002 ここは無法地帯だ
時間にするとおそらく1分程度だろう。
だが、俺たちにはもっと長い、悠久の時のように感じた。
海老沢が深瀬を滅多刺しにしている時間が。
「海老沢……お前……」
俺たちが愕然とする中、海老沢が動きを止めた。
返り血によって真っ赤に染まった体をこちらに向ける。
その表情は実に誇らしげで、一片の悔いも感じられなかった。
「見たか! これが逆襲――下剋上だ!」
海老沢が血塗られた顔で笑う。
その瞬間、半数近くが悲鳴を上げて逃げ出した。
俺は逃げない。
不思議と恐怖は感じなかった。
「お前、何やってんだよ」
「深瀬には散々イジメられてきたから、その復讐だよ」
「だからって、殺したらまずいだろ」
「なんで?」
「なんでだと? 殺人なんだぞ。お前の人生、お先真っ暗だ。逮捕されて少年院送りだ。嫌いな奴のために人生を犠牲にするんだぞ」
「何言ってるんだ? 鷹野」
海老沢がニィと笑う。白い歯が垣間見えた。
「目が覚めたら謎の島にいた――そんな現実離れした状況で、警察なんて来るわけないだろ。ここは無法地帯なんだよ。やったもん勝ち、先手必勝だ」
海老沢が近づいてきて、俺の前に立つ。
「どけよ、鷹野。俺は他にも殺したい奴がいるんだ」
近くにいた男子が「ひぃぃぃ」と顔を青くする。
深瀬と一緒になって海老沢をイジメていた人間の1人だ。
その男の顔を見て、海老沢は嬉しそうに笑った。
「頭を冷やせよ。今ならまだ取り返しがつくかもしれない」
「うるさい! 俺はもう、やられる側の負け組じゃないんだよ!」
海老沢が襲い掛かってきた。
角杭を俺に向かって振り下ろす。
俺は体を横に流してそれを回避する。
格闘技の経験はないが、冷静に対処できた。
そのまま海老沢の背後に回り込む。
後ろから軽く背中を押してやるだけで決着した。
海老沢がバランスを崩して転倒する。
渾身の空振りで前のめりになっていたのが響いた。
「ぐぁ!」
うつ伏せに倒れる海老沢の背中を足で踏む。
「離せ! お前も殺してやる! 鷹野ォ!」
野獣のような声で喚く海老沢。
そんな彼の声を無視し、俺は近くにいた瀬奈に言う。
「ロープを取ってきてくれ。コイツを縛って皆のもとに連れて行く」
「分かった」
瀬奈は顔を引きつらせながらも淡々と行動する。
「離せぇえええええええええ!」
海老沢の抵抗は何の意味も成さなかった。
(ここは無法地帯、か)
海老沢のセリフを反芻する。
たしかにそうかもな、と思った。
◇
深瀬を埋葬したあと、捕縛した海老沢を連れて戻った。
「――ということで、今に至る」
集まった残りのグループには、俺が事情を説明する。
誰もが動揺していた。
「てめぇ、よくも深瀬をやりやがったな!」
190センチ近い身長の大男――大我が海老沢を殴り飛ばす。
筋骨隆々の肉体から繰り出される一撃は強烈だ。
海老沢の歯が何本か地面に転がった。
「大我、よさないか」
吉井が止めると、大我の怒気に満ちた視線が動いた。
「俺に指図すんのか? インテリ野郎」
「い、いや、指図だなんて、とんでもない、そんなつもりはないさ」
大我に睨まれて、吉井はたじたじだ。
吉井には、大我を止めるだけの力がなかった。
「お前の言う通りここは無法地帯だ。だったら俺がお前を殺しても問題ねぇよなぁ!?」
地面に横たわる海老沢の腹部を蹴りつける大我。
「ごめん……なさい……ゆる……して……ゴヴォ」
海老沢は涙を流して命乞いする。
当然ながら、そんなことで大我が落ち着くことはない。
(このままだと海老沢が殺されてしまう)
それは俺の本意ではなかった。
俺は禁固刑に処したかったのであり、死刑は望んでいない。
だから大我を止めようとする――が、先に吉井が口を開いた。
「大我、待ってくれ。僕に名案がある」
