第54話 祭りの始まり
夕涼み会三日目の七月二十二日、木曜日。時刻は午後五時。
本部棟前広場に集まったのは、雪寮所属の学生、そして抽選会で青い棒を引き当てた自宅通学生たちだ。
いたる所に設置されたスピーカーからは楽しげな音楽が流れ、私服姿の学生たちは、いつもよりおしゃれに力が入っている気がする。中には色鮮やかな浴衣を着ている子もいて、つい目で追いかけてしまった。
「ねえ、紺野先生見た? ものすごい気合い入ってるよね」
「見た見た! 今年も一年生に被害者続出すること間違いなしだね」
横を通った学生の会話が耳に入り、ドキリとした。紺野先生はここ数日はずっと楽しそうで、暇さえあれば別宅で何かの作業をしているようだったが……なんだよ被害者って、物騒だな。
さて、今日の夕食はこの広場で、弁当が配られることになっていた。俺たちは昼のうちに話し合って、弁当の受け取りと席取りを分担することに。俺は先日受け取った引き換え券……女の子たちの分も入れて四枚を手に、先ほどまで列に並んでいた。
芝生の上にはステージが組まれ、その前には白い丸テーブルがいくつも並べられている。そのほとんどが学生で埋まり、それぞれ食事を楽しんでいる。俺は両手に荷物を抱え、どこかにいるはずの友達を探す。
「ああ、香坂くんこっちこっち!」
自分を呼ぶ声に気が付き、席を取ってくれていた森戸さんと本城さんを、ようやく視界に捉える。
「ありがとう! 今行く!」
賑やかさに負けないようにと声を張った。それと同時に、手提げ袋を持ってこなかったことを後悔もした。二人のいるテーブルは今いるところから一番離れたところにある。
夕食が詰められた箱を片手に四個積み上げ、もう片手にはボトル入りのお茶を四本。別に大した重さではないがバランスが悪く、テーブルや人を縫いながら歩くのはなかなか大変だった。何度も危機を乗り越え、あと少しというところで身のこなしに難儀していると、本城さんが駆け寄ってくる。
「ごめんね、ひとりだと大変だよね。持つよ」
「あ、ありがとう……」
お茶を取った本城さんが先に行く。俺も箱を両手で持ち直して後に続こうとすると、彼女の着ているブラウスは背中が開いているデザインだということに気がついてしまい……いつもは制服で隠れていて見えない部分に釘付けになっていると、横から来た人にぶつかりそうになった。危なかった、いろんな意味で。
「香坂くん、お疲れ様。さ、どうぞ」
「ん、ありがとう」
森戸さんが椅子をひいてくれたので、座る。そのまま夕暮れの空を見上げれば、色とりどりの提灯がぷかぷかと浮いている。電線や支柱は見当たらないので、これも魔術でやっているんだろう。
暗くなれば、教官たちの手で魔術を使った模擬花火の打ち上げも行われる。一昨日、昨日と食堂の窓から見たが、本物の花火にはない動きをすることもあり、最後まで目が離せなかった。ちなみに三日連続で夜空に上がる不思議な花火は、近隣住民の夏の楽しみにもなっているらしい。
「わはー! 綿菓子とはこのようなものなのか! 実物は初めて見たぞ!」
俺の隣では、綿菓子と初の対面を果たした綿菓子が、その大きな瞳をキラキラと輝かせ歓声をあげていた。花寮の学生の模擬店に、綿菓子を食べたことがないという透子が真っ先に飛びついたのだ。透子の顔よりも大きく、カラフルに色づいた綿菓子に俺も思わず惹きつけられる。
「へえ、白以外の綿菓子なんかあるんだな。いや、もしかして、これもなんかの魔術か?」
こんなに色の綿菓子は見たことがない。不思議なこと……前に銀川先生が魔術でホイップクリームを泡立てて見せてくれたときのことを思い出す。もしかしたら綿菓子に色をつけるのも実習の一環かと思ったが、森戸さんが俺を見て笑った。
