表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/11

九スキル目 被りスキル

 このような世界、滅んでしまえばいい。

 そう呟き、世界を呪い、憎悪しながら、我が主は死んでいった。

 異世界人であったという我が主の生涯は、身勝手な人族からの追放に始まり、勇者を自称する人族の一行によって終末を迎えた。

 しかし、我が主は死の直前、いや、恐らくはそれよりも以前から用意していたのであろう秘術を、その命が尽きる前に発動していた。

 それは、陣上にて死した者達の魂を速やかに回収し、術者の死亡と同時に発動する秘術だったらしい。

 それによって、どうやら我々は転生と言う事象を果たしたということだ。

 ――と言う極めて異常な事態を、唯一の生き残りであった者に聞かされるまで、我は自分がおかしくなったのかと思っていたのだが、違ったらしい。

 その者が言うには、我々が死してからおよそ三年が経過したとのこと。

 それが意味するところは、我々は主が死した後、すぐに転生したということだった。

 そして、それはこの現状が悪夢の類ではないということを証明している。

 その現状と言うのが――


「よりにもよって、この魔狼将軍の我が犬人なんぞに……っ!」


 何よりも蔑んでいたはずの下等種族として生まれ変わってしまったことだ。

 犬人。正確には獣人族の犬人種と言う種族は、その多くが人族に恭順し、人族に仕えることを至上の喜びとする性質を持つ奉仕種族と呼ばれる者等の一つである。

 その姿は獣に近しい物から人に近しい物まで多種多様であり、同種だけとの交配を繰り返してきた種を血統種、異種との交配を挟んだ種は例外を除いて雑種と呼ばれている。

 一般的には血統種が優れていると言われているようだが、敵対者側に居た我に言わせると雑種共の方がよほど強靭な敵であったな。

 何せ、血統種共は優秀な能力に対して肉体が貧弱すぎるのに対し、雑種共は能力こそ劣るが、その生命力はしぶといことこの上ない。

 不幸中の幸いにも我は雑種の子供として生まれたようではあるが、それでも業腹だ。

 生き残りの者が言うに、我が主の使用した術は転生先の条件を詳細に指定できぬ代わりに、多人数の転生に対応していた物だったそうだ。

 そして、何よりも我を驚かせたのは――

「主様が、自らを犠牲に……?」

 その術の発動には、術者の魂が必要でもあったという事だ。

 それが意味するところ、それは、術者の死に留まらず、その魂の消失でもあるということだった。

 魂が消失すると、蘇生はおろか、輪廻の中に戻る事さえ叶わない。

 魂の消失とは、存在の消失でもあるのだ。

 あの狡猾にして周到な主がそれを知らぬ筈がない。

 我らが傷つこうと、誰が命を落とそうとも、顔色一つ変えなかったあの主が、自らを犠牲に我らを救った……?

「……あの方は、そんなに冷酷な方ではありませんでしたよ」

 生き残りの者がそう言う。

 彼女は過去に多くの同族を人族の手によって失い、復讐の為に主の傘下に入った。

 種族的な特性から人族に紛れて潜入していた彼女は、勇者共が攻め入ってきた際には人族の領域にいた為、難を逃れていたのだ。

「だが、慈悲深いというわけでもないだろう」

 そう言い返すと、生き残りの者は言い返せずに口を閉じた。

 主は容赦のない御方であった。

 敵は当然のことながら、配下の小さな失敗すら許さず、死した方がマシと言えるほどの厳罰を与える方だった。おまけに自身にも厳しい方であった。

 配下の死に顔色一つ変えなかった主ではあったが、部下が一人命を落とすたび、御身に消えぬ傷を秘かに刻み込んでおられたのだ。

 それを知っている我らはむしろ、主のそのような面を特に気に入っていた。

 この生き残りとて、その辺りを承知で主の傘下に下ったろうに。

 そう、この生き残りの――名は何だったか?

 我が今現在において住んで居る名もなき村のギルド長に就いている。というのはしかと覚えているのだが……駄目だ、思い出せん。

「それで、お前の名は……何だったか……」

「……あまり言いたくはないのですが、いい加減覚えてください。レティスです」

 そうだ。そうだった。

「ヒトの名を覚えるのは苦手だ。我は今の親の名すら覚えてないぞ」

 当然、転生した我には今生の親がいるのだが、その名すら覚えておらん。

 今生の我が両親はこの村の住人であり、母親がギルドに勤めている。父親は知らん。

「それは覚えてください。むしろ、今の時期なら覚えやすいと思うのですが……」

「赤子の頭だぞ。無理を言うな」

 そう、今の我は生まれて二年程度の赤子でしかない。

 すぐに転生したとはいえ、三年のうち、およそ一年は母親の胎内にいたからな。

「いや、赤ちゃんだからこそ覚えやすいはずですよ?」

 そうは言われても、無理な物は無理だ。

 確かにこの身体になってから妙に物覚えは良くなったが、苦手なことに変わりは――

「む」

 いかん……出る。いや、出た。催してきたと思ったら手遅れだった。

 くそっ、赤子の身体は辛抱が利かん!

