第58話 対峙、そして
「香坂環ぃ――――――!!!!」
「ささき、せんせ」
突然の大声に驚いたのか、身じろいだ男が数歩下がる。佐々木先生は見上げる高さの崖から、躊躇なく飛び降りてきた。先ほどの本城さんのようにゆっくりとした下降ではなく、普通の飛び降りだ。俺と男の間に割って入るように低い姿勢で着地、そのまま頭上に向け叫ぶ。
「一ノ瀬桜! 後ろに回ってくれ!」
顔を上げると、一ノ瀬先生も崖から飛んだのが見えた。着地した瞬間、足元で小さく光が弾ける。魔術を使って、衝撃を抑えたのだろうか。
「これは、君がやっているのか? 香坂環」
今もそこらじゅうに漂ったままの『蛍』のことだろう。首を横に振る。うなずいた佐々木先生が伸ばした腕に守られる。俺は地面に座り込み、まだ涙も乾ききっていない。足元には俺を庇って倒れた本城さん。あまりにも情けない状況だ。
「わざわざ『偽装』で男のフリをするなんて悪趣味な。ここになんの用だ!」
男は佐々木先生の質問に答えなかった。というより、先生たちが来たことなど意に介する様子もない。俺だけをまっすぐ見つめている。
「ん? やっぱり術式が違うからか……あまり関係ないはずなんだけどな」
眼鏡を押し上げながら、ぶつぶつとつぶやく。その隙に一ノ瀬先生が男に向け光る何かを放った。男は先生の方を見もせずにふわっと跳躍し、難なく避けたが着地したのは川の中。
「あ! しまった!!」
突然、男の泰然とした態度が崩れた。川の深さは靴が浸かるほどしかないのに、足が濡れただけのことに何故か妙に焦っている気がする。その瞬間。
「凍りなさい」
背後から凄まじい冷気が放たれたのを感じた。それはそのまま地面を走っていき、目の前の小川を一瞬で凍らせてしまった。声のする方を見れば進藤先生が空中に立っている。男は凍った川に捕まってしまい動けない様子。捕らえる好機だ。佐々木先生、一ノ瀬先生が目配せをし合いながら男に近寄っていく。
「なるほど。まあ、そうするよな。三人ともそこまで大したことはないが」
「なにっ!?」
動けない状況にされているのにもかかわらず、手練れの魔術師三人を『大したことない』と評した男。おもむろに上着の中に手を入れた。先生たちの足が止まる。拳銃でも取り出すのかと俺も立ち上がった。
ジャラリという金属音に息をのむが、取り出されたのは金属の鎖。いや、おそらく懐中時計だ。張り詰めた空気の中、蓋をぱかっと開ける音が間抜けに響く。
「……時間切れか。まあいい、取っ掛かりはできたしな」
男は緩やかな動作で懐に懐中時計をしまい込んだ。しかし川はまだ凍ったまま。もちろん男はそこから一歩も動くことはできないはず。
「この川は隅々まで凍らせてしまったわ。もう逃げられはしないでしょう。なんならそのまま身体の芯まで凍らせてしまいましょうか」
進藤先生が氷のように冷たい声で男に言い放つ。その指先は淡く光っていて、返答次第では本当に凍らせてしまうつもりなのだろう。
「ああ、これか。確かにちょっとまずいなあ。でも、うーん」
絶体絶命のピンチだろうになんとも軽い調子。男は頭をかきながら持っていた杖を凍った川にトンとついた。瞬間、氷が砕ける鋭い音とともに一体の空気が大きく震え、漂っていた蛍が全て止まった。
逃げられる! 本能的にそう思い、男に手を伸ばした。
「香坂環! だめだ下がれ! 私がッ!!」
飛び出した俺を制し佐々木先生が素早く詠唱を始めるが、すぐに妙な表情になる。
「どうしたんだ? 魔力が動かない」
佐々木先生が言い、続けて進藤先生の悲鳴が。振り返ると、宙に浮いていたはずの進藤先生が木に引っかかっている。支えになっているマントは今にも破れてしまいそうだ。
「明世先生!」
それを見て血相を変え走りだした一ノ瀬先生が、派手に転んでしまった。すぐに立ち上がったが、どこかを打ったのかうめき声をあげている。
「桜さん! 大丈夫!?」
「……問題ありません!」
男がいない。周りを見渡し、空を仰いだ。そこには頭上高く杖を掲げる男が浮かび、白い髪が風に揺れていた。杖の先に漂っていた蛍が集まっていき、光の球になり……徐々に大きくなっていく。
「また会おう」
男が笑って言うと光の球が弾け、凄まじい閃光が夜空を覆った。目を閉じたが、強烈な光のせいでまぶた越しでも瞳が焼けそうだ。肌がビリビリと痺れ、激しい耳鳴りがする。ものすごい量の魔力が放出されているのだ。佐々木先生のうめき声が聞こえた。
