第3章 風の城の住人たち 8
カーラジルト、あなたは……。
シイディアに会いに、この風の都に帰って来ているのではないの?
長い間帰っていないとは言っていたけど。
婚約者がいるって、照れたふうでもなく、平然とわたしに告げたあなたは……。
「カーラジルト……。彼、たまに戻ってるよね? この都に」
七都は、ルーアンに訊ねた。
声がかすれていた。得体の知れぬ恐怖のようなものが、体の中を廻っていく。
この謎を解かないと、魔神族の冷たい体が、さらにとめどもなくどんどん冷えていきそうだった。
「カーラジルト。アールズロア伯爵ですか。ええ、そのようですね。もう長い間、顔を合わせていませんが、この都に出入りする者は記録されます。彼の記録もたまに……」
「彼、どこに行ってるの? シイディアのところじゃないの?」
「さあ……?」
ルーアンが首を傾けた。
「ちなみに、彼の屋敷も廃墟同然ですよ。多少我慢をすれば、寝泊りが出来ないこともないでしょうが」
「その……。魔貴族たちの屋敷がそういう状態になってるのは、やっぱり……」
「はい。リュシフィンさまが起こした事故のせい……ですね。彼らの多くも、逃れることはできませんでした。残ったものたちも、この都を怖れて出て行きました。彼らの屋敷は外見は美しいのですが、住む者もなく、朽ちていくばかりです」
「オルテシス子爵の一族は? もしかして、みんな、死んでる……とか」
そう言ってしまった七都は、再びぞくりと総毛立つ。
シイディアは、とうに亡くなっていて……。
カーラジルトも、まさか、実は……。
なんか、そういうホラーがたくさんあったような気がする。小説でもドラマでも映画でも。
七都は、その恐ろしい考えを打ち消すように首を振った。
ううん、違う。
カーラジルトは生身だ。抱き合って寝たのだから。
グリアモスに変身した彼の背中に乗っかったし、包帯を取り替えてくれたし、魔力を使って剣も教えてくれた。
それに、都への出入りが記録されている。絶対にゾンビとか死霊なんかじゃない。
「子爵の一族がどうなったのかは存じません。太陽に焼かれて消えてしまったのか、それとも無事に生き残り、この都を出て行ったのか……」
「でも、シイディアは、この都のどこかにいるはずだよ。でなければ、カーラジルトが帰ってくるはずないもの。婚約者がいるなんて、わたしに言うはずないもの」
ルーアンは、思いを巡らすように床を眺めた。
しばし黙り込んだ後、彼は、少し険しい顔をして七都に言う。
「彼女のいるところは、だいたい見当がつきます。明日、お連れ致しましょう」
「え……。あ、そうなの?」
七都は、拍子抜けしそうになりながらも、安堵する。
体全体に広がりかけていた冷たいものが、砕け散った。
なんだ、シイディア、ちゃんといるんじゃない。
びっくりさせないで、ルーアン。
「ありがとう! じゃあ、シイディアに会えるんだ!」
「そうですね。私も会ってみたいです」
ルーアンは言ったが、彼は微笑んではいなかった。頬が少し引きつっている。
七都はそれを、彼女がカーラジルトの婚約者であるせいだと受け止めた。
「ね。ルーアン。カーラジルトと仲が悪いの?」
思い切って、七都は訊ねてみる。
あの二人はそんなに仲が悪いわけじゃない、とナチグロ=ロビンは言った。二人を上手にまとめるのは、七都の手腕だと。
そう出来る可能性はあるのだろうか。少し探ってみることにする。
「仲が? 彼がそう言ったのですか?」
「そのう……。彼は、そう思ってるみたい。あなたに目の仇にされていたって」
七都は、カーラジルトが『かわいげのある嫉妬』と言ったことについては、黙っておくことにした。
そんなことをうっかりルーアンに漏らしたら、ますます二人の仲がこじれてしまうかもしれない。
「確かに、いいイメージは持っていませんでしたが、昔のことですよ。今は特に何とも思っておりません」
「お母さんといつも一緒にいたから?」
七都はつついてみる。
ルーアンは、頷いた。
「彼をミウゼリルの夫にするわけには参りませんから」
「それは……彼が半分グリアモスだから?」
「そうです。魔王の直系にグリアモスの血を入れるわけにはいきません」
「異世界の人間ならいいの?」
「歓迎すべきことですよ、異世界の新しい血を取り込むことは。そのことによって、さらに我々は新しい力を得て進化出来るのです」
「新しい力……。たとえば、わたしのように? エルフルドさまのように? 太陽に溶けない魔神族に進化するから?」
「その通りです。異世界の種族と交わることによって、我々は変わり続けてきましたから。容姿が美しいのも、魔力が使えるのも、機械を駆使できるのも、その賜物です」
