第1章 姫君の帰還 9
やがてメインストリートは、大きな円形の広間と交わったところでぷつりと途切れてなくなった。そこが終点らしい。
広間にも道路と同じ白い石畳が敷かれていて、そこは他の幾つかの道路との辻にもなっている。
その広間を中心にして、都市の道路は放射状に延びているようだ。
広間の真ん中には、平たく丸い石の台が、低い舞台のように盛り上がっていた。
氷のような飾り柱が、その円いスペースを取り囲んでいる。
屋根が崩れて柱だけが残った遺跡を思わせるが、最初から屋根はないようだった。
そこでビジュアル系バンドが演奏でも始めれば、雰囲気のあるライブ会場になるかもしれない。
「ここがお城への入り口だよ」
ナチグロ=ロビンが、言った。
「入り口って……。この丸い舞台みたいなのが?」
七都は低い階段を上がり、その舞台の上に立ってみる。ここでダンスをしたら楽しいかもしれないなどと、ふと思いながら。
「どこかに扉でもあるの?」
「あるわけないだろ。ここに立ってたら、そのうち中に入れるから」
七都は、頭上を眺めた。
相変わらず渦巻く雲しか見えない。
普通の雲よりも低いその雲は、奇妙な圧迫感があった。雲というより、固く泡立てた大量のメレンゲが浮いているようだ。
あ、でも。
七都は、視界に並んだ柱が入るよう、舞台の真ん中に立ってみた。
こうやって仰ぐと、そそり立つ柱が雲を支えているように見える。
これは雲の天蓋。ここの屋根は、あの雲。
そして、おそらくこの真上は、風の城の真ん中。
風の城を訪問しようとする客たちは、この舞台のようなところから、正式に城の内部に招待される。でも、どうやって?
「エレベーター?」
七都が言うと、ナチグロ=ロビンは顔をしかめる。
「何でそういうアナログ的発想ばかりなんだよ。せめて、『亜空間物質転送装置』くらい言えないもんかな」
「なんだ、転送か。SF映画に出てきた。あんな感じで、SFチックに中に入れてくれるわけなんだ」
ナチグロ=ロビンは、いきなり七都に向かって手を差し出した。
「ほら、かして、そのロボ猫。持ってやるから」
もちろん、ぷにぷに肉球の猫の手ではなく、十二歳くらいの男の子の手だ。幾分ふっくらとしていて華奢なのだが、どこかに力強さがある。
「ロビン、やっぱ、やさし……」
うるうる目になりかけてそう言いかけた七都は、セリフを飲み込んだ。ナチグロ=ロビンに、ぎろっと睨まれたからだ。
「勘違いすんなよ。七都さんがそんなのを持っていたら……」
「はいはい。あなたが困るんでしょ。つまり、お姫さまに重そうな機械を持たせて、まー、なんて猫なんでしょって、お城の人たちに後ろ指さされるんだ」
七都は、抱きしめていたストーフィを彼に押し付けた。
「そういうこと。わかってるんじゃん」
ストーフィは、両手をナチグロ=ロビンに回すようにして、ぴったりと彼にくっついた。どことなく、彼になついているようにも見える。
「この猫ロボット、前にどこかで会ったことなかったっけ?」
ナチグロ=ロビンは、ストーフィの無表情なのっぺりとした顔を見下ろした。
「ジエルフォートさまのお城か、エルフルドさまのお屋敷に行ったことあるの?」
「あるわけないだろ。一介の下級魔神族が」
ナチグロ=ロビンが、ぶっきらぼうに呟く。
「じゃ、初対面だと思うよ」
まったく。また自虐的なことを思い出したように付け足して言うんだから。
七都は、ストーフィとにらめっこをしているナチグロ=ロビンを横目で見て、肩をすくめた。
頭上の雲の中で、青い光が瞬いた。
稲妻のような木の枝状の金色の細い光が、雲の表面を何度も這う。
訪問者たちを城の中に迎えてくれる準備が整ったらしい。
「行くよ、七都さん」
ナチグロ=ロビンが言った。
きりっと引き締まった彼の顔。彼も緊張しているようだ。
帰還した姫君を初めて風の城に案内する――。
彼なりに、その重みと責任は感じているのかもしれない。
「うん!」
七都は、風の城を見上げる。
いよいよだ。ついに、わたしは風の城に入る。
メーベルルが、わたしを連れて行きたかった場所。
リビングのあの白緑色の扉を開けて旅を続けてきた……その旅の終着点。
そして、そこには、風の魔王リュシフィンが待っている……。
七都の体は、頭上から下がってきた薄青い光の膜に覆われた。
白い空間が、七都の前に現れる。
目の焦点が合ってきても、そこは夢の中の世界であるかのような感覚があった。
白と透明。それが重なり合って、空間を広く高く拡張させていく。
七都とストーフィを抱えたナチグロ=ロビンは、広い廊下の真ん中あたり――金色の円の模様の中心に立っていた。
周囲には、誰もいない。
城に到着したら、ずらりと整列して七都を待ち受けていた沢山の召使いたちが、一斉に挨拶してくれる――。
何となくそういうシチュエーションを想像していた七都は、少し拍子抜けしてしまう。
ナチグロ=ロビンは躊躇することなく、金色の円から出て、さっさと歩き出した。
七都は彼のあとについて、波打ち際の薄いエメラルドグリーンのような色をした、半透明の廊下を進む。城の内部を観察しながら。
地の都のエルフルドの屋敷は、荘厳で重厚な造りの建物だったが、地の底という先入観もあってか、息が詰まりそうな雰囲気があった。