数秒後。全てがおさまったので目を開けると、男の姿はもうどこにもなかった。
「……『瞬間移動』だと!?」
佐々木先生が叫んだ。男が消えたと共に魔術が使えるようになったのか、進藤先生がふわりと地面に着地した。トレードマークの白いマントは大きく裂けている。誰かが近づいてくる。警備員と、魔術教官、専科生、合わせて十数人。
「『瞬間移動』や魔術を無効にしてしまうだなんて大それたことを。そんなことしたら姿を偽っても意味がないでしょうに。記録を解析して転移先を追って、魔術庁にも連絡。該当者がいないか照会して」
破れたマントを脱ぎながら進藤先生が言うと、教官の一人がどこかに電話をかけだした。
「本城さん! 大丈夫!? 誰か、かがり先生に連絡して!」
呼びかけに応えることなく、本城さんは眠り続けている。俺は、緊張の糸が切れその場にしゃがみ込んでしまった。
◆
しばらく経っても、『現場』は騒然としていた。
いくつもの魔術の灯りに、辺りはこうこうと照らされまるで昼間のよう。魔術教官だけでは手が足りず専科生も明かりを灯したり、残された魔術の痕跡を調べたりと大忙しのようだ。
魔術学校に魔術を使う侵入者が現れたと言うのは、相当大きな事態らしい。夜なのにこれから役所の人間が来ると聞かされた。俺は騒ぎの中、崖を背に呆然と立ち尽くしていた。震えが止まらない。
…………あの男を、俺は知っている。でも、それを言えば…………。
「香坂くん、大きな声を出してたけど、大丈夫? 怪我はない?」
呼びかけられてハッとなる。一ノ瀬先生が進藤先生に支えられながらフラフラ歩いてきた。
「ああいや、幽霊が出たのかと思ってびっくりしただけで。俺は大丈夫ですけど、先生は」
「ああ、大丈夫よ。魔術師相手には私たちが行くしかないから、不審者対応の訓練も……逃してしまったけど……でも本当に魔術師が仕掛けてくるなんてことが……しかも男に化けるなんて、手が込んでいるというか」
一ノ瀬先生はここまで話すと、眉を寄せ深い息をついた。やはり痛むのだろう。手近な木にもたれかかってからさらに続けた。
「ああ、ここ担当の学生が『白髪の男を見た』って騒ぎ出してね。そんなもの打ち合わせにないから、学生たちを引かせて、私たちが調べに入ったの。そうしたら、あなたの叫び声が聞こえたってわけ」
「どうして俺だって?」
俺の質問には進藤先生が代わりに答えてくれた。
「男子学生はあなただけだもの。でも、ほんの少しの間に入れ違いで入り込んでたなんて……無事でよかったわ」
男を追い詰めていた時の厳しい表情はすっかり消え、いつもの優しいおばあちゃんと言った様子。なんだか安心して、頭を下げた。笑顔が返ってくる。
「本城珠希さんの診察終わりました」
次はかがり先生。後ろには佐々木先生もついている。何らかの魔術をかけられ倒れた本城さんの診察は、魔術師でもあるかがり先生が適任ということで呼ばれたのだ。進藤先生が問いかける。
「どうかしら?」
「ただ眠っているだけみたいです。頭を打っているような様子もないですし、そのうちに目覚めるかと思います……えっと次は、一ノ瀬先生を診ましょうか」
一ノ瀬先生はすみませんと頭を下げたが、かがり先生が体を触るたびに、かなりつらそうにしていた。大怪我でなければいいが。
「それなら本城珠希は寮に連れ帰ろうか……しかしなあ」
佐々木先生が腕を組む。キョロキョロと辺りを見回し、俺と目が合うとポンと手を叩いた。
「ああ、香坂環。君が彼女を送ってくれないか。これから役所のものが来て聴取があるから、私たちはしばらく手が離せないんだ」
みんなが忙しいならと思い頷くと、佐々木先生の手のひらに薄緑色に光る蝶が現れ、ふわふわと俺の目の前を羽ばたきだした。
「道案内だ。この蝶について行けば外に出られる。頼んだぞ。あと、これ」
手渡されたカードケースには、見覚えのあるピンクのアイツがぶら下がっている。
「彼女のだ。そこで拾ったから、渡してあげてくれ。君達の聴取は明日にでも。彼女を送ったら、君は寮に帰って休みなさい」
先輩や佐々木先生の手を借りて本城さんを背中におぶった。先輩に『軽量化』する魔術をかけてもらったので、彼女は小柄でも痩せ型でもないとはいえ重さは大したことなくなった。普段持ち歩く通学鞄と大差ない。あとは、足元が良くないのでバランスを崩して落とさないように、道案内の蝶について慎重に歩いた。
