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第1章 姫君の帰還 8

 体が固まって動かなかった。

 避けることもできなかった。

 ナチグロ=ロビンとストーフィが、怪訝そうな顔をして、七都を眺めている。

 わたし、知ってる……。

 この少女。そして、この頭の中の声の主を……。

 とても身近な存在だ……。

 誰?


 真っ直ぐに七都に向かって落ちてくる二人が、アップになる。

 七都は、若者の額に輝く金色の冠を、目を大きく見開いたまま、呆然と見つめた。


 凄まじいスピードで落下してきた二人は、七都を通り抜け、そして地上で分解した。

 灰色の砂が白い石畳の上に巻き上がり、七都を包み込む。

 七都の視界のすべてが、濃い灰色の粒子で覆われた。

 けれども、それが皮膚の表面を通り過ぎる感触も、鼻や口の中に入ってきそうになる感覚も、全くなかった。

 今まで魔神族が消滅したときに感じた微かな焦げるような匂いも、そこにはなかった。

 やがて風が砂をゆっくりとさらって行く。突っ立っている七都を残したまま。


「あ……。あーっ!!!!!」


 七都は両手で顔を覆って、うずくまった。


「七都さん!!」


 ナチグロ=ロビンが叫ぶ。

 ストーフィが彼の腕から滑り落ちるようにして石畳に降り立ち、七都に駆け寄った。

 オレンジ色の光をまとった細長いものが、ストーフィを通り抜けて落下し、地面で跳ね返る。


「あ……」


 七都は顔を上げ、それをぼんやりと見つめた。

 七都がよく知っている武器。今まで何度も目にし、破壊してきた剣――。魔神狩人が魔神族を狩るために持つ、エヴァンレットの剣だった。

 バウンドしたエヴァンレットの剣は、ナチグロ=ロビンを通り抜け、どこかに吸い込まれるように消えてしまった。

 エヴァンレットの幽霊……?

 違う。

 ナチグロ=ロビンが言った、『過去の残像』だ。

 もちろん、分解したあのカップルも。

 剣はたぶん、あの二人と一緒に落ちた。

 そして、二人が最初に地面に激突して分解し、遅れて剣が落ちてきて、跳ね返った――。

 それがこのあたりの空間に、残像として刻みつけられている。


「七都さん。何か見たの?」


 ナチグロ=ロビンが訊ねた。

 ストーフィが心配そうに、七都の顔を覗き込んでいる。

 七都は、ナチグロ=ロビンを見上げた。

 彼は、ぎょっとしたように七都を眺める。七都の目からは、涙が溢れていた。


「……自殺……したの?」


 七都が訊ねると、ナチグロ=ロビンは、眉を寄せた。


「え……?」

「あの人……。リュシフィンさま……。金の冠をしてた。あれはリュシフィンだ。何代か前のリュシフィンなんだろうけど。女の子と抱き合って、落ちてきた。風の城から飛び降りたのでしょう? 心中? 一緒に落ちてきたエヴァンレットの剣は、何に使われたの……?」

「……何言ってんの……?」


 ナチグロ=ロビンが、ますます顔をしかめる。


「魔王さまは自殺なんかしないよ。自分で命を絶つってことは、背負っている責任とか、役割とか、それから自分の一族を捨てることでもあるんだよ。そんなの、するわけないじゃん」

「でも、あれはリュシフィンだ。間違いないよ……。リュシフィンさまも女の子も、二人ともこの石畳の上で分解した。死んじゃったんだ……」


 七都は、涙をぬぐう。けれども、涙は止まらなかった。

 ショックが大きすぎたのかもしれない。

 頭は意外と冷静なのに、目が勝手に壊れた機械のように涙を流し続ける。

 幽体離脱したときに会ったナイジェルによく似た、扉の番人をしている魔王らしき若者。彼も少女を固く抱きしめていた。

 思い合う二人の魂が再会出来るように。そんな願いを込めた抱擁。

 けれども、あの二人は、彼らとは全然違う。

 落下してきた二人の抱擁は、死への準備。死を受け入れるために行われた、悲しすぎる抱擁。

 それに―――。


「赤ちゃん……」


 七都は、呟いた。


「え?」


 ナチグロ=ロビンが、眉を上げる。


「あの女の子、お腹に赤ちゃんがいた。その赤ちゃんは、死にたくないって叫んでた……。やめてって泣いてた。お腹に子供がいるのに……なのに、何で死ななきゃならなかったの? リュシフィンは魔王さまで、強力な魔力も持ってるのに……。何で?」


