東堂九姉妹
6月上旬。
来月に控えた夏の予選に向けて儂らは本格的な練習に入っておった。
今日も今日とて猛練習で身体をいじめ抜き、儂の身体はくたくたじゃ。
帰宅したらさっそく瞳の凶暴なデカ乳を成敗してやらねばならぬ。
「ぬわああん疲れたのじゃあああああああ!」
「あ、ツネちゃんおかえりー」
「瞳ぃぃぃいいいいいいい!」
儂は玄関で出迎えた瞳の姿を見るなり、胸に目掛けて飛びついた。
「ふふっ、相変わらず甘えん坊さんだねぇ」
瞳が儂の頭を優しく撫でた。
はて、今日の瞳はやけに落ち着いておるのぅ。
いつもはもっと初々しい反応なのじゃが、さすがに慣れてきたということじゃろうか。
「瞳ぃ、按摩してくれぃ」
リビングに移動すると、儂はソファにごろりと寝転がってみせた。
「うん。いいよ」
「ふぅ、今日も疲れたのじゃあ」
儂は瞳に背中を見せる形で無防備に身体を弛緩させた。
「ツネちゃんってさ……」
そんな儂の脚を瞳がいつもより大胆に揉み始めておる。
「おん?」
「下半身がどっしりしてきたよね」
どこか湿度を感じさせる声じゃった。
いきなり何を言い出しおるのじゃ、こやつは。
「毎日激しい運動をしておるからの。妖といえども多少の体形変化はあるじゃろうな」
日頃からあれだけ投げ込みや走り込みをすれば筋肉もつくじゃろう。
現に発達した尻なんぞはジャージ越しからもハッキリと分かるくらいに突き出ておった。
「へぇ……」
「瞳? なんか触り方がいやらしいのじゃが……」
瞳が儂の尻を卑猥な手つきで触っておる。
まるでいつもの儂みたいじゃ。
「えー、そんなことないよー」
否定しつつもその手はするすると儂の局部へと移動を始めおった。
「こ、これ! どこを触っておるのじゃ!?」
「ふふっ……」
儂は身をよじると、恐る恐る瞳を見た。
こやつ、目が勃っておる……。
さすがにおかしい。
瞳はこんなことをする娘ではない。
この反応……そして巧妙に隠されてはおるが、微かに感じる妖気。
練習の疲れで気づくのに遅れてしもうたが、こやつは瞳であって瞳ではない。
「誰じゃぬしは!?」
儂は飛び起きると、瞳の姿をしておる存在から距離を取った。
「えー、私は私だよー」
瞳がクスクスと妖しく笑っておる。
いや、もう正体は明らかじゃ。
こんなことをするのはあやつくらいしかおらぬ。
「ネネじゃろ?」
儂は数十年ぶりにその名を呼んだ。
「ネネって誰のこと?」
「とぼけるでない! もう分かっておるのじゃぞ!」
「なぁんだ、つまんない」
「瞳は無事なんじゃろうな!?」
「この人間のことかしら? ちょっと取り憑いてからかっただけだから安心しなさいな」
そう言うなり、瞳の身体から黒い影が抜け出した。
瞳は糸が切れた操り人形のように崩れ落ち、黒い影はやがて少女の姿になった。
見た目だけは可憐な少女じゃ。
中身が儂よりも歳を取っておることを除けばの。
「瞳!? しっかりせい!」
儂は瞳の身体を揺さぶった。
「ツネちゃん……あれ、私どうしたんだろう?」
「ぬしは取り憑かれておったのじゃ。あの悪辣な化け物にの」
儂は忌々しそうにネネを睨んだ。
こやつは瞳に取り憑いて記憶や思考を読み、口調を真似ておったのじゃろう。
「あら、実の姉に向かって化け物とはご挨拶ね。アンタだって似たようなものじゃない」
「えっ、ツネちゃんのお姉さん……?」
瞳がキョトンとした顔でネネを見た。
目覚めたばかりでまだ状況があまり理解できておらぬようじゃ。
「初めまして人間。あたしは東堂ネネ。あの東堂家の八女にして、そこにいる出来損ないの姉よ」
「東堂家?」
「聞いたことないかしら? 東堂九姉妹といえば昔は有名だったのだけれど?」
ネネが誇らしそうにほざきおった。
「……ごめんなさい。ないかも」
「そう。ま、今時の人間じゃ仕方ないわね」
きっと内心では動揺しておるじゃろうに、ネネは涼しい顔じゃった。
こやつは東堂の名を何よりも大事にしておるからのぅ。
「それで、何をしに参ったのじゃ?」
儂はネネを問い詰めた。
事と次第によっては即刻叩き出してやろうではないか。
「……見たわよ、これ」
ネネが携帯の画面を差し出してきた。
「な、なんじゃこれ……」
画面には『春季大会で1年生投手が158キロ!』と書かれておった。
どうやらどこぞのニュース記事のようじゃ。
初戦で敗退したとはいえ、ちょっとした騒ぎになっておったらしい。
「アンタ人間社会で随分と派手に暴れてるみたいね。妖が人間の高校生に化けて野球やるだなんてイカれてるわ。もう飛んだり跳ねたりする歳でもないでしょうに、恥ずかしくないのかしら?」
「ふん、儂がどこで何をしていようと余計なお世話じゃ。わざわざストーカーのように追いかけてきおって、どんだけ儂のことが好きなのじゃ?」
