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第3章 風の城の住人たち 7

「私は番人としてこの城に滞在し、留守を預かってきましたが、あなたが帰還されたので、その役目も終わりです。ですから……」

「ちょ、ちょっと待ってよ。この城から出て行っちゃうってこと?」


 ルーアンは、微笑んで頷く。


「私には自分の屋敷があります。もう長い間帰っていないので、荒れ放題です。帰ったら、まず掃除から始めなければ……」


 ここからルーアンがいなくなる?

 七都は、彼の突然の申し出に唖然となる。

 ルーアン、いなくなるの? 出て行ってしまうの?

 言いようのない不安と寂しさが、とめどもなく湧き上がってくるのを七都は止められなかった。


「待ってってば。あなたがいなくなったら、あの見事な庭はどうなるの? わたし、手入れ出来ないよっ!」


 何で庭のことなんか言うんだろう。

 自分でそう思いながらも、七都は言葉を探して、ぎこちなく会話を繋ぐ。


「なに、私の屋敷はこの城の周囲を回っていますから。すぐそこですよ。魔力を使って移動すれば、一瞬で行き来できます。毎日、この城には通わせていただきます。庭のことはご心配には及びません」


 ルーアンが、相変わらず魅力的に微笑みながら答えた。

 七都は、ほっとする。

 この城を取り巻く雲の上にある、たくさんの魔貴族の屋敷。その中の一つである自分の屋敷に帰るだけ。

 つまり、住み込みではなく通いになるということ。

 確かに近い。彼の屋敷は庭からだって見えるかもしれない。

 けれども、彼が城からいなくなることに変わりはないのだ。


「アヌヴィムたちの存在がお気に召さないのであれば、彼らも連れて行きます。図書館の少年に関しては、あの場所にいることはお許しいただかねばなりませんが。他の者たちには私の屋敷で暮らしてもらうことにしましょう。ここほど広くはありませんが、それほど支障はないでしょう。女性たちも、散歩の時には、庭に通ってもらうことにしましょう」

「そんな……。あの人たちにまで出ていかれたら、この城には誰もいなくなる……」

「図書館の少年は残りますよ。ロビーディアンもいますし……」

「三人だけになっちゃうじゃない」

「夜はね。でも、昼間は今までと同じです」

「同じじゃないよ。ルーアン、お城から出て行かないで」


 七都が言うと、ルーアンが、え?という顔をする。

 七都にそう言われたことが、意外だったようだ。

 <出て行かないで>

 七都も、自分でそう言ったことに少しびっくりする。

 本当に素直に、そういう言葉が唇から自然に漏れてしまった。頭で深く考えないうちに。


「その……あなたの屋敷って……誰もいないんでしょう? えーと、あなたの帰りを待ってくれている誰かとか……」


 そういうことを言いたいんじゃないのに。

 七都は自分の言葉にいらつきながらも、彼に質問してしまう。


「ええ。いませんね。ほとんど廃墟となっています。ですから、掃除して住めるようにしなければ」

「掃除しなくてもいいよ。屋敷が荒れているのが気になるなら、新しい掃除機を買ってあげるから」

「掃除機……。買ってくださるんですか?」


 ルーアンが、滑稽なくらい真面目な顔をして言った。


「うん。光の都の最新式のやつ。ジエルフォートさまにお願いして、たくさん用意してもらう。勝手に掃除してくれるから、ほっといてもお屋敷はきれいになるでしょう?」


 別に掃除機のことを言いたいわけじゃないのに。

 さらに七都は、自分の言葉にうんざりする。


「しかし……」


 ルーアンが口ごもる。


「あなたにここを出て行かれたら、とても困る。だって、わたしはこの城に帰ってきたといっても、また元の世界に帰るつもりだもの。わたしの家はそこで、家庭も生活もそこにあるの。時々はここに来るかもしれないけど、いつもここにはいない。あなたには、今までと同じように、この城の番人でいてもらうわけにはいかない? それは、無理なお願いなのかな……」


