表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/101

第1章 姫君の帰還 12

 ナチグロ=ロビンが、あせりまくる。髪が逆立っていた。

 彼の腕の中のストーフィは、外見は相変わらず無表情だったが、たぶん目が点になっている。

 ルーアンも、固まったように動かなかった。もちろん七都のその行動に関しても、予測が出来なかったに違いない。

 ルーアンはサンダルのような靴をはいていたが、その細い足の指にも、すべて指輪がはめられていた。

 彼の手にはめているものと同じ、そして七都がイデュアルからもらったものとよく似た銀の指輪だった。赤だけではなく、いろんな色の宝石が、ずらりと並んで輝いている。

 指輪をはめた彼の形のいい白い足は、見惚れるくらいに美しかった。


「やっぱり……」


 七都は、呟いた。


「ルーアン。何から自分を守っているの?」

「単なる趣味ですよ。指輪が好きなだけです」


 ルーアンが答えた。

 七都にそういうことをされて、気を悪くしたような様子はなかったが、どこか仮面を思わせる、冷たく捉えどころのない顔つきだった。


「……そうなの? ただそれだけ?」

「それだけです」

「全部の指にはめていて、邪魔じゃない? わたし、指輪を一つしかしていないけど、それでも、時々服に引っかけたりしちゃうよ」

「慣れればそうでもないですよ。あなたの世界の若い女性たちだって、爪にとんでもない装飾をしているでしょう? あれと同じことです」

「そう言われると、納得せざるを得ないけど……」

「七都さん、スカートめくりだよおぉ。なんてことするんだよ……」


 ナチグロ=ロビンが頭を抱え、弱々しく呟いた。


「はいはい。お姫さまのやることじゃなかったよね。すみませんでした。ルーアン、ごめんね。公爵さまに失礼なことしちゃって。セクハラっていうか、パワハラだよね」


 ルーアンが、くすっと笑った。白い歯が、一瞬こぼれる。

 あ、ルーアン。笑うとやっぱり素敵。

 もっと笑ってほしい。

 七都は思ったが、すぐに彼は口を引き結んだ真面目な顔つきに戻ってしまった。


「ナナト。この階段を越えますよ」


 ルーアンが、七都の手を強く握りしめる。

 次の瞬間、七都とルーアンは、階段の一番上に立っていた。

 少し遅れて、ナチグロ=ロビンとストーフィも到着する。

 七都はルーアンと手を繋いだまま、先程よりもさらに装飾が洗練された廊下を進んだ。


 廊下の床は、瑠璃色の樹脂を何層にも注いで、薄く丁寧に伸ばしたようだった。

 七都たちの影は、濃淡に重なる銀色の切り絵となって、その瑠璃色の床の表面を這って行く。

 時折光の加減で、影たちは意思を持っているかのように、勝手に伸びたり縮んだりした。

 やがて真正面に扉が現れる。複雑な幾何学模様を刻んだ、半透明の白い扉だった。

 七都は、思わず立ち止まる。

 わたしは、この扉を知ってる……。

 そうだ。あの夢だ……。

 夢の中で玉座に座り、剣で胸を刺し貫かれている、金の冠の少女。

 あの少女が座っている部屋の扉だ。

 いつも少女が登場する前に、この扉が現れる。

 たぶん何度も何度も、繰り返し夢で見ている……。

 この扉を抜けると、銀色っぽい白い光に包まれた部屋があって、それから……。 


「ナナト?」


 ルーアンが、立ち止まったまま動かない七都を振り返る。


「どうかしましたか?」

「こわい……」


 七都は扉を見据え、ルーアンの手を固く握りしめた。

 もし……。もしあの女の子が、玉座にあの夢の通りに座っていたら?

 そして、その胸にエヴァンレットの剣が刺さっていたら?

 そして、もしその子が母だったら……?