「違うわよ。ザラメに最初から色がついてるの。最近はいろんな色のがあって、味もちゃんと違うのよ」
「そうなのか! 地元じゃ白しか見たことないな」
「じゃあ、今そっちに向かってるところなのよ。そのうち見られるようになるかもね」
カラフルな綿菓子が列車にぞろぞろと乗っている様子が頭に浮かび、思わず吹き出してしまった横で、透子が待ちかねたように綿菓子にかじりつく。共食いだ……などとくだらないことを考えてしまう。
「おおう……とても甘い……ああ、みんなも一緒に食べようではないか! このように大きなものは、わたし一人では食べきれないぞ!」
透子がぐいぐいと綿菓子を差し出してくる。
「ほれ、たまきくん! 思いっきりかじりたまえよ!」
さすがに直接は抵抗があったので、水色に染まった部分をちぎり取り、口に放り込んだ。本城さんと森戸さんも手を伸ばし、俺と同じように口に入れた。
「ん? んん……ああ、ちょっとラムネっぽいな」
「私はぶどう……ぶどうだわ」
「私はいちごだと思う」
顔を見合わせて笑い、いろいろな味を楽しむ。さすがに四人がかりともなれば、大きな綿菓子もあっという間に消えてなくなり、透子は残った棒をクルクル回して立ち上がった。
「うむ! 次はたこ焼きが食べてみたいぞ! 唐揚げ串! かき氷!!」
「透子ちゃん、ご飯食べる前にお腹いっぱいになっちゃうよ。あとでみんなで分けっこしよ」
本城さんはまるで小さい子を諭すお母さんのようだ。透子はストンと着席した。
「そうだな、こちらもありがたくいただかねば……わは! まっこと美味しそうだの!」
先ほどから目を輝かせっぱなしの透子に続いて、箱を開ける。中の料理は、色とりどりの野菜と、焼きキノコと卵を合わせたサラダがメイン。それに焼いた牛肉と小ぶりなおにぎりが二つ添えられている。
今日は模擬店で食べ物を買うことを想定してか、用意された夕食はいつものものよりはずっと軽めだ。俺なら三つくらいは余裕で食べられそうだが、女の子はこのくらいにしておかないと、もう何も入らないのかもしれない。揃って手を合わせてから、食べ始めた。
「盛り付けがなかなか洒落ておるの。それに味も申し分ない。わたし個人は、こう言う素朴な食事の方が好みではあるのだが、家だとなかなか」
……これが素朴な食事なのか。俺みたいな庶民から見れば、量こそ少ないが、それなりに豊かな食事に思えるのに。きっとこのお嬢様は、毎日フルコースでも食べているに違いない。
「ああー。キノコは苦手だわ。お野菜も……ああ。えーっと、香坂くん、私のぶん食べない? 男子なら二つくらいいけるわよね?」
曲がったことは大嫌い、そして嫌いな食べ物もずいぶんと多い森戸さんは、こういう時だけ上目遣いで俺を見つめる。絶世の美女にお願いされたって、そうは簡単には揺らがないぞ。
「ダメ。身体にいいんだから、ちゃんと食べないと」
「もうー。いつも頑張って食べてるんから、今日くらい別にいいじゃない。お父さんみたいなこと言わないで……あ、ごめんなさい」
森戸さんはなぜか気まずそうに目を伏せる。どうして謝るのかと思ったが、たぶん俺に父親がいないことを思い出したんだろう。
「別に気にしないから。そんなことよりさあ、早くキノコを食え、森戸淑乃くん」
「うぅ……」
森戸さんは意を決したようにフォークに刺したキノコを口に入れ、眉をしかめたまま口を動かす。そんなに苦手なのか、美味しいのにな。俺もキノコと野菜を一緒に口に入れた。好みは人それぞれだが、こんがりと焼かれたキノコ……マイタケとシイタケは、香ばしくてとてもおいしいと思う。
「このキノコ、香ばしくておいしいね」
同じことを考えていたらしい本城さんに微笑みかけられた。嬉しさに、顔が勝手にゆるんでしまった。
