ってこない娘をいつまでも待つことになったのに。
きっと帰るころには召使いが玄関をきれいに洗い流し、元通りにしていたはずだ。
残念だ。
俺の作った料理を、食事を断るからこんなことになる。
食事をしているところを見たいだけなのに。
そして、またここに戻ってきた。
「それじゃ、私が用意した食事、最後まで食べていきます?
残さずきれいに食べてあげないと、成仏できないって言うじゃないですか」
夫婦はまた腰を抜かし、泡を吹き始めた。
俺はそれを眺めて高笑いし、召使いに食事の支度を命じた。
「確かまだ取り分けて置いた腹の肉があるはず。すぐに作りますから、お酒でも飲みながら待っていてください」
まだ帰さない。
帰すわけにはいかないんですよ。まだ終わっていないんだから。
【終】