第87話 エスペルの出立
ライラの失踪を受け、城では早朝から緊急会議が行われ、エスペルの即日派遣が決定された。
エスペルは今、トラエスト城の城門から出ようとしていた。
肩には使い魔カラスのカア坊がとまっていた。背中にはヒルデに渡されたリュックを背負っている。中身は山盛りの回復薬、連絡手段として通信鏡、栄養強化クッキー、飛び道具系武器などなど。
リュックをエスペルに渡したとき、ヒルデはすっと右手を差し出してきた。
エスペルは一瞬驚いたが、すぐに笑ってその手をしっかりと握った。
ヒルデは珍しく、何を言おうか思い迷う様子だった。出てきたのはこんな言葉だった。
「お前に頼ってばかりだな」
「頼れ。俺がやる」
エスペルの即答にヒルデはふっと笑った。
「では、頼んだ」
出がけには、キュディアスにはまたもがしりと熱い抱擁をされてしまった。
ひどく生真面目な顔をして、
「ドンと行って来い」
と、それだけ。
「はい」
思わずエスペルの口元が緩んだ。
城門を出て、西に横たわる荒野を見据えた。青黒く聳えるラック大山脈、あの麓にある王国。愛しい故郷。
(無事でいてくれ、ライラ)
「カア坊、ダチョウになってくれ」
「ダチョウ デハ ナイ!イケメンダチョウ、ダ!」
「はは、うん。イケメンダチョウ、な」
カア坊は白い煙と共に、カラス顔のダチョウのような生き物に変化する。
カア坊の背中によじ登ろうとした、その時。
「エスペル君!」
背後から声をかけられ、エスペルは怪訝な顔をして振り向く。
後ろにいたのはやはり、宰相のジールだった。
城門を出てこちらに駆けてくる。
「宰相!?な、なんでしょう。先ほど、全てお話しましたが……」
息を切らせながら駆け寄ったジールは、緊張した様子のエスペルを見上げて、
「会議ではちゃんとご挨拶できませんでしたからね。やはり宰相としてしっかりお見送りしないと!」
「あ、ありがとうございます、光栄です、お忙しい中わざわざ……」
エスペルは引きつりながらも頑張って笑みを浮かべた。
「それにエスペル君がずっと私に何かを聞きたそうにしていらしたのが、気になっておりまして」
エスペルの顔から愛想笑いが消える。ジールを見ると、相変わらず食えないニコニコ顔である。
ああ、とエスペルは理解する。
この人は俺が何を聞きたいか分かっているんだな、と。
エスペルは、はっきりと尋ねた。
「宰相、ライラに何を言ったんですか?」
ジールは白い歯を見せて小首をかしげた。
「大したことは言ってないですけどねえ。エスペル君を傷つけられたくなかったら、天界開闢とは何か教えて下さい、とだけ」
唾を飲み込んだ。想像以上のゲスさだった。
まさかそこまで酷いことを言われ、ライラが一人で悩んでいたなんて。
怒りがこみ上げてきた。ジールは怒りの火に油を注ぐようなケロリとした様子で、
「あー、もちろん嘘も方便というやつでして、本気であなたを傷つけるつもりなんてありませんでしたよ?」
「よっ……、よくもそんなことを!」
エスペルは抑え切れず、ジールの襟首を掴んだ。拍子にそのベールが脱げ、長い銀髪が陽光にさらされる。
ここが城壁の中だったら、兵士が飛んできてエスペルは捕らえられているだろう。
細く小柄なジールは、自分より大きなエスペルに襟首を締め上げられてるというのに、まるで臆するところがなかった。
「宰相の私に汚れ仕事をさせたことを反省して下さい。あなたがいつまでも情報を引き出せないからですよ」
エスペルは襟首を掴む両手に、ぐっと力をこめた。懸命に感情を押し殺した低い声で囁く。
「余計なお世話です。あなたが何もしなくてもライラは情報提供してくれました」
「それは失礼しました。つい、何かしたくなる性質で」
「帰ってきたら、一発殴らせてもらっていいですか?」
「殴るだけでいいんですか?欲しければこの命だって差し上げましょう」
その眼差しは真剣で、まるで本気で言っているかのように思えて、エスペルは眉をひそめる。
「なにを……」
「殺したければどうぞ、私に出来ることならなんでもします。地位でも財でもなんでもあげますし、どんなことだってします、だから、どうか……!」
そこでジールは自らを締め上げるエスペルの両腕をぎゅっと握りしめた。
「だから、必ず勝って下さいね!」
懇願する目。それはまるで、我が子の命を守ってくれと医者に縋りつく母親のような。
エスペルは手を緩め、ジールを解放した。
押し黙ったエスペルに、ジールは気恥ずかしげな苦笑を浮かべた。
襟元を整えると、憂いを帯びてエスペルを見た。歯がゆそうに呟く。
「情けないやつだと思ってます?あなたに全てを背負わせ、縋ることしかできないくせに、と。そうですね、私は無力だ……」
しばしの間があった。
ジールの言葉はエスペルの胸に染み渡っていった。
この男を好きにはなれない。
しかし、身を賭してでも民を守りたいという強い想いは同じだ。
ヒルデやキュディアスも、ジールと同じ歯がゆさを浮かべていた。本当は共に戦いたいのだと、心の底で叫んでいるような。
戦いたいのに戦う力を持たない男達。
エスペルはその男達のやるせない想いの全てを背負って、敵地に赴くのだ。
やがてエスペルは足を揃え、背筋を伸ばし、額に手をかざし、敬礼する。
「どうぞ私に全てを背負わせ、縋って下さい。あなたが守るこの国の人々を、そして地球に住む全ての人々を、私が救います」
――俺に頼れ。俺がやる。
エスペルのその姿勢は、常に迷いなく一貫していた。生き様と呼べる程に。
ジールはエスペルを見据えると、やおら、その場に傅いた。
地面に両膝をつき、エスペルに深々と頭を垂れる。
立て膝で頭を下げ、両手を胸でクロスさせるその敬礼は、帝国宰相が本来、皇帝にしかやらないはずの、最敬礼であった。
「あなたを今この地に遣わして下さった神に感謝します。英雄よ、どうか私達をお救い下さい」
そこには、見た目よりはるかに泥臭い、無私の政治家がいた。エスペルは胸打たれた。
「はい、必ず……!でも、一発は殴らせてもらいますよ、ライラの分ですから!」
ジールは微笑む。
「もちろん、どうぞ。お待ちしておりますよ、英雄のご帰還を!」
※※※
ジールはいつまでも、出立したエスペルの背中に跪き続けた。
たった一人、土の上で、その姿が見えなくなっても。
それが、国と民のために己が出来る、最後の「何か」であることを、分かっていたからであろう。




