スモーキーでスモーキン
ファミレスでの一コマ。「子は宝」なオトナでありたいと思うのです。
以前ブログに載せてたものです。
煙草の害について詳細を説明できずとも、体に悪いものだという認識は誰もが持っているはず。
そのリスクを負った上での嗜好品摂取は自己責任だから、一定の年齢を越えれば非難されることではない。ただ、親となったとき、我が子供が吸う空気って、全く意識しないもんですかな?
と疑問に思うことが、たまにある。
近年は日本も分煙化が進み、ファーストフード店では、喫煙席を透明な仕切りで天井から床までピッチリ囲っていて、禁煙席と完全に分かれてたりする。喫煙者は「動物園のクマか?」と感じているかもしれないが、好きな煙草を心置きなく吸えるから気楽だろうし、空気が混ざらなくて非喫煙者も不快にならずにすむ。でもそこに乳児を抱っこして長時間お茶を飲みつつ煙草をふかしたり、小学生の孫二人を連れて入るおばあちゃんを見ると、目を瞠ってしまう。
なんてーか「『アリ』なんだー……」って感じ?
私自身は、気管支が弱くヴィッ○スヴェポ○ッブが手放せない子供時代だったので、煙草を自分が吸うなんて考えたことすらなかったし、
「反抗して法を犯すのすらめんどくせー」
ってくらい覇気のない人間だからか、肺を自ら汚すことなくこの年まできてしまった。
つまり私の肺は、このココロと同じくらい汚れがないわけ。
誰がどう言おうとそうなわけ。
自分に激甘な私はその味を覚えたら最後、絶対禁煙なんて無理だから、それはそれでラッキーだったな、って今は思う。煙草の煙をセクシーにくゆらす、そんなオットナー!な女性に憧れないわけではないけれど、仕草に色気を滲ませるポテンシャルが備わってないので、吸ったところで「せくしー」には程遠い。
ほら、キヨラカさが売りだし。
てなことをつらつら考えたのは、ファミレスで禁煙席の私から姿は見えないけど、ずっと赤ちゃんの泣き声が聞こえていたから。
つまりそのコは喫煙席にいるわけで。
縁もゆかりも当然なく、姿さえ見えないその子の肺の色を想像する。
子供がいたら喫煙の資格無し!なんて思ったことはないけど、赤ちゃんのあの甘い香りに煙草の匂いが混じるのって、それほど抵抗ないのが普通なのかしら。そんでそのコは、煙草フレイバーな空気も喫煙も何もかも、当り前な日常で、何の抵抗感も無く育つのかなー、なんて。
煙も臭いも来ないこの席で、私の視界が曇ってくる。
イイコ的な考えかもしれないけど、煙草に限らず、なぜ年齢制限が設けられているのか、
嗜好することにより、何を引き替えにするのか、そのあたりはちゃんとわかる大人になって欲しい。
最近のワカゾーちゃんにとって薬害のハードルが低いのって、それより先に快楽やスタイル的なものに、流されちゃうからだと思うのです。煙草は違う!と言われればそれまでだけど、モラルや倫理観って、
日常の小さなことから積み上げられるものだと思うから。
こんなことが気になるのは、自分のココロと同じくらい汚れなき肺の持ち主だからなのかどうなのか。
どやさ、どやさ。