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白球狐の夏  作者: 春雨 蛙
第五章 死闘黒海学園
38/40

最後の1球

「北浜高校、先ほど代打いたしました姫野君に代わりまして、鳥井君。9番、レフト、鳥井君」


「同じく先ほど代打いたしました氷上君が、そのまま入りセンター。1番、センター、氷上君」


 ネネは守備が壊滅的じゃからそのままベンチに下がり、守備固めで2年生の鳥井がレフトに起用された。


 氷上は交代することなく、そのままセンターの守備位置につきおった。 

 一応外野守備もこなせるそうじゃが、最終回のプレッシャーのかかる局面で大丈夫なのじゃろうか。


「黒海学園の選手の交代をお知らせします。8番、島田君に代わりまして、関君。バッターは、関君」


 黒海学園側でも代打が告げられた。

 最終回の下位打線ということもあり、打撃に特化した控え選手のお出ましということじゃろう。


 点差は2点。形振り構わず出塁を狙ってくるじゃろうな。


(先頭打者を出すわけにはいかぬ)


 右足は相変わらずズキズキと痛むが、ここで手を抜くわけにはゆくまい。


「くらえ!」


 儂が全力で腕を振ると、黒海学園の代打がフルスイングしたライナー性の当たりがセンター方向へと飛んだ。


 どうやら守備で交代したばかりの選手のところに打球が飛ぶという俗説は間違ってはおらぬらしい。


「センター!」


 皆の掛け声に呼応するかのように、交代したばかりの氷上が前方にダッシュして打球をスライディングキャッチしおった。


 後逸すれば長打やランニング本塁打の恐れもあったが、絶対に先頭打者を出して勢いをつかせまいとする氷上の勇気が生んだファインプレーじゃった。


「よっしゃあああああ!」

「ナイス氷上!」

「これもう本職だろ!」


 氷上のファインプレーに北浜側のベンチやスタンドが湧き立っておる。


 外野守備は全く問題ないようじゃ。

 問題があるのは打たれた儂の方じゃな。今一度気を引き締め直さねばならぬ。


 あとたったのふたりなのじゃ。


「黒海学園の選手の交代をお知らせします。9番、谷山君に代わりまして、西野君。バッターは、西野君」


 ここで黒海学園は再び代打を出しおった。

 上位打線の前にどうにかランナーを出しておきたいという魂胆なのじゃろう。


「くっ!?」


 2ストライクまで追い込んだ儂じゃったが、勝負球のストレートをレフト前に弾き返されてしもうた。


 甲子園常連校が2回戦で消えてたまるかという、王者の意地を感じさせる1打じゃ。


「1番、ショート、前田君」


 ここで打順は上位打線へと戻り、黒海学園の俊足打者が打席に立ちおった。

 顔には不敵な笑みを浮かべておる。


「バントあるぞ!」


「バント警戒!」


 内野陣が声を掛け合って互いを鼓舞しておる。

 実に頼もしい限りじゃ。


 打者は分かりやいバントの構えからバスターを敢行し、叩きつけられた打球はショートに転がった。


「ショート!」


「おう!」


 ショートの木村はゴロを捕球すると、瞬時に2塁は間に合わぬと判断して1塁に送球しおった。


