6月〈3〉せんせいといっしょ・1
目的の部屋は、特別棟二階の隅にある面談室。何度かドアを叩いたが、待ち合わせの相手はまだ来ていないらしく、返事はなかった。
薄暗い部屋に入り、明かりをつける。もうすっかり見慣れた小さな部屋には、真ん中にテーブルが一台、そこに椅子が二脚向かい合わせに置かれているだけだ。小さめの窓には鉄格子こそ付いてはいないが、雰囲気だけなら刑事ドラマに出てくる取調室のようにも思える。
鞄の中から教科書を取り出した。続けて例の木板と、ビー玉の入った小さな巾着を机に置いた。時計を見ながら椅子を引き、着席する。
俺は別に取り調べを受けるためにここに来たのではない。担当の魔術教官による補講を受けるため、先月からほぼ毎日ここに通っているのだ。時刻は午後四時十分。ちょうど時間にはなった。この部屋があるあたりはもともとあまり人けのない一角。耳を澄ませてみたが、まだ先生らしき足音ひとつ聞こえてこない。
先生が来たらすぐに始められるように、準備することにする。
机に置いた巾着袋からビー玉を一つ取り出して板の上へ。これまで相当使いこんだが、まだ傷も曇りもない。特殊な素材でできているらしい透明な球をよく覗き込めば、その中に俺の顔がはっきり映っていることに初めて気がついた。少なくとも、普通のガラスではないらしいが。
人が来る気配はまだしない。俺は窓の外に視線を移し、なかなか動かない雲を眺めながら待ちぼうけた。
◆
相変わらず実習でありえない失敗を重ね続けていた五月の半ば。俺はとうとう魔術の実習担当の進藤先生からの呼び出しを受けた。
『あなたは魔術師には不適格なので退学を勧告します』
今日こそ引導を渡されるに違いないと、人生で一番長いため息をつき、鉛のように重い足を引きずって面談室に向かった。歩きながら窓の外を見るとあいにくの空模様で、雨がシトシトと降っていた。奇しくも今の俺の心と同じ景色だ。
たどり着いた先でおそるおそるドアを開けると、いつもの白い服を着た進藤先生がいて、俺の姿を見るとにこりと笑った。
授業の時にはあまり笑うことのない先生だが、ひとたび授業を終えると優しい笑顔。おばあちゃんとはっきり言うには少し若いが、目尻にたたまれたしわがその表情をさらに柔らかくしている。しかし、それが最後の温情に思えてならなかった。
「さて、香坂環さん。今日呼び出したのは、あなたの今後についてのお話をするためです」
……はあ、やはりこれまでか。魔術学校への受け入れを嘆願したが跳ね除けられたこと。しかし東都が声を上げてくれたこと。魔術師になる夢が現実になりかけたことで、勉強も頑張れたこと。合格した時に母親と飛び上がって喜んだことなどが、頭の中を走馬灯のように駆け巡った。
しかし、力が及ばなかった…………そう言う事なら潔く身を引くのが男というものだ。俺は腹をくくり、この時のために用意した言葉を出した。
「はい、わかってます。短い間でしたが、今までお世話になりました」
俺の渾身の一撃を受け止めた先生は、ポカンとした顔でこちらを見ている。
「あらまあ、そういうことじゃないのよ。とりあえずそこに座りなさいな」
「え」
予想外の返答。それに、まるで家に遊びに来た孫にでも言うような口調だった。俺が座るのを確認した進藤先生は、『まさか本当に辞めないわよね』と、苦笑いでつぶやきながら何かを取り出す。
今までに何度か見たことがある、藍色の表紙に金の文字で『学生指導録』と書かれた硬そうな表紙のノートだ。あの中にはおそらく、今までの俺の失敗が克明に綴られているものと思われる。
先生は開いた指導録と俺の間で視線を動かしながら、穏やかな口調で説明をしてくれた。
こんなことになってしまっているのは、『魔術のようなものが編めてしまったから』だそうだ。願いの力だけで一度でもそう言うことができてしまうと、それからも同じようにしようとする『変な癖』がついてしまうことがある……それが俺が失敗してしまう原因だと考えられるらしい。
「とは言え、普通は授業で正しい魔術を繰り返し使おうとするうちに、少しずつ治りますが」
「よ、よかったです」
「しかし、あなたは発動の時点から失敗することもあるので特に程度が強そうです。とにかく早く矯正に取り組む必要があります。このまま術式通りの魔術を使えなければ、残念ながら魔術師として認められることはありませんし、そもそも二年生への進級すら危ういです。不適格として退学していただくことになるかもしれません」
進藤先生の表情は相変わらずの柔らかな笑顔だったが、俺は対照的に固く縮み上がっていた。このままでは魔術師どころか二年生にすらなれない。そしてやはり退学の可能性も……割と絶望的な事実が肩にズドンとのしかかる。
「たった一度だけでも、魔術を学ぶ前に編んでしまうことの弊害は大きいです。きちんとしたものを知らないからこそ、結果だけを見て『これでいいんだ』と無意識のうちに思い込んでしまうものだからです。それをあなたは三回……その分強く染み付いてしまっていると言うこと。矯正するには三倍か、それ以上の苦労が必要ということです」
さらに追い討ちをかけられた。進藤先生は三回と言ったがそれは、ガラス片を浮かせた「浮遊」、森戸さんを抱えて飛んだ「飛行」、そして『蛍』要するに「発光」の三つのことだ。
しかし、先生たちには黙っているが、本当はあと二つ……森戸さんを止めた「鎮静」と本城さんを探した「探査」も……ということは、事態はもっと深刻という事になってしまう。
背中にも膝の上にも山盛りの重りを乗せられている気分だった。叱られるのが嫌で黙っていたが、本当のことを話した方が良いかもしれないが、もうどっちみちと言う気もする。
俺の場合は、魔術がうまく行くことを願うだけでもまずいかもしれないとまで言われると、もうどうしたらいいのかわからなかった。とにかく雑念を取り払い、冷静に正確に魔術を使うことを心がけ、その上でひたすら数を打つしかないと先生は言った。
矯正にはどのくらいの時間がかかるかは見当が付かないが、放課後にも入れられる限り補講を入れ、できるだけ短い期間で終わらせることを目標にすることになった。
「色々と厳しいことを言いましたが、努力を積み重ねれば、道は開けると信じましょう。そのために、私たちも全力を尽くします」
……そう。仲間と共に努力して実力をつけ、最後に待ち受ける強敵を倒し、勝利を掴む。間違いなく大好きな展開である。いや、これが嫌いな野郎がいるものか。
そう、主人公は自分だと思えばいい。まあ、倒すべき敵もよく考えたら自分だが、まあいい。五倍でも十倍でも努力をして、必ず魔術音痴の己に勝ってみせると拳を握った。
「わかりました。よろしくお願いします」
「補講の担当は、とある先生がぜひにと名乗り出てくださったので、その方にお願いしていますからね。ではさっそく明日から、始めてもらいましょうか。あ、場所はこの部屋で、時間は午後四時十分からと言うことですよ」
進藤先生は最後にそう言って微笑むと、面談を締めた。
……そして。