◆
夕食を食べた後は、四人で模擬店を見て回った。
「はぁー……たこ焼きおいしかったわね……あ! クレープ! 買ってくるわね!」
苦手なキノコと野菜を、頑張って食べ切った森戸さんは、クレープの模擬店めがけて走っていく。きっと山のようにクリームを詰めてもらうのだろう。クリームたっぷりのパンやら、デザートを頬張っている時の笑顔が思い浮かんだ。
食べ物の模擬店がほとんどだが、端の方にはスーパーボールすくいやヨーヨー釣りも出店されていた。
これがなんと『魔術で動かして釣り上げるルール』とのこと。こんなことは外では絶対にやってはいけないことだが、ここは魔術学校の敷地内だからいいらしい。魔術には自信のない俺はすごすごと引き下がった。すると、本城さんとクレープ片手の森戸さんが挑戦すると言う。
……そして鮮やかな手際でゲット。実技の成績がいい人はこうも出来が違うのかと、透子と二人、仲良く肩を落とした。
女子三人がわいわいと唐揚げを分け合っていた横で、俺もたこ焼きと唐揚げを一人前ずつ腹の中に収めた。まだもう少し食べたい気もするが、どうしたものか。
「透子と本城さんは他になんか食べるのか?」
「わたしはもう満腹だの。いやあ、本当にお祭りというものは楽しいな!」
「私も……実はこれが始まる前にどうしてもお腹が空いて、売店でおにぎり買って食べちゃったんだよね。食いしん坊だよね」
恥ずかしそうに笑った本城さんは、思わず頭を撫でたくなるほど可愛かった。いいんだ食いしん坊でも。食べたいものがあるなら、なんでも作ってあげたいなどと、一緒に暮らしている妄想をして……だめだ、何を考えているんだ。
「やあ、環くん。楽しんでるかい?」
突然名前を呼ばれ、わかりやすく肩を揺らしてしまった。振り向くと、紺野先生がそのすらりとした長身を黒ずくめのスーツとマントで包んで立っていた。髪を全て後ろに流して固め、顔には化粧まで施しているようだ。
顔を白く塗り、目元には赤い色が差してある。まさに妖艶、という言葉がしっくりくるな……ってこの人は男の人でした……。
「…………もしかして吸血鬼ですか?」
「ふふふ、ご名答だね。Dエリア……あ、特別棟一階は『吸血鬼の館』と言うことで、僕の全面プロデュースなんだ。僕には魔術が使えるわけではないから、腕っ節だけで学生たちを恐怖のどん底に叩き落とさないといけないわけだよ」
ニタッとした笑顔。それに教師のものとは思えない物騒すぎるセリフを吐いた紺野先生は、黒いマントを翻し口元を隠し、クククと笑う。すっかり吸血鬼になりきっているようだ。横にいた学生たちが黄色っぽい悲鳴を上げた。
男の俺が言うのも変かもしれないが、やっぱり顔がすごく綺麗だ。俺ももし女子だったら惚れていると思う。気合十分の先生を見て、透子はケタケタ笑っているが、森戸さんと……悲しいことに本城さんまでもが、頬を染めているように見えた。
イケメンは強い。もう何もかもがパッとしない俺は、好きな人が他の男性にそんな表情を向けていることに、うちひしがれてしまった。
「……今日は頑張るんだよ、環くん」
俺の心のうちなんか知るはずもない紺野先生が、耳元で囁いてくる。いったい何を企んでいるのか……夕焼け色の瞳が怪しく光っていることに気がついて、鳥肌が立った。
またもやクククと笑った紺野先生が、マントを翻しながら去っていく。すれ違う学生みんなが振り向くのを見て、俺は思わず苦笑いした。
「はい、学生のみなさんお楽しみのこととは思いますが、一旦ステージ前に集合してください!」
実行委員である先輩のアナウンスに反応して、学生たちがステージの方にぞろぞろと移動していく。その波に乗って、俺たち四人も歩き出した。