 ルーアンは、七都と同じ色の目で、七都を黙って見上げた。

 出て行かれたら困るって……。

 それだけじゃない。

 もういい。正直に言っちゃえ。自分の気持ちを。

 出て行ってもらいたくない本当の理由を。

 言いにくいけど。頑張って。

 どこかでもうひとりの七都が命令する。


「とにかく、あなたにはここにいてもらいたいの。あなたがいなくなったら、その……。やっぱり寂しいよ。とても不安になる。このお城、なんだか怖いし。昼だけじゃなくて、夜もここにいてほしい。あなたの部屋、ずっと使ってていいよ。出て行くなんて言わないで。ルーアン、ずっとわたしのそばにいて」


 ルーアンは、頷いた。微笑みが輝くようだった。

 この人、本当に嬉しそうに笑う。

 七都は、彼の笑顔にしばし見惚れた。


「では、そうさせていただきます。あなたがそう望まれるなら……」

「よかった……」


 七都は、胸を撫で下ろす。

 いけすかなくても、しゃくにさわっても、やはり彼がいないと寂しいことは事実だ。

 彼がいない風の城なんて。ミルクと砂糖抜きのコーヒー。いや、コーヒー抜きのミルクと砂糖だ。


「それに、もともとここはあなたのお城になるはずだったんじゃない。遠慮しないで住んでればいいんだよ」


 七都が言うと、ルーアンは首を振った。


「ここはナナト、あなたの城ですよ。私が居座ってなどいたら、示しがつきません。リュシフィンさまの後継者はあなたなのですから」

「その話はいいよ。言っとくけど、今の話と、わたしがリュシフィンになるとか何とかいう話は、また別だからね」


 七都は、口を尖らせる。


「しかし、驚きました。あなたに引きとめられるなんて」


 ルーアンが呟いた。

 彼もまた、安堵している。それが飾らぬ気持ちとして、七都に伝わってくる。


「あなたには、わたしはあまりよくは思われていない。そう感じていましたから」

「ロビンは、あなたはわたしの保護者で、家族だって言ったの。家族っていうのは、わたしの概念ではちょっと違うと思うけど。でも、あなたがここでのたったひとりのわたしの身内で、保護者だってことには変わりはないと思う。あなたの性格にはまだなじめないけど、できればいつもわたしの近くにいて、わたしを助けてほしい。わたし、この世界のことも魔神族のことも、まだわからないことが多いのだもの」

「お心のままに」


 ルーアンが再び、丁寧に頭を下げた。

 それから彼は、唇を手の甲で押さえて、くくっと笑う。


「それにしても、ナナト。あなたの泣きそうなお顔もまた、とても愛らしいですね。さすがに人間の血が混じっているだけあって……」

「……!」


 七都はルーアンを睨んだ。


「ルーアン。わたしをおちょくるの?」

「いえ。単なる感想ですよ」


 朗らかに、彼が言う。


「屋敷を掃除しなくて済みそうなのは、助かります。うちの屋敷の掃除機も壊れていますし、新しい掃除機を用意していただけるのは、ありがたいです」

「そうだ。あなたのお屋敷があの雲の上にあるなら、もしかして、オルテシス子爵のお屋敷も知ってる?」


 七都は、ルーアンに訊ねた。

 彼がこの城だけでなく、雲の上にも住居を持っているなら、当然他の魔貴族たちの屋敷のことも知っているに違いない。


「オルテシス子爵の屋敷ですか? ああ、うちの近所ですよ」


 ルーアンが答えた。


「よかった。探さなくても済みそうだ。そのお屋敷に、シイディアっていう姫君がいるでしょ?」

「シイディア?」


 ルーアンが眉を寄せ、しばし考え込む。


「カーラジルトの婚約者なんだけど。彼女も知ってるよね?」


 しばらくの沈黙の後、ルーアンが真面目な顔つきをして、七都に言った。


「ナナト。あの屋敷には、姫君どころか誰ひとりおりません。他の多くの屋敷と同じようにね。廃墟になっています」

「廃墟って……そんな……」


 背中の毛が逆立ち、何かぞくりとした冷たいものが背中を流れ落ちたような気がした。

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