イデュアルもそういうこと言ってたな。
彼女のお父さんの受け売りらしかったけど。
七都は、ふと思い出す。
「じゃあ、あなたは、お母さんがお父さんを選んだことは認めてくれてるんだ」
「まあ、仕方がないでしょう。ミウゼリルがヒロトのどこに惹かれたのかは、全く理解できませんが。あなたの父上の悪口は言いたくはありませんが、特にとりえがあるわけではない、平凡なサラリーマン。魔王の夫としては、少しインパクトに欠けますね」
「もしかして、ルーアン、お父さんに会ったことある?」
七都は、思わずルーアンに詰め寄った。
「ありますよ」
「じゃあ、じゃあ、お父さんが言ってた、扉から出てきた『かなりの美青年』って、あなたのこと……!!」
「ヒロトがそのように?」
ルーアンが至近距離から七都を見下ろした。
七都はどきりとして、思わず後ずさる。
「ミウゼリルに呼ばれて、何度かあなたの家にお邪魔しました。結構楽しかったですよ」
ルーアンが微笑む。
「そうなんだ……」
お父さんったら。
扉から出てきた美青年との交流話なんて、全然しなかったじゃない。
七都は、遠い異世界にいる父に向かって文句を言った。
けれども、父がルーアンと知り合いだということが、何となく嬉しかった。
そして、ルーアンと父と母が三人で同じ時間を楽しく過ごしたということも。
いったいどんな話をしたのか。どういう雰囲気だったのか。あまり想像がつかない。
もしかして、プラモデルの作り方も、お父さんから直接教わったのだったりして?
七都は、思う。
「ね、ルーアン。カーラジルトがここに来たら、仲良くしてくれる? わたし、このお城に彼を呼びたいんだけど」
七都は、おそるおそる彼に訊いてみた。
「もちろんですよ。アールズロア伯爵次第ですけれどね」
「ありがとう」
よかった。問題はカーラジルトか。
でも、明日、ルーアンも一緒にシイディアに会うし。
きっと彼女とも仲良く出来て、その繋がりでカーラジルトとも仲良くできるよね。
七都は明日の予定に、何となくうきうきした気分になってしまう。
「そうだ、ルーアン。扉のところにも連れて行ってくれる?」
「扉?」
「そっちも心当たりがあるって言ってたでしょ?」
「幽霊が閉じ込められているとかおっしゃっていた扉ですか。よろしいですよ。明日ご案内しましょう」
「あ、別に明日でなくてもいいんだけど。あさってでも。明日はシイディアに会うし、彼女とゆっくりお話もしたいし。あまりたくさん予定を入れても疲れちゃう。お風呂の掃除もしなきゃならないの」
「いいえ。明日、必ずお連れ致します」
ルーアンが、妙に迫力の混じった、複雑な表情をして言った。
なんなんだろう、彼のこの微妙な緊張感……。
やっぱり、シイディアに会う緊張感なのかな?
七都は不思議に思いながらも、仕方なく頷く。
「じゃあ、お願い……」
「幽霊などいませんけどね。少なくとも、私には見えません」
「その扉を守ってくれている、ボランティアの番人の魔王さまなんだけど……。その人、あなたが絵に描いていた人だよ。このドレスを着たお姫さまと一緒に、あなたが描いた、あの絵の……」
一瞬、ルーアンの時間が止まったようだった。
「そうですか……」
感情を押し殺したように、彼が呟く。
「彼が扉の前にいても、わたしたちには、きっと見えない。もしかしたら彼は、庭園とか、この城の中とか、今ここに……わたしたちの隣にだっているかもしれない。でも、わたしたちにはわからない。彼があなたの知り合いで大切な人なら、たぶん彼は、歯がゆく思ってるよね……」
「おそらく、そうなのでしょうね」
短く同意したルーアンは、七都に向かって丁寧にお辞儀をした。
「では、私はこれにて。庭園の世話をしなければなりませんので。後ほど、ロビーディアンに薬草のお茶を届けさせましょう。疲れが取れますよ」
「ありがとう。あ、ルーアン。ストーフィは?」
下がろうとするルーアンを七都は呼び止める。ルーアンは、振り返った。
振り返るその動作も相変わらず絵になっていて、やはり七都は見惚れてしまう。
「あの猫ロボットですか。物怖じもせず、この城の中を積極的に探検しているようですよ。まるで、どこに何があるのかということを熟知しているみたいに歩き回る。おもしろい機械猫ですね」
それまでとは対照的な、にこやかな笑顔でルーアンは言った。
「なんせ、あれをつくったのは魔王さまだからね」
七都は明るく呟いたが、あのストーフィには、それだけではない何か特別な秘密が隠されているような、そんな気がずっとしているのだった。




