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第3章 風の城の住人たち 12

「ナチグロ! ねえ、ロビン、起きて。侍従長! やっぱり出たよ。やっぱりここ、呪われた部屋だ……」


 七都は小声で、ナチグロ=ロビンの体を揺さぶった。

 だが彼は、熟睡しているのか、全く反応しない。

 幸せそうな笑顔に見える表情で目を固く閉じ、精巧な猫のぬいぐるみであるかのように、動かなかった。

 七都の手の動きに合わせて、ただ小さな体が揺れるだけだ。

 何度も揺さぶっていると、彼は丸くなったまま前足に力を入れ、背中を少し伸ばした。

 それから気持ちよさそうに短くごろごろと喉を鳴らし、再びただの温かいぬいぐるみに戻ってしまう。


「ナチグロったらあ……」


 七都は、彼を起こすのをあきらめて、もう一度窓のそばを眺めた。

 やはりそこには、あの姫君が立っている。

 透き通ってもいなかったし、ドレスのこちら側の床には、ちゃんと影も落ちていた。


「……あのう……」


 七都は彼女に話しかけてみたが、彼女は振り返らなかった。

 相変わらず窓に張り付いたまま、ガラスを撫でている。


「きっと人間たちは涙を流すことによって、涙と一緒に悲しみや悔しさを体の外に出してるんだわ。そして立ち直って、また新たな気持ちで生きていく。なんて素敵なのかしら」


 彼女が言った。


「でも、魔神族には、そんなことは出来ない。体の外に出せない悪い感情は、ただ積み重なって行くだけ。心と体を蝕みながら……」


 七都は、ゆっくりとベッドから降りた。

 そして、彼女に近づく。

 七都がそばに来ても、彼女はじっと窓の外を見つめていた。

 見つめているのは外ではなく、ガラスに映った彼女自身なのかもしれない。


(見えないのかな、わたしのこと。それとも、これもやっぱり、ここに刻み付けられた過去の残像?)


「お姫さま。何があったの? なんでそんなに悲しそうなの?」


 七都は、もう一度彼女に話しかけてみる。

 けれども、彼女は無反応だった。やはり七都の姿が見えないし、声も聞こえないのだ。

 七都は、彼女の髪にそっと触れようとしたが、その手は髪を通り抜けてしまった。

 手は彼女の背中を突き抜け、彼女の体の中に埋もれているという、とてもシュールな状況になっている。

 やっぱり残像ってことか。それか、幽霊かも……。

 七都は思ったが、もう恐怖は感じなかった。

 泣きたいのに泣けない彼女が、いとおしい。

 自分によく似ているからなのかもしれない。

 そして、自分と血が繋がっているからなのかもしれない。

 直系ではないにしろ、彼女が七都の先祖の中のひとりであることは、ほぼ確実だろう。

 七都は、至近距離から彼女を観察する。

 背の高さも体格も、そして髪の色も、七都と同じだった。もちろん、顔もそっくりだ。

 やっぱり似てる。こわいくらい。

 血が繋がってるんだもの。当たり前か。

 七都は思う。

 だが、彼女と自分が違うのは、自分には人間の血が混じっているということ。

 太陽の光で溶けたりなんかしないし、泣きたいときには涙を流して泣けるということだ。

 七都は、ガラスの窓に乗せられている彼女の手を眺めた。

 細い手首には、幅のある腕輪がはめてあった。波をかたどったような模様が入った、金色の腕輪だ。


(冠……!?)


