第6話 地獄の六日間(4) 死の霧
王都民十名と聖騎士二名を乗せた荷馬車が、王都を出立してから三十分ほど過ぎた頃。
「まてガイル!」
エスペルの叫びとともに、荷馬車が急停車した。
今まさに王国を取り囲む長城の門を抜けたところ、王国領の南の境とされているテイム川の橋を渡ろうとした瞬間である。
「赤い……霧!?」
彼らの行く手に、赤色の霧が壁のように立ちふさがっていた。いやその濃密さはほとんど雲と同じだった。
霧の壁は左右を見れば長城に平行して弧を描き、上を見上げれば丸く高く、空を覆っていた。
「ま、まるでドームだ……」
王国を覆う、赤い霧のドームが出来上がっていた。
民たちが恐れ戦いた。ガイルが頭をかきむしった。
「セラフィムどもめ、何やりやがった!」
エスペルは後方を振り仰いで叫んだ。
「まずいぞガイル、セラフィムが追いついてきた!」
十名以上はいるだろうセラフィムたちの一隊が、こちらに向かって高速で迫り来る。
「ちっくしょう、逃げるしかねえ!」
「この霧はどうする!?」
「たかが霧だろう、気にせず突っ込む!!」
ガイルが思い切り鞭を入れた。馬は猛然と飛ぶように走り出した。
目前の橋に向かって、赤い霧に向かって。
荷馬車は霧の中に突入した。視界が真っ赤に染まる。足下も確認できない赤い濃霧を、馬は駆けた。
エスペルは息を詰めて、馬車の振動に身を任せた。
何も見えないが、その足音で鉄の橋の上を渡っているのは分かった。
やがて足音が地面を駆ける音に変わった。
「橋を渡りきったか……!」
エスペルがつぶやいた。
同時に霧が晴れた。赤い霧の壁を通り抜けたのだ。
だがその瞬間。
霧の壁を抜けたその瞬間、エスペルの体は、放り出された。
「くっ……。なんだ!?なんで馬車が転倒を……」
地面から体を起こし顔を上げた。
エスペルはうっとうめいて呼吸を止めた。
理解不能な光景が目の前にあった。
馬も人も、真っ白な骨になっていたのだ。
「な……!!」
紐を体に巻き付けたまま倒れている一頭の馬の骸骨。
転がる馬車の中にひしめく、人間の骸骨。十一人分の骸骨。そのうち一つは小さい子どものものだった。エスペルが背負ってやった娘だ。
来た方向を見れば赤い霧が王国をすっぽりと覆っていた。まるで赤い山のようだ。
すぐそこにあるはずのテイム川も濃霧の下にあり、水面すら確認できない。
「ガ……ガイル……。王都の皆……。嘘だろ……?」
エスペルはたった一人、濃霧のふちに取り残されていた。
「嘘だ……」
蒼白となり、地に伏せた。そこにある土を両手で握りつぶす。
「こんなの嘘だ……!嘘だ嘘だ!!!」
王国内の異様な赤い霧とはうってかわった青空を振り仰ぐ。
地獄の六日間、最後の日。
一人の男の、喉を引き裂くような慟哭が、雷鳴のごとく虚空に轟いた。