光の都のジエルフォートの城は、ここと同じように<白と透明>で構成されてはいたが、それは冷たいくらいにシンプルで、装飾も必要最小限という感じだった。
けれども、この風の城はもっと繊細で、ゆったりとしていて、そして、溜め息が出るくらいに美しい。
内部の装飾も、ごてごてしすぎず、しかし物足りなくはないくらいの分量で、さりげなく施されている。
その心地のよい雰囲気は、七都の持っている感覚に、すとんと素直に入り込んできた。
あれ。ここ。
どこかに似ていると思ったけど……。
七都は、笑みを浮かべた。
うちだ。どことなく、うちに似てるんだ……。
もちろん七都の家は、こんなに豪華で大きくはない。比べること自体おこがましい。けれども、この城の雰囲気が間違いなくあの家には投影されている。
廊下の両側に続く、格子戸のような彫刻の入ったパーテーション。
ずらりと並ぶ、幾何学模様の白いガラスの窓。
天井の丸い明り取り。
それらを小さくして簡略化させたもの、淡く印象を伝えるものが、七都の家のあちこちにあった。
お母さん……。
このお城のイメージをうちに持ってこようとしたんだね。
だから、うちはあんな感じなんだ。
だから、白い壁とガラスで出来た、アールデコ調の家ってことになってるんだ……。
七都は、嬉しくなる。
お母さん、やっぱりここが好きだったんだ。
ここはお母さんが生まれて育った場所なんだものね。
今、私はそこにいる。
ここに来たんだよ。
幽体離脱していたときは感じなかった、さまざまなこと。
あの時は、あまりゆっくり見る時間もなかったし、心の余裕もなくて目に入って来なかった、城のこまごまとした様子。
今は、すんなりと受け入れることが出来る。
七都は周囲の景色を物珍しく眺め、緊張感を抱きしめながらも、それらを丁寧に楽しんだ。
「でも、やっぱりここも、静かだね」
七都は、遠慮がちに呟いた。
声を控えめにしても、思った以上に響いてしまう。自分の声ではないみたいだ。
風の城の中は下界の都市に負けないくらい、しんと静まり返っていた。
街では、少なくとも水や鈴などの音が聞こえてきたが、ここは何も聞こえない。
城の名前の通り、もの悲しい風の音が遠くで微かにするだけだ。
「まあ、建物の規模の割には、住んでいる人数が少ないからね」
ナチグロ=ロビンが言った。
「この城って、どれくらいの人がいるの?」
七都は訊ねる。
「二十人くらいかな。もっと少ないかも。数えたことないや」
「部屋はどれくらいあるの?」
「千五百とか……もっと……二千とかかな」
「すごい!」
「それも数えたことないね。七都さん、数えてみたら?」
「数えてるうちに、たぶん迷子になるから、やめとく」
「ぼくも、それが賢明だと思うね」
広い廊下を通り過ぎると、半透明の白い扉が、ひとりでに開く。
そこからはまた、回廊が続いていた。
ラベンダー色の空が、縁に雲のような装飾が施された窓の向こうに広がっている。
回廊の向こうから、賑やかな笑い声が聞こえてくる。
華やかな女性たちの一団が、七都たちのほうに近づいてきた。
七都が幽体離脱をしたときに、庭園で見かけた人々だった。
やはり、きらびやかなドレスをまとい、宝石や花で身を飾っている。
相変わらず、趣味がいいと表現できる衣装ではなかった。
彼女たちは、七都がこういう色の組み合わせは一生絶対着ない!と思わず心の中で呟いてしまうような、斬新なセンスを競い合っていた。
ナチグロ=ロビンは、彼女たちに動じることもなく、回廊を歩いて行く。
七都は、彼女たちの視線を感じた。
どういう反応をされるのだろう。
一応わたし、ここの姫君なんだけど……。
女性たちは立ち止まり、一斉に腰をかがめて、丁寧に挨拶をした。
けれどもそれは、七都に対して、というよりも、明らかにナチグロ=ロビンに対するものだった。
七都に注がれる眼差しには、さまざまな表情がちらちらと見え隠れする。
戸惑い、期待、羨望。そして、ごく軽い嫉妬。
その多くのベースになっているのは、『誰、この子?』という疑問だ。
わたしが帰ってくるってこと、知らないの? 知らされていないの?
七都は複雑な思いを抱きしめる。
姫君らしいということで、それなりに育んで来たプライドが、多少傷ついてしまう。
ナチグロ=ロビンと七都が彼女たちの前を通り過ぎてしまうと、彼女たちは早々と緊張を解き、賑やかに喋り始めた。
扇で口元を隠して話しているとはいえ、その内容は、七都たちのところまでまる聞こえだ。
貴婦人としては、それらしい気品がかけらもなく、持ち合わせるべき思慮と分別が、完璧に欠如している。
「見た?」
「見たわ。しっかりと」
「なんてきれいな子なのかしら」
「ねえ、あの子、誰なの? 新しいアヌヴィム?」
「きっとミウゼリルさまの姫さまよ。そっくりだもの」
「ミウゼリルさまって、だあれ?」
「ここに前にいらっしゃった、姫君よ」
「ああ、じゃあ、新しい姫さま?」
「それなら、あとでまたきちんとご挨拶しなきゃ」
「きっと、姫さまのほうから来てくださるわよ」
「そうよね」
「じゃあ、それまで、のんびりと待ってましょ」
「嬉しいわ。女の方だもの。きっとやさしくしてくださるわ」
「それも、かわいい姫さまよ」
「ここの男の方たち、ちょっと乱暴ですものねえ」