第6章 招かれざる客人 14
「見事な庭園だね。素晴らしいよ。あそこにいるだけで、心が和む」
窓から庭を眺めていたルーアンは、はっとして振り替える。
彼の後ろに、シルヴェリス――ナイジェルが立っていた。腕を軽く組み、彼をじっと観察するような様子で。
ルーアンは、丁寧にお辞儀をする。
「お気に召していただけて光栄です」
「玉座に取り残されて退屈している冠をその頭にかぶって、ぼくを殴りにくるんじゃないかって。ちょっと期待したんだけど」
ナイジェルが言った。
「めっそうもございません」
ルーアンは、穏やかに微笑んだ。
「我が姫君を大切に思し召しくださり、誠に感謝しております」
「それは皮肉に聞こえるけどね。でも、『心から安堵した』。そんな感じだね」
ナイジェルは、水色の目でルーアンを見つめる。
ルーアンはその目を避け、もう一度頭を下げた。
「きみがリュシフィンになれば、大歓迎なんだけどな。そうすればぼくも、迷わずナナトを妃に出来る」
「残念ながら、次のリュシフィンはナナトです。彼女以外にはおりません」
「まあ、残念でもないよ。ナナトがリュシフィンになっても、妻にはするつもりだから。妻が魔王というのもまた、おもしろい」
「では、お二人には、水の魔王と風の魔王、二人分の後継者をお作りいただかねばなりません」
ルーアンが何の感情も挟まず、事務的に言う。
ナイジェルは、眉を寄せた。
「その確率は低いね。リュシフィンとなったナナトとぼくが結婚したら、もしかしたら、風の王族も水の王族も、血が絶えるかもしれない。魔神族の中でも長い年月を生きているきみが、知らないわけがないと思うが? 安易に言わないでもらいたいな」
「女性の魔王は子供を持てないという噂ですか? しかし、ナナトの母親のミウゼリルは、魔王でありながらナナトを生みました。子孫が出来る確率は、全くないわけではないのです。魔王の冠が魔王を絶やしてしまうなど、そういうことをするはずもないのですから」
「冠か……。七つに分けられたという冠が、もし一つに戻りたがっているとするなら、そういうことをするかもしれない」
ナイジェルは、呟いた。
「ならばミウゼリルは、七都を生まなかったでしょう」
「意外に楽観的なんだね。きみは、もっと悲観的な考え方をする人物かと思った」
「恐れ入ります」
「しかし、本当はきみは、ナナトとぼくの結婚には反対なのだろう? あまりぼくは、きみに好かれているとは思えない」
「お二人の決められたことに反対は致しません」
「忠実な魔貴族らしい態度だ。でも、王族だった頃の態度も、たまに見え隠れしているよ。完璧を装うなら、もっと気をつけなきゃ」
ナイジェルは、おもむろにルーアンに手を差し出した。
ルーアンは一瞬躊躇したが、覚悟を決めたように、その銀色の機械の手を取る。
「だけど、ぼくは心配だよ。ここには、男性はきみしかいない。ナナトが発情したら、きみを選ばざるをえないってことになる」
「ナナトは、私を選ばないでしょう。本能的に避けるはずです」
ルーアンが呟く。うつむいて目を伏せ、ナイジェルの視線をよけながら。
「ふうん? 何かそういう理由……というか、事情があるのかな?」
ナイジェルは、ルーアンの手をぐいと引っ張って、自分のほうに引き寄せた。そして、彼のワインレッドの目を覗きこむ。
「ナナトと同じ色の目だ。そっくりだね。そういえば、面差しも。ナナトとこうしているような、おかしな気持ちになるよ。でも、きみはぼくの目を見ない。本来なら、目を合わせて対等に会話が出来る立場なのに。ナナトは、初めて会ったときから、ぼくの目を覗き込んできたよ」
「姫君の無礼に対しては、どうかお許しを」
「別に無礼などと思っていないさ。魔王になって以来、そういうことをぼくにしてくれる魔神族に出会うのは初めてだったからね。とても嬉しかったよ。……ルーアン、務めだ」
ナイジェルは、ルーアンをさらに間近に引き寄せた。
「では、そろそろお城に戻りましょうか、七都さま」
ナチグロ=ロビンが言った。
続いて彼は七都に一礼し、優雅な身のこなしで手を差し出す。
七都は、いつもとは姿も態度も言葉遣いも全く違う彼を、改めてまじまじと眺めた。
「何か?」