……静かな林。一人で歩いていると嫌でも思い出してしまう。
『めぐる』
いまだに低くかすれた声が耳にこびりついていた。魔術を使う男のことを、先生たちは『偽装』、つまりは魔術を使い男に化けている、と言っていたが違う。あれは。
一度だけ刺すような頭痛。足が止まってしまった。林を抜けても誰もいない道、夜闇を静かに照らす外灯。足元に長い影が落ちている。
「ダメだ、早く送らないと」
今は余計なことを考えてはいけない。早く寮まで送らないと。そのとき、背中の本城さんが小さく動いた。目を覚ましたようだ。
「あれ、わたし……」
「目、覚めてよかった。その、何か魔術をかけられたらしくて……異常はないらしいから、今から寮に連れて帰るよ」
背中に向かって声をかけると、ビシ、と本城さんの背筋が伸びる。明らかにうろたえた様子……まあ、当然か。
「えっ!? 環くん!? どうして!?」
「これはその、手が空いているのが俺しかいなくて。お、降りて歩くか?」
しばしの沈黙。降りると言われたら微妙にショックだが、まあ、彼女からしたら……。
「……お願いしてもいい? ちょっと、くらくらするから」
予想していなかった答えとともに、回された腕に力を込められると、だいぶ背負いやすくはなった……そういえば、あれ?
「な、名前?」
「あっ……ご、ごめんなさい! 聞かなかったことにして……」
だんだんと声が小さくなる。こんな状況で『環くん』だなんて言われたら、どうしてもあの夢のことを思い出し妙な気持ちになってしまう。しかし、言葉のあやなのか、なんなのか。
「まあ、いいか……しっかり捕まっててな」
「重たいのに、ごめんね」
「大丈夫だよ」
身を預けられ、顔を寄せられたことで別のことに気が回り出す。自分は今とんでもなく臭いかもしれない、なんせ先ほどの出来事で汗だくで……もうだめだ。今さら引っ込みがつくわけがない。名前を呼ばれたことへの照れや、恥ずかしさ、色々なものが混ざって身体が熱くなっていく。本城さんが何も言わないので、大丈夫だと思い込むことにした。でないとやっていられない。
「いいにおい……」
えっ!? 思いもよらぬ囁きにギョッとしたが、当の本人はすうすうと寝息を立てている……聞き間違い。だよなさすがに。邪念を振り払い、寮への道を急いだ。
◆
「あれ、本城さんまだ寝てるの? うーん、じゃあ、そのまま部屋まで連れてってもらおうかな」
「えっ、でも!? 入っちゃったらまずいんじゃ」
「いいよ。わたしが許可しましょう!」
雪寮の玄関。待ち構えていた上崎先輩がにっと笑い、手早く俺のスリッパを用意し、本城さんの靴を脱がせその場に置いた。そのまま後についていく。エレベーターに案内された。もちろん、この時点ですでに初めて立ち入る範囲。
「初めてのおっきなイベントだったのに、なんか大変だったね。まあ、また来年だね」
エレベーターを二階で降り、緑の絨毯が敷かれた廊下を歩く。『男子寮』とは違い、百人以上の学生が暮らしているだけあって、両側に部屋がいくつも並んでいる光景は圧巻だった。既に肝試しを終えて帰寮していた学生が何人かいて、俺が現れたことに驚いているようだ。
廊下を中ほどまで進んだところで先輩は足を止め、ドアをノックするが、三井さんは留守だった。先輩は持っている端末を操作し、ドアにかざして鍵を開けた。
初めて入る彼女の部屋。噂に聞いていた通り、家具は男子寮のものとほぼ同じだ。勉強机とベッドと物入れが二人分、壁に沿って対称になるように配置されている。正面には窓があるが、カーテンが閉じられているので外の景色は見ることができない。
「えーっと、本城さんのベッドはこっちね」
先輩が布団をめくったので、彼女を下ろし慎重に横たえた。先輩が『軽量化』の魔術を解くと、マットが沈んでいく。
うさっちが枕元にいることに気がつく。珠希さんと一緒に寝られるなんて羨ましいやつめ。久々に頭を撫で、本城さんに布団をかけた。預かったカードケースを机の上に置くことも忘れない。
「おやすみ」
声をかけたが返事はない。彼女の顔に触れたくなってしまったが思いとどまり、先輩に続いて静かに部屋を後にした。





