※ 大規模な軋轢(二)
そして今年の五月。
新政権の基盤が固まるよりも早く、鳥羽法皇陛下が御病に倒れられた。
これにより、崇徳上皇陛下のお怒りがついに爆発なさった。
突如突きつけられたご自身の御退位。さらには正式に立太子の儀を経ていない雅仁親王殿下の御即位。
崇徳上皇陛下にとって、これらは到底容認できるものではなかった。胸の内に猛る思いを無理やり抑えてこられた分、反動は凄まじいものであった。
鳥羽院政という名の重石は、崇徳上皇陛下・近衛天皇陛下にとって多大なる重圧となられていたと拝察する。その重石が、後白河天皇陛下への重圧を最後に外れようとしているのだ。崇徳上皇陛下が、今まさに行動せねば、と思われたのも、長きに渡り苦しめられていらしたゆえだろう。
「目まぐるしく動く情勢の中、朝廷が崇徳方と後白河方に分裂した──これが大方の筋だ」
父上は硬い表情で、あらましの話を締めくくられた。
この件に関して裏で動いているのは、御上の筆頭近侍・信西殿らしい。鳥羽法皇陛下にも献身的な素振りを見せながらも、何やらもくろんでいるようだ、と父上は睨んでいらっしゃる。
「陣は同じであるが、油断ならぬ信の置けぬ奴よ」
苦虫を噛み潰したような表情で声をひそめられた後。厳しい表情でこう仰った。
「双方が我ら武家の力を取り込んだ。いずれ大きな合戦になることは避けられぬ」
──と。
それは世間に緊張が走る数日前のことだった。
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