「アウト!」


 塁審が高らかにアウトを宣言した。


 おそらく2塁に投げておれば間に合わず1塁もセーフになっておったじゃろう。

 黒海学園戦のエラーを払拭する堅実な良いプレーじゃった。


 これで2アウト2塁。

 あとひとりで試合終了じゃ。


「2アウトー!」

「いけるよ森宮!」

「声出していこう!」


 そうじゃ。あとひとりで勝ちなのじゃ。


 勝ちじゃというのに……またしても儂の悪癖が出てしもうた。


 前回のトラウマが脳裏をよぎって2番3番と四死球を続けてしまい、気づけば2アウト満塁じゃ。


「なぜじゃ。あとひとり抑えれば勝てるのに……あとひとり抑えれば勝てるのに……」


 もし1塁ランナーまでが生還すればサヨナラ負けの大ピンチじゃ。


 どうして儂はこうなのか。なぜ肝心なときに役に立てぬのか。


 そして迎えるバッターは……。


「4番、ファースト、首藤君」


 黒海学園の最強打者である首藤じゃ。

 2アウト満塁で4番打者。


 奇しくも先程の儂らの攻撃と同じ展開じゃった。


「首藤さぁぁあああああああああん!」

「2打席連続ホームランいきましょう!」

「サヨナラ勝ち決めてください!」


 黒海学園側からはこれ以上ないというほどの大声援が飛んでおった。


 儂の膝が緊張のあまりガクガクと震えておる。

 プレッシャーとは無縁じゃと思うておったのに、ここまで怯えてしまうとは儂も焼きが回ったものじゃ。


 しかし、この勝負で全てが決まるのじゃと思うたら、とても平常心ではいられんかった。


「タイム!」


 ここで初めて守備のタイムがとられ、1年生部員の伝令が走ってきおった。

 そやつも緊張しているらしく、顔が引き攣っておる。


「あの……監督が『楽しんでください』とのことです」


 マウンドに集まった大牙や他の内野陣の前で、そやつは事も無げにほざきおった。


 楽しむ? 楽しむじゃと?


 この状況で何を考えとるのじゃ、あの阿呆は。

 怒りに満ちた儂が北浜のベンチを見ると、監督の見川はいつものようにニコニコと笑っておった。


 とても正気の沙汰とは思えぬ。

 頭のネジが10本ぐらい外れておるのではなかろうか。


「ははっ、監督らしいな!」


 主将の根岸が笑うと、つられて他の内野手たちも笑いおった。


「何を笑うておる!? ヘラヘラ笑える状況ではないじゃろうが!」


 儂は思わず声を荒げた。

 こっちの気も知らずに、よくも気楽に笑えたものじゃ。


「こんな状況だからこそ笑うんだよ。監督が『負けてもいいから野球を楽しんでください』っていつも言ってんだろ」


 根岸が得意気に抜かしおった。


「いや初耳じゃが!?」


「それは普段お前が監督の話を聞いてねぇからだろ!」


 はて、見川はそんなことをほざいておったじゃろうか。

 たしかにいつも聞き流しておるから、記憶に残っておらぬのやもしれん。


「じゃが、この状況で野球を楽しむなど……」


「なぁ、これでも俺たちお前らに感謝してんだぜ? プロ並の球を投げる森宮に、超高校級捕手の倉敷。お前らがいてくれたから、あの黒海学園を相手にここまで良い試合ができたんだ。本当にありがとな」


