第2章 天辺の部屋 1
「だけど、よかった。夢のとおりじゃなくて」
七都は、呟いた。廊下にずらりと並ぶ扉を適度に順番を飛ばして開けてみながら。
「夢? 夢って何さ?」
腕を組んで廊下に立っているナチグロ=ロビンが、訊ねた。
彼は、扉を開けて移動して行く七都にゆっくりとついてくる。
ナチグロ=ロビンは、玉座の間のあった階から瞬間移動して、七都をさらに上の階へと連れてきたのだった。
そこにはいろんな部屋が、インテリアショップのサンプルルームのように並んでいた。
扉を開ける度に、さまざまな色彩や趣向の部屋が現れる。
シンプルな灰色だけのスチールっぽい部屋だったり、豪華な天井がある部屋だったり、造花でにぎやかに飾られたピンクの部屋だったり。
真っ黒に塗られた不気味な部屋や、真っ赤な天井と壁に青い家具という部屋もあった。
扉を開ける度に、七都は落胆してしまう。
なかなか自分の趣味に合う部屋が見つからない。何て個性の強い部屋ばかりなんだろう。
自分の趣味どころではなく、ホテルっぽい無難な部屋を探すにも苦労しそうだった。
その点、幽体離脱したときに入ったルーアンの部屋は、感じがよかったな。
というより、わたしの趣味に完璧に合っていたかもしれない。ちょっと悔しいけど。
七都は、思う。
「元の世界で、ここんとこよく見ていた夢だよ。階段の上に玉座があって、女の子が座っているの」
七都は、ナチグロ=ロビンに言った。
「ああ、そういえば、そんなこと言ってたっけ」
と、彼があくびをする。唇の両端あたりから、白い牙が見えた。
「あの夢、間違いなくあの広間だった。でも、現実には、玉座には女の子は座っていなかったもの。あの子、わたしにも似てたし、お母さんにも似てたから、ちょっと怖かったんだ」
「七都さんか美羽さんじゃないかって? 心配してたの?」
「うん。胸にエヴァンレットの剣がリアルに刺さっていたしね。少なくとも、お母さんじゃないよね。そういうことって、あった?」
ナチグロ=ロビンは、顔をしかめた。
「ないよ。美羽さんは生まれたときから知ってるけど、そんな物騒なことなんてなかったね」
七都はくるりと振り向いて、ナチグロ=ロビンをまじまじと見つめる。
「ロビン。あなたって、いったい幾つなの? お母さんだって、たぶん百歳以上は行ってるよね?」
「数百歳。途中でめんどうになって、自分の齢を数えるのはやめた。ルーアンよりかは年下だから。あとお察しの通り、美羽さんは、軽く百歳は越えてる」
彼が答える。
七都は、溜め息をついた。
やっぱり百歳越えてるのか、お母さん。
お父さんより、ものすごく年上なんだ……。
それは、母が魔神族なのだから仕方のないことなのかもしれない。七都の世界の人間の年齢に当てはめるほうが、無理があるというものだ。
けれども、ナチグロ=ロビンから、改めてそういうふうに確定したことを言われると、妙にへこんでしまう。
<悪かったわね>と、どこかで母が口をとがらせたような気がした。
「お母さんの過去じゃないってことはわかったけど。でも、あれがそれ以外の誰かの過去か、誰かの未来じゃない、なんて言えない」
七都は呟いた。
そう。わたしの未来じゃない、なんて決して断言出来ない。
この先、いつかあんなことがわたしの身に起こらない、なんて……。
「ところで、この階の部屋って、狭くない? で、結構どぎつ……ううん、個性が強くない?」
七都は、今扉を開けたばかりの部屋の中を一瞬覗き込み、うんざりして扉を閉める。
そこは真っ黄色の部屋だった。白と黒のレースのような蝶の装飾が、部屋の中にこれでもかというくらいに溢れていた。
「独身の魔貴族たちが住んでいた部屋だからね。その人の趣味が、かなりストレートに反映されている。だいたい狭いって言ったって、元の世界の七都さんの部屋よりかは広いだろ。あの家は変なところに変なスペースを取ってるから、寝室とかが妙に狭いんだよな」
ナチグロ=ロビンが言う。
七都は、彼を軽く睨んだ。
「それは、あの家をつくったお父さんとお母さんに対する侮辱だよ」
「事実を言ったまでだ。狭いものは狭い」
ナチグロ=ロビンが、間延びした口調で言い返した。
「猫になってるあなたには、広いでしょうが」
「わかったよ。ほんっとわがままだな。じゃ、もっと上の階に行こう。ここよりは広い部屋が揃ってる」
ナチグロ=ロビンが手を差し出した。
七都がその手をつかむと、たちまち廊下がぼやけて別の廊下が現れる。
そこは前よりも天井が高く、広い廊下だった。
七都は、やはりずらりと並んだ扉を、適当にピックアップして、開けてみる。
下の階よりは広い部屋が現れた。装飾も地味目だ。
