第3章 風の城の住人たち 5
「そりゃあ、姫さま。姫さまは、ここに到着されたところですもの。公爵さまも、いきなり『あなたは私と結婚するのですよ』、なあんておっしゃられませんよ」
彼女たちが、ほほほと笑う。
「何でわたしがルーアンと結婚しなきゃなんないの? 誰が決めたのっ!」
七都は、憤慨して叫ぶ。
ルーアンと結婚!? わたしが? 冗談でしょ!!!???
彼がかなりのイケメンで、おそろしく素敵なのは認めるけれども、結婚は対象外だ。
生粋の魔神族である彼とは価値観が合わないし、性格だって、もっと合わない。
子猫がじゃれているのをどこか高みから眺めるような、あの上から目線態度にも我慢できない。
それに、いったい年の差何百歳になるのだ?
「誰も決めてないよ」
ナチグロ=ロビンが言う。彼の態度は、凍った月のように冷静そのものだった。
「ただ、そうするのが当然だって、アヌヴィムでなくても普通は思う。それは仕方がないかもね」
「当然……なの? 普通に思うの? ルーアンとわたしが結婚することが?」
呆然とする七都に、アヌヴィムたちはさらに言葉を積み重ねた。
「あら、姫さま。自然な流れですわ」
「姫さまにふさわしいお相手は、ここには公爵さましかおられませんもの」
「姫さまがリュシフィンさまにおなりあそばしても、公爵さまなら頼もしく支えていただけますものね」
「公爵さまがリュシフィンさまになられても、姫さまが王妃さまなら、風の都も安泰ですわ」
「他の都から、どなたか姫君をお迎えになるにしてもねえ。皆さん怖がって、果たしてここに来てくださるかどうか」
「私ちも、他の都の女の方にエディシルを差し上げるのは抵抗がありますわ。その点、姫さまなら喜んで……」
「わたしは、ルーアンとは絶対結婚しないから!」
七都が彼女たちの言葉を遮るように叫ぶと、さらに彼女たちは笑い転げる。
「あらあら、姫さまったら」
「そんなに物事を最初からきっぱりと決めつけて宣言しておしまいになってはいけませんわ」
「そうそう。言葉はあやふやに濁しておかなければ」
「自分に逃げ道を作っておいてあげなければね」
「そんなふうに断定されては、公爵さまも、身も蓋もありませんことよ」
彼女たちは笑いながらも、やんわりと、そして丁寧に七都をたしなめた。
七都は彼女たちの言葉の端々に、彼女たちが過ごし、経験してきた時間の深みのようなものを感じ取る。それは、彼女たちの異様な外見からは憶測出来ないものだった。
「じゃあ、言い直す。わたしは彼と結婚する気なんて、さらさらないよ。そんなの考えられない。たぶんこの先も、そんな気にはならないと思う」
七都の言葉を聞いて、彼女たちは、きゃらきゃらと笑った。
「先のことはわかりませんものね。誰にも」
「そうそう。ここにいて公爵さまとお話されるうちに、お気が変わられるかも」
「変わんないと思うよ」
七都は、溜め息まじりに呟いた。
「では、姫さま。どなたか気にかかるお方が?」
「もしかして、別の方に恋をなさっておいでなのかしら?」
そう訊かれて、七都はもちろんナイジェルのことを思い浮かべたが、彼のことを軽々しく彼女たちに話してしまうことに抵抗を感じて、口をつぐんでしまう。
けれどもそれは、別の思いもかけぬところから切り崩された。
崩したのは、七都の隣に立っていたナチグロ=ロビンだ。
「七都さんって……。シルヴェリスさまと付き合ってるの?」
彼が訊ねた。
「う……」
ずばり訊かれて、七都は言葉に詰まってしまう。
そういう質問をこれまでにいったい何回されたのか、もう数えられなくなってきた。今度はナチグロ=ロビンか。
アヌヴィムたちが目を輝かせる。
「まあ、水の魔王さまと?」
「そうなのですか、姫さま?」
「素敵!」
おそらくナチグロ=ロビンは、話の輪に加わったというより、自分の訊きたいことを七都に直接訊いたにすぎなかった。
彼にとってはアヌヴィムたちは、そこにいてもいなくてもたいして変わりはないのだろう。
彼女たちの存在は、単なるBGMのようなもの。彼にとって彼女たちは食料であり、それ以上の存在ではあり得ないのだ。
けれども、七都にとっての彼女たちは、少し変わってはいるが、話が出来て感情もあって、知性も経験もある普通に対等であるべき女性たち。食料などではない。
こんなところで、わざわざそんなことを訊かなくてもいいのに。
そういうバツの悪さを感じてしまう。
「付き合ってないよっ!」
七都は、素っ気なく答えた。
アヌヴィムたちの残念そうな嘆息が、お茶会に響き渡った。
ナチグロ=ロビンも、なーんだ、という顔をする。