 納得のいかぬ儂に、根岸が礼を言いおった。


「根岸……」


 驚いた儂は初めて根岸のことを名前で呼んだ。


「打たれても誰も文句は言わねぇし、もしいたら俺がそいつに文句言ってやるよ。だから楽しんで思いっきり投げてくれ!」


「根岸キャプテン……」


 大牙が感化されたように根岸を見つめておる。


 いかん。情に絆されるでないぞ大牙。

 こやつはただもっともらしい美辞麗句を並べ立てる自分に酔っておるだけじゃ。


 とはいえ……そこまで言われたら、儂も期待に応えてやらぬわけにはいくまい。


「内野に飛んだら俺たちが絶対止めてやるからな!」


 根岸の言葉を受けながら、儂らは守備位置へと戻った。


 ええい、根岸の分際で殊勝に主将らしいことをほざきおって。

 あやつも少しは器が整ってきたということじゃろうか。


 乗せられたようで癪ではあるが、とにかくやってやるわい。


「ストライク!」


 開き直った儂は、大牙の構えるミットに目掛けて直球を叩き込んだ。


 球速155キロ。

 9回まで投げ続けたことでスタミナを消費して足も痛めておったが、まずまずの球威と言えるじゃろう。


 あとひとり。たったのひとりなのじゃ。


「ボール!」


 2球目と3球目のボール球は悠然と見極められてしもうた。


「くっ!?」 


 4球目の直球はフルスイングで弾き飛ばされると、ライト線ギリギリの特大ファウルとなった。


 あわやホームランかという当たりじゃ。


「あああああああああああああ!」

「惜しぃぃいいいいいいいい!」

「いけるっすよ首藤さん! トドメさしてください!」


 球場でどよめきと歓声が交錯しておる。


「ボール!」


 どうにか2ストライクまでは追い込んだものの、5球目の釣り玉を見切られ勝負はフルカウントにまでもつれ込んだ。


 あと1球でもボールになればその時点で押し出しの点が入ってしまうではないか。


 それを理解した儂は、再びマウンドでがっくりと崩れ落ちそうになった。


「モリツネ! しっかりしろ!」


 ここで二度目のタイムを取った大牙が慌てて駆け寄ってくる。

 他の連中は敢えて二人だけにした方が良いと判断したのか、後方で心配そうに見守っておった。


「やはり儂には無理みたいじゃ……」


 弱気になった儂が項垂れた。


「モリツネ?」


「もう何を投げても打たれる気しかせぬ。空元気で奮い立たせようにも怖いものは怖いのじゃ。のぅ、今からでも遅くはない。氷上に交代してもらえぬか?」


「はあ?」


 大牙が非難がましい目を向けてきた。


「あやつは左投げじゃし、ワンポイントで通用するやもしれん。それにあやつは3年じゃろ? 仮に打たれても儂が打たれるよりは納得できると思うのじゃ。もし儂がこのまま投げて打たれたら大迷惑じゃし、あやつらにも顔向けできぬ。な? よいじゃろ、交代しておくれ……」


「ふざけんなッ!」


「ひ!?」


「この状態で交代される方が氷上先輩にも迷惑だろうが。自分が逃げ出したいからって人をだしに使ってんじゃねえぞ。こんなところで終わるために今まで頑張ってきたのか? 俺はそんなの絶対に認めねえし許さねえからな!」


 儂は大牙のあまりの剣幕にたじろいてしもうた。


 興奮するとオラつきよることは知っておったが、ここまで暑苦しい男じゃっただろうか。


 儂の知っておる大牙は、もっと静かに闘志を燃やす男だったはずじゃ。


「ではどうすればよいのじゃ。もしこれで打たれでもしたら儂は……」


「打たれろよ」


「なっ!? 何を申しておるのじゃ!」


「打たれろって言ってんだよ。ただし本気で投げろ。俺を殺す気で投げろ。それで打たれたなら仕方ねえ。そのときは俺も一緒に心中してやる!」


 血走った眼をした大牙が吠えおった。


 ああ……やはりこやつはオレ様系じゃ。

 やはりこやつはオラオラ野郎じゃ。

 やはりこやつは脳味噌マラボウのドスケベ男じゃ。


 興奮して理性を失っておるとはいえ、なんという大口を叩きよるのじゃろうか。


 じゃが、おかげで儂も腹を括れるというものじゃ。


「そうか……そこまでの覚悟かえ。ならば儂も承知した。ぶち殺してやるわい!」


 儂は大牙を睨みつけた。


「おう、やってみろよ!」


 大牙も儂を睨み返してきおった。

 おそるべき負けん気の強さじゃ。


「のぅ、大牙」


 儂は守備位置に戻ろうとする大牙を呼び止めた。


「ん?」


「ありがとう……」


「お、おう」


 儂が吹っ切れた笑顔で素直に礼を言うと、大牙は気恥ずかしそうに戻っていきおった。


 何を照れとるんじゃ、あやつは。


 まぁよい。泣いても笑っても次が最後の1球じゃ。


 もし1点返されて同点のまま延長タイブレークに突入しても、儂らは体力的にも精神的にも戦力的にも黒海学園には敵わぬじゃろう。


 なればこの1球に全ての魂を込めて投げ込むだけじゃ。


 腕が千切れても良いつもりで、大牙をぶち殺すつもりで。

 文字通り全身全霊の真っ直ぐを投げ込んでやろうではないか。


(もう絶対に逃げぬ!)


