第1章 姫君の帰還 11
「私は、ルーアン。クラウデルファ公爵」
彼が、手を胸に当てて、言った。
「ルーアン? 公爵? ……魔貴族?」
ルーアンは、頷く。
「でも、あなたはこのお城に……」
「私は、単なる番人です」
ルーアンが言った。
「番人?」
「そう。この風の城の番人。この城を管理するのが私の役目です。ナナト、あなたが帰ってくるまで……」
「じゃあ、リュシフィンさまは? ここにいるの?」
ルーアンは、ワインレッドの目で七都をじっと見下ろした。
七都は少したじろぎながらも、手をぎゅっと握りしめ、自分と同じ色の目を見つめ返す。
なに、この迫力。
ただの魔貴族にしては強力すぎる、この目力は……。
「会われますか?」
彼が訊ねた。
「も、もちろん!」
そうだ。彼がリュシフィンでないとするなら、本物のリュシフィンが、この城のどこかにいるはずだ。
七都は、一旦解けた緊張の糸を再び結び直した。
これからリュシフィンと対面する。それは最初と変わらない。
「では、どうぞ、こちらへ」
ルーアンは頷き、くるりと方向転換をする。
彼は、先に立って歩き始めた。
七都はその後を追い、最後にストーフィを抱えたナチグロ=ロビンが、ゆっくりと付き従ってくる。
「あのう、クラウデルファ公爵」
「ルーアンで結構ですよ」
ちらっと後ろを向いて、彼が言った。
「ルーアン。あなたが番人なら。じゃあ、あなたはこの城のことを全部知ってる?」
七都は、ルーアンに訊ねた。
「ええ。たいがいのことでしたら」
「わたしのお母さんが、今どこにいるか、とか?」
「ええ」
七都は深呼吸をする。それから、続けた。
「わたしとリュシフィンさまが、どういう関係かとか?」
「ええ」
「昔のリュシフィンさまが、なんでこの都を壊滅させちゃったか、とか?」
「……」
「あと、たとえば、この城から抱き合って投身自殺した黒い髪の女の人と、何代か前のリュシフィンさまのこととか?」
ルーアンが振り返る。
やはり、かなり迫力のある視線だった。まるで射すくめられてしまうような。
七都は気後れして、立ち止まる。
「さっき見ちゃったんだよ、七都さん。そういう残留映像を」
ナチグロ=ロビンが、遠慮がちに言った。
「だけど、七都さんがあれを見てしまったのは、仕方のないことかもしれないんだけど」
「……そうですか。しかし、そういうことは、軽々しく口には出来ません」
ルーアンが言った。
「でも、知ってるんだね、ルーアン……」
「そうですね」
彼は、再び前を向く。少なくとも彼は、今この場で七都の質問に答える気はないようだった。
七都は、彼の後ろ姿を眺める。
威厳と気品に溢れ、ひとつひとつの身振りが様になっている。
その優雅さは、七都が出会った魔王の中で、一番年上らしいジエルフォートにも引けを取らない。
「ルーアン。あなたがリュシフィンさまでも、ちっともおかしくない。わたし、ここに来るまでに、三人の魔王さまと会ったけど、あなたがいちばん魔王さまっぽいよ」
七都が呟くと、ナチグロ=ロビンが七都の後ろで大きく頷いた。
彼は、小声でささやく。「うん。たぶん当たってるよ、それ……」
「光栄ですね。最大の賛辞と受け止めておきましょう」
ルーアンが前方に目を留めたまま、言った。
「それからね。あなたはこの城の番人だって言ったけど。この風の都には、もうひとり番人がいるの」
ルーアンは、興味を引かれたのか、立ち止まって、七都のほうに向き直った。
「どういうことでしょう?」
「どこかの扉の中に幽霊が閉じ込められていて、その番人さんはその扉を守ってくれてるの。ただしボランティアだけどね。自分の用事があるときは、いなくなっちゃうし」
「ボランティアですか。こちらは頼んだ覚えはありませんが」
ルーアンが、事もなげに言う。
彼はセレウスのように「なんですか、それは?」とか、キディアスのように「ボランティアとは何ですか?」などと、七都に聞き返したりはしなかった。
日本語が話せる彼は、もちろんそういう外来語も理解できるのに違いない。
「ルーアン。その扉のこと、知ってる?」
「心当たりはありますよ。後ほど、その場所にお連れしましょう」
彼が答えた。
「やっぱり、この風の都のどこかにあるんだね、その扉……」
ルーアンは、頷いた。
「けれども、私はそこで、番人にも幽霊らしきものにも会ったことはありません。何度もそこに行っているのですけれどね」
「うん。両方とも、生身の人には見えないみたい。だから、たぶん、あなたにもわたしにも、ロビンにも見えない」
「そうですか。それは残念ですね」
ルーアンは言ったが、その顔つきは、あまり残念ではなさそうな感じだった。
「その番人さんはね、たぶん元魔王さまなんだよ。額に冠のあとがあるの。外見は水の魔神族なんだけどね。この都にいて、扉の番人やってて、それで、恋人を待ってるの」
「恋人?」
「わたしにとてもよく似てる女の子。こういう髪に、こういう目の」
七都は自分の髪を軽く引っ張り、目を指差した。そして、ルーアンの彫像のような顔を覗き込む。
抑えているらしいとはいえ、彼の微妙な表情の変化を七都は見逃さなかった。
「やっぱり知ってるんだね、ルーアン。それも心当たりがあるんでしょう?」
七都は、彼に負けないくらいの迫力を赤い眼にこめて、彼に詰め寄った。
もちろん七都が自分でそう試みようと思っただけで、実際ルーアンがどう受け止めたかは、わからなかったが。
彼は、静かな眼差しで七都を見つめ返す。黙ったまま。
その目からは、何も読み取れなかった。やはり彼のほうが、七都よりもはるかに上手ということだろう。
この人、もしかしたらキディアスなんかよりも、ずうっと手ごわいかも……。
七都は、思う。
「ルーアン。後でわたしの質問に全部答えてもらうからね!」
七都は、取りあえずルーアンにそう告げてみる。
「よろしいですよ。私が答えられると判断したことには、お答え致しましょう」
ルーアンが眉一つ動かさず、七都に言った。
やがて三人の前に、広い階段が現れた。
そこは天井の高いホールのような空間になっていて、明り取りから射し込む光をしのぐくらいに、花の形のシャンデリアが幾つも輝いている。
手摺りにも明かりが等間隔で並び、荘厳な装飾が施されたその大きな階段は、どこか別の世界へいざなう入り口のようにも見える。
七都は、階段のてっぺんあたりを眺めた。その先は、さらに奥へと続いているようだ。
きっとこの上は、玉座のある部屋に通じている……。
そう思うと、改めて緊張してしまう。
「どうぞ」
ルーアンが、七都に手を差し出した。
七都は、遠慮なくその手に自分の手を乗せたが、彼の手に触れた途端、ぞくっとする何かが七都の体を突き抜けた。
色のついた、光のようなもの。
いとおしく、せつなく、心が温められるような感覚。
記憶……? 強力な思い?
