三.理想の道
僕は結婚、ということに魅力は感じなかったが、いい歳になったら「自分はするものだ」と思って生きて来た。いつからか、自分は「持っている側」で「持っていない側」の人間とは違う、そんな偏見さえあったように思う。彼女、に困ったことは無かったし、友達、にも恵まれていた。皆、口を開けば恋愛の話をし、そういった悩みがある僕たちは、無い者よりも優れているとさえ思っていたのかもしれない。
「雄介、遊び行こうよー」
「うん、ええよ。どこがいい?」
「私ね、水族館行きたい!」
「じゃあ今度の週末どう?」
「やったー、すごく楽しみにしてるね」
サラサラのロングヘア、細身のジーンズが似合う沙耶は学生時代から付き合っていて、今はお互い社会人だ。沙耶から誘われて遊んでいくうちに、僕たちは付き合うんだろうなと、僕は確信していた。沙耶の心には僕がいて、彼女はいつでも嬉しそうだった。
ーーこの人と結婚して、同級生に冷やかされて、子供が産まれて。一生を添い遂げる、それは何不自由ない幸せな生活だろうな。
そう思う一方で、僕は学生時代とは違う社会人のバランスの取り方の難しさも感じていた。
「今日は少し休みたい」
そう言いたいと思う日は幾度もあった。沙耶の心には僕がいる、それは間違いないのだ。けれど、僕の心には沙耶の他にも色々な感情がグルグルと回っていて、沙耶が占める部分は少し減ったように感じていた。それを誤魔化すように僕は沙耶と過ごし、僕自身の感情を抑えていた。
「やっと今度の連休休みが合うね。早く出かけたいな」
嬉しそうな沙耶に僕は苦笑いで答えた。
「落ち着いた所行かない?温泉なんてどう?」
「えー、おじいちゃんだよそんなの。今度は遊園地行ってはしゃごうって雄介が言い出したんだから、ね?」
「そうだったよな、ごめんごめん。ホテル予約しておくよ」
「温泉だったらどうしようかと思っちゃった。旅行久しぶりだから、目一杯楽しもうね!早く連休にならないかな」
上機嫌で沙耶はフライパンに卵を割って入れた。今日は雄介の好きなオムレツ作るね、と自信満々にウィンクをした。沙耶といるのは楽しい、器量も良くて料理も美味しい、友達も多く人望もある。仕事も上手くやっているし、多くの人に「雄介は幸せでいいよな」と羨まれる。僕もそう思っていたし、思っているし、思っていたい。
そんな生活が3年、続いた時僕は彼女に再会した。
「久しぶりだねー」
相変わらず彼女はそのままで、目を細めて笑っていた。3年前会った時からほとんど変わらない見た目で、袖口から少し出ていた腕は沙耶に比べて随分ぷっくりとしているな、と僕は思った。
「お久しぶりです、今日の主催は坂下さんですか?」
「今日はね、辰巳先輩と時枝先輩が主催だよ」
話題は弾むことなく、僕たちはそれっきり話をしなかった。
ついに口を聞いたのは、2次会で時枝先輩と彼女が理想の旅行について話している時だった。
「坂ちゃんはどんな旅行が理想なの?」
「そうですね、若い時は観光地やテーマパークを遊び尽くしたいって思ってました。でも今は…」
「若い時って体力あるよね、テーマパーク今はほんと無理、旅行はゆっくり行きたい」
「ですね、温泉でゆっくりして、特に出かけることなく過ごしたいです。気が向けば散歩でもして、それは別々の行動でもいいし」
女性というものは常に夢を抱いている、と僕はつくづく思う。建前と本音は違っていて、建前上はゆっくりしたいと言っていても、どこかに出かけたり、写真を撮り友達に見せびらかしたり、そうしたいのが本音なのだと。
「それで本当に楽しいんですか?やっぱりあちこち行きたいのが本音ではないですか?」
僕は不意に言葉を挟んでしまっていた。二人は顔を見合わし、クスクスと笑っていた。その笑い方はどこか僕を子供扱いしているようで、僕は不愉快だった。
「もうそういうのは、終わったんだよ」
時江先輩はひとしきり笑った後