第3章 風の城の住人たち 4
アヌヴィムの女性たちは、花の壁で囲まれた庭の一角で、お茶会をしていた。
彼女たちのドレスや装飾品プラス色とりどりの花々。そこにはあらゆる色彩が、色見本のカードをぶちまけたように溢れていた。
その光景をさらに明るく賑やかにする笑い声が、少し離れたところに立って彼女たちを眺めている七都たちのところにまで届いてくる。
太陽はもっと傾き、空はラベンダーからラピスラズリに変化しつつあった。
けれども、彼女たちを取り巻く独特の空気は、朝だろうと夜だろうと関係なく、きっといつでも同じに違いない。何となく七都には、そんな気がした。
「行く?」
ナチグロ=ロビンが訊ねた。
「うん。でも、いいのかな。彼女たちの邪魔しちゃう?」
七都は、遠慮がちにお茶会の様子を窺う。
「だいじょうぶ。彼女たちは、ゲームの連中や図書館のやつみたいに非友好的じゃないから。噂話のネタに、ぼくたちのことを知りたがる。美羽さんもよく気晴らしに、あのお茶会に参加してたよ。ルーアンは、しぶい顔してたけど」
七都とナチグロ=ロビンが近づくと、彼女たちはにこやかに会釈をし、微笑みかけてきた。どうやら歓迎してくれるらしい。
「あら、姫さま。ロビーディアンさまも」
「姫さま。来てくださったのですね。嬉しいわ」
「さ、どうぞ。お座りになって」
「お話しましょうよ」
彼女たちは明るく笑いながら、目だけは鋭く動かして、七都の衣装を素早くチェックした。
おそらく、彼女たちの知らない時代のドレスにアクセサリー。こういう色の宝石を見るのも初めてなのかもしれない。
物欲しそうな表情が、彼女たちの微笑みの中に、露骨に見え隠れする。
お母さんのドレスを着て来なくて正解だったのかも……。
七都は、ふと思って苦笑する。
<姫さまったら、お母さまの衣装をそのまま来ておられるわ。見覚えがあるもの>
<ドレスもご用意していただけなかったのかしら>
そんなふうに、ひそひそと囁かれていたかもしれなかった。
七都は、空いている席に座った。
ナチグロ=ロビンは、しょうがないなという顔つきをして、七都の隣に立つ。
椅子に腰を下ろさないのは、自分はお茶会に参加しているわけじゃないぞ、というアピールのようだ。
テーブルの上には、いろんな種類の飲み物、お菓子、食器が並べられていた。
そこもまた、パステルカラーの花畑のようになっている。
けれども、その甘すぎる香りは、やはり七都にとってはあまり芳しいものではなかった。
七都の体には受け付けられぬ、人間の食べ物――。
追い出そうとしても鼻孔から容赦なく入り込んでくるその匂いを、七都は我慢する。
「姫さま、何か召し上がります?」
彼女たちの中のひとりが、親しげに話しかけてくる。彼女は、唇を真っ赤に塗っていた。目の縁をぐるりと覆ったアイシャドーも、唇に負けず劣らずの真紅だ。
じろっとナチグロ=ロビンに睨まれて、彼女は肩をすくめる。
「だって、姫さまは人間の血が混じっておられるのでしょう? だったら、こういうのも召し上がるのかしら、なんて……」
「ありがとう。でも、食べられないの。人間の食べ物は、無理みたい」
七都は、テーブルの上に並んだ、かわいらしいお菓子を見下ろした。
元の世界でこういうのを見たら、ものすごく嬉しいだろうな。友達と一緒にいたら、きっとうるさいくらいにきゃあきゃあ騒いじゃう。そう思いながら。
「あ、じゃあ、姫さまもわたしたちの……」
別のアヌヴィムが、少し顔を曇らせて言いよどんだ。彼女は首に、これでもかというくらいにじゃらじゃらとネックレスをかけている。
「ううん。わたしはあなたたちのエディシルは食べない。カトゥースと蝶のエディシル以外はね。食事は、わたしが来た元の世界で取る。そこではわたしは人間だから、あなたたちと同じ人間の食べ物を食べているの」
まあ、と言いたげに、彼女たちは顔を見合わせた。
ナチグロ=ロビンは、溜め息をつく。
「でも、姫さまは、リュシフィンさまにおなりになるのでしょう? いつまでもそれで済ませられるわけないですよね?」
さらに別のアヌヴィムが、七都に訊ねた。
彼女のドレスや装飾品は、見事なくらいに、すべて同じ彩度と明度の紫色で統一されていた。髪も、紫色に染められている。
「わたしはリュシフィンにはならないよ。ルーアンがなればいいんだ」
七都が言うと彼女たちは、鈴が鳴るようにころころと笑った。
それから彼女たちは、目配せをして、つつきあう。
あなたがお訊きなさいよ、いいえあなたが、と押し付け合っているようだった。
やがて代表者が決まったらしく、アヌヴィムの中でも年上の部類に見える女性が、こほんと咳払いをして、七都に質問してくる。
「姫さま。結婚式はいつですの?」
「結婚式?」
七都は、無邪気に微笑んでいる彼女たちを順番に見つめる。
何を言っているのだ、彼女たちは?
