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第44話 軌跡のない存在

 じっと影を見ても、もちろん何も答えてくれるわけがない。ひとかけらの疑念が、ゆっくりと血を冷やしていく。


「わからない」


「そっか。自分がそうだってわざわざ明かさない人もいるしね」


 俺の答えを、『俺の祖母が魔術師なのかどうかはわからない』と受け取ったらしい本城さんが、再び歩き出した。


 本城さんの後ろについてゆっくりと歩きだしたが、急に恐ろしくなってきた。俺は祖父母や父親のことどころか、母親のことだって実はよく知らない。この学校に入るまで、ずっと一緒に暮らしていたはずなのに。


 ……そうだ、俺は、自分のことを何も知らないんだ。


「香坂くん、どうしたの?」


「いや、なんでもない」


 本城さんからの呼びかけに、口ではそう言った。だが、妙な動悸が止まらない。


 なぜ男なのに魔力が、とか。入学したての一年生なのに魔術が、ではなく。もっと根本的なことですら、俺は母親から教えられてない。仮に問いかけても口をつぐまれてしまうせいで、不自然なまでに何も知らない。


 この人さえいればいいと思っていた。厳しいけど優しくて、みんなに慕われていて。俺の自慢の、たったひとりの。


 ……お母さん(あのひと)は、誰なんだろう?


 そう思った時、突き刺すような頭痛がした。さっき頭を打ったからだろうか。きん、きんと繰り返す強い痛みに思わず顔をしかめる。本城さんが俺の名前を呼んでいるが、その声はやたらと遠く感じ、ふらついて足がもつれた。


 そして、また『蛍』の時のように、視界がぐにゃりと歪んでいき…………。



 ◆



 はっと気がつくと、俺は知らない場所に座っていた。それなのに、妙に懐かしい気がする。たとえば棚の上に置かれた置き時計にははっきりと見覚えがある。これは母親の部屋の本棚の隅に納められているものだ。その横にはカレンダーが置かれているが、なぜか日付がかすんでよく見えない。


 目はいいはずなのになと、目をこすりながら反対側を見る。窓にかけられた薄い色のカーテンが時々ふわふわと風に揺れ、隙間からは夕暮れの色が見えた。


 いい匂いが鼻をくすぐる。そうか、さっきの時計は六時を指していた。そろそろ、晩ご飯ってところなのか。


 台所からは料理をしている時の音が、ラジオからは懐かしいメロディが、それに合わせた誰かの鼻歌が。少しずつ世界が組み立てられていく感じがした。


「ちょっと、もしかして、めぐるに魔術を教えてるの?」


 台所の方から、よく知っている声がした。今、俺が座っているのは、誰かの膝の上だと言うことに気がついた。お尻と背中が暖かくて、なんだかくすぐったい。


「ああ。めぐるはなかなか筋がいいぞ。将来が楽しみだ」


 優しい声が降ってきて、大きな手に頭を撫でられる。そうされていると、昼間にたくさん褒められたことを思い出して、得意な気持ちになった。


 手を拭きながら台所から顔を出した母さんを、ドキドキしながら見つめる。


「あのね、()()()()()()()ではどうかは知らないけど、ここではこんな子供に魔術を教えちゃだめなの。十五歳になって、専門の学校に入って初めて習うものなの。知らなかったの?」


 しかしお母さんは、まるで叱る時のようにそう言う。俺が座っている暖かい椅子が揺れた。


「えっ? そうなのか!? ……十五歳? もしかして同じ歳の子を集めて魔術を教える学校があるっていうのか。斬新だなあ」


 どうしてこの人はこんなに驚くんだろう。この人は、魔術学校を知らないのか? 俺の住んでた結構な田舎にだって、知らない人なんて誰もいなかったのに。なんだか変だな。


 ……あれ、変なのは、誰?


 お母さんは「もうっ」と、言うと、またお料理を作りに行った。今日のご飯は何かな? ぼくの好きなものだといいな。お母さんのご飯は、おいしいけど、野菜が多いときは苦手かな。自分で育てたやつなら、頑張って食べるけど。


「めぐる、残念だけど、子供に魔術は教えちゃだめなんだって。だから今日でおしまいな。あとは十五歳になったら学校入って教えてもらえ」


 だれか……は、笑ってそう言うと、また頭をなでてくれた。でも、残念だな。もっと教えてほしかったのに、十五歳まで待たなきゃいけないなんて。


 ぼくは、あと、なんかい誕生日が来たら、十五歳になるんだろう。ゆびをまげて、かぞえようとしたけど、ゆびがたりなくて、わからないな。


「うーん、めぐるが魔術使えることは、内緒にしないといけないみたいだなあ。まあ……母さんも困るだろうから、約束は守ろうな」


「うん」


「でもな、めぐる。もし必要な時が来たら迷っちゃだめだぞ。魔術は、そのためのものだからな。目の前で困ってる人に、手を差し伸べられる人になれよ」


「うん、わかったよ、おとうさん」







 …………お父さん?









 突然、目の前が真っ暗になった。




 停電か? と思った次の瞬間、頬には地面の感触が伝わってくる。薄目を開けると景色が横向きに見えるので、俺は地面に寝そべっている、と言うわけだが……どうしてしまったのだろう?


