第1章 姫君の帰還 10
「ロビン。あの人たち、魔貴族の貴婦人?」
七都は彼女たちをちらっと振り返り、ナチグロ=ロビンに訊ねた。
「魔貴族に見える?」
ナチグロ=ロビンが、冷ややかに言う。
「あまり……見えないけど……」
七都が今まで会ってきた魔貴族たちとは、確実に雰囲気が違う。
彼女たちには魔力が備わっているという、どこかそういう妖しさが全くなかった。
もちろん魔の領域の中にいるわけなのだから(しかも、魔王の城の中に、だ)、魔力めいたものにどっぷりとつかっているという気配は、間違いなくあるのだが。
ふわふわとした感じで、魔神族にしては存在感があまりにも希薄でおとなしすぎる、と七都は思う。
それに、彼女たちが持つ独特の雰囲気……。
彼女たちは、例えば―――。
外では宇宙人の襲撃が始まっているのに、居間でファッション雑誌を読み、最近話題のスイーツを味わいながら、のんびりとタレントの噂話をしている少女たち。
あるいは、隣の家が火事なのに全くもって関心さえなく、自分のグルーミングに余念がない、猫部屋に入れられた猫たち。
七都は、そんなイメージを彼女たちに持ってしまう。
たとえミサイルが飛んでこようが、世界が破滅しかけようが、そういうまがい物の内なる平和に浸って、自分の生活をむなしく続けようとする人たち。
けれども、そうするより方法がない、他に選択肢もない……。そういう、悲しく危ういイメージ……。
彼女たちは、魔神族でないとすれば、では、何者なのだろう?
……アヌヴィム?
七都はもう一度振り向いたが、首をかしげる。
アヌヴィムにしては、やっぱり、ふわふわしすぎているような……。
ゼフィーアやセレウス、シャルディン、そして旅の途中で見かけたアヌヴィムや、地の都で会ったアヌヴィムたちとも、何だか雰囲気が違う―――。
「教える必要もないよ。どうせ七都さんがここに来れば、顔を合わせるわけだしね」
七都の質問に、ナチグロ=ロビンが答えた。
「そりゃそうかもしれないけど……」
お姫さまが帰ってくるって、きちんと知らせておいてあげてもいいのに。
七都は、不満に思う。
だって、彼女たち、この城の住人なんでしょう?
お母さんのこと知ってる人もいるみたいだし。
『あの子、誰?』なんて言われるの、ちょっと寂しい……。
「あとでまた、あいつらのところに行けばいいよ」
ナチグロ=ロビンが言った。
「やっぱり、わたしのほうから行くんだ?」
「ここでは、そういう習慣だから」
「習慣?」
ナチグロ=ロビンの言うこともわけがわからなかったが、七都は思い直した。
まあ、いいや。
あとで彼女たちの正体も、自然とわかるんだし。
今はとにかく、これからリュシフィンに会うわけなのだから、その心の準備をしなくちゃ。
七都は、ナチグロ=ロビンに遅れないように、早足気味で彼について行く。
いきなり、ナチグロ=ロビンが立ち止まった。
七都は、勢いよく彼の背中にぶつかってしまう。
「もうっ。突然止まらないでよっ!」
七都は文句を言ったが、正面を見て、はっとする。
廊下の真ん中に、誰かが立っていたのだ。
ナチグロ=ロビンは、深々と頭を垂れる。
七都は、彼の肩の向こうに立つその人物を眺めた。
銀色がかったチャコールグレーの髪が床まで波打ち、すらりとしたその体には、裾の長い白い服の上に銀の糸の刺繍の入ったトーガのような黒い衣をまとっている。
首と額には、宝石がはめられた金の飾り。耳にも金色の飾りが輝いている。
魔神族の特徴である、透き通るような白い肌に、赤い唇。その目は、七都と同じワインレッドだった。
幽体離脱したときに、七都が間近まで接近した、あの若者―――。
彼が今、再び七都の近くに立っている。
「ただいま戻りました」
ナチグロ=ロビンが言った。
「ご苦労だったね」
若者がナチグロ=ロビンに声をかける。穏やかな、やさしい声。
そして彼は、静かに七都に視線を移した。
七都は、どきりとする。
もう彼の目は、七都を突き抜けてはいなかった。
視界にちゃんと七都を捉え、七都を真っ直ぐ見つめている。七都とそっくりの赤い透明な眼で。
七都は嬉しくなった。同時に、彼にじっと見つめられて、少しはずかしくなる。
リュシフィンさま、きちんとわたしを見てくれている。
この間はわたしが見えなかったけど、今はちゃんと見えている。
リュシフィンさま。
わたし、とうとうここに来ました。
風の城に到着しました。
わたしを歓迎してくださいますか?