 ナチグロ=ロビンは、凍りついたように動かなかった。

 言葉を飲み込み、黙ってしまう。


「わたし、あのリュシフィンさまは知らないけど、女の子と赤ちゃんは知ってるような気がする。私にとって、とても大切な人たちだって感じる。ロビン、あなたは知ってる?」


 ナチグロ=ロビンは、黙ったまま、ただ七都を見つめていた。

 金色の目が、思いあぐねたように揺れている。


「長い黒髪に、黒い目の……」

「過去の残像だよ」


 七都が言葉を続けるのを阻止するように、ナチグロ=ロビンが言った。


「七都さんが生まれる、ずっとずっと前の出来事だ。何百年も前の。昔あったかもしれない、たくさんの事件のひとつだよ」

「ごまかさないで。知ってるなら、きちんと説明して」


 七都は、ナチグロ=ロビンを睨んだ。

 彼はしばらく視線をさまよわせ、それから言う。


「ぼくは、説明できる立場じゃない。だから、知っていても教えられない」

「じゃあ、なに? 王族のわたしを置き去りに出来たのは、それは、あなたがそういう立場だったから?」


 七都が言うと、ナチグロ=ロビンは絶句した。

 うつむいて、顔を歪めている。

 もしかして、押してはいけないボタンを押しちゃった?

 ちょっと傲慢で、意地悪なこと言っちゃったのかな?

 七都は、軽い罪悪感を抱いてしまう。

 だけど、わたしは、あなたのおかげで死にそうになったんだもの。そりゃあ、エディシルを食べることを拒否しているわたしが悪い、なんて言われたら反論できなくなっちゃうけど……。

 これくらい、かわいらしすぎるくらいの、ごく軽い逆襲だよね。


「いいよ、もう。風の城に着いたら、リュシフィンさまに聞く。質問は全部リュシフィンさま。結局そういうことだよね。じゃあ、やっぱり生徒手帳持ってきたらよかったかな。質問したいことを全部書き出して、整理して、それを見ながらリュシフィンさまに質問したほうがよかったかも。インタビューみたいに」

「紙とペンくらいなら、お城にもあるよ」


 ナチグロ=ロビンが、少しうなだれ気味に言った。


「あ。もちろん、そうよね。ないわけないよね。じゃ、それ借りようっと」

「でも、七都さんの質問に対する答えの欄は、空白だらけになると思うけどね。たぶん及第点は取れないよ」


 ナチグロ=ロビンは溜め息をつき、頭上の雲を見上げた。


「何で? リュシフィンさまが答えてくれないっていうこと?」

「答える人が違う……」

「え?」


 ナチグロ=ロビンはおもむろに七都に歩みより、手のひらで七都の頬に伝っていた涙をぬぐった。

 七都は、驚いて、彼を見上げる。


「お城に着いたら、薬草のお茶をもらうといいよ。それを飲むと、もう変なものは見えなくなるから」


 彼が言った。

 それから彼は、引き続き七都の涙を丁寧にぬぐう。

 なんだか、猫に舐められているときのような、気恥ずかしい、くすぐったい気持ちになる。


「ロビン。やさしい……」


 七都が呟くと、ナチグロ=ロビンは、おもいっきり顔をしかめた。


「誤解するなよ。泣き顔のまま城に入ったりなんかしたら、ぼくが泣かせたと思われるだろ」

「……ナチグロ。やっぱり、冷たいっ!」


 七都は、彼の手首をつかんだ。


「この手、ぷにぷにの肉球の猫の手にしたら、まだかわいげがあるのに。いつもの猫のときの白黒のあなたの手に。わたし、リクエストする!」

「そんなことしたら、何も出来なくなる。猫の手は役に立たないものの代名詞だってこと、知ってるだろ。さ、行くぞ、七都さん。猫ロボットも。もうよそ見すんなよな」


 ナチグロ=ロビンは乱暴に立ち上がり、さっさと歩き出してしまう。

 七都は、膝にもたれかかっていたストーフィを、赤ん坊を抱くようにしてかかえあげた。


「赤ちゃん……」


 七都が呟くと、ストーフィは七都をじっと見上げる。


「あの黒髪の女の子……。誰なんだろう。あの子とお腹の赤ちゃんのことを考えると、とても悲しくなる……。また涙が出てきちゃう。分解したとき、わたしの何かが消えたような気がした……」


 ストーフィの目の中を、さざなみのように虹色の光がよぎっていく。


「七都さん! 置いてくぞ!!」


 もう既に遠くまで移動してしまったナチグロ=ロビンが、七都に向かって、いらだたしげに叫んだ。


「待ってよ。やっぱり冷たいんだから」


 七都はストーフィを抱いたまま、彼を追いかける。


 ナチグロ=ロビンは、腕を組み、駆けて来る七都とストーフィを眺めた。

 そして、短い溜め息をついて、弱々しくぽつりと呟く。


「ぼくは、助けようとしたんだよ……。でも、無理だったんだ……」


 七都たちが追いつくと、再び彼は、高飛車でぞんざいで機嫌の悪そうな元の態度に戻って、歩き始めた。

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