「お互いに好意は持ってると思うけど……」
「付き合うところまではいってないんだ」
と、ナチグロ=ロビン。
「姫さま。姫さまのほうから告白しておしまいなさいよ」
「そうですよ。でないと恋は進展しませんよ」
「待っているばかりではいけませんわ」
アヌヴィムたちが言う。
「でも、シルヴェリスさまがお相手では、公爵さまも対抗できませんわね」
「公爵さま、親子二代にわたって失恋、ということになってしまいますね」
何げなく耳に入ってきたその言葉に、七都は思わず顔を上げる。
どのアヌヴィムが言ったのかは、わからなかった。七都は、アヌヴィム全員を順番に眺めた。
「親子二代って……どういうこと?」
「公爵さまは、姫さまのお母さまにも失恋されたからですよ。お母さまは、異世界の方と結婚しておしまいになられましたから」
紫色の髪のアヌヴィムが、にこやかに言った。
「待って! じゃあ、ルーアンは、わたしのお母さんのことが好きだったの!?」
「ええ、ええ。それはもう。いつもわたしたちがせつなくなるくらいに、ミウゼリルさまのことをじっと見ていらしたわ」
彼女は、うふ、と思い出し笑いをする。
「あら、正確には、二代ではなく三代でしょう? もともとは、姫さまのおばあさまに当たる方から始まっているのだもの」
別のアヌヴィムが付け加えた。
「おばあさま?」
七都は、首飾りをたくさんつけた彼女に顔を向ける。
おばあさま? おばあさまって……。
「そうね。じゃあ、親子三代ね」
アヌヴィムたちが、頷きあう。
「あのう……。どういうことか、説明してくれる?」
七都は、訳知り顔で微笑み合う彼女たちを軽く睨んだ。
「姫さまのおばあさまであり、ミウゼリルさまのお母さまである方……」
「つまり、先々代の王妃さま」
「その方は、もともとは公爵さまの婚約者だったのですもの」
「そう。恋人だったのですよ」
「……!」
七都は、絶句する。
ナチグロ=ロビンが、あーあ、という顔をして頭を抱えるふりをした。
アヌヴィムたちは、さらに続けて言う。
「それを先々代のリュシフィンさま。つまり、姫さまのおじいさまが、公爵さまから無理やり奪ってしまわれたのですわ」
「公爵さま、何てお気の毒なのでしょう」
「その悲しみが美しく詰まっているからこそ、この庭園はこんなに素晴らしいのですわ」
アヌヴィムたちは、涙を拭う素振りをする。
「魔王さまにご所望されたら、魔貴族は逆らうわけにはいきませんもの」
「そうですわ。たとえ自分の妻だろうが、嫁入り先の決まった娘であろうが、差し出さねばなりませんもの」
「……本当なの……?」
七都は、ナチグロ=ロビンを振り返って訊ねた。アヌヴィムたちに気を使って、小さなささやき声にして。
「わたしのおじいさまが、ルーアンの恋人……婚約者を取っちゃったって……本当?」
「結果的には、そういうことになってしまったね」
ナチグロ=ロビンが、神妙な顔つきをして答える。
「あら、でも、姫さま。おじいさまがそういうことをなさらなかったら、姫さまは今ここにはいらっしゃらないのですよ」
「そうですとも。今ここで、私たちとお話なんかしておられませんよ」
アヌヴィムたちが微笑む。
「……確かにそうだね。お母さんは生まれていないわけだし、当然わたしも存在しないよね……」
七都は、呟く。
「でも、だとしたら……。ルーアンは、おばあさまの面影をお母さんに見ていて、次はわたしにそれを見つけようとしてるってこと?」
「ですから、公爵さまが姫さまと結婚されたら、公爵さまの永年に渡ってさまよっておられた思いが、やっと成就するということになるのですわ」
紫の髪のアヌヴィムが言う。
「けれど、そうならないのよね」
「魔王さまがお相手じゃね」
「公爵さま、勝ち目はないわよね」
「でも、公爵さまが姫さまをお離しになられるわけないわ。ご自分が結婚されないにしても、姫さまはたったひとりの王族なのですもの」
「そうよね。水の都にお嫁になんてやれるわけないわよね」
「姫さまがリュシフィンさまになられても、シルヴェリスさまとのご結婚は難しいでしょうし」
「魔王さま同士のご結婚となるとねー」
「となると、やはり姫さまのお婿さま候補は公爵さま?」
「それが、いちばん丸くおさまるかもしれないわよね」
「どちらにしても、姫さまのご結婚は、前途多難なのですね」
「お気の毒ですわ」
「本当に、お気の毒で大変なこと……」
彼女たちは、全然気の毒ではなさそうに、どちらかというと嬉しそうに微笑んだ。
七都とナチグロ=ロビンは、アヌヴィムのお茶会をあとにして、城に戻る。彼女たちは一斉に立ち上がり、丁寧にお辞儀をして見送ってくれた。
