夏の初戦
「根岸ってさ、くじ運悪いよね」
夏の大会当日。
球場で3年生投手の氷上が主将の根岸をいじりおった。
「うるせー。自覚してるっつーの」
根岸が悪態をつく。
もう随分前から対戦相手は判明しておったが、抽選会で根岸は2回戦であの因縁の相手『黒海学園』と当たる場所を引き当ておったのじゃ。
そして初戦の相手も決して弱くはなく、去年の予選でベスト8に入った『芝山商業』ときておる。こやつは前世でどんな悪行をしでかしたのじゃろうか。
春季大会を優勝して第1シード権を勝ち取った黒海学園は、儂ら北浜高校と芝山商業の勝った方と対戦する形になる。ま、もちろん勝つのは儂らじゃがの。
「ふん、甲子園に行くためにはいずれ倒さねばならん敵なのじゃ。対決は早いほうがよいじゃろう」
儂は前向きに解釈した。
「そ、そうだな。強豪校でも夏の初戦の入りは難しいと聞く。初戦を突破して勢いに乗った状態なら充分につけ入る隙はあるだろう!」
擁護されて嬉しかったのか、根岸が珍しく儂に同意した。
まぁ、まずは初戦に勝つことが重要なんじゃがの。
「う……ちと厠じゃ」
「ちゃんと時間までには戻ってこいよ!」
急に尿意を催した儂は、根岸の声を背に球場の厠へと向かった。
緊張とは無縁じゃと思っておったが、さすがの儂もソワソワしておるのじゃろうか。
「……ふぅ、間に合ったわい」
儂は小便器の前で一息ついた。
これで用を足すのもすっかり慣れたものじゃ。
慣れすぎて家でもつい立って用を足すようになったのじゃが、その度に瞳に「掃除が大変だから座ってして!」と叱られておるわい。
「ねぇボク、少年野球の大会はここじゃないよ?」
やがてスッキリした儂は手を洗って立ち去ろうとしたのじゃが、他校のユニフォーム姿の男たちに絡まれてしもうた。
見れば今日の初戦の相手である芝山商業の連中ではないか。
連れ立って厠に来た芝山商業の連中が儂の身長を見て笑っておるのじゃ。
「わーっとるわい」
「ボク、ポジションはどこですか?」
わざと儂の目線まで屈んだ男が煽ってきおった。
「ピッチャーじゃが?」
「ぷっ……あはは! こりゃいいや! 初戦は楽勝だな!」
芝山商業の連中が腹を抱えて笑っておる。
まったく、無礼なやつらじゃ。
「ふん、ぬしは態度がでかいのに、ナニは小さいのぅ」
儂は隣で用を足そうとしておったその男のモノを覗き込んで鼻で笑った。
「あぁぁあああ!? 殺すぞチビがぁ!」
急に激昂した男が下を丸出しにしたまま儂の胸倉を掴みおった。
男の仲間たちは爆笑しておる。
「手を洗わぬか! 手を! 汚い手で儂に触れるでないわ!?」
そのとき、個室から水の流れる音が聞こえたかと思うと、中から悠然と大牙が出てきおった。
連中は同じ北浜のユニフォームを着ておる大牙と儂を交互に見ておる。
「で、でけぇ……」
185センチはある大牙は相手にかなりの威圧感を与えたようじゃった。
「こいつ倉敷だ」
「ほら、あの霧島シニアの4番」
「何で北浜みたいな弱小校に……」
そして顔も割れておるらしく、芝山商業の連中がたじろいだ。
「うちの者に何か御用ですか?」
不機嫌そうに大牙が呟いた。
「あ、いや……」
「では失礼しますね」
「あ、あぁ……」
大牙がぐいっと儂を引っ張っていきおった。
「いや、じゃから先に手を洗わぬか」
どいつもこいつも衛生観念はどうなっておるのじゃ。
「何やってんだお前は」
厠から離れるなり、大牙が呆れたように言った。
「儂は何もしておらぬ! 向こうが勝手に絡んできただけじゃ!」
「横で聞いてたから知ってる。まぁ無事で良かったよ。試合前にトラブルは避けたいからな」
安堵したように大牙が微笑んだ。
「ふ、ふん! 格好つけおって! 何が『うちの者に何か御用ですか?』じゃ。腹壊して糞を撒き散らしとったくせに粋がるでないわ糞っ垂れめが!」
「お前は本当に人に感謝するって発想がないよな。まぁお前らしいよ。今日の先発、頼んだぞ」
「言われんでも分かっとるわい!」
そして儂らは『芝山商業』との初戦に臨むのじゃった。
1番センター 中林
2番セカンド 根岸
