第4章 エヴァンレットの秘密 11
「えーと……ですね……」
七都は、口ごもった。
誰かと訊ねられて、どう答えたらよいのか。
わたし、あなたの孫なんです、なんて言っても、すんなりと信じてくれるわけがない。
わたしは、未来に生まれてくるあなたの孫です。
あなたは、わたしのおばあさまなんです。
とはいえ、目の前の少女は、たぶん二十歳にもなっていない。七都より三つか四つくらい年上なだけだ。
「おばあさま」と呼ぶには、少し気の毒というか、妙な罪悪感さえ覚えてしまう。
いくら魔神族が永遠に若い姿を保てるとはいえ、まだ子供も生んではいないのに、見知らぬ少女からいきなり祖母扱いされたら、たまったものではないだろう。
この際、孫だのおばあさまだのは置いといて、別の答えにしてみようか。
わたし、風の王族の姫なんです。
けれども、彼女は、王族の姫君は全員知っているかもしれない。
嘘よ。あなたなんか知らない。誰? なんて、怪しまれるかも。
じゃあ、魔貴族の娘ってことにしようか。
ううん、そういうこと以前に、おばあさまの時代には、もう風の魔神族は少なくなっていたのだろうから、ここに誰かがいるということ自体、奇妙なことなのかも……。
どう答えたらいいのだろう。
七都が考えている間にも、祖母らしきその黒髪の少女は、七都を注意深く、じっと見つめていた。
大きな目は、赤く腫れている。
たくさんの涙が流れ落ち、枯れてしまい、それが乾くのと引き換えに薄く色を付けたかのように。
涙のあと?
おばあさま、泣いてたの?
でも。涙が流せるってことは……。
おばあさまって……もしかして、人間?
七都は、黙り込んだまま、彼女を見つめ返す。
彼女から、人間だということを示す何か断片のようなものを探そうとして。
けれども、彼女には、人間という雰囲気が全くなかった。
旅の途中で会った人たちやアヌヴィムたちが持つ、あの人間独特の匂いというものを彼女は持っていない。
あやふやで、はかなげで、それでいて強い存在感と生命力、そして生々しさのようなものがあり、おいしそうな、とでもいおうか。
彼女に感じるのは、やはり魔神族の雰囲気。
魔力で守られた、摩訶不思議な存在。天使のような、妖精のような……。
どういうことなのだろう。
「わたしは……」
七都が話しかけようとしたとき、七都の唇から、言葉にしようとしたものとは全く別のものがこぼれ出た。
「あなたも、心が壊れているの?」
え?
え……?
七都は、愕然とする。
金縛りにあったようだった。
そして、唇だけを誰かに勝手に動かされたような……。
今……今喋ったの、わたしじゃない!!!
七都の右手が、空を指し示すように、ひとりでに上がる。
彼女は、その手と七都を見つめた。美しく、けだるげに佇む猫のように。
「あなたも恋人に裏切られたの? 同じね。私たち、なんてかわいそう……」
再び、七都の唇が動く。
そして、七都の胸のあたりに、どす黒い固まりのようなものが生まれて、渦巻きながら次第に大きくなっていく。
それは、悲しみ。怒り。憎悪。不安。いろんな、よくない感情の寄せ集めだった。
どろどろと重なり合い、融合して、さらに大きな邪悪めいた感情へと変化しようとしているかのような……。
七都はそれから逃れるため、思わず石の床に突っ伏した。
冷たい石の感触が体の下をぴしりと這い、七都は、我に返る。
振り向くと、七都が今までいた場所に、七都と同じポーズで、少女が立っていた。
風にふわふわとなびく、緑がかった長い黒髪。
目の前の少女よりもさらに空虚な光を宿す、ワインレッドの透明な目。
「エヴァンレット!」
七都は叫んだ。
ドレープの入った白いドレスは、玉座に座っていたときと同じ衣装だった。
赤紫のマントは羽織ってはおらず、彼女の額に、風の魔王の冠もない。
ただ、彼女の額には、冠のあとらしきものが残っていた。
七都がユウリスの額に見たのと同じ、冠の幽霊のようなものが。
「エヴァンレット! リュシフィンさまっ!」
七都は、もう一度彼女を呼ぶ。
けれどもエヴァンレットは、七都に注意を向けなかった。
「おばあさまっ!」
七都は、黒髪の少女にも呼びかけたが、彼女も七都を無視していた。
いや、無視しているのではなく、七都が見えていないのだ。
彼女は先ほどから七都を見つめていたのではなく、七都に重なって立っていたエヴァンレットを見つめていた。
七都の姿は見えず、声も聞こえてはいない。それはおそらく、エヴァンレットも同じだろう。
(やっぱり……残留映像……?)