つかみそこねてしまったが、ものすごいスピードで、それは通り過ぎて行った。
七都は、ルーアンの手を両手で握りしめる。
ひんやりとした皮膚の中に、穏やかなあたたかさを宿した魔神族の手。
男性にしては細く、華奢な手だった。全部の指に、それぞれ指輪がはめられている。
けれどもその手の感触は、今まで出会ったどの魔神族のものとも違っていた。
いちばん近いのは……。そうだ、母の手だ。
砂漠とジエルフォートの研究室で、半ば夢うつつで感じた、あの母の手……。
この手。
わたし、この手を知ってる……。
「ナナト?」
ルーアンが、いぶかしげに七都を見下ろす。
七都は、ルーアンの手を両手で包み込んだまま、それを頬に当てた。そして、目を閉じる。
ルーアンは七都の行為に驚いたようだったが、そのまま手を預けた状態で、静かに七都を見つめていた。
わたし、あなたがリュシフィンさまだと思ってた。
だから、あなたのこの手に抱きしめられて、よく来たねって、そう言ってもらえることを望んでた。
この手でやさしく頭を撫でてもらいたかった。
でも、あなたはリュシフィンさまじゃないんだよね……。
なのに、何であなたの手はこんなに懐かしいのだろう。
この手にさわると、なんでこんなに穏やかな気持ちになるのだろう。
「ナナト。姫君が臣下に対してそのようなことをしてはなりませんよ」
やがてルーアンが、諌めるように七都に言った。
やはり彼も、キディアスと同じような内容のセリフで、七都に注意する。
もちろんそれは、彼らが魔貴族であり、七都の行為が王族の姫君としての常識から逸脱している、ということに他ならないのだろう。
「臣下?」
七都は、真っ直ぐにルーアンを見上げた。
ルーアンは、七都の視線を受け止めたが、どこか苦しげな印象を七都は感じた。
「ルーアン。あなたとは、絶対血が繋がってる。だって、あなたはわたしとそっくりな目をしてるもの。これで他人だなんて、臣下だなんて、とても信じられない」
「血は繋がってますよ、ナナト」
ルーアンが、言った。
「私は、今は臣籍に下っているとはいえ、元は王族です。つまり、あなたとは親戚です」
「親戚って……」
七都は、ルーアンの手をぎゅうっと握りしめた。
親戚って。
そんなあやふやで簡単な単語で片付けられるくらいの、薄い血の繋がり?
ルーアン。そんなんじゃないよ、たぶん。
「あなたとは、もっと何か深い繋がりがあるような気がするんだけど? わたしの気のせい?」
ルーアンは、微笑んだ。
「気のせいですよ。旅の疲れのせいで、感覚がおかしくなっておられるのでしょう」
「そうなのかな……」
「まっとうだよ。その感覚……」
七都の後ろから、ナチグロ=ロビンが、七都に聞こえないくらいの小声で、ぼそっと呟いた。
ルーアンは、ナチグロ=ロビンを鋭い目つきで睨む。ナチグロ=ロビンは、慌ててうつむいた。
じゃあ、ルーアン。
わたし、リュシフィンさまに抱きしめてもらって、よく来たねって言ってもらうよ。
あなたではなく、リュシフィンさまにね。それが正解ってことなら。
七都は、小さく溜め息をついた。そして、握りしめたルーアンの手をひっくり返し、手の甲を眺める。
「ルーアン。何でこんなに、たくさんの指輪をしているの?」
ルーアンは、びっくりしたように目を見開いた。
七都にそういう質問をされるとは、全く予想していなかったようだ。
「これは、お守りですよ」
彼が冷静に答える。
「知ってるよ。自分を見失わないためのお守り。カーラジルトが言ってた。でも、あなたは両手の全部の指にしてるよね? 発情した女性が、それを抑えるために、全部の指にするのではないの?」
「発情した女性でなくても、指輪はしますよ。趣味としてね」
ルーアンが言った。
「趣味……ね」
七都は、ルーアンの服の裾をちらっと眺めた。そして、おもむろに手を伸ばし、その裾をめくってみる。
「なななな、七都さんっ!!!??」