3番ピッチャー 森宮
4番キャッチャー 倉敷
5番ファースト 鍋島
6番ライト 古川
7番ショート 木村
8番サード 磯山
9番レフト 塩田
今日のオーダーはこうじゃ。
奇しくも春季大会の初戦と同じになっておる。
3年生投手の氷上には悪いが、最後までベンチを温めてもらうことになるじゃろうな。
「守ります、北浜高校のピッチャーは、森宮君」
場内アナウンスが告げられ、儂は軽く投球練習をした。
「ぎゃはは! マジであのチビが先発かよ!」
先ほど厠で出くわした芝山商業の者共がベンチから儂を指さして笑っておる。
ふん、こやつら儂が黒海学園を相手に九者連続三振したことを知らぬのじゃな。
ま、注目度の低い春季大会じゃった上に0対11のコールド負けじゃったから、そこまで話題にならんかったのやもしれぬがの。
「キャッチャー、倉敷君」
じゃが、大牙の名が告げられると、相手側のベンチからもスタンドからも「おぉっ」という声が漏れた。
こやつは何でそんなに有名なのじゃろうか。いくら中学時代に全国優勝したとはいえ、ちとおかしいじゃろ。あれか、顔が良いからか。
「プレイボール!」
審判の宣言で試合が開始した。
「さて、初球で黙らせてやるとしようではないか。のぅ大牙?」
「ああ。ビビらせてやれ」
頷いた大牙に向かって儂はゆっくりと足を上げると、大きく腕を振り下ろした。
われながら惚れ惚れするような豪速球が大牙のミットに収まり、芝山商業の先頭打者は腰を抜かしておった。
「え……」
電光掲示板には158キロと出ておる。
しばしの静寂の後、球場全体がどよめいた。
きひひ、これじゃ、この瞬間がたまらんのじゃ儂は。
「……打てるかよ、こんな球」
そして打者3人を連続三振に切って取った儂らは、その裏に大牙の先制満塁ホームランも含む一挙6得点を上げ、芝山商業を大きく突き放したのじゃった。
大牙や儂だけでなく、他の部員たちもよく打っておる。
大会までに重点的に打撃を鍛えたおかげで、課題のひとつじゃった得点力の弱さも改善されたというわけじゃ。
勢いに乗った儂ら北浜ナインはその後も毎回のように得点を重ね、4回の裏には駄目押しに秘密兵器のネネが代打へと送られた。
「ようやくあたしの出番ね。待ちくたびれたわよ」
ネネは代打で3ランホームランを放ち、気づけば5回の表の時点で儂らは12対0の大差でリードしておった。
その5回の表も既に2アウトまできておる。
あと1アウトでコールド勝ち。
もう勝ったも同然じゃった。
「ふん、最後の打者はぬしかえ」
よく見れば厠で儂の目線まで屈んで煽ってきおったやつじゃ。
やり返すにはもってこいの相手といえるじゃろう。
「ちくしょう! こんなところで終わってたまるかよ!」
芝山商業の打者は必死に食らいついてきおった。
ま、無駄な抵抗じゃ。
「きひひ、少年野球と侮った相手の球を受けるがいい」
そして投じた儂の渾身の真っ直ぐを打者は何とか当ておったが、打球はボテボテとショートの正面に転がっておる。一瞬、黒海学園での悪夢が頭をよぎったが、当然その程度は捕れるのぅ、木村よ。
「おう!」
ショートの木村が打球を軽快に捌いて1塁に送球した。
誰がどう見ても余裕のアウトじゃ。
じゃが……。
「うぉぉぉおおおおおおおおおおお!」
芝山商業の打者はヘッドスライディングを敢行しおった。
「アウト! ゲームセット!」
わあああああ、と勝利の歓声が北浜ナインから上がる。
ふん、当然の結果じゃ。
終わってみれば12対0のコールド勝ち。
儂は一度四球でランナーを出したのを除けば、一度も安打を許さぬノーヒットノーランのピッチングじゃった。
芝山商業の打者は1塁ベースに突っ伏したまま、しばらく起き上がれんかった。
「きひひ、どう見ても間に合わぬのに頭から滑り込みおって。あれか、思い出ヘッスラとかいうやつかえ? 惨めじゃのぅ。どれ、どんな馬鹿面を晒しておるのじゃ……? ぁ……」
試合終了の整列前、打者の顔を覗き込んだ儂は言葉を失ってしもうた。
こやつ……泣いとる。
