新緑の季節
5月初旬、夜はまだ冷えるな、と思いながら自販機へ向かう。じゃんけんに負けた右手で財布を握りしめ、階段を登りきると見慣れた後ろ姿があった。
「はーるちゃ‥‥‥あ。」
え、と振り向いた顔を見て″やっぱり違った″と思ったが、少し遅かった。
「美里くん、ごめんね。人違いだった。」
「のんちゃんかー。びっくりした。」
そう言ってふ、と笑う顔はとても爽やかで、思わず見とれてしまう。
私たちは今、自然教室という名の宿泊学習に来ている。1泊2日で自然と触れ合い、夜はホテルに宿泊し、クラスメートたちと親睦を深めて帰るというものだ。
夕方以降は特にやることもなく、外をぶらぶらするも良し、部屋でごろごろするも良し、というわけだ。
私が通うのは私立花園学園高等学校‥‥一学年5クラスという小さな学校だ。もともと優秀な生徒しか入学できないのである程度は放任主義に近いものがあり、授業中や休み時間などの態度(つまりサボり)は個人の裁量に任せるという校風 である。そのため、こういう課外授業のときも驚くほど自由なのだ。一応、校内での携帯電話使用は緊急時以外禁止。などの校則はあるのだが。
「のんちゃん、こんな時間にどうしたの?」
「こんな時間って、まだ21時前だよ。みんなでしゃべってたらのど乾いちゃって‥‥じゃんけんで負けたの。」
あはは、一緒だ。と笑う彼を見れば3、4本の缶ジュースを抱えていた。
「のんちゃんってじゃんけん弱いんだね。ねぇ、せっかくだし少し話そうよ。」
彼はそう言って側にあるソファーに腰掛け、にこにことした顔でこちらを見てくる。キラキラという効果音がとても良く似合いそうだ、と思った。
男の子と話すの苦手だから嫌だな、とか、話すことなんて無いよー、とか思ってみても、断ることなんてできない私。それに、美里くんは良い人だから嫌いじゃないし、断る理由が見つからなかった。
「うん‥少しだけね。」
机を挟んで向かい側に腰掛けると、彼が優しく微笑んだ。私は、頬が赤くなったような気がして、少し俯いた。
「のんちゃんってさ、好きな子とかいないの?」
「えっ?」
予想外の質問に驚き顔を上げる。
「いるの?」
「ど、どうして‥?」
「え、だって気になるから。」
「気になるからって‥私のことなんて知っても良いことないよ。」
「どうして?俺が知りたいから聞いてるのに。」
少し真面目な顔でこちらを見つめる瞳から逃げるように少し視線を落とした。
「じゃ、じゃあさ‥美里くんは好きな子いるの?」
「うん、気になってる子はいるよ。」
「そっか‥美里くん、もてるでしょ?きっと可愛い子なんだろうね。」
「うん、ふわふわしてて可愛い子なんだ。見てると飽きないし。」
「ふーん、そうなんだ。」
「で、のんちゃんは?好きな子いるの?いないの?」
「い‥‥いないよ。」
うん、居ない。いないってことにしよう。どうせ彼のことはもう諦めなきゃいけないんだし。
「そっかぁ。のんちゃんさ、気付いて無いと思うけど、けっこう男子の中で人気なんだよ。」
「えっ?‥そんな冗談言わないでよ。」
「冗談じゃないってば。だけどさ、のんちゃんって、あんまり男の子と話さないからみんな話しかける勇気が無いんだよ。だからね、俺はみんなより一歩リードってところ。」
ふふ、と笑う彼は嘘をつくような人では無いけれど‥彼が言ったことを信用することなんてできない。人見知りで、男の子とろくに話したこともない私が人気ある‥?そんなわけない。
「‥だって私、男の子とか苦手、だし、さゆちゃんみたいに可愛くないし、もかちゃんみたいに賢くもないし‥‥」
「あはは、のんちゃんってば何にも気付いてないんだね。」
まぁそこが良いところなんだけどね、と彼は良く分からないことを言う。
そのときだった。
『ねぇ、羽瑠ってば!』
『なんだよ。』
『どうしてあんなこと言うの?』
『じゃあなに?もっと気を持たせる言い方すれば良かったわけ?』
『違‥そうじゃないけど‥』
思わず声がした方に視線をやると、羽瑠と綺香が顔を出した。2人はこちらに気付くと話を中断した。2人の手はしっかりと繋がれていて、私は思わず目をそらした。
「じゃあ、のんちゃん。そろそろ行く?せっかくだしさ、3人も誘ってこっちおいでよ。」
トランプやってるんだ、と楽しそうに笑う彼につられて、私もつい笑顔になる。
「うん、じゃあ3人にも聞いてみるね。あとでメールする。」
「うん、よろしくね。待ってるから。」
じゃあ、と言って美里くんと別れ、お互いそれぞれの方向に進んだ。
「‥みい。」
横を通り過ぎるときに腕をつかまれ、思わず立ち止まる。いつの間にか彼女と繋がれていた手は解かれていたようだ。
「羽瑠ちゃん‥どうしたの?」
やめてよ、綺香ちゃんと居るところなんて見たくない。話してるところなんて聞きたくない。今すぐここから立ち去りたい。
‥なんて思うだけで何も言えない私。
「いや‥なんでもない。あんまり夜更かしするなよ。おやすみ。」
いつものようにポンと頭に手を置き、優しく微笑む。
「羽瑠ちゃんこそ。おやすみなさい。あ、綺香ちゃんもおやすみっ。」
彼女の返事を聞くよりも早く、その場を後にした。
普段より鼓動が早いのは、階段を駆け降りたからだと自分に言い聞かせ、部屋までの道を急いだ。