「だいじょうぶだよ。ルーアンは、七都さんと結婚する気はないと思うね」
ナチグロ=ロビンが、うなだれている七都に、場違いなくらいに明るく言った。
「なんでそうさわやかに言い切れるの? 根拠は?」
七都に詰め寄られて、ナチグロ=ロビンはしどろもどろになる。
「えーと。そのう。なんというか。ぼくの推測というか、独断というか……。たぶん、そうだろうと……」
「じゃあ、本人がどう思ってるか、なんてわかんないじゃない」
「でもさ。七都さんは、向こうの世界ならともかく、こっちでは全然おばあさまに似ていないし。娘ならともかく、孫だよ。面影を探すには、血は薄すぎる。遠すぎる」
「向こうの世界なら?」
七都は、むんずとナチグロ=ロビンの腕をつかんだ。そして、彼の顔を覗き込む。
「わたしのおばあさまって……。もしかして、黒髪だった?」
「さ、さあ? あんまり覚えてないな。ぼくはまだ小さかったから」
七都は、彼をつかむ手に力を入れる。
「矛盾してる。今、おばあさまと似てないって言った。ってことは、その判断がつくくらい覚えてるってことじゃない」
「そそ、そんなこと言ったっけな」
七都が手を離すと、ナチグロ=ロビンは、ほっと安堵の溜め息を漏らした。それから、取り繕うように七都に言う。
「あのさ。問題は、七都さんのほうなんだからね」
「わたしのほう?」
「七都さんがルーアンに惹かれちゃうかもしれないってこと。だからぼくは、シルヴェリスさまと付き合ってくれてたほうがよかったかもって思う」
「なんでわたしがルーアンに惹かれるの!?」
七都は、今度はナチグロ=ロビンの胸ぐらを遠慮なくつかんだ。
何を言い出すんだ、この猫はっ!
「反発するのはわかるよ。今は彼のこと、うるさいとか、とっつきにくいとか思ってるかもしれないけど。七都さんはルーアンに似てるんだ。自分と似ている人には、どうしても惹かれてしまうものなんだよ。一緒にいると心地いいし、安心感があるし。相手のことがわかって、自分のこともわかってくれてるって、確実に認識できるから」
「似てる? わたしがルーアンに? どこがっ!」
「たとえば、思ったことがすぐに顔に出ちゃうところとか、ウソをつくのが下手なところとか。あと、頑固なところとか。他にもあるけど……」
「……」
七都は、ナチグロ=ロビンを再び開放する。
彼に言われて、何かもやもやしたものが形になったような気がした。
ルーアンとわたしが似てるって……。
彼の態度がわけもなく気に食わないのはそのせい?
たいした原因もなくむかつくのも、そのせい?
ガーデニングだって、絵だって、自分が興味を持っていることを彼が完璧に出来てしまうことが悔しいのも……?
そうなのかな。そうかもしれない。
きっぱりと否定出来ない自分が、何となく情けなかった。
「それにね。ルーアンは素敵だよ。あの美貌だし、気品があるし、オトナだし、多才だし。ルーアンに惹かれない女性はいない。魔神族も人間もね。人間は特に彼に惹かれるかもしれない。彼は妖しい魅力を持ってるって映るから。アヌヴィムだって、彼にエディシルを食べられるときは、みんなぼーっとなる。その後、悲惨な状態になるにしても」
「素敵だってことは、確かに、それはそう思うけど……」
ナチグロ=ロビンは、ほら、という顔をした。
「だけど、ぼくは、個人的にはルーアンはやめといたほうがいいと思う。シルヴェリスさまのほうがいいよ。七都さんには似合ってる。もし七都さんがここで発情してルーアンを選びそうになったら、ぼくはすぐに七都さんをどこかに閉じ込めて、シルヴェリスさまを呼びに行く」
「だからって、ナイジェルを呼びに行かれても困るんだけど。本能で強制的に彼をだんなさまにしちゃうのはいやだし、わたしはまだこの歳で子供はほしくないよ」
「たとえだよ。七都さんは発情しない確率が高い」
「確率が高い? なんでわかるんだよ?」
ナチグロ=ロビンは、しまった、また口を滑らせた、という表情をした。
「そ、それじゃ、ぼくはあいつらのところに戻るから」
彼は、今あとにしてきたばかりの、アヌヴィムのお茶会を指差す。
「なんで?」
「野暮なこと訊くなよ。食事に決まってるだろ」
にやっと笑ったナチグロ=ロビンの唇の端から尖った歯が覗き、彼の目が一瞬、宇宙の暗黒になる。
七都は眉を寄せ、そそくさと嬉しそうに立ち去るナチグロ=ロビンを横目で睨んだ。
「アヌヴィムたちと会っておられたのですね」
穏やかな低い弦楽器のような声が、背後から聞こえる。
振り返ると、そこにルーアンが立っていた。