第3章 風の城の住人たち 6
ナチグロ=ロビンが褒め称えたとおりの、ずば抜けた容姿の麗しさ。香り立つような気品。
七都も、それは素直に認めざるを得ない。
七都に微笑もうとしたルーアンの顔が、七都の着ている衣装に気づいて、一瞬凍りついた。
固まった……。
七都は、冷静に彼を観察する。
けれども彼は、すぐに体勢を立て直し、七都が見惚れるくらいににっこりと笑った。
「楽しかったですか?」
思ったことがすぐに顔に出て、嘘をつくのが下手……か。
当たっているかも。
七都は、ナチグロ=ロビンの分析に心の中で同意する。
「それなりに有意義だったよ」
七都は答えたが、その言い方には、明らかにぎこちなさが入っているのが、自分でもわかった。
アヌヴィムたちにあんなことを言われたら、変に意識してしまう。
そして、ルーアンの自分に注がれる眼差しの中に、いろいろなものを探そうとしてしまう。何かが見つけられるわけでもないのに。
ナチグロ=ロビンは、ルーアンは七都とは結婚をする気はないと言ったが、もし彼がそのつもりにしていたら? 当然のことだと思っていたら?
けれども、彼に面と向かって直接訊くわけにもいかない。
もし訊いたとして「はい、もちろんそのつもりですが、何か?」なんてにこやかに答えられたら、絶句して頭を抱えるしかない。
七都は複雑な感情をごまかすように、ルーアンの前で手を広げてみせた。
「この衣装、覚えてる、ルーアン?」
七都は、その場で優雅に一回転する。
ドレスがふわりと、珊瑚色の床の上を舞った。
「とてもお似合いですよ。少し昔の姫君風で」
ルーアンが、相変わらず微笑んだまま言う。
七都は彼と同じ色の目で、彼を見据えた。
「これは、あの部屋で見つけたの。あのてっぺんの、わたしの部屋にしたところだよ。そこのクローゼットの中にあった。あなたが描いた絵もね」
「絵?」
ルーアンが、首をかしげる。
「あなたは、この衣装を着た、わたしとよく似たお姫さまを絵の中に描いてた。彼女の恋人と一緒にね。覚えてるよね?」
ルーアンは、さらに首をかしげて困ったような表情をしたが、七都にはそれがわざとらしく思えた。
ルーアン、もう少し演技を研究したほうがいいよ。
意地悪く、そう思ってしまったりする。
「絵……ですか。確かに、昔はよく描いていましたが。何万枚も描きましたからね。モデルも数え切れません。誰の絵を描いたかなんて、忘れてしまいました」
いらつくくらいにルーアンは、にっこりと笑いながら答えた。
七都はつかつかとルーアンに近づいて、彼を見上げる。
「嘘ついてる。ルーアン」
七都が言うとルーアンは、穏やかな視線で七都を見つめ返した。そして、諭すように七都に言う。
「何百年も生きているとね、適当に記憶を消していかなければ、心を正常に維持していられないのですよ。あまりにも膨大な量になってしまうのです」
「でも、このドレスを着た女の子のことは覚えてるでしょう? あの部屋を使えるくらいの身分の人で、そしてたぶん、あなたのすごく身近な人だったはずだもの。それに、彼女の恋人は魔王さまだよ」
ルーアンは、ずっと保っていた微笑みを消し去った。
「……知りたいですか?」
彼が幾分眉を寄せ、静かにたずねる。ワインレッドの眼が、暗く翳った。
七都は思わず後ずさったが、元の位置に足を戻す。
彼の気迫には負けない。受けて立つ、なんて言ってしまった以上。
「もちろん」
七都は、頷いた。
「このドレスの持ち主は誰なのか、あの部屋を使っていたのは誰なのか、絵の中の魔王さまは誰なのか、それから、彼女と魔王さまとあなたとの関係も知りたい」
本当のことを言うと、それに加えて、あなたとわたしのおばあさまのことも知りたい。
でも、それをあなたに訊くのは、きっと酷すぎるよね。
「……時期尚早ですね」
ルーアンが言った。はるかな高みから、七都を見下ろすような雰囲気だった。
「え?」
「あなたはここに来られたばかり。そういうことをお話するには、まだ早すぎます」
七都は、あんぐりと口を開ける。
そう来たか。
彼は、嘘をつきとおすことを避けた。けれども、正攻法で、七都に話すことは完璧に拒否する。そういう意思表示だ。
「結局、やっぱり覚えてるんじゃない」
七都は、彼を睨んだ。
「忘れるわけがありませんね。私の大切な方々ですから」
ルーアンが悪びれる様子もなく、にこやかに言う。
「でも、早すぎるって理由で教えてくれないんだ?」
「そうですね。でも、教えてさしあげてもよろしいですよ。条件付きで」
ルーアンが、にっと笑った。
「条件? 条件って?」
「あなたが風の魔王の冠をかぶられたら、です。あなたが魔王さまになられたら、もちろん、知識としてお教え致しましょう。リュシフィンさまには、知る権利がおありですからね。かつてこの城で起きたさまざまなことは、細かく知っておいていただかねばなりませんし」
七都は、思いっきり顔をしかめた。
「そんなの、ずるい!」
「ずるい? わざわざそういう格好をして私を惑わせ、私の話したくないことを無理やり訊き出そうとするあなたも、かなりずるいことをされていると思いますよ」
七都は目を見開き、呆然と立ち尽くす。
「まあ、よく似合っておられるから結構ですけれどね。ああ、ところで、ロビーディアンはご一緒では?」
「彼は食事だよ」
七都は、やけ気味に答えた。
「あなたは、食事はなさらなかったのですね」
ルーアンが、眉をひそめる。
