第22話 省みて、語れば
今は入学二日目。夕食後の自由時間。
「紺野先生、風呂終わりましたよ。あと、スマホを使いたいのですが」
風呂を終えた俺は、ノートパソコンに向かう紺野先生の背中に声をかけた。
魔術学校入学にあたってようやく手に入れた、スマートフォンなるからくり。今日こそはふれあいの時間を持とうと考えていた。なお、寮生は許可された時間以外は職員に預ける決まりになっている。
紺野先生は作業の手を止めると、机の鍵付きの引き出しを開け、中に入っていたスマホを俺に差し出した。
「はいどうぞ。使用時間はちゃんと守ってね」
「ありがとうございます」
なんだか嬉しそうに見える気がして、どうしてだろうと首を傾げた。先生は再びパソコンに向かい手を動かし始めたので自室に戻り、ハンガーに吊るした制服のポケットからメモ帳を出し机に向かった。
このスマホは母親が初期設定をし、アプリをいくつか入れてから持たせてくれた。さっそく画面をタッチしてみるもつかない。あれ? 側面にいくつかあるボタンを順に押してみるが、画面は暗いままだ。
「え、あれ? おかしいな。電源が入らない」
「電池切れじゃ? 電源コードはあるかい?」
「あ、そうか……ありがとうございます。あります」
さっそく机の中を探って、コードを引っ張り出す。
「よかった。じゃあ僕はお風呂に入ってくるね」
よく考えると入学式の前々日の夜から充電していなかったな。コードを合うところに差し込んで、机のコンセントにプラグを刺した。
少し経つと画面がつき、ポコポコポコポコと大きな音が続けて鳴った。驚きで飛び上がり、ビクビクしながら画面を覗いた。
『大丈夫ですか』『母さんは今家に着きました』『ご飯食べましたか』『返事ください』『朝は起きられましたか』『大丈夫ですか』『返事ください』
何度も同じ音が鳴り続けたので壊れたのかと思ったが、母親からのメッセージが大量に流れ込んできただけだけのよう。ほっと一息つき、スマホを手に取る。
ひとり息子を心配しているのであろう母親の様子伺いを、最大で丸一日以上無視してしまっていた。申し訳ないと思いながら全てを読み、慣れないキー操作をして『元気です、大丈夫です』と返した。
返事を待ちかねていたのか、それはすぐに既読状態に。ご機嫌そうに動き回るウサギのスタンプがひとつ返ってくる。
ちゃんと友達ができたとか、紺野先生はいい人だとか、委員長になってしまったとか。報告したいことは色々。しかし、全部打ち込んだら朝になってしまいそうだ。まずは何から書こう。
「あ、友達からかな?」
「あはは。母親からです」
紺野先生が風呂を終え俺の部屋に来た。風呂あがりの無造作な感じでもなんかかっこいい。と言うより、綺麗が近いか。片手にはいつものボトルコーヒーを持っていて、目の前に緩やかに腰を下ろす。
「ああ、お母様か……なるほどね」
「まだ買ってもらったばっかりなんで、地元の友達の番号は今からちょっとずつ登録していこうかと」
さっきポケットから取り出したメモ帳を示す。母親に返信したら作業を始めようとしていたが、いったいいつになることやら。
「へえ、ずっと持ってなかったなんて、今時珍しいね。君の地元はみんなそんな感じなのかい?」
中学では校則で所持自体が禁止されていたが、このご時世なので本当に持っていなかったのはほんのわずか。しかし俺もそこに含まれていた。生真面目な母親が、決まりは守るべきものと言ったからである。
「学校が禁止しててもみんな持ってたし、俺も欲しかったんですけど、母親が厳しくて。こういう時って父親は味方してくれるものなんですかね」
周りでは、母親がだめだと言っても父親が一緒にお願いしてくれたとか、祖父母が買ってくれたとか、そんな話ばかり聞いた。でも、俺にはそういう援軍はいなかった。
俺はゲーム機も持っていなかったし、テレビもひとりの時はあまり見ないようにと言われていたため、家での暇つぶしといえば読書か勉強だった。
そのおかげか常に成績が良い方だったので、難関と言われるこの学校にもなんとか滑り込むことができたわけだ。結果的には良かったのかもしれないなと思いながら笑う俺を、紺野先生が対照的な沈んだ目で見ていることに気付いた。