誰か結婚するのだろうか?
「私たち、結婚式にはどんな衣装を着るか、話していたところなんですよ。そういうおめでたい席には、アヌヴィムも列席していいことになっているのですもの」
「とても嬉しいですわ。ここで結婚式なんて、私たち、初めてなのですもの」
「ほんと、楽しみにしていますの。毎日刺激がなくて退屈ですもの」
「結婚式って……。誰の結婚式?」
七都が訊ねると、彼女たちは笑い転げた。
「いやですわ。姫さまの、ですよ」
「そうですよ、姫さまご自身の」
「わたしの結婚式……?」
もしかして、気の早いキディアスが、ナイジェルとのことを触れ回っているとか。それをこの人たちは、どこからか伝え聞いて――。
それにしては、ちょっと早すぎるが。
取りあえず七都は、アヌヴィムたちの興味深い話を聞くことにした。
「えーと。わたしの結婚式……ね。初耳だな。……で、相手は誰なの?」
七都の質問に、さらに彼女たちは笑う。
「ま、姫さま。おとぼけになって。姫さまのお相手は、おひとりしかいらっしゃらないじゃないですか」
「わかんない。誰? 教えて」
やはりナイジェルのことを言っているのだろうか。
七都は思いながら、真面目な顔をして彼女たちに訊ねた。
彼女たちは、顔を見合わせる。
まあ、本当に姫さまったら、おわかりになっておられないんだわ。そういうあきれた、そして納得したような表情だった。
やがて、くすくす笑いながら、彼女たちの中のひとりが七都に言う。
「もちろん、公爵さまですよ」
「公爵さま? 公爵さまって、誰よ?」
七都は、ナチグロ=ロビンを振り返る。
彼は、暮れていく空を見上げた。そして、うんざり気味に答える。
「『公爵さま』と呼ばれるのは、ここではたったひとりしかいないよ」
七都は、彼の横顔を穴が開くくらいに、まじまじと見つめる。
「たったひとりって……? まさか……ルーアン!?」
ナチグロ=ロビンが、めんどうそうに一回頷いた。
アヌヴィムの女性たちは、全員、にこやかに何度も頷く。
「姫さまと公爵さま、とてもお似合いですわ。お二人とも、とてもお綺麗ですもの」
「どことなく、雰囲気の似たところもおありですしね」
「実はまだ私たち、姫さまと公爵さまが並んでおられるところを拝見したことないんですけれど」
「早く拝見させていただきたいですわ」
「結婚式までには、きっとうんざりするくらい見せていただけるわよ」
「姫さま、もう少し大きくなられたら、公爵さまともっと釣り合いが取れて、お似合いになられますよ。今はまだ姫さまは、少女すぎますもの」
「でも、姫さまは、ずっと今のままのお姿を取られても、おかわいらしいわ。私はそのほうが好き」
「そうね。今のお姿も素敵だわ」
彼女たちが、夢見るように口々に語りかけてくる。
「ちょっと待って! ルーアンと結婚!? そんな話、聞いてないっ!!!」