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白球狐の夏  作者: 春雨 蛙
第一章 球春到来
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一打席勝負

「で、では、これより入部を懸けた1打席勝負を開始する!」


 審判役の根岸の宣言で勝負が始まった。


 こやつの方が儂らよりずっと緊張しておるな。

 儂はといえば、感慨に耽ける余裕すらあった。


 ああ……この土の臭い、マウンドの感触、懐かしいのぅ。

 何十年ぶりじゃろうか。

 儂、また野球ができるのじゃな。


 多少の身長差など全く問題はない。全部儂の剛腕で捻じ伏せてくれようぞ。

 野球ができる喜びを噛み締めるように、ゆっくりと投球モーションに入った儂が軽く左足を上げる。


 そして大きく右腕を振った次の瞬間にはボールがミットに収まる……はずもなく、キャッチャーのマスクに直撃しておった。


「がふっ!?」


 マスクが吹っ飛んで仰け反ったキャッチャーは、審判役の根岸と共に尻餅をついた。

 大牙もさすがに面食らったのか、目を大きく見開いておる。


「おぉい、審判。コールはどうしたのじゃ?」


「す……すす、ストライク!」


 しばらくコールを忘れておった根岸が慌てたように宣言した。


「な、なんだ今の!?」

「速ぇ……」

「目で追いきれなかった」

「1年生の投げる球じゃねえ!」


 部員たちが一斉にざわめき始めた。


 ふふん。昔もそうじゃったが、儂が投げると皆が驚きおる。

 久しく味わっておらぬ感覚じゃったが、これは良いものじゃのぅ。


「どうじゃー? 儂の真っ直ぐの威力は」


 誰も返事をする者はおらんかった。

 それだけ余裕をなくしておるということじゃろう。


 ならばとっとと終わらせてやるとしようかの。

 無言のまま勝負が再開され、儂は2球目を投じた。


 ボールは外角低めギリギリに決まり、大牙のバットが大きく空を切った。


「ストライク!」


 キャッチャーはミットからボールを弾いておった。

 初見で儂のボールを捕る方が難しいとはいえ、これでは締まらぬのぅ。


 それにしても大牙のやつめ、えげつないスイングをしよる。

 捉えられたらどこまでも飛ばされてしまいそうじゃ。

 ま、そう簡単には捉えられぬのが儂のボールなのじゃがな。


 何はともあれ、これで2ストライクじゃ。

 このまま三球三振といこうかの。


 3球目。儂は内角高め一杯に渾身のストレートを投じたのじゃが、大牙は食らいついてファウルにしおった。

 打球はバックネットに飛んでおる。


「なっ!?」


 タイミングが合っとるじゃと……?