「気がついたか!」


 この声は……佐々木先生か? よく通る声は、ぼんやりとした意識にもしっかりと刺さってくる。しだいに目が覚めてきて、数人の学生と先生に囲まれていることに気がついた。


「いきなり倒れるなんて、いったいどうしたんだ? 香坂環。もしかして、何か具合の悪いところでも?」


 佐々木先生に支えられながらようやく上半身を起こした。まだ痛む頭を抱えながら立ち上がろうとするが、膝が崩れてしまう。


「いや、健康そのものです。ああ、さっき軽く頭打っちゃったからかも……いや、たいしたことないんですけど」


「頭を打ったって!? それは、いますぐ病院に」


「ああ、いや、本当に大丈夫ですから。芝生で転んだだけなんで。あと、単に寝不足かも」


 そのまま佐々木先生の手を借りて、ゆっくりと立ち上がった。そこには先輩らしき人が何人かと、先生が二人。そして、本城さんが心配そうにこちらを見ている。彼女が、呼んでくれたのか。名前を知らない方の先生は、佐々木先生と目配せしあってから、校舎の方に去っていった。


 頭がぼやぼやとする。まるで寝起きのような感じだ。俺は夢でも見ていたのか。しかし、頭の中に残っていたものをつかもうとすると、なぜか泡のように消えてなくなってしまう。……こんな風に、夢の内容をはっきりと思い出せないのはよくあることだ。


 しかし、今見たものに関してはなんとなくだが、内容をつかみとれていた。


 夢の中の俺は、俺が母親だと思っている人から、『めぐる』と呼ばれていた。いや、名前が違うなら、俺じゃないかもしれない。


 ……それに、母親以外にもうひとり誰かがいた気がする。誰だっけ? それを思い出そうとすると強い頭痛に阻まれ、踏み出した足がふらついてしまう。考えるのは一旦やめた。


「香坂環、本当に大丈夫なのか?」


「いや、ほんとに、大丈夫です。ご心配おかけしてすみません」


 あたりはもう薄暗くなっている。寮に向かって歩きながら話を聞くと、俺が倒れていたのはほんの数分らしかった。佐々木先生は、そのまま教職員宿舎の外階段のところまで付き添ってくれた。

 そして本城さんも、足を引きながらその後ろに。佐々木先生には先に寮に戻るように言われていたのに、『心配なので』と言って。


「できれば受診することをすすめるが。遠慮することはないんだぞ」


「いや、実は、昨日はほとんど寝れてないんです。怒られると思ったらドキドキしてしまって。だから、寝たら治ると思います」


 あはは、と笑いながら頭を掻いて佐々木先生に言うと、苦笑いが返ってきた。すると先生の背後にいる本城さんが、ひどく落ち込んだ表情をしている。あ、彼女もいたんだった……また、余計なことを言ってしまった。さっきから失敗ばかりだ。


「うーん、まあ。そういうことなら……紺野先生にも伝えておくから、おかしいと思ったらすぐに知らせるんだぞ。あと、今日は早く休むように」


「わかりました」


 色々あってすっかり疲れ切っていたので忘れていたが、今日はまだ月曜日だ。中休みがあるわけでもないので、先生の言うように今日はしっかり休まないといけない。


「香坂くん、ごめんね」


「こっちこそごめん、本当に気にしないで。全部俺が勝手にやったことだから。足、お大事に」


 すっかり肩を落とした本城さんに、懸命に言葉をかけた。足も痛いだろうし、暗いところと男が怖いと言っていたのに、付き合わせてしまって申し訳なかった。


「……ありがとう」


 本城さんはそう言うと、はにかむように笑う。……彼女の本心はわからないが、とりあえず表向きだけでも笑ってもらえたことにほっとする。


「そうだ。本城珠希、君のことも寮まで送っておかないとな」


 佐々木先生の言葉に本城さんが頷いて、二人は道向かいの寮の方に向かって歩き出した。それを確認してから、俺も階段を上がって鍵を開け、部屋に入る。鞄を下ろし上着を脱いで、ベッドに倒れ込んだ。


 ひとりになると、また、先ほどのことを考え出してしまう。


 頭痛はすでにおさまっているし、別に身体がだるいわけでもない。しかし、何ともいえない奇妙な感覚が拭えないままだった。


 倒れた時に見た、夢。妙に鮮明で、匂いも、温度も、あった気がする。そんな夢の中で、母親が俺のことを知らない名前で呼んだ。あそこにいた俺は俺じゃないはず。あれはただの変な夢に過ぎないはず。そうに違いないのに、こんなにグラグラと揺れているのは。


 母さん(あの人)は誰? ひとかけらだった疑念が、徐々に大きくなっていく。


『たまきくん、君はどこから来なさったんだ?』


 父親を知らない。祖父母も知らない。そのほかの親戚も。母親のこともよく知らない。何も教えてもらえない。


 まるで、俺はどこからともなく現れたみたいじゃないか。


 全身の血がさらに冷えていく。そして、頭の中にはとんでもなく嫌な結論が浮かんでいた。そんなことが本当に可能なのかはわからない。でも、もしかしたら。


 …………もう、だめだ。かんがえたくない。


 俺は、たまらなくなって目を閉じた。

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