今七都が覗いた部屋は、薄いグリーンの壁に深緑の天井、そして、黒を基調とした家具が配置されていた。
七都は、ほっとする。
「ルーアンの部屋って、どこにあるの? もっと上?」
「ずっと上だよ」
ナチグロ=ロビンが答えた。
「じゃあさあ、もっと上に行こうよ。ルーアンの部屋よりも、ずっと上。このお城のてっぺんから見て行こう。だって、上から順番に降りながら部屋を探したほうが、絶対効率いいよ」
七都は、提案する。
「はいはい。仰せのままに、お姫さま」
ナチグロ=ロビンが、肩をすくめた。
「あ。初めて『お姫様』って言ってくれた」
七都が指摘すると、ナチグロ=ロビンはぶっきらぼうに呟く。
「当然、皮肉に決まってるだろ」
「そういえば、ルーアンって、何で日本語喋ってるの?」
「七都さんのためだよ」
ナチグロ=ロビンが答えて、ほんのちょっとだけやさしげに、七都を見つめた。
「わたしの?」
「七都さんは異世界で生まれて育ったわけだからね。その世界の言葉しか話せない。つまり、ここに住む者とは意思疎通が出来ない。ルーアンは、それを心配したんだ。ま、結局心配する必要もなかったんだけど。七都さん、いきなりこの世界の言葉がわかったみたいだし」
「うん。わかったよ。夢の中だからわかるのかな、なんて不思議に思いながら、理解はしてた」
言葉は、滑らかに出てくる。
頭の中でものを考えるときは日本語なのだが、言葉にするときは、何かを通して変換されたように、この世界の言語が唇に自然に上ってくる。
相手の話すことも、同じく変換されたように、頭にすっと入ってくる。
それは、やはりまだ夢っぽい。
「それも七都さんの能力の一種ってことかな。こっちでは、そういうのも『魔力』って呼ぶんだけど。美羽さんの記憶が、七都さんが美羽さんから受け継いだ遺伝子の中に刻まれているとかさ」
ナチグロ=ロビンが言う。
「英語もそんな感じだったら、苦労しなくてすむのにね」
七都は、呟いた。
久し振りに、元の世界の勉強のことなんかを、ふと思い出してしまう。
ついでに、異世界に滞在していることを口実にして、勉強をほったらかしにしている今の状態に、罪悪感も抱いてしまう。
ここでは姫君だろうが、魔王の跡継ぎだろうが、元の世界に帰ったら高校生をしなければならない。それが現実だ。
「あいにく美羽さんは、英語は喋れなかったからね。七都さんは自分で地道に勉強するしかないのさ」
ナチグロ=ロビンが、冷ややかに言った。
「やっぱり……。でも、ルーアン、ここで日本語の勉強をしたの? わたしのために?」
「そういうこと。ルーアンには、七都さんみたいな魔力はないからね。っていうか、普通はないんだよ。熱心にやってた。たとえ魔神族とはいえ、何事も一生懸命しなくちゃ身に付かないのさ」
「だけど、この世界でどうやって? あなたが教えたの?」
「少しはね。でも、あの人は、ほぼ自分でマスターしたよ。見てみる?」
「見てみるって……何を?」
ナチグロ=ロビンは、再び七都に手を差し出した。七都は、その手をぎゅっと握る。
たちまち周囲の景色が溶け去って、どこかの部屋が現れた。
薄いベージュの部屋の中に、雑多に置かれているものを見て、七都は目を見張る。
その品々――。
その一つ一つ、そのどれもが、どこかで見たようなものばかりだった。
見覚えのあるもの、曖昧な記憶のかけらに、確かに引っかかるもの……。
「ルーアンの勉強部屋。兼七都さんの住んでいる世界に特化した物置部屋さ」
ナチグロ=ロビンが、部屋の中の品々を見渡しながら解説した。
「これ……」
七都は、間近にあった本の積み重ねの中から、一冊を手に取ってみる。
それは、七都が幼い頃に持っていた絵本だった。
正確には、元々果林さんが持っていた絵本だったのだが、七都がとても気に入って離さなかったので、最終的には果林さんが根負けして、七都にくれたものだった。
子供のオオカミが仲間を探しに行く話で、、マンガっぽいのだけれど、ちょっと不思議で印象的で、どこか高尚な感じの絵が、ページいっぱいに溢れている。
オオカミはもちろん、ウサギやヤギやブタ、遊園地や墓場やお化けも登場する。
けれどもその本は、いつのまにかなくなっていた。
片付け上手で思い切りのいい果林さんのことだから、たぶん処分してしまったのだろうと七都は思っていた。
「何でこれがここにあるの? わたしのお気に入りの絵本だよね、これ」
七都は、裏表紙をめくってみる。
そこには、幼い字で七都の名前が書いてあった。どう見てもウサギにしか見えない猫のイラストと一緒に。
「ほら。わたしのだ」
「いや、えーと、その、もういらないと思って、勝手にもらった」
ナチグロ=ロビンが、あたふたと言い訳がましく説明する。




