第1章 姫君の帰還 14
七都は目を見開いて、思わずルーアンを眺める。
え? 今なんて……。
お母さんがリュシフィン?
お母さんが……風の魔王?
それで……わたしが魔王さまの子供?
そんでもって、わたしが……!?
七都は目を見開いたまま、そして口も大きく開けて、自分と同じ目をしたその魔貴族をまじまじと見つめた。
「ちょっと待って。少し落ち着こう」
七都が言うとルーアンは、わずかに眉を寄せる。
「私は、終始落ち着いていますが?」
「じゃあ、落ち着くのはわたしだ」
「では、どうぞ落ち着いてください」
七都は、取りあえず深呼吸をする。そして、ルーアンを睨んだ。
「ね、ルーアン。今何か、とんでもなく物凄いことを口走ったでしょ」
「とんでもなく、物凄いことですか? 私は至って真面目ですよ」
その言葉通り、彼はすこぶる真面目な表情で七都と向かい合う。ミルククラウン形の金の冠を大切そうに抱えたまま。
隙があればその冠を七都の頭に乗せようと狙っているような気がして、七都は両手をぐっと握りしめながら、身構える。
それ以上その冠を私に近づけたら、猫パンチではたき落とすから!
「整理して、あなたに質問しなくちゃ。まず質問その1。あなたは、わたしのお母さんがリュシフィンだって言ったよね。つまり、その冠をここに置いて時の都に行っちゃったリュシフィンさまが、お母さんだってこと?」
ルーアンは、深く頷く。
「その通りです。ゆえに、あなたの額にあるリュシフィンさまの口づけの印は、リュシフィンであった母上があなたに付けたもの。あなたが生まれたばかりの頃に」
七都は、額に手を触れる。リュシフィンの口づけのあとがあるあたりに、そっと。
「お母さん……。この玉座に座ってたの? 最近まで?」
「あなたの父上と結婚してからは、時々戻って来られるくらいでしたが、あなた方の家を出て行かれるまでは、確かにこの玉座があなたの母君の定位置でした」
「お父さんは、お母さんは誰かに呼ばれて家を出て行ったって言ったの。そうすると、お母さんを呼んだのは時の魔王ってことになる。その……」
「アストゥールさま」
ルーアンが、補足する。
「そう。そのアストゥールさま?」
「そうかもしれませんね。あなたの父上にそうおっしゃられたのなら」
「わたし、お母さんに会ったの! 幽体離脱したとき、お母さんがいる場所に行ったんだよ」
「……幽体離脱? そのような高度な魔力を使えるのですか?」
ルーアンが、意外そうに訊ねた。
「ううん。ジエルフォートさまのおかげで、出来ただけなんだけどね。でも、お母さんと会えたの。じゃあ、お母さんがいた場所が、時の魔王の宮殿なのかもしれない。ここはあなたの来る場所じゃないって言われたもの。魔王さまたちだけが行ける場所に行っちゃったら、当然そう言われるよね。何かとても不思議な場所だった。でも、ここと同じ空の色だったから、魔の領域のどこかにあるのだと思うんだけど」
「では、この空と続いている、時の都のどこかにおられるのでしょう」
ルーアンが頷いた。
そして彼は、頭上のドーム形に切り取られた透明な空をちらりと見上げる。
「お母さんって……。まさか、その、アストゥールさまと再婚なんかしてないよね? 時の魔王の王妃さまになっちゃってたり……しないよね?」
ふと不安になって、七都は呟いてみる。
父は母と別れた後、別の女性と結婚した。
母も別の男性と結婚していたら……。
わたしの存在している意味って何だろう?