 思えば儂はこれまで多くの物事から逃げ続けてきた。


 何かとあればすぐに不貞腐れ、名を変え姿を変え、住処を変えてはあらゆる局面から逃げ続けてきたのじゃ。


 戦後プロ野球に誘われて一度は野球を辞めてしもうたのも、色々な人間関係やしがらみが面倒になったからじゃった。


 逃げるのは簡単じゃ。面倒事に向き合わずに済むのじゃからこれほど楽なことはない。じゃが、安易に逃げ出したことでつく逃げ癖というのは容易には治らず、いずれ逃げ続けたツケを清算せねばならぬときがくる。

 

(瞳……)


 儂はポケットに入れてある、瞳がくれたお守りに軽く手を触れた。


 瞳と出会って野球を再開するまでの儂は、とても褒められたような生き方をしておらなんだ。儂が今こうしていられるのも瞳のおかげなのじゃ。


 瞳、感謝しておるぞ。儂が野球をやると申したときに瞳は驚いておったが、結局はいつものように献身的に支えてくれたのぅ。


 瞳は仕事で忙しいじゃろうに、毎日旨い飯を用意してくれて、儂が泥だらけにした練習着を文句のひとつも言わずに洗濯してくれた。


 そしてけっして余裕があるわけではない生活の中から野球道具を買い揃えて、金銭的にも儂を援助してくれたのじゃ。


 瞳はいつも自分のことよりも儂のことを優先してくれた。本当に心の優しい娘なのじゃ。


 瞳よ、儂に力をくれ。

 この臆病な儂に、今一度勇気をくれ。


(これで最後じゃ……)


 そして投球モーションに入った瞬間、これまでの様々な思い出が走馬灯のように頭をよぎった。


 入学早々に飲酒で停学になったこと。入部試験で大牙に挑んだこと。

 春季大会で打たれてマウンドで号泣したこと。合宿で部の皆と騒いだこと。


 短い間じゃったが、儂は濃密すぎる時間を過ごした。

 この怠惰に過ごしておった数百年の時間よりも遥かにのぅ。


 じゃからこれは恩返しじゃ。


 愉快な思い出をくれた人間たちに、妖である儂からの恩返しじゃ。


「くらぇぇぇぇぇえぇぇぇぇええーーッッッ!」


 もうこれで選手生命が終わってもよい。


 儂は渾身の力で右腕を振り下ろした。


「ッ!?」


 そして儂の右腕から繰り出した真っ直ぐは首藤のバットを空振りさせると、大牙の構えるキャッチャーミットへと収まった。


 それは自己最速を2キロ更新する、161キロのストレートじゃった。


「やった……のかえ?」


 儂は一瞬何が起きたのか分からんかった。


 球場全体が静まり返っておる。


 たしかにこれで勝ったはずじゃ。

 じゃが、儂にはまるで永遠の静寂に思えた。


 やがて……。


「ストライク! バッターアウト! ゲームセット!」


 審判の合図と共に試合終了が告げられ、地鳴りのような大歓声が球場全体を包んだのじゃった。


 大牙や他の野手陣が駆け寄ってきて儂をもみくちゃにしておる。まるで優勝したかのような騒ぎじゃ。


「よくやった森宮!」


「っしゃオラァあああああああああああ!」


「勝ったぞぉぉおおおおおおおおおおおおお!」


 部員たちが大喜びしておる。

 儂は喜ぶよりも先に瞳のことを考えた。


 瞳は儂の活躍をしっかり見ていてくれたじゃろうか?


 瞳はどこじゃ。瞳はどこにおる。瞳に会いたい。瞳の手料理が食べたい。瞳の乳を揉みたい。瞳と風呂に入りたい。瞳と一緒の布団でぐっすり眠りたい。


 儂が北浜側の応援席を見上げると、瞳はハンカチで目元を拭っておった。


 ああ……愛いやつよ。

 今夜はたっぷり可愛がってやらねばな。


 次に儂は北浜のベンチを見た。


 監督の見川は相変わらずニコニコと笑いながら頷いておる。


 ネネは儂を見ながらピースしておるではないか。


 そしてマネージャーの立花は……立花はベンチに座ったまま鼻血を出しながら安らかな表情で事切れ……否、失神しておった。


 ベンチからは「大丈夫か立花!?」「熱中症か!?」という声が飛び交っておる。


 その光景を見て、儂はようやく勝利を実感したのじゃった。

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