青年のナチグロ=ロビンは、手を宙に浮かせたまま、猫っぽく首をかしげて見せる。
「なんか。やっぱり、変」
「……変?」
彼は、上品に眉を寄せた。
もちろん、七都が知っている少年の時の彼の、露骨な眉のしかめ方とは雲泥の差だ。
「っていうか、まだ受け入れられてないとういか。慣れてないんだ、たぶん。なんか照れるし、戸惑う」
七都が言うと、青年のナチグロ=ロビンは、軽く溜め息をついた。
そのつき方も、当然大人びた、どこか押さえた感じのものだ。
彼は訊ねた。
「前のほうがよかったと?」
七都は、仕方なく頷く。
「……ったく。相変わらず、わがままだな」
今までの態度とは対照的な口調で、ナチグロ=ロビンは呟いた。
あっという間に青年のナチグロ=ロビンの姿は消え、代わりに元の少年の彼が現れる。
相変わらずの挑戦的な目は、緑が薄く溶けた金色。
髪の長さは短くなっていたが、青年の頃よりもやわらかく、初々しい美しさがあった。
背は七都より低くなり、七都は彼を見下ろす体勢になる。
変身したチグロ=ロビンは、少年特有のぶっきらぼうな仕草で、七都のほうに手を伸ばした。
「はい、仰せのとおりに。変えましたよ、姫君」
めんどうくさそうに、彼が言う。
七都の口元に、思わず笑いがこぼれる。
やっぱり、ナチグロ=ロビンはこれでなくちゃ。
「ありがとう。このほうがしっくりくるというか、安心するというか、ね。だって、この姿のあなたのほうが、言いたいことが遠慮なく言えるもの。何となく、少女の姿をしたアーデリーズが苦手なジエルフォートさまの気持ちがわかるな。あ、でも、今はジエルフォートさま、その姿も気に入ってるんだっけ。やっぱり、元々そういう趣味が……」
「何ぶつぶつ言ってんの。お城に帰るよ!」
ナチグロ=ロビンが、七都の手を乱暴にぐいと引っ張る。
「そういえば、七都さん。シルヴェリスさまは? もう行ってしまわれたの?」
『七都さま』ではなく『七都さん』に戻ったことにほっとしながら、七都は答える。
「ルーアンと話があるから、先にお城に戻るって……。あ」
七都は、口を押さえて、ナチグロ=ロビンを見た。
「へ?」と彼が、今度は、おもいっきり遠慮のない子供っぽさで、首をかしげる。
「前と一緒だ、あのパターン。ナイジェル、前にも似たようなことをわたしに言った。あの神殿の遺跡の地下の部屋で。あの時は、あなたと話があるって。そして、ナイジェルとあなたは、部屋の中に入っちゃったんだよね。つまり……そういうこと?」
「ああ。シルヴェリスさま、七都さんに拒否されたから、代わりにルーアンを……。ま、七都さんとルーアンは似てるし。お気持ちはわからないでもないかな」
ナチグロ=ロビンが、わけ知り顔に言う。
「えええっ!!!」
思わず七都も、ムンクの『叫び』ポーズをしそうになる。
「ま、まさかっ。ナイジェル、そういう趣味がっ!」
ナチグロ=ロビンは、顔をしかめた。
「何勘違いしてんだよ。ま、ああいうことの後じゃ仕方ないか。あのね、最初に七都さんが考えたとおりだよ。つまり、ルーアンはシルヴェリスさまをおもてなししなきゃならない。魔貴族の義務だ。王族なら、他の一族の魔王さまに対しては単なる軽い挨拶程度ですむけれど、悲しいことにルーアンは王族を捨てて魔貴族になっちゃったからね。まあ、シルヴェリスさまのさっきまでの『欲』が、別の『欲』に変わらざるを得なかったってことでは、今の七都さんの反応は正解かもね」
ナチグロ=ロビンは、意味ありげに、にやっと笑った。
「ナイジェルに失礼だよ、ロビン!」
七都は顔を赤くして、ナチグロ=ロビンを睨んだ。そして、呟く。
「つまり……エディシル? 食事ってこと?」
「そ。でも、もう食事は終わられた頃じゃない? ルーアンも解放されてるだろう。そろそろ戻ってもいいと思うよ。行こうか?」
「う……ん」
七都は、力なく頷く。
「どうかしたっけ?」
ナチグロ=ロビンが、うなだれ気味の七都の顔を覗き込んだ。
「やっぱり……。ナイジェルも魔神族なんだよね」
「何しみじみ言ってんの。それどころか魔王さまだよ」
「そう。そして、わたしも魔神族で、王族で、魔王の後継者なんだ……」
「当たり前だよ。さ、行こ」
七都は、ナチグロ=ロビンの小さな手をしっかりと握りしめた。