「アンタのことなんてどうでもいいけれど、東堂家の恥になることだけはやめなさいな。この件をお母様や他のお姉様方が知ったら何と仰るかしら」
ネネが挑発するような顔で笑いおった。
「儂は家出した身じゃぞ? もう母上や姉上たちは関係ないわい」
「そういうわけにはいかないわ。アンタがどこで何をしていようが東堂家の名はついて回るのよ。東堂九姉妹の末女という自覚を持ちなさい」
ネネが諭すように抜かしおった。
何かとあらば東堂家、東堂家と。
じゃからこやつは面倒なのじゃ。
「ツネちゃんって末っ子だったんだ……なんか意外」
そんな儂らのやり取りを見守っておった瞳がおずおずと口を開いた。
「どこがよ。甘えん坊でワガママで泣き虫で、どこからどう見ても典型的な末っ子じゃない。コレで人間に対しては年長者マウントをとってくるところが笑いどころだから笑ってあげてちょうだい」
「あ……あはは」
「笑うでない!?」
儂は遠慮がちに追従笑いする瞳に声を荒らげた。
屈辱じゃ。よもやこんなところで秘密を知られてしまうとは。
儂の威厳が崩れたらどうしてくれるのじゃ。
「でも、九姉妹だったら野球のチームが作れちゃうね」
瞳が呑気に言った。
「……」
儂とネネが無言で顔を見合わせた。
「あ、あれ、私何かマズいこと言っちゃったかな?」
「のぅ瞳よ。言霊というものがあってじゃな。そんなことを申して本当に姉上たちと野球をする展開になったらどうするのじゃ」
「ありえないわね。あたしや他のお姉様方がくだらない球転がしなんてやるわけないじゃない」
ネネが鼻で笑いおった。
「野球がくだらない球転がしじゃと……? ま、たしかに阿婆擦れのぬしは男の玉転がしの方がお似合いじゃのぅ」
「なんですって……?」
ネネが眉をピクリと吊り上げた。
こやつの男好きは相当なものじゃからのぅ。
東堂家に関することを除けば、常に男の話をしておるようなやつじゃ。
「いい歳して股っぴらきのようにヒラヒラした布きれを身に纏いおって。痛々しいやつじゃのぅ」
「女の子はいつでもお洒落しなくちゃ。乙女心を忘れた瞬間から老化するのよ」
「ふん、男にモテたいという不純な動機じゃろうが。そんなにモテたければ都のナントカ公園とかいう場所で携帯を弄りながら突っ立っておればよい。すぐに男が寄ってきよるらしいぞ?」
「アンタって相変わらずデリカシーの欠片もないわね。昔は『姉上!』『姉上!』って、あたしの傍を離れなかったくせに」
「いつまで昔の話を擦っておるのじゃ。まるで成長しておらぬの」
きっとこやつの時間は何百年も止まっておるのじゃろう。
家と昔の記憶に縛られる哀れな女じゃ。
「ツネちゃんの過去ってそんな感じだったんだ……ほら、ツネちゃんって意外と自分の話はあんまりしてくれないから」
「ま、良い女に秘密はつきものじゃからの」
儂は後ろめたさを隠すようにおどけてみせた。
「きっとボロが出るから話したくなかったんでしょうね。ふふっ、ツネの情けなさときたら見ものだったわよ。『姉上ーッ! 隣村のやつらが儂をいじめるのじゃー!』『姉上ーッ! 母上の大事な壺を割ってしもうたのじゃー!』『姉上ーッ!』」
「ええい、よさぬか!? ま、ぬしの他の姉上たちに対する三下ムーブの方こそ見ものじゃったがのぅ。唯一の妹である儂の前でだけは偉そうにしておるが、他の姉上たちの前ではペコペコペコペコとそれはもうコメツキバッタみたいにのぅ」
「今なんて言ったのかしら?」
「きひひ、今でも姉上たちの使いっ走りかえ?」
「どうやらアンタにはキツいお仕置きが必要のようね……」
ネネが怒りで肩を震わせおった。
今にも飛びかかってきそうな気配を醸し出しておるではないか。
単純な腕力はネネの方が上じゃが、妖力ならば儂の方に分がある。
久々に暴れてやるとしようかのぅ。
「ま、まぁまぁふたりとも! せっかく久しぶりに会えたんでしょ? ケンカはやめにして一緒にご飯でも食べようよ。すぐ作るね」
「なぜ儂がこんなやつと飯を食わねばならぬのじゃ!?」
「へぇ……瞳だっけ? 気の利く人間は好きよ」
儂は抗議したが、ネネは感心しておるようじゃった。
「ネネさん、今日はもう遅いしよかったら泊まっていってね」
いかん。瞳がおもてなし状態に入っておる。
放っておけば際限なくネネを甘やかせてしまうじゃろう。
「……そうね。この馬鹿な末妹と積もる話もあるし、お言葉に甘えさせてもらおうかしら」
「儂は反対じゃぞ!?」
「あっそ。別に今すぐ帰ってお母様たちに告げ口してもいいのよ? そうなれば家に強制送還コースで野球どころじゃなくなるでしょうけど」
「くっ……」
思い出した。
こやつは姉上たちの間で『チクリのネネ』と呼ばれておったほどのチクリ魔なのじゃ。
母上の手先のような女じゃった。
ええい、面倒なことになってしもうたわい。