「蝶とカトゥースしか食べないって言ったでしょ。あとでそれ食べるから。お庭に咲いてるカトゥース、もらってもいい?」
「あなたにも、困ったものですね」
ルーアンが溜め息をついた。
「せっかくアヌヴィムたちのところにおいでになったというのに」
「あの人たち……。あのままでいいの? あんな生活してるなんて……」
「ご不満ですか?」
ルーアンが訊ねた。
「彼らの今の暮らしは、魔神族との取引の条件として、彼らの望んだこと。その内容については、我々が口を差し挟むことではありません」
「でも。間違ってるよ、あんな生活……」
ルーアンは、微笑む。
「人間の若人にありがちな、真っ直ぐで純粋な正義感、ですね。あなたは人間の世界で育ったのですから、仕方がないのかもしれませんが」
「そうかもしれないけど。魔神族としては、そんなこと思っちゃうのって失格なのかもしれないけれど。でも、あの人たち、あんなことしてたら、だめになる。いくら本人たちが望んだことだって……」
「そうですね。彼らが行っていることは、人間の生活の中では、娯楽、趣味、息抜きに分類されるもの。仕事や勉学などの生活の余暇に行うものです。それがあってこそ、楽しめるもの。娯楽や息抜きにするべきものをメインに据えてしまうと、確かに最初は楽しいかもしれませんが、次第にむなしくなるだけでしょう。ですから、そのむなしさに背を向けて、自分の選んだ生活にのめりこむか、むなしさに捕らわれて、じわじわと狂っていくか。あるいは、そのむなしさに疲れ果て、それごと己の生活を終わらせるか……。その選択も彼らの自由です」
「そんな……」
ルーアンは、七都をじっと見た。
「ナナト。彼らがいないと、私もロビーディアンも、生きてはいけません。飢え死にするか、そうでなければ、魔の領域の外に人間を狩りに行くかしなければならなくなります。魔神族も、必死に生きているのですよ。直射日光に当たると消えてしまうというやっかいな体を抱え、人間から恐ろしい魔物と呼ばれながら。一部の人間と取引をするのは、我々の生活を安定させ、守るためです。そして、魔神族に関係のない、他の大部分の人間たちの生活を脅かさないため。我々の罪悪感を満足させるためでもありますが。我々の糧となることを選んだ貴重な人間たち。その彼らと取引した条件もまた、守らねばなりません」
「じゃあ、あの人たちの生活を変えることは出来ないの? ずっとあのまま?」
「それが、彼らが我々に提示した条件ですから。しかしながら、この城の主はあなたです。彼らの扱いを決めるのも、あなただ。彼らを変えたいとおっしゃるなら、やってみられてもいい。しかし、おそらく無駄なことでしょう。契約の内容を変更して、彼らに何か仕事でもさせますか? きっと彼らは拒否するでしょう。あるいは、彼らを人間の世界に戻されます? 彼らはもう、元の世界には帰れません。ここに来て何百年にもなるアヌヴィムもいます。彼らの体もまた、契約によって魔力で守られているのです。そういう者たちを魔の領域の外に出すと、魔法が解けて、一瞬にして塵になってしまうでしょう。我々が太陽の光を受けて溶けるのと同じように。彼らはもう、魔の領域の中で生きていくしかないのです」
「どうすることも出来ないの……」
「我々の立場としては、彼らをそっとしておくしかありません。彼らの望むことを約束どおり彼らに与えるだけのこと。けれども、彼らは彼らで幸せなのかもしれませんよ。魔神族との取引を選んだということは、単に楽をしたいとか、年を取りたくないから、などと安易に望んだ者もいるでしょうが、人間の世界でよほどつらいことがあったとか、ひどい目にあったとか、絶望している状態であったとか、そんな理由を持つ者もいるでしょう。そういう者たちは、ここで心穏やかに静かに暮らせていることになります。あなたには歯がゆく許しがたい暮らしでも、彼らは満足しているのかもしれません」
「そうなのかな……。だけど結局、やっぱり、何も出来ないってこと? 彼らをただ黙って眺めていることしか……?」
「世界には、自分の力ではどうすることも出来ないことのほうが多いのですよ、ナナト」
ルーアンが、穏やかに言った。
なんて無力なんだろう……。
アヌヴィムたちの生活は、変えられない。
彼らの生活が間違っていると感じても、むなしいと思っても、魔神族としては受け入れなければならない。
彼らを放っておくことが解決策なのだろうか。
いや、そもそも解決策などというものは存在せず、彼らが自ら望んで行っている生活をどうこうしようと考えること自体がよけいなおせっかいであり、契約違反になることなのだろうか。
「おっしゃりたいことはわかります。あなたのような気持ちを持った若者がいないと、世の中はよい方向へは進んで行きませんからね」
ルーアンが言う。
「今のそのセリフ、魔神族らしくない」
七都が力なく呟くと、ルーアンは笑った。
それから彼は、おもむろに七都に向かって頭を下げる。
相変わらず、優雅で美しい所作だった。彼の指の曲げ方やマントの皺のひとつひとつまでが、計算し尽くされたように決まっている。
ルーアン、何でここでお辞儀をするの?
不思議そうに見つめる七都に、彼が頭を垂れたまま言った。
「ナナト。お願いがあるのです」
「お願い……?」
ルーアンは、顔を上げた。
「この城の留守番役としての任を解いていただきたい」
「……え?」