「いいぞ倉敷!」

「打てるぞ!」

「やっちまえ!」


 野次馬が息を吹き返したように声援を送っておる。

 ま、まぐれじゃろ。

 いや、まぐれで儂のボールを当てられるとは思えん。どれ、試してやろう。


 儂は4球目を真ん中低めのギリギリでボールになるコースへと放った。

 大牙はそれを悠然と見送っておる。


「ボール!」


「やはり見えておるのか!?」


 ほんの少し投げただけじゃというのに、儂の球を見極められるとはのぅ。

 近年の高校野球では練習用に高速のピッチングマシンも導入されとるそうじゃから、速い球には慣れておるというわけか。

 じゃが、前に飛ばせるかどうかはまた別問題じゃ。


「ええい、くたばれえぇぇえええええええええーッ!」


 5球目。儂は内角低めに全身全霊のストレートを投じた。

 大牙はそれを器用に肘を畳みながら掬い上げると、ライト線に特大飛球を放ちおった。


「んなっ!?」


 あ、あと1メートル左にズレておったらホームランじゃったわ……。


「あー! 惜しい!」

「ボール見えてるよ!」

「次ホームランあるよ!」


 部員共はお祭り騒ぎじゃ。

 烏合の衆の分際で調子に乗りおって。

 じゃが、大牙の実力は紛れもなく本物じゃ。


「ふ、ふん。さすがの儂も真っ直ぐ一本で猛者揃いの高校野球界を渡り歩けるなどと思い上がってはおらぬわ。こうなれば奥の手を見せてやろうではないか!」


 ええい、これは甲子園大会用のとっておきなのじゃがな。

 負ければ入部は諦めると自分で申した以上、そうも言っておれぬか。


「ピッチャーびびってるよ!」

「強がらなくていいから!」


 くだらぬ野次すらも今は儂の力へと変換される。

 早くもこの魔球を試せる相手ができたのじゃ。

 考えようによっては僥倖と捉えるべきやもしれぬ。


 儂は大きく広げた人差し指と中指でボールを挟み込むようにして握ると、ストレートと同じ角度から腕を振り下ろした。


「ッ!?」


 さすがの大牙も度肝を抜かれたことじゃろう。

 ど真ん中じゃと思ったボールがホームベースの手前で下に落ち、バットが空を切ったのじゃから。


「ぐげっ!?」


 そして儂の魔球を捕り損ねたキャッチャーは股間を強打し、口から泡を吹きながら悶絶しておった。

 ま、ノーサインで儂クラスの投手から落ちる球を投げられたらそういうことにもなるじゃろう。ファールカップを着用しておらぬのなら御愁傷様じゃな。


「見たか!? これが高校野球界を席巻する儂の魔球! その名も『フォックスフォーク』じゃ!」


 儂は右手で狐の形を作ると、煽りの意を込めて耳に添えながら「コン!」と可愛く鳴いてやった。

 しかし、誰も反応を返す者はおらなんだ。


「ほれほれ、コールはどうしたのじゃ?」


「あ、あぁ。ストライク……バッターアウト」


 審判役の根岸が力なく呟きおった。


「これで儂の勝ちじゃな? しかし、キャッチャーが雑魚ではどうしようもないのぅ! 儂の球を誰も捕れぬようではせっかくの魔球も宝の持ち腐れになってしまうではないか! かぁー! 参ったのぅ! かぁー!」


 未だ勝利の興奮冷めぬ儂がマウンドから煽り散らかしてやった。

 これぞ勝者のみが許される特権、名付けてマウンドマウントじゃ。


「投げてくれ」


「んー?」


 見ると、いつの間にやら大牙がキャッチャーミットを持って構えておった。


「投げてくれ。俺ならお前の球を捕れる」


「なんじゃなんじゃー? 実力で儂に敵わず旗色が悪いと見るや、良き理解者ポジションに鞍替えする算段かえ? まったく調子の良いやつじゃのぅ! 後で『恒夫は俺が育てた』とか言いたいんじゃろ? 今更もう遅いのじゃ!」


「いいから投げてみろ」


 尚も大牙が食い下がりおる。


「ええい、先程からやけにグイグイきよるではないか! ぬしはアレじゃな、オレ様系とかいうやつじゃろ。壁に手をついて『ったく、オモシレー女』とか抜かすやつじゃろ? 瞳が持っておる漫画で読んだぞ!」


