雪灯り、夜の色、明けの時、二人で過ごす宿の部屋。
春は朧月の光がやんわり明るく照らす夜の色。
夏は蛙の合唱が賑やかに蛍が飛び交う夜の色。
秋は冴え冴えとした月が澄んで広がる夜の色。
坪庭に面した窓。障子を閉めようか。君に話すと開けときましょうと意外な答え。
「雪起こしが来ているから」
カタカタ、コトコト。窓ガラスを軽くノック。少し前、君が頬を染め遅れて部屋に入ってきたその時、出迎えた鄙びた田舎の宿屋、その部屋の入口で溢れた気持ちのままに抱きしめると、北風の香りを、すこし風のいたずらで乱れ雫がポチポチと、小さな水晶玉の様に散らばる髪に、冷えたコートに感じた。
「空が真っ暗で鳴いていたの。轟々って」
そうなの? 温かい地方の街中で生まれ育った僕は、雪国で産まれたという、柔らかな白い肌持つ君の話が面白い。学生時代に卒業式で歌わされた歌詞を思い出す。
畳敷きの部屋の真ん中には炬燵。向かい合い座る僕達。湯呑を包み込む様に持ち、チラチラしていた気がすると話す君。
「蛍や窓の雪。明かりで手紙を読むとか。嘘だろうと思っている。雪灯りって言葉が有るけれど、体感したことがないから知らない」
「なら、これから体感出来るわ」
クスクスと笑い、逢瀬を楽しむ僕と君。喧騒や雑多なしがらみを抜け出て、澄んだ清らかな時間を楽しむ。露天風呂もあると聞いたが、寒いから嫌だと言う君に従い、内風呂へと二人で向かう。
混浴の露天風呂とは違い、男湯と女湯に分かれている。入口で別れる。ほんの少しの時間。揃いの浴衣と丹前に着替える為に。
「いいお湯。お肌がすべすべしている」
頬を朱に染める君。化粧を落とした素顔がかわいい。
「貸し切りだったわ。そっちは?」
「うん。こっちもね。中居さんに聞いてるよ。今晩は僕達二人だって」
「そうなの。雪が降るからかしら。宿の送迎のおじさんも、明日は出れないかもしれませんよ、って脅すのよ」
「嘘だろう、天気予報でも大雪に警戒って言ってたけれど、大袈裟に言うだけだろ。何時も」
スリッパで廊下を歩く。肩が触れ合うか触れ合わない身近な距離。温もったお互いの身体から立ち昇る香りは、温泉の成分なのかほんの微かに硫黄の香り。
「そういえば、食事はどうしたの? 僕はここで食べたけど」
「適当に済ませてきた。何が出たの?」
「山女とか、なんだろう、茸の何かとか。漬物や味噌汁に……、猪の岩石焼きとか、あ!『むかご飯』が美味しかったよ」
「ええ? わからない説明。茸の何かとか、なんて何? せっかくのお料理が可哀想ねー」
笑う君が可愛い。他愛もない話をしながら共に食べたかった思いが、沸々と湧いて出る。
部屋に戻ると中居が寝間の準備を整えていた。
「ほら、見て。雪が来たわ」
嬉しそうに囁きそう示す窓の向こうに、降る雪。真っ暗な外、内から空を見上げてもそこも墨を流したかのような色、部屋からの明かりに照らされた雪が白く、ハタハタと落ちてくる姿が見えた。
「積もるかな」
「積もるわ」
「どれぐらい?」
「雪合戦出来るくらい」
「本当に?」
「賭けようか」
少し呑んで、明かりをパチンと消す前のやり取り。そして部屋の中は僕と彼女の世界になる。甘やかで密やかでみっしりとした濃い時。
どれぐらい時間が過ぎたのだろう。いつの間にかコトンと墜ちる様に眠っていたらしい。目を開けると、薄ら青白く明るく感じる部屋の中。
手を上に上げればぼんやりだけど形が見える。四隅は闇に溶けているけれど、蛍光灯の姿や天井板も。横を見れは君の寝顔が、薄ら青白く感じる灯りで目に入る。
手を伸ばし携帯を取る。
午前4時。2月終わりの今、夜明けは早くなっている。しかし街中だとこれ程の明るさは無い。
「静か。雪は音を飲み込んで降るの」
ひゅっう、コトコト。何処からか風の音。目が覚めた君が首をすくめ、スンスンと鼻を動かす。
「雪の匂いがする」
「そうなのか?」
「鼻の奥にね。ツンと氷の匂いがするの」
「へえ」
「積もってるのね」
「どうしてわかるの?」
僕の答えにクスクスと笑う君。
「部屋がなんとなく明るいもの、雪灯り」
窓の外は白い雪の原なのだろうか。積もっているのだろうか。一晩でどれほどの暈になったのだろうか。
「私の里では、1メートルなんてあったわよ、雪国だけど除雪が来ないと身動き取れなくて。バスも何もかも遅延になってね」
しんしんと音なく積もる雪の声は聴こえないらしい。でも今、僕は微かに、にさらら、さららと窓の外から気配を感じている。それは何処か華やいで、子どもの頃、珍しく雪が降った街中の朝、慌てる大人とは真反対、ウキウキワクワクとした、ときめきを思い出す。
「そんな事になったら大変だな」
だけど今日、この時はそうなって欲しいと思う僕。
「おじさんが言ってたとおりね」
「うん。止むかな」
「わからない。布団から出て見てみようか」
「いいよ。まだ早い」
障子を開け放しているためか、窓から寒気が忍び寄る気がする。暖房が適度に効いているのに、冷とした空気を感じる。
「帰れなくなるかしら」
「ここにしばらく居たらいい」
クスクスと君が笑う。そう、煩わしい雑踏も喧騒もしがらみも、全て雪に埋もれればいいのに。掛け布団を頭の上まで引き寄せた。
白いシーツの中は僕と彼女の世界。
甘やかで密やかでみっしりとした濃い時。
初めて知った、雪積もる朝。
薄ら青白く感じる明るい灯り。
冬は吹く風により様々に変えゆく明けの色。