「わかりません。時の魔王さまがどのような方なのか、ご家族がどのような方々でどのような構成なのか、魔貴族にはいっさい知らされてはいないのです」
ルーアンが言った。
母は、しかし、再婚したなどとは、一言も言わなかった。
だいたい自分が再婚していたら、父が再婚していることを責めたりなどしないだろう。
あんなに痛々しげで悲しそうな顔など、出来るわけがないのだ。
七都は、ふと母と一緒にいた少女を思い出す。
金の髪とオレンジ色の目の、七都と、そして七都の母にそっくりなあの少女……。
母と並んで回廊を歩いてきた、生身の少女は……。
(そうだ、あの女の子……。お母さんといたあの子が、アストゥールさまかもしれない。お母さんが、ここにはお友達がいるから寂しくはないって言ってたもの)
母も、それからアーデリーズも、女性の魔王なのだ。他に女性の魔王がいたって何の不思議もない。
もしかしたら時の魔王アストゥールも女性で、あの少女なのかもしれない。
いや、そうあってほしい。
母と一緒にいる時の魔王が、あの少女でなくても、とにかく女性であってほしい……。
「お母さん、償いだって言ったの」
ルーアンが、首をかしげる。
「償い?」
「時の都にいる理由だよ。たぶん、何代か前のリュシフィンさまが風の都を破壊して他の魔王さまも消してしまった、その事件の償い。他にも理由はあるみたい。再婚したなんて話は聞かなかったけど」
「そう……ですか」
ルーアンは、呟く。
彼の赤い目は、一瞬記憶の底に沈み込むように、そして何かに耐えているかのように伏せられた。
もしかして、とても冷静に装っているけれど、かなり動揺してる?
七都は感じたが、彼をただ眺めていても会話は途切れてしまうので、さらに続ける。
「ルーアン。では、質問その2。あなたは、わたしが次のリュシフィンだって言った。その前に、わたしにその冠をかぶせようとした。そうだよね?」
七都は、両手の拳で身構えたまま、ルーアンの手に捧げられている金の冠を睨んだ。
「認めますよ。そう申し上げたことは。そうしようとしたことも。ちなみに『次の』ではなく、『現在の』です」と、ルーアン。
「何でわたしが次の、もとい現在のリュシフィンなわけよ?」
「当然でしょう? あなたは先代のリュシフィンさまのお子様なのですよ。跡を継がれるのが、ごく自然だと思いますが?」
「冗談でしょ。王族は? 他にはいないの?」
「おられません。現時点で風の王族は、あなたおひとりです。あなたの母君を除けば」
「何でそんなに少ないのっ!」
七都は、思わず叫ぶ。
「皆さま、あの事故で溶けておしまいになられましたから」
ルーアンが、無表情な顔をして答えた。
「風の民の大部分が消えてしまったということは、王族も消えてしまったということです。その時残った王族の方々も、寿命を全うされました」
「あなたは? あなたも王族じゃない。しかも、王位継承権を持ってる。あなたが次のリュシフィンさまになればいい。わたしより年上だし、他の魔王さまに負けないくらいの威厳と気品があるし、きれいだし、わたしなんかよりずっとその冠が似合うと思う」
ルーアンは、七都が変えたとろけるような形状の冠をしげしげと見下ろした。
「ミルククラウンが似合うかどうかは別として!」
七都は、やけ気味に付け足す。
「私は臣籍ですから。魔王にはなれませんよ」
ルーアンが言った。
「王族に戻ればいいじゃない。反対する人は誰もいないよ。王族がわたしだけってことは、わたしが認めるなら、すぐにでも戻れるわけでしょ」
「それはそうですが……。私には、風の魔王リュシフィンになる資格などありません」
「何でないの?」
ルーアンは、じろりと七都を見据えた。
彼の真っ直ぐ注がれる視線に、七都はひるんでしまう。
なに、このスーパーど迫力……。
「ナナト。それはかなりプライベートなことですから、申し上げられません。はばかりながら、私も保身を図らねばなりませんので。私が心穏やかに生きていくために」
「う……」
きっぱりと断られた。太刀打ちできない威圧感をおまけに付けられて。
やっぱりキディアスより手ごわいかもしれない。
七都は思う。
しかも、どうやらルーアンは、日本語が喋れるだけではなく、七都の世界のことにも精通しているようだ。
会ったときから、彼との会話には外来語のカタカナが飛び交っているし、彼は七都の言葉もすべて理解して受け止めている。
つまり、彼とのコミュニケーションにおいては、元の世界に絡めて、煙に巻いてとぼける、という逃げ方が通用しないことになる。
「と、とにかく、わたしはリュシフィンになんてなる気はありませんから!」
七都が言うと、ルーアンが顔をしかめた。
「そうなのですか?」
「当たり前でしょ。わたし、自分が魔神族だってことを知ったのもつい最近だし、お母さんがリュシフィンさまだったってことも、たった今知ったんだよ。それにね、ルーアン。何の前置きも説明もなく、いきなりその冠を載せようとするなんて、最低だ! エルフルドさまみたいになっちゃってたかもしれないのに、何てことするんだよ!」
七都は、ルーアンの目力に負けないよう、キッと彼を睨んだ。




