第3章 風の城の住人たち 10
七都は、慌てる。
アーデリーズ、まさかそういう反応をするなんて!
「ならないよ! 魔王さまなんて背負えない! あなたがそんな軽々しいこと言わないで!」
七都が叫ぶと、アーデリーズは神妙な顔つきになる。
「そうよね。ようく考えなきゃね。悪かったわ」
彼女はそう言ったあと、付け加えた。
「でも、私はナナトがリュシフィンになってくれたら、個人的には嬉しい……。全然知らない人がリュシフィンになるよりはね。ナナトのことが好きだもの。一緒にいられる時間が増えるもの」
「私は、ルーアンは知ってるよ。昔、風の都を訪れたとき、彼は何かと気にかけてくれた。彼がリュシフィンになってもいいと思う。彼なら遜色ないしね。容姿も雰囲気も、私などよりずっと魔王らしい。子供心にも、彼に憧れたものだよ。そのとき、彼は確か公爵ではなく、王太子だったな」
ジエルフォートが言う。
「あら、そんなにすばらしい人なの?」
アーデリーズがジエルフォートを見上げた。
「会ったら、きっと驚くさ。それくらい彼は美しい。ナナトに似ているしね」
「まあ。風の都に遊びに行くのが楽しみだわ」
「では、いずれそちらを訪問する日を楽しみにして、我々はこれで失礼しよう。ゆっくりお休み、ナナト」
「ありがとうございます、ジエルフォートさま。エルフルドさま」
七都は、再び魔王たちの映像に向かってお辞儀をしかけたが、ジエルフォートに依頼しなければならないことがあったのを思い出す。
「あの、ジエルフォートさまっ」
「ん?」
「掃除機がほしいんですっ!」
ジエルフォートとアーデリーズが、同じような呆気に取られた顔を見合わせる。
「掃除機?」
「そのう。この城にあるのは古いものばかりで、お風呂用は壊れているし……。ルーアンのお屋敷用にも、たくさん欲しいんです」
ジエルフォートは、おもしろそうに笑う。
「わかった。最新式の掃除機を風の都に送ってあげよう」
「ありがとうございます! 代金は宝石でいいですか?」
「いいよ、代金なんて。今回は、きみの帰還祝いの贈り物にしよう」
「ありがとうございますっ!」
七都は思わず、魔神族のお辞儀ではなく、いつも先輩や大人たちに行っているように、ぺこりと頭を下げてしまう。
「あきれちゃうわ。光の魔王から風の姫君へのお祝いの品が、掃除機?」
アーデリーズが溜め息をついた。それから彼女は、ふふっと笑う。
「あなたたちらしいわね。でも、ナナト。また魔王にお願いをしたわけね」
「あ……。ごめんなさいっ!」
七都は口を手で覆い、慌ててうつむいた。
そうだった。魔王さまに気軽に願い事をしてはいけないのだった。
まずかったかな……。
「いいよ。たとえ掃除機でも、ナナトに何か頼まれるのは、私は嬉しい」
ジエルフォートが笑顔で言った。アーデリーズも、いたずらっぽく微笑む。
「そうよね。ナナト、また私にも願い事していいわよ。じゃあね」
「アーデリーズ……。ありがとう……」
七都は、アーデリーズに伝えなければならないことがあったのを思い出したが、それをここで言葉にすることはやめておいた。
ジエルフォートさまが隣にいるのだもの。また二人だけのときにね。
アーデリーズ。女性の魔王さまでも、赤ちゃんは出来るかもしれないよ……。
それとも彼女は、七都の話の中のあることを敏感に理解したかもしれない。
風の魔王であった七都の母が、七都を生んだという紛れもない事実を。
白い光は二人の魔王の映像と共に消え去り、それまでの部屋の風景が戻ってくる。
猫の目ナビは何事もなかったかのように、静かに七都の手の上に乗っていた。
「あ、そうだ。ナイジェルのこと、聞きそびれちゃった……」
七都は、金色の猫の目を見下ろして、呟いた。彼のことを聞かずに済ませてしまったことを、少し後悔する。
二人は水の都に行って、ナイジェルに会ったのだろうか。
そして、ナイジェルに機械の義手を装着してくれたのだろうか。どんな具合だったのだろう。
まあ、いいや。アーデリーズ、また連絡してくれるだろうし。
このナビ、当然、こちらからも連絡出来るに違いないもの。
それより、ナイジェルにまた会えるよね。
銀色の機械の義手をした、素敵な魔王さまに……。
床に突っ伏していたナチグロ=ロビンが、むくりと起き上がる。
「あー、びっくりした。今の、魔王さまだよね。二人とも!」
「うん。地の魔王エルフルドさまと、光の魔王ジエルフォートさま」
「七都さんの交友関係には、ほんと驚かされるよ」
彼は、ばりばりと後ろ足で首のあたりをかきむしった。
七都は、ゆったりと食事をし、お茶を飲んだ。
空腹がある程度満たされたせいなのか、それとも薬草のお茶に眠くなる成分が入っているのか、食事のあと、すぐにうとうとしてしまう。
「寝る? まだ夜になったばかりだけど」
ナチグロ=ロビンが、七都の手から転げ落ちそうになったカップをあやうく受け止めて、言った。
「うん。疲れちゃった……」
いつの間にか、寝間着らしい薄地のドレスがベッドに置かれている。ナチグロ=ロビンが持ってきてくれたらしい。
七都は、少年の姿になった彼に手伝ってもらいながらドレスを脱ぎ、のろのろと寝間着に着替えた。そして、ベッドにもぐりこむ。
空は暗い藍色に変化し、その奥には月が浮かんでいた。
ブリリアンカットの巨大な窓は、ぼんやりとした光を宿した不思議な色の宝石に変化し、その色と光は短い時間の間にも、刻一刻と微妙に移り変わって行く。
けれども大量の眠気は、その美しさをも簡単に凌駕してしまうくらいに襲って来た。
ナチグロ=ロビンが猫に戻り、七都の首と肩の間のスペースに、すっぽりと入ってくる。
「あったかーい」
七都はナチグロ=ロビンに手を伸ばした。
「ごろごろ言ってる」
元の世界ではめったに喉を鳴らさない彼が、うるさいくらいにごろごろ言っているのが微笑ましい。やわらかい毛皮をまとった何か小さな機械のように、音は鳴りやまなかった。
「ね。朝起きたら、男の子の姿になってたり、ってのはやめてよね」
七都は、彼の銀色のひげをつまんでみる。
「そんなわけないだろ」
猫の彼が、ぶっきらぼうに言った。
明日は……。
朝、気分がよかったら、あのオサカナゲームをしよう。剣のお稽古もしなくちゃね。
それから、ルーアンにシイディアのところに連れて行ってもらって……。
そのあと、あの幽霊が閉じ込められている扉に案内してもらって……。
ああ、明日はどんなドレス着て行こう。
自分でコーディネイトしなくっちゃ……。
ルーアンにまた似合ってるって言ってもらいたいな……。
でも、シイディアって、どんな人なんだろ。
それに、あの扉の向こう側には、何があるんだろう……。
それよりも、それよりも……。
おばあさまって、どんな人だったんだろう。
無理やりおじいさまにルーアンから引き離されて……。
おじいさまと結婚したあとも、やっぱりルーアンのことを愛していたのかな……。
いろんなことが頭に浮かんでは、深い靄の中に消えていく。
七都は、ナチグロ=ロビンのあたたかい体温とごろごろ音を耳の横に感じながら、心地よい眠りに落ちる――。