「あ、おしっこですね。おむつを替えましょう」

 獣人族故、鼻の良いレティスが我の粗相に気付いてしまった。

「待て、やめろ」

 下の世話をよりによってかつての部下にされるなど、死んだ方がマシだ!

「駄目です。私がお世話を任されているのですから、大人しくしていてくださいね」

 大人しくと言われるが、赤子の身体では手足をばたつかせることくらいしかできん!

 未だ這いずる程度の事しかできぬ我が身体が恨めしい!

「くっ、殺せっ!」

 魔狼将軍と呼ばれて恐れられていた我が尻を丸出しにしておむつを換えられている。

 あまりの屈辱に憤死してしまいそうだ……。

「いや、部下の子供を殺せるわけないじゃないですか。大人しく私の将来の為の練習台になってくださいね。それにしても、かつての上司がここに転生しているだなんて、どういう因果でしょうかね?」

 それは我の方が聞きたい。なぜあの時の唯一の生き残りがここに居るのか。

「ところでウィリス様?」

 ウィリスと言うのは、私の前世の名前だ。

 今世ではどういう因果か、ウィリムと言うよく似た名前を貰った。

「なんだ」

「今世では男の子なんですね」

「言わないでくれ……」

 此度の転生、何が一番の業腹かと言うと、前世では女だった我が、今世では男だという事だ……。


 さて、少しばかり自分語りをさせてもらおう。

 我が名はウィリス。今生ではウィリム。

 前世では魔狼将軍と呼ばれ、敵味方共に恐れられていた。

 我がひとたび戦場に立てば血風が吹き、敵は微塵に刻まれ幾多の肉片と血煙と化し、味方は血肉と臓物に塗れて阿鼻叫喚の光景を生み出すということで、我が部下達は我を戦場に立たせまいと必死に鍛錬に励んでいたな。全く、血塗れになる程度で情けない。

 そんな我の最大の武器は己の肉体だ。

 魔狼種であった我は恵まれた体躯と鍛え上げた筋力と練り上げた技量、そして生来の強大な魔力による身体強化によって、肉弾戦においては無類の強さを誇っていた。

 あの勇者を自称する男でさえ、我には敵わなかっただろう。

 しかし、我は負けた。相手は勇者ではなく、勇者が連れていた騎士と魔女だった。

 白銀の全身鎧をまとった怪しげな声音の騎士と、正真正銘の魔女だ。

 なんらかの加護か技能の類か、やたらと重く硬い騎士に阻まれた私は自慢の足を活かせず、魔女が使う魔法を浴び、状態異常の猛毒によってなす術もなく倒れた。

 我の生まれとなる魔狼種は魔族寄りとは言え、獣人族であり、おまけに純血種だ。

 いくら恵まれた体躯や魔力をもってしても、魔女が使う猛毒への耐性はなかったが故のことだ。

 あらかじめ相手の情報は得ていたため、魔女を先に仕留めようとしたが、あの騎士が思いのほかに俊敏であったのと、魔女が騎士ごと我に魔法を放って来たのが誤算であった。

 魔法の猛毒を浴びて平然としていたあの騎士、恐らくはヒトではなかったのだろう。

 魔女の方も、実際に戦うまでは人族の雌の魔法使いを装っていたのも誤算と言えば誤算だな。

 ただの人族であれば、あの程度の魔法、我の魔力で抵抗してやった物を!

 既に敗北を喫した身であれど、悔しい物は悔しい。

 次に相まみえたら、どちらもただではおかんぞ……っ!

 と、ここまでが前世だ。

 今世の我は主の領土から遠く離れた山奥の村の生まれであるらしく、これまではずっと家の寝台か母親の腕の中に居ることがほとんどであったため、特に語れることはない。

 今居るギルドの建物とて、母親に連れられて今日初めて訪れたのだ。

 まあ、その原因が両親の喧嘩なのだがな。

 詳しいことはよくわからぬが、我が父親に不貞の疑いがあり、激怒した母親が家出を敢行。

 我を連れて仕事場に連れてきたのだ。

 今は育児休暇中だったのだそうだが、他に行く場所もなかったらしい。

 そして、生き残りの――レ、いや、セ? セリ、ス?

「レティスです」

「わかっておる」

 そう、レティスに発見されたのだ。

 なぜ我のことがわかったのかと問うと、魂の波長で分かったのだとか。

 彼女が言うには、主の眷属達の魂には共通する魂の波長があるのだと言う。

 そして、彼女はそれを感知する力を主より賜っていたらしい。

 人族に紛れて潜入している者には必須の能力だろう。

 何せ、我らは彼女等の存在こそ知ってはいたが、その姿を知らぬからな。

 主の配下は我のような腹芸の苦手な者が多かった故の采配であろう。

 それとも、主はこの状況を見越して彼女等のような存在を用意しておいたのだろうか?

 主亡き今、その真相はわからぬが、同胞を再び集結させ、憎き勇者共を始末せねば!

