国外へ
晩餐会のあとのシルヴィ視点です。
――国外退去を言い渡されたその日。
私は晩餐会場から私室のある離宮に戻り、出国の準備を進めていました。
「……ていっても、バッグひとつで収まってしまいました」
聖女の私室とされている部屋はとても簡素で、石造りの部屋には、ベッドとテーブルと一脚の椅子程度しかありません。
クローゼットの中にある数着の着替えをバッグに詰め込めんでしまえば、支度はそれでおしまい。貯めていたほんの少しのお金をお財布に移し、準備完了です。
一〇年前、七歳の頃にババ様に拾われ、育ててもらったこの離宮を出ていくとなるとそれはそれで少し寂しいです。
けれど、国外追放の命令が下された以上、出ていくしかありません。
こんな形で出ていくことになるとは思いもよりませんでした。
鞄を手にした私は、出入口で振り返ります。
点けたばかりの魔法燈を消して、シンとした部屋を見回しました。
見慣れた風景……。
この私室と地下にある祈祷室が、ここでの日々のほとんどでした。
婚約者としての催しがなければ、王宮内を歩くこともない。出された食事を食べ、眠り、そして朝日が昇ると同時に祈祷室で聖女の勤めを果たす毎日……。
窓から見える城下の町を見て、みんなどんなことをして生活しているのでしょう、と考え、想像を膨らませたものです。
けれど、窓から見るしかできなかった外の景色は、手の届かない異界ではもうありません。
「……ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げお礼を言って、私は暮らしてきた部屋を出ていきます
目立つような特徴のある容姿ではないので、出国するまで顔を指されることもないでしょう。
「聖女様――? どちらへ行かれるのですか」
声をかけてきたのは、まだ若い騎士でした。
私のほうへ血相を変えて駆け寄ってきます。
長身で月光のような銀の髪に、海のように蒼い目をしていました。
たしか、エイリクスさん。
歳は、私より少し上だったはずです。
「ええっと」
ロクに外出しない聖女が、鞄を持って廊下をうろついていれば、何事かと思うのも仕方のないことでしょう。
「今は晩餐会にご出席のはずだと思うのですが……。その荷物は……」
「エイリクス騎士、私はもう聖女ではないんです」
「は? 何を言って……」
不思議そうにするエイリクスさんに、私は晩餐会での出来事を話しました。
「――というわけで、私はもう聖女でもありませんし、婚約が破棄されましたのでここにいる理由もありません。国を出ていくように、とも指示をされています」
「なんてことを」
あのバカ王子、とボソっとエイリクスさんは言った。
聞く人が聞いていれば不敬罪で処される発言ですが、聞いていたのが私なので余裕でセーフです。
「あの方は、ああいう方なので、お気になさらないでください」
全然気にしてないけれど、どうやらフォローをしてくれているようです。
「シルヴィ様。あなたは、その、魅力的な女性なので……その、良縁が今後もきっとあるはずで……」
口慣れないセリフなのか、たどたどしく言うエイリクスさんは、私を慰めてくれているようでした。
「本当に大丈夫ですから。お気遣いありがとうございます。婚約破棄されて清々したくらいですから」
笑って言うと、ほっとしたようにエイリクスさんは笑みを返す。
「晩餐会で肉を頬張っているのを王子に注意されて、貴女がついに愛想を尽かしたのだとばかり」
「え」
「今日も、たくさんお召し上がりになっているな、と。少し覗いたときに」
見られてました……!
恥ずかしい……!
「そ、そんなに、たくさん食べてません……から」
小声でどうにか反論をすると、「いや、失礼」とエイリクスさんは笑みを引っ込めました。
「可愛らし方だなと思いまして」
「い、いえいえっ、く、食い意地が張っているだけですから……っ」
王子には怒られることを、エイリクスさんはなぜか褒めてくれました。
「行くあてはあるのですか」
「ありません」
「そんな堂々と言わなくても」
本当のことなので、と私は笑います。
「国外に早急に出ていけとのことなので、とりあえず国外へ向かうつもりです」
「たったお一人で?」
「ええ」
きっぱりと口にすると、エイリクスさんは何か考え込みはじめました。
「俺が――、いやだが……、となると……しかしそれでは――」
ぶつぶつと独り言を言って、脳内会議が終わったらしく、真っ直ぐこちらを見つめてきます。
「元聖女とはいえ、年頃の少女が王都から国外へ出るには、早くて三日ほどかかります。馬でなら飛ばして半日ほど。少女の一人旅など、危険すぎます」
「そうでしょうか?」
離宮の蔵書を愛読しているから、外の世界の知識もそれなりにありますし様々な魔法だって上手く使えます。
私が首をひねると、エイリクスさんは力強くうなずく。
「で。そこでご相談です」
小さく手を挙げるので、どうぞ、と私は先を促します。
「可能なところまで、俺が送り届けるというのは、いかがでしょう」
「それでは、騎士の務めが」
「聖女をお守りするのが騎士の務め。それに、あなたの安全に勝るものがありますか?」
静かな水面を思わせる、落ち着いているけれどしっかりとした声でした。
私がどきりとしていると、言葉を続けました。
「王宮での務めはもちろん大切ですが、女性を守るのも騎士の務めかと」
「で、では……お言葉に甘えさせてください」
こちらへ、と案内されるがままついていくと、裏手にある厩舎へとやってきました。
エイリクスさんが鞍を乗せた馬を連れてくると、まず先に跨り私へ手を差し伸ばしてくれました。
「シルヴィ様、お手を」
「ありがとうございます」
私が手を掴むと、ぐいっと引っ張り上げられ、エイリクスさんの後ろに座りました。
裏門の門番にエイリクスさんが何か頼んで「仕方ねえな、貸しだぞ?」と門を開けてもらいました。
「捉まっててください」
言われるまでもなく、捉まってます、ごめんなさい。
馬って、結構高いんですね……。ちょっと怖いです。
馬が速足になり、徐々に速度が上がっていきます。
「エイリクス騎士、もう私は聖女でも何でもないので、堅苦しい話し方はやめてください。様をつけるのもなしです」
「……そうか、承知した。では、シルヴィと呼ばせてもらおう。俺のことを親しい人間はリクと呼ぶ」
「わかりました。では、リク、と」
賑やかな大通りを避け、人けのない通りを進みます。
王都の外へ出る門まではあっという間で、リクがまた何かを言うと、門兵は門を開けてくれました。
王城の騎士は何かと顔が利くようです。
「眠くはないか?」
「全然。むしろ楽しいです」
「楽しい? それはよかった」
本でしか知らないような景色ばかりが目の前に次々と広がっていきます。飽きるはずも眠くなるはずもありませんでした。