 儂も興奮状態にあるので、マウンド上から怒号を飛ばした。


「投げろモリツネ!」


「終いには命令形かえ!? ええい、そこまで言うなら投げてやるわい! 捕れるものなら捕ってみぃ!」


 さすがに堪忍袋の尾が切れた儂は、本気で大牙の顔面目掛けてストレートを投げた。

 儂の予想では捕り損ねて顔面グチャグチャの大惨事になるはずじゃ。

 防具もつけておらぬ愚か者には相応しい末路と言えるじゃろう。


「なっ!?」


 じゃが、大牙はあっさりと儂のストレートを捕球し、ミットからスバン、という重厚な音が鳴り響きおった。


「すげぇ!」

「さすが倉敷」

「簡単に捕ってるじゃないか!」


 周囲から感嘆の声が漏れ出ておる。


「次はここだ」


 大牙がミットをズラしてやや外寄りに構えおった。


「ええい、偉そうに指図するでない!」


 儂は怒りに任せて再び投げ込んだが、大牙は難なく捕球しておる。


「良い球だ。コントロールも悪くない」


「ふ、ふん。当然じゃろ」


 大牙に急に褒められた儂は思わず動揺してしもうた。

 まったく調子の狂うやつじゃ。


「ひゃ、156キロ……」


 どこから持ってきおったのか、スピードガンの表示を見た主将の根岸が驚愕しておった。


「速ぇ……」

「プロ並じゃねぇか」

「本当に高1かよ?」

「あの身体のどこにそんな力があるんだ?」


 部員たちが次々に儂を称賛する。

 くひひ、良い心地じゃのぅ。


「なんじゃー? たったの156キロかえ? 昔の儂ならもっと速い球を投げられたんじゃがのぅ! スピードガンのない時代じゃったから正確には言えぬが、ま、軽く200キロは出しとったわいのぅ!」


「分かった分かった。吹かしはいいから次はあのスプリットを投げてみろ」


「すぷりっとって何じゃ?」



 大牙の要求に、儂は首を傾げた。


「さっき投げていた変化球のことだ。スプリット・フィンガー・ファストボール。略してSFF」


 耳慣れぬ変化球じゃ。

 儂の知らぬ間に新しい呼ばれ方をするようになったのじゃろうか。


「うーむ、よく分からぬが、それを今から何とかしてスーパー・フォックス・フォークの略じゃということにできぬかの?」


「無理に決まってんだろ。つーかフォックス要素はどこにあるんだよ」


「それはもちろん儂が……い、いや、なんでもないわい。打者は狐に化かされたように三振するからじゃ」


 いかん。危うくボロが出るところじゃった。


「まぁ、お前がフォークだと言い張るならフォークでいい。とにかく投げてくれ」


「ふん、先程からぬしの調子に乗せられておるようで癪じゃが、望みとあらば投げてやるわい。捕れるもんなら捕ってみぃ!」


 儂は再びフォークの握りを作ると、大牙の顔面目掛けて全力で投げた。

 狙い通り球はホームベース手前で急速落下じゃ。


「くっ!?」


 案の定、大牙は球を弾きおったが、身体全体で止めて後逸はせなんだ。

 なかなか見上げた根性じゃ。


「ほれほれ、どうしたのじゃー?」


「大丈夫だ。もう一度頼む。次は捕ってみせる」


「ふん、ならば捕ってみぃ!」


 儂が2球目のフォークを投げると、今度は流れるような柔らかいグラブ捌きで捕球しおった。


「うぉおおおおお!」

「倉敷すげぇぇえ!」

「天才すぎんだろ!」


 歓声を上げた部員たちが一斉に拍手しておる。

 いや、その前にこんな凄い球を投げとる儂を称えるべきじゃろ。


「148キロ……この速度と変化量で投げられたら高校レベルではまず打てんな」


 スピードガンの表示を見た根岸がまた唸っておる。


「ふん、見惚れとらんでまず儂に言うべきことがあるじゃろうが」


「え?」


「勝負に勝ちはしたが、儂はまだぬしの口から正式に入部を認められておらぬが?」


 皆いつの間にか儂と大牙のやり取りに夢中になっとったが、元々これは儂が野球部に入部できるか否かの試験なのじゃ。

 ま、結果は聞くまでもないがのぅ。


「キャプテン」


 大牙が根岸を見た。


「くっ……不本意ではあるが、入部を認めざるを得んだろうな」


 根岸が悔しそうにほざきおった。


 何が「認めざるを得んだろうな」じゃ。鼻垂れ小僧の分際で気障な言い回しをしおってからに。厨二病とかいうやつかえ?


 まぁよい。儂は今すこぶるご機嫌なのじゃ。

 これで晴れて野球部に入部できるのじゃからな。


 入部試験で鮮烈な印象を残した儂は早々に試合に出してもらって活躍できるじゃろう。

 そしてテレビで見たあの甲子園の舞台でも脚光を浴びるに相違ない。


 儂は薔薇色の未来を夢想してほくそ笑むのじゃった。

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