「そういえば、君にお父様はいないんだったね」
どうして知っているのだろうと思ったが、目の前にいる人はただのルームメイトではなくて寮生の俺を監督する先生でもある。さまざまな書類に目を通しているだろうから、そのどこにも父親の名前がないのを把握してない方がおかしい。
「はい。物心ついた頃にはもう。『会えないところにいる』と言われたんで、死んだんだって思ってたんですけど」
「うん」
「実家には父親の写真の一枚、祭壇の一つもないんですよね。命日に偲ぶとか、墓参りとかも一度もしたことないって、ある日気がついて」
これは友達にも話したことがない。紺野先生はじっと聞いてくれているので、そのまま続ける。
「真面目に聞いても『何も答えることはできない』って言われるだけで。だから、きっと触れちゃいけないんだって思って」
「何か事情があるんだろうね。でも君は、なんと言うかつらいね」
「あ、もう大丈夫です。父親が生きてても死んでても、母親がいますから。ひとりぼっちってわけでもないですし」
と言いつつも、一切悩まなかったというわけではなく荒れていた時期もあった。
今思えば、あれは反抗期というやつだったのかもしれない。
中学に入ったくらいの頃か。自分はなぜ一人だけなのか、父親はどこの誰でどうして消えてしまったのか。
これらの疑問に母親が答えてくれないことで、自分は望まれた子ではないのかもしれないと思うようになった。
ゲームやスマホを買ってもらえないのもきっとそのせいだと、毎日ごちゃごちゃと余計なことを考えていた。
何日も母親と口を聞かなかったり、苛立ちを母親にぶつけたこともあるし、自転車に飛び乗ってそのまま深夜まで帰らなかったりもした。
衝動のままに暗くなるまで自転車をこいで、辿り着いた山中で一人たたずみ、物思いにふけっていたのだが。
母親が探査魔術で探し、居場所はすぐにわかったらしいが、健康な男子中学生が全力で漕ぐ自転車はあまりにも速すぎて、車で移動していると思われてしまったらしい。
俺は特殊な存在ということもあって、誘拐かもしれないと思った母親が通報、魔術庁や警察を巻き込んだ大騒ぎになった。皆さんにめちゃくちゃ叱られたし、母親は朝が来るまで泣いていた。
しかし、それがきっかけで憑物が落ちた。思えばずっと女手一つで働いて、一人で俺を育てた母親のその背中は、背丈を追い越してからだってとても大きく見えていたのに、そのときの後ろ姿は小さな女の子にさえ思えたのだ。
確かに周りに比べると厳しくは育てられたかもしれないが、別に虐げられていたわけではないということに気がついた。
かたくなに何も言わないのは、ひょっとしたら俺を守るためなのかもしれないとか、そんなことを考えるようになったのだ。
「……ごめんね、立ち入ったことを聞いてしまって」
「本当に大丈夫なんで。なんかすみません」
過去の恥ずかしいことを思い出してしまったので、笑いながら頭をかいた。
「ああ、そうだ。この流れで言うのも悪いけど、よかったら僕の連絡先も登録してくれないかな」
紺野先生が自分のスマホをこちらに向ける。なんと俺のと同じ機種、同じ色だ。さっき機嫌が良さそうだったのはこのせいか? 俺が選んだのは色だけとはいえ、先生とは本当に気が合うのかもしれない。
先生のスマホの画面にはなんとかコードとかいうやつが表示されている。教えられるままにそれを読み取ると、こちらのアプリ上に先生の名前が表示された。
「こっちにも登録できたよ。ありがとう。まあ、一応周りには内緒にしといてね。僕ら表向きは生徒と先生だから」
先生はこちらに身を乗り出して、まるで小さい子と約束をするように片手の人差し指を口に当てる。長い睫毛に縁取られている夕焼け色の目に見つめられると、なぜかまたドキドキしてしまう。
なんでだよ、俺。あと、表向きって何? 先生。
表ということは、裏はなんだ? 友人としてってことか? いや、他に何があるんだよ!!
なんとなく、その真意を確かめる気にはなれなかった。