吉井の表情は自信に満ちていた。
何か閃いたようだ。
「名案だぁ?」
大我が振り返って吉井を睨む。
「たしかに、ここに法はない。だったら僕たちが法を作ろうではないか」
「どういうことだ?」
「海老沢をどうするか、多数決で決めるんだ。ここで君が怒りに身を任せて彼を殺したら、次は君が皆から忌避されてしまうぞ」
「ぐぅ……」
大我が周囲を見渡す。
皆、恐怖心のこもった目で彼を見ていた。
「……分かったよ」
渋々承諾する大我。
海老沢がホッと安堵の息を吐く。
これで殺されずに済む――そう思ったのだろう。
「海老沢の処分だが、僕は死刑が妥当だと思う」
吉井が冷たく言い放つ。
誰もが「えっ」と驚いていた。
大我ですら驚愕している。
海老沢にいたっては目をひん剥いていた。
「海老沢が人を殺したのは紛れもない事実だ。目撃者が多数いるし、本人も認めている。ならば、嫌疑不十分ということにはならない。人を殺したのだから、償うには自分の命を捧げるしかないだろう」
「そんな、やだよ、俺はイジメの仕返しをしただけなんだ!」
海老沢の声に、誰も答えない。
「吉井、お前、よく分かってるじゃないか! 見直したぜ、お前のこと!」
大我は満面の笑みを浮かべ、吉井の華奢な肩に腕を回す。
それから、大きな声で言った。
「当然ながら俺も死刑に一票だ! 殺人犯を生かしておいたら危険だからな! 他の奴はどうなんだ!?」
「死刑に賛成の者は挙手を」
吉井が言う。
驚くことにほぼ全ての人間が手を挙げた。
挙手しなかったのは俺を含めて数人しかいない。
「賛成多数――死刑で決定だ」
判決、即、執行だ。
大我の指示によって、広場に即席の絞首台が作られた。
「助けてくれ、誰か、お願いだ、助けて、お願いします、神様ぁ!」
海老沢が泣きながら懇願している。
「残念だが、これが民意だ」
吉井は民家から椅子を持ってきた。
大我は取り巻きに命じて、その椅子に海老沢を立たせる。
そして、ロープの輪に海老沢の首を掛けさせた。
「死刑はやり過ぎだって」
俺は何度目かになる中止を訴える。
もちろん意見が通ることはなかった。
「嫌なら見なくていい。すっこんでろ。いつまでも民意に口を出すようなら、次はお前がこうなるぞ?」
大我が脅してくる。
俺は歯茎を噛みながら周囲を見渡す。
絞首台の前で、多くの生徒が目を輝かせていた。
中には「死刑って初めて見るよ」と興奮している者まで。
(大我だけじゃねぇ、どいつもこいつもイカれてやがる)
明らかに大半の理性が吹っ飛んでいる。
これが群集心理というものなのか。
俺は絞首台から少し離れたところに立つ。
群衆に混じっていると、自分までおかしくなりそうだった。
「本当に無法地帯なんだね、ここ」
瀬奈が近づいてきた。
その隣には宮内里依も一緒だ。
里依は、黒のセミロングと黒のニーハイが特徴的な女子だ。
瀬奈の友達で、俺たちと同じく海老沢の死刑に反対していた。
「こんなのが許されるはずない」
俺の言葉を嘲笑うかのように、刑の執行が言い渡される。
「海老沢、君は――死刑だ!」
「許してください! 何でもしますから! 何でも!」
「うるせぇ、さっさと死ねや!」
大我が海老沢の立っている椅子を蹴飛ばす。
支えを失った海老沢の体がストンと落ちた。
それによって、体重の全てがロープを通して首を襲う。
海老沢は一瞬で意識を失い、そのままこの世を去った。
「「「うおおおおおおおおおおお!」」」
フェスのような熱狂に包まれる群衆。
勝ち誇ったようにガッツポーズする大我。
満足気に頷く吉井。
「イカれてやがる」
俺は顔を歪ませた。
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