「リュシフィンさまっ!」
七都が叫ぶと、ナチグロ=ロビンが目を見開いて、慌てたようにくるりと振り返る。
あんぐりと口を開いて何かを言いかけた彼は、チャコールグレーの髪の若者と七都を交互に眺めた後、そのまま黙ってしまう。
その若者も、七都を見つめた。
どことなく寂しげで悲しげな、そして苦しみも混じったような複雑な表情だった。
沈黙―――。
あれ?
なんで二人とも黙っちゃうの?
あ、そうだ。
お辞儀しなくちゃ、お辞儀。
キディアスに叩きこまれて、どうにかきれいにきちんと出来るようになったお辞儀を、リュシフィンさま、あなたに……。
チャコールグレーの髪の若者が、ふっと笑って片手を上げ、七都が挨拶しようとするのを押しとどめた。
それから彼は腰をかがめて両手を交差させ、七都に向かって丁寧に頭を下げる。
それは、キディアスが七都に対して行っていたものとよく似たお辞儀だった。
魔貴族の男性が、自分よりも身分の高い女性に対して行う挨拶―――。
ただ少し、キディアスのお辞儀よりも簡略化されている。
七都は呆然として、頭を下げる彼を眺めた。
なんで?
リュシフィンさま、なんでわたしにそんなふうに挨拶をするの?
あなたは魔王さまなのに?
わたしより身分は上なのに?
なぜわたしにお辞儀なんかするの?
「お帰りなさい、ナナト。よくここまでおひとりで来られました。さぞやお疲れでしょう」
彼が頭を下げたまま、言う。
「あ……」
七都は、彼の言葉を聞いて驚いた。
(この人……日本語を喋ってる……)
彼が話したのは、この世界の人々が話す言語ではなく、七都の元の世界の言葉だった。
ナチグロ=ロビンは、ここの言葉と日本語をわざとらしくミックスして使ったりするが、彼は完全にきれいな日本語を話していた。
外国人が日本語を話すときのようなたどたどしさは全くなく、流暢でアクセントも完璧なものだった。
あまりにもなじみのあるその言葉をこの世界で久し振りに聞くと、かえって空々しく異質なものとして耳に入ってくる。
彼が七都の世界の言語を話せることも驚愕すべきことだったが、だが、それよりも―――。
彼はなぜ、自分に頭を下げている?
風の魔王ともあろうものが?
そちらの事実のほうが、七都を固まらせてしまっている。
「リュシフィンさま?」
七都が声をかけると、若者は眉を寄せた。そして頭を上げ、七都とそっくりのワインレッドの目で、七都を見据えた。
「ナナト。私はリュシフィンさまではありません」
彼が言った。
「え……?」
七都は立ち尽くす。
リュシフィンさまじゃ……ない?
あなたは、リュシフィンじゃないって……?
そう言ったの……?
いきなり、何もない空間に放り出されたような気分だった。
幽体離脱の最中に初めてここに来て、彼を見たときから、彼がリュシフィンだと確信していた。
確かに冠は付けてはいなかったが、それはナイジェルやアーデリーズやジエルフォートのように、イヤリングやネックレスなんかの小さなアクセサリーにして、目立たなくしているだけだと思っていた。
彼には魔王としてふさわしい気高さと威厳があり、他の魔王の誰よりもあの冠が似合うと七都は思った。そしてそのことが嬉しくもあった。
自分の一族の魔王がこんなに美しく素敵な人だということが、とても好ましく誇らしげに思えた。
なのに―――。
風の魔王じゃない……?
この人は、リュシフィンじゃないっていうの?
「じゃあ、あなたは、誰?」