 七都は、その腕輪を凝視した。

 今まで何度も見てきた、魔王たちの冠。

 冠が形を変えた、いろんなアクセサリー。

 ナイジェルやジエルフォートのイヤリング、アーデリーズのネックレス――。

 それと同じ材質、同じ輝きの金色だった。

 間違いない。これは冠。冠がその形を変化させたブレスレット。持ち主の魔王によって形を変えられたもの。

 わたしが見間違うはずがない。

 わたしは冠の近しい者。冠の意志で誕生し、冠をかぶった母体の中で育った存在なのだ。

 腕輪が冠であるかどうかは、感覚で理解できる。


「あなたは……あなたは……リュシフィンさま?」


 七都は彼女の暗い赤色の目を覗きこんだが、もちろん彼女は答えなかった。

 彼女は支えを失ったかのように、すとんと崩れ落ち、床にうずくまった。そして、自分の体に両手を回す。


「苦しい……」


 彼女が、消え入りそうな声で呟いた。


「苦しくて、胸が張り裂けそう……」

「リュシフィンさま……」


 七都は彼女のそばに座り込んだ。

 彼女に触れようとしたが、指はことごとく彼女を突き抜けてしまう。


「誰か……。誰かそばにいて。誰か……!」


 彼女はそう言って、苦痛を押し込めるように目を閉じた。


「リュシフィンさま。わたしがそばにいます。でも、あなたには見えないんですよね……」

「誰か私を慰めて。誰か私を抱きしめて……。でないと、でないと、のみこまれてしまう……」

「リュシフィンさま!」


 七都は、思わず彼女の体に腕を伸ばした。そして、彼女を抱きしめる。

 両手には何も触れなかった。七都の体は、彼女の中にいくらかめりこんでいた。

 それでも、七都は彼女を抱きしめた。ナイジェルが、幽体離脱した七都にそうしてくれたように。


「リュシフィンさま。あなたのいた時代に行けたらいいのに。同じ場所なのに、時間が合いません。あなたがここにいたのは、ずっとずっと昔。何百年も前。だから、わたしはあなたには会えないんです。あなたの残像を抱きしめることしか出来ません……」


 彼女はワインレッドの暗い目を見開いて、ぼんやりと床を見つめた。いや、本当は何も見えていないのかもしれない。


「でも、あなたを助けたい……。どうすればいいんですか? どうすれば……」

「心が……壊れていきそう……。私が私ではなくなっていく……」


 彼女が呟く。弱々しく。


「リュシフィンさま。しっかりして! 感情に支配されないで。暴走したら、誰にも止められなくなってしまいます。あなたは魔王さまなんですから」


 聞こえないということはわかってはいたが、七都は彼女に言った。言わずにはいられなかった。

 けれども、言ってしまってから、もどかしさと虚しさを感じてしまう。

 これは過去の映像なのだ。

 彼女が苦しんでいても、どうすることも出来ない。

 七都は、彼女にとっては遥かな未来に存在することになるのだ。


「あなたのそばには誰もいないんですか? あなたの恋人は? ルーアンは?」


 番人の魔王さま。

 恋人が苦しんでいるのに、あなたは今、どこにいるの?

 彼女のそばにいてあげないと、大変なことになってしまう……。

 彼女が、うめき声をあげる。

 泣き声にならない、うめき声――。

 人間なら、大粒の涙がこぼれるはずだった。けれども、彼女の頬を涙は伝わない。


「リュシフィンさま。わたしの涙であなたの悲しみが流れ去ってしまうのなら、わたしはいっぱい涙を流すのに。あなたの代わりに、いくらでも……」


<私のために涙を流してちょうだい……>


 そう言ったアーデリーズ。エルフルドさま。

 エルフルドさまがそうしてほしいって望むのなら、わたしはいつでも泣いてあげられると思う。

 リュシフィンさま。あなたにもそう出来たらいいのに……。

 彼女が顔を覆って、叫び声をあげた。

 宝石形の窓が白い光の膜で覆われ、部屋全体がびりびりと震えた。


「リュシフィンさま、リュシフィンさま、落ち着いて……!」


 七都は、彼女の残像を抱きしめ続ける。

 何もないはずのその空間に、暗い感情がわだかまっているような気がする。

 孤独。悲しみ。寂しさ。

 彼女が呟いたように、それは静かに降り積もっていく。雪のように、一片一片。

 それは、決してやまぬ、大量の雪……。

 だめだ、このままじゃだめだ。

 これを取り除かなくちゃ……。

 本当に彼女は壊れてしまう……。

 だけど、だけど……。

 これはもう、終わってしまっていることなんだ。

 ここにこうしている彼女は、もういない。

 彼女は、ここでこんなふうに苦しんで、それからどうしたのだろう。

 七都にはわからないが、たぶん答えは何百年か前に出ているのだ。

 そして、最終的な答えは、七都が幽体離脱したときに、時の魔王の宮殿近くで見た光景になる。

 あの緑のカーテンのような空間で、魔王らしき若者と抱き合った少女。魂は体から抜け出たままさまよい続け、体だけ恋人に固く抱きしめられた少女――。

 それが彼女なのだ。

 この先どういう経過を辿ろうと、彼女を待ち受けているのは、あの光景。

 結果的に彼女は、あの光景に向かって突き進んでしまう。

 彼女は、顔を上げた。

 見開かれたワインレッドの目。それは暗いガーネットのような、美しい宝石の目。

 けれどもそれは、何も映してはいないかのような、感情の宿らない、人形のような目だった。

 七都はその目にそっと指を近づける。

 ああ、この目って……どこかで……。



「七都さん。七都さんっ!!!」


 ナチグロ=ロビンの声が耳元で聞こえた。

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