そやつは人目も憚らずに号泣し、涙や鼻水で顔をグチャグチャにしておった。
「勝ったのに浮かない顔だな」
試合後、外のベンチで沈んだ顔をしておる儂に大牙が声をかけてきた。
「あ、いや、あの最後のバッター泣いとったのぅ」
「3年生だったみたいだからな。きっと最後の夏で気持ちが込み上げてきたんだろうよ」
大牙は不敬にも儂の許可も取らずに隣に腰掛けてきおった。
まったく馴れ馴れしいやつじゃ。
「最後……あやつは明らかに間に合わぬのに頭から滑り込んでおった。駆け抜けた方が速いじゃろうに」
儂は最後の光景を思い出した。
泥だらけになってまで滑り込んだ打者。あの泣き顔。
どうにも目に焼き付いて離れんかった。
「ああ。あれはもう理屈じゃないからな。俺も負け試合で経験あるんだが、頭では駆け抜けた方が速いと分かっていても身体が勝手に動くんだよ。今まで必死にやってきた練習や仲間たちとの思い出、このままで終わりたくないという気持ち。そういうのが溢れてきて身体を突き動かすんだ。トイレで見た限りでは嫌な連中だったが、高校野球に真剣に取り組んできた気持ちは本物だったんだろうな」
大牙が知った風な口を利きおった。
「ふむ……」
「高校野球は一生に一度しかできない。だから気持ちを熱くさせるし、見る人を魅了するんだ」
そうか……。
儂が去年の夏に見たあの高校野球中継。
あれを美しいと思ったのは、羨ましいと思ってしもうたのは、定命の者たちが有限の時の中で魂を燃やしながら全力で戦っておったからじゃ。
そして儂は……悠久の時を生きる儂は……ただ人間にチヤホヤされたいなどという身勝手な理由で干渉してしまったのじゃ。人間たちの晴れの舞台を奪ってしもうたのじゃ。
「のぅ大牙」
「ん?」
「もし、もしもじゃぞ? 儂が人ではなかったとしたらどうする?」
「はあ?」
大牙が何を言ってるんだこいつは、という目を向けてきた。
「じゃからもしもの話じゃ! もし儂が人ではなかったとしたら、そんな儂が人間同士で切磋琢磨しておる高校野球の世界に干渉して、滅茶苦茶にしてしまってもよいのじゃろうかと思うたのじゃ……」
「何を言い出すのかと思えば……。あのなぁ、その身長で160キロ近い球を投げるピッチャーだぞ? 俺はお前が人間じゃなくても驚かねえよ」
「じゃから真面目な話じゃ!」
ええい、こやつまだ冗談じゃとでも思っておるのじゃろうか。
儂は正体がバレるリスクを背負ってまで真剣に話しておるというのに。
「仮にお前が人間じゃなかったとして、それがどうしたってんだ?」
「なっ!?」
「お前が人間だろうと化け物だろうと、これまで辛い練習に耐えて一緒にやってきた事実は嘘じゃないだろうが。それに何を今更殊勝な態度で良いやつぶっているんだ? 所構わず煽り倒して、人が苦しんでる姿を見たら指を差して笑うのがお前だろうが」
「一体ぬしは儂を何だと思っとるのじゃ……」
大牙の儂への印象がよく分かった気がする。
「モリツネは黒海学園に負けて悔しくなかったのか?」
「そ、それはもちろん悔しかったに決まっておる!」
儂は四死球の連発で自滅して、マウンド上で号泣した。
あんな屈辱的な思いはもう二度とご免じゃ。
「俺も負けて悔しかったさ。黒海学園の誘いを蹴った俺だが、やっぱり負けると悔しいし、あいつらに勝ちたいとも思った。だったらもう腹を括ってリベンジするしかないだろうが。もう俺は、俺たちは誰にも止められないし、止まらないし、止まるつもりもない。行き着くところまで行くぞオラッ!」
大牙が血走った眼で吠えおった。
駄目じゃこやつ、完全に興奮しておる。
やはりこやつはオレ様系じゃ。
やはりこやつはオラオラ野郎じゃ。
やはりこやつは脳味噌マラボウのドスケベ男じゃ。
線路を脱線して走り出した暴走機関車を止めることなど儂にはできん。
こやつの言う通り、もう行き着くところまで行くしかないのじゃ。
じゃが、おかげで迷いが吹っ切れたわい。
そうとも。儂に恥をかかせたガキ共を相手に何を遠慮する必要があるのじゃ。
待っておれよ黒海学園。
貴様らを供物にして、勝利の女神を降臨させてくれるわ。