二人の姿は、このテラスに刻まれた、過去の残像。
かつてここで起こった事象。
ナチグロ=ロビンのセリフを借りるならば、七都が生まれる何百年も前のことになる。
七都は起き上がり、ドレスを包み込むようにして、石の床に座った。
過去の残像なら、七都が話しかけて何かが変化するわけでもない。
ドラマや映画のように、ただ二人のやりとりを傍観することしか出来ないことになる。
けれども、今、エヴァンレットが口にしたことは……。
恋人に裏切られた、と彼女は言ったのだ。
<あなたも恋人に裏切られたの? 同じね>
七都は、目の前にいる少女たちを見つめる。
心が壊れた彼女たち。
うつろな目をした幽霊のような、二人の美しい少女。
存在感は希薄だとはいえ、何かぞっとするような思いつめた雰囲気を、二人ともその体の中に閉じ込めている。
「裏切られたの? エヴァンレットは、ユウリスさまに? そして、おばあさまは? ルーアンに……?」
「裏切ったつもりはない」
誰かが、七都の隣で呟いた。
この声……。
七都は、隣に立っていた人物を見上げる。
そこにいたのは、銀の髪と透明な水色の目を持つ、ナイジェルによく似た若者だった。
「ユウリスさま!!」
「彼女がルーアンに裏切られたかどうかは、よくは知らぬが……少なくとも私は、エヴァンレットを裏切ったりはしなかった。けれども、彼女はそう受け止めてしまった。もう……言い訳にしかならないだろうが」
苦しげに寂しげに、そしてひとりごとを言うように、彼が再び呟いた。
それからユウリスは七都を見下ろし、にっこりと笑う。
「やあ、また会えたね、ナナト。きみにはエヴァンレットが見えるんだね。この空間に記憶された過去の映像が……。私には何も見えないんだ」
「ユウリスさま! あなたが見えるってことは、わたし、やっぱりまた幽体離脱を……?」
七都は、思わず確かめてみる。
両手を眺めたが、特に透き通ってもいず、自分で自分の体に触れることも出来た。
足は固い石の床を踏みしめている。肌に風も感じる。
庭園の甘い花の香りも、相変わらず鼻孔をふわりと流れて行く。
どうやら幽体離脱はしていないようだ。
確かに自分は、自分の体の中にちゃんといる。
なのに、彼が見える……?
「きみは、今、現実と夢の間くらいにいる。だから私が見えるのだろう。そして、エヴァンレットも」
「夢……?」
いつの間に眠ったのだろう?
あの天辺の部屋から、ここに真っ直ぐ飛んだはずなのに。
テラスは、天国を思わせるような外観をしているとはいえ、確かに現実めいていた。
七都がテラスにいることは、間違いないようだった。
すると七都は、その現実の建物の上に、夢を通してユウリスを見ているということになるのだろうか。
少女たちは、過去の残像として、さらにその夢に重なり合っているのだろうか。
七都は、目の前で対峙する、二人の少女を眺めた。
「エヴァンレットのほかに、もう一人いるんです。ユウリスさま。あの黒髪の女の人……。わたしのおばあさまでしょうか?」
「黒髪……? テルレージアか。ミウゼリルの母親だから、そう、きみは彼女の孫ということになるね」
「やっぱり、おばあさま……。テルレージアって名前なんですね」
七都は、再び黒髪の少女を見つめる。
(おばあさま。会えて、とても嬉しいです……。でも、正直、もう少し違うシーンで会いたかったかな……)
確かに、彼女の様子は尋常ではなかった。
目は腫れているし、視線はうつろ。雰囲気全体がやつれ果てている。
どこか痛々しかったが、ぞくっと怖くなるような、凄みのある影のようなものも見え隠れする。
『心が壊れている』とエヴァンレットは言った。その通りなのかもしれない。
七都は、祖母のそばに駆け寄りたい衝動を押さえつける。
どうすることもできない。
駆け寄っても、七都は彼女を突き抜けてしまうだろう。
窓のそばに立っていたエヴァンレットがそうだったように。
「魔物が……いるの……」
テルレージアが呟いた。エヴァンレットをその虚ろな目で捉えたまま。
「私の中に……魔物が……いるの……」
すすり泣きを含んだ、うめくような声だった。
七都の胸が、ずきんと痛む。
魔物……?
おばあさま、魔物って……?
エヴァンレットは、仮面のような無表情な美しい顔で、テルレージアを見下ろした。
「ユウリスさま。あなたはやっぱり、水の魔王さまだったんですね?」
七都は、二人の少女が沈黙したその間に、ユウリスに訊ねた。
彼は頷く。
「かつてはね」
「ナイジェルの……ご先祖さま?」
「直系ではないよ。私には子供はいないから」
そう言って彼は、彼が結婚するはずだった少女が今立っている場所をじっと見つめた。
まるでそこに彼女が見えているかのように。
「なぜエヴァンレットは、あなたに裏切られたと思ってしまったのですか?」
「彼女を責めたからだろう」
「責めた?」
「本来ならば風の魔王には、彼女の弟のルーアンがなるはずだった。それなのに、エヴァンレットは彼から冠を取り上げ、自分がリュシフィンになったのだ」
「それは……あなたに会いたかったからです」
七都は、ユウリスを見上げた。
整った、けれども冷たく見える彼の横顔が、そこにあった。
胸の奥に、ふつふつとわだかまる固まりのようなものを感じる。これは、怒りだろうか?
「あなたは突然、彼女の前から姿を消してしまったのでしょう? エヴァンレットの嘆きは、どれほどのものだったか。どれだけ悲しかったか、不安だったか。彼女はあなたを愛していたんです」




