第32話 買い物(2) 役名
はあーっ、とため息をつきながら、エスペルはライラを伴って市場から抜け出す。
道すがら説教タイムだ。
周囲に誰もいないことを確認したエスペルは、
「あのな、ライラ。店に置いてあるものは、勝手に食べたり!壊したり!持ってったり!しちゃダメなんだ!」
「なんで?」
「なんでって、売り物だから!お金を払わないと自分のものにはならないんだ」
「お金……」
「そう、お金。こういうのだ」
エスペルはポケットから硬貨を取り出してライラに渡した。ライラは硬貨を裏表させながら、しげしげと確かめた。
「汚い」
「汚くても大事なものなんだ!人間はそれを集めるのが大好きなんだよ!果物も古着も、それと交換しないともらえないんだ。理解したか?」
「理解したわ。人間は、お金が大好き」
「う……、お……、うん。そうだ」
エスペルはこの説明の仕方でよかったのだろうか、とちょっと心配になる。
ライラは硬貨をエスペルに返しながら、何かを考える顔をした。
「じゃあさっきは、私のせいであなたを困らせたのね」
「そうだぞ」
「……悪かったわ」
ライラは後ろ髪をきゅっとつかみ、ちょっと口を尖らせながら、謝罪を口にする。
まさか謝られるとは思わなかったエスペルはたじろいだ。
「えっ!?あっ、いや、知らなかったんだから仕方ないよな。家に着いたらちょっと話そう、この世界のルール。聞きたいこともあるし」
「わかった。あと……それ貸して」
ライラはエスペルが左腕に抱えている果物袋を指差した。
「え?食うのか?」
「違うわよ。持ってあげる」
「はっ!?」
ライラは果物袋を両手でひょいとつかみ取ると、自分の腕の中に抱えた。
「うわ、いや重いだろそれ!女に重いもの持たせるとか騎士としてそのっ」
「これが重い?とても軽いけど」
ライラはポンと、ずっしりした果物袋を投げてキャッチしてみせた。
「……さてはセ……お前ら、力持ちかっ……!」
「それにこのほうが落ち着くの。人間なんかのために働くのシャクだけど、なにも働いてないと誰かに大声で怒鳴られそうで、やっぱり落ち着かないわ」
「ここにそんな奴いるわけないじゃないか、果物屋のオヤジなんてお前のことお姫様と勘違いしてたぞ。あっちの世界ではあれだろ、お前のアレがその、小さいから、周りにイジメられてただけで……」
ライラは深いため息をつくと、黙ってしまった。
エスペルはイヴァルトのことを思い出した。
「ライラお前、もしかして、あのイヴァルトって上官のこと、好きだったとか……」
「え?」
「いや、別に」
「好きじゃなかったわね……。すごく怖い人だったし……」
「だよなあ!?」
「え、ええ。でもイヴァルト様が隊長を務める神域周縁警備隊に、私を加えてくれたから、そこには恩を感じていたわ」
「そんだけで恩!?」
ライラはきっと睨みつける。
「それだけでもありがたいことなの!私は元々、役名が『警備セラフィム』なんだけど……」
エスペルがしーっと口に指を立てた。
「あ、ごめんなさい」
「役名ってなんだ?」
「生まれつき決まってる役目、役割のことよ」
「全員、生まれつき職業が決まってるってことか?」
「まあ、そうね」
「なんかすげえ……」
「とにかく警備が私の定められた仕事なんだけど、この見た目だから、どの警備隊の隊長も私を管轄に入れたがらなくて。神域の結界が出来上がった後、それぞれの分担を決めるときに。でもイヴァルト様が私を配下にするって言ってくれたの。嫌われ者の私を拾ってくれたから、ありがたいなあって」
「そういうことか……。でも、誰をどの部隊に配属するかなんて、もっと上の連中が決めるんじゃないのか?」
「えっ、そうなの?」
「いやセ……お前たちの国のシステムなんて知らねえけど」
「ふうん」
「恋人、とかいなかったのか?」
ライラが驚いた顔でエスペルを見た。その顔がみるみる赤面する。
「こここっ 恋!?なんの話してるのよっ。いるわけないでしょっ」
エスペルがしどろもどろになる。
「い、いや恋人じゃなくてもさ、ええとその、恋の意味で、好きなやつ、とかなんとか……」
ライラはふてくされたようにふいっと前を見た。
「いるわけないじゃない、友達だっていないのに、恋人なんて考えたこともない!私が恋なんて出来るわけないでしょう!」
「友達も……」
「いないわよ!別にいいのよ、私は嫌われ者としてずっと一人で生きて来たから一人で平気。それに神様はこんな私のことも、愛して下さっているもの。だから私は生きて来れたの……」
神様、と口にした時、ライラの瞳に今まで見たこともないような、愛おしげな色が浮かんだ。
「お前たちの、神?」
「ええ!とても美しい女性なのよ」
果物袋をキュッと抱きしめ、夢見るようにうっとりと目を細める。そこには恋を超える絶対的な愛のようなものが感じられた。
「そういえば」
とライラが続けた。
「そういえば、人間たちの神様も……まあまあ、素敵な人ね。人間にしては、だけど。まさかあれほど活性化された魂を持つ人間がいるなんて思わなかった」
「なんの話だ!?」
「コウテイヘイカ」
「ああ、プリンケ陛下か。確かに強力なオーラ持ってるよな陛下は。そういえば話しかけられたってシールラが言ってたな」
この報告を受けてキュディアスが頭を抱えしばらく無言になっていた。
大事には至らなかったわけだが、相当危険だったことは間違いない。セラフィムが裸の皇帝陛下と至近距離にいたなんてバレたら、セラフィムを招き入れ自由を許した者の斬首刑は免れないだろう。エスペルもキュディアスもヒルデもシールラも、仲良くあの世行きだったろう。
さすがのキュディアスも自分の甘さを反省していた。
「でも、陛下は神様とは言わないだろう。神様ってのは神様の世界にいて、聖堂や儀式で祈りを捧げると心の声に応えて願いを叶えてくれる感じの……」
「え?なによそれ、祈って心の声?」
ライラがおかしそうに笑った。
「おかしい、か……?」
「おかしいわよ、そりゃ」
エスペルは考える。
セラフィムの言う神とは一体、どういうものなのだろうと。