 言いようのない不安が見えない黒い雲のように、七都の全身をひたひたと覆い始めていた。


「ナナト、解せぬことを。いったい何を怖がっておられるのか……」

「だって、ここ、夢の中に出てきたの。冠をかぶった女の子が階段の上の椅子に座ってて……その子、エヴァンレットの剣で胸を刺されているの」


 ルーアンが、はっと息を呑む。

 もちろん表面は穏やかそのものだが、隠された心の微妙な動きが七都に伝わってくる。


「やっぱり知ってるの? その女の子、リュシフィンさま?」


 ルーアンは、静かに首を振った。


「いいえ。そのような光景は、この扉の向こう側にはありません。安心して扉をお開けなさい」

「いやだ。こわい!」


 七都は、ルーアンの腕にしがみつく。

 ルーアン。わたしを抱きしめて。

 だいじょうぶですよって、あなたのその手でわたしを撫でて、そう言って。

 単なる夢だって、何も心配はいらないって……。

 そうしたら、勇気が出るかもしれない……。

 ううん、きっと勇気が出る。

 あなたの手にはわたしにとって、何か不思議な力を及ぼすものが宿ってる……。

 けれどもルーアンは、七都をゆっくりと引き剥がした。

 彼は、自分の気持ちを抑えて無理やりそうしたように、七都には思えた。


「ナナト……」


 ルーアンは、七都の顔を真っ直ぐに覗き込む。七都がひるむくらいの厳しい表情だった。


「ここはあなたの城なのですよ。怖がるなど、全く間違っています。あなたは、あなたの家の緑色の扉を開けてからここに到着するまでに、別の一族の三人の魔王さまと関わっておられる。額の印はその証拠でしょう。なのに、なぜここで風の魔王の玉座に怯える必要があるのですか? リュシフィンさまは、我々の王なのですよ」


 ルーアンが言う。

 七都は、額に手を置いた。

 そこにあるのは、四人の魔王の口づけのあと。

 たぶん子供の頃にもらったリュシフィンの口づけと、新しくもらった三人の魔王の口づけ。

 魔王の親しい者であることを示す印―――。

 ナイジェルもアーデリーズもジエルフォートも、三人とも素敵な魔王たちだった。

 『魔王』などという恐ろしい名前で呼ばれているが、それぞれ個性的で、やさしくて、魔神族なのに、いとおしいくらいに妙に人間的で……。

 リュシフィンも、きっとそうなのだ。

 どういう人物なのか、どんな姿をしているのかはわからないが、扉の向こうの部屋で玉座に座り、自分を待ってくれている。

 夢の中に出てきたあの少女は、そこにはいない。

 ルーアンは、そんな光景はないと言い切ったのだ。彼を信じなければ……。


「うん……。そうだよね。リュシフィンさまは、わたしの一族の魔王さまで、わたしが小さい時に口づけをくれているのだもの。こわがっちゃだめだよね。とても失礼なことだ。しっかりしなくちゃ。ごめんなさい。取り乱して」

「その印……。最初のリュシフィンさまのものを入れて、全部で四つですね。四人の魔王さまの口づけの印が、あなたの額を神々しく飾っている。素晴らしいです」


 それから彼は、七都に微笑んで見せる。


「何でしたら、この際、七つ全部集めてみられては?」


 それは彼なりの、七都を勇気づけるための冗談なのかもしれなかった。


「七つ全部? 全部集めたら、何かもらえる? 特典があるとか?」

「何ももらえません。特典もありません。残念ながら」

「なんだ……」

「ただ、すべての魔神族、そして魔王さま方からも、一目置かれる存在にはなれるでしょうね。ですが……」


 ルーアンは、七都の額をじっと見つめた。


「七つ集める前に、あなたの額からは、今ある印はすべて消えてしまうでしょうけれど」

「消えるって……? なんで消えるの?」


 ルーアンは答えず、七都の手を取った。


「さ、では、玉座の間に参りますよ」


 七都の前で、扉が開く。

 銀色の細い線が現れ、やがてそれは大きく面積を広げて行く。

 七都は、開いて行く扉から射し込んでくる眩しい光をじっと見つめた。

 銀色の光は七都の顔を白く照らし、七都の目を真紅に染め上げる。

 それはやはり、夢の中で見たのと同じ光だった。

 ああ。やっぱり、夢と一緒だ。

 扉が開くと、こんな光がいっぱい溢れていて、そうして―――。

 部屋の床の模様も、壁も柱も、見覚えがあった。

 天井のドームのような明り取り。明り取りのガラスの、繊細なレース模様。その向こうに映っているラベンダーの空。

 すべて夢の中の光景と一致する。


 七都は、部屋の中央に盛り上がる階段を見つめた。

 そして、ルーアンの手を離して、一歩前に進み出る。

 階段のてっぺんには、背もたれが異様に長い玉座があった。植物が絡まったような、美しい装飾の。

 それもやはり夢と同じだった。葉の一枚一枚、茎の曲がり具合も、すべて。

 七都は、階段から玉座へと、ゆっくり視線を移した。

 そして、玉座にあるものをしっかりと仰ぎ見る。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=735023674&s
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