「レティスよ。あの憎き勇者共の行方は――」

「ああ、はい、全員死亡していますね」

 レティスが世間話しでもするような様子で答えた為、反応が遅れた。

「……なにっ?」

「詳細は不明ですが、あの御方の死後、何者かの襲撃を受けて全員殺害されています。遺体の損壊が酷くて確認に手間取ったようですが、間違いなく勇者達だったそうです」

「むぅ……間違いないのだろうな?」

「はい、鑑定士のお墨付きです」

 鑑定済みか。どうやら間違いはないらしい。

 何処の勢力だろうと、鑑定士共は虚言を吐けぬように誓約を設けているからな。

「そうか……」

 仇が死んだ今、我の、この憤りはどうせよと……?

「ところでウィリス様――いえ、今後はあえてウィリム君と呼ばせてもらいますが、まさかこの期に及んで以前の勢力を復活させようなどと思ってはいないでしょうね?」

「むっ、止めてくれるな。我は再びかつての力を取り戻し、今度こそ人族を絶望の――ふみょっ! ふぁ、ふぁひほふふっ!」

 レティスが意気込む我の頬を抓み、横に引っ張った!

「周辺諸国の情勢はここ三年間で激変したのです。もはや血で血を洗う戦いに意味はありません」

「知ったことか。例え何度死のうが、我は人族が我が一族にしたことを許す気など毛頭ない!」

 所有する力が危険だからと言うだけの理由で我の親兄弟は奴らに殺されたのだ。

 その復讐こそ成し遂げたが、同じ考えをもって同じ事をする者は必ず現れるだろう。

 人類、特に人族は寿命が短い分、その辺りが顕著だからな。

「それは私も同感ですが、先ほども言った通り、情勢が変わったんですよ。魔族と人族の間にあった争いは完全に終息しました」

「なに? どちらが勝ったのだ?」

「……痛み分け、と言った方が正しいでしょうね。魔族側は北の魔王様が討ち取られ、北方ではたくさんの魔族が死に絶えました。人族側は各国の勇者及びその仲間達の大半が死亡し、同行していた王族や貴族が死亡したことで多数の国が内乱状態に突入し、どこからか一部の上流階級の腐敗が判明し、反旗を翻した者達の手によって大々的な血の粛清が行われたようです。この国だと不正に異種族を捕らえ、奴隷として売っていた商会及び、商会と繋がりのある王族や貴族が粛清されました」

 ふむ、レティスの言い分だと、他国の粛清された奴らも似たようなことをしていたのだろうな。

 これはおそらくレティス達の仕事だろう。ふん、下種な人族共が。いい気味だ。

 しかし――

「……北の魔王を討ち取るとは、いったいどのような猛者が?」

 北の魔王はこの周辺諸国に陣取る魔王達の中でも最も武勇に長けた好戦的な魔王だった。

 何せ、我等の勢力にも喧嘩を売ってくるほどだったからな。

 我もあの戦闘狂とは何度か拳を交えたが、ついぞ勝負はつかなかったな。

 あれを倒すという事は余程の猛者であろうが、一体どのような者なのだろう?

「あー、えっと……そのうち会えると思いますよ?」

 はぐらかされた。

 しかし、我には解るぞ。

「なるほど、この村に居るのだな?」

 この村にはいくつか大きな気配を持つ猛者が居る。

 おそらく、その内のどれかが北の魔王を討ち取った者なのだろう。

「はい、まあ……あ、そろそろお腹すきませんか?」

 あくまで話しを逸らすか。まあいい、それはいずれ聞き出すとして、ほかにも聞きたいことなど山ほどあるのだ。

「いや、そんなことより――」

 現状の把握を、と思ったのだが、レティスの言う通り我が身体は空腹を訴えているようであった。

 赤子の身体はすぐに腹が空くな……。

「じゃあ、ご飯を用意するので待っててくださいね」

 そう言うと、今まで我を抱いていたレティスは寝台に我を寝かせて行ってしまった。

 二歳を迎えた我は幼児食まで食べられるようになっているが、正直、血が滴るような新鮮な肉が食いたい。

 そもそも、我は肉食の獣人族であるのだから、肉を食わせろと言いたいところだ。

 ……ああ、その点では、生前と同じく肉食系の獣人として生まれたのは幸運だったか。

 草食系の獣人であったなら、さぞかし生き地獄であっただろう。

「お待たせしました」

 だのに、我に与えられる幼児食は穀物と野菜のみ! 我は肉食だぞ!

 これならまだ乳の方がマシだ。故に、まだ乳離れが出来ていない我である。

「肉が食いたい」

「お肉の出汁は使っているので我慢してください」

「肉を食わせてくれ……」

「駄目ですよ。お肉はもう少し大きくなってからです」

「むぅ……」

 母親の方針で、ちゃんとした肉は三歳になってからだと言う。

 理由はよく知らぬが、その方が身体の強い子に育つのだとか。

 全く以って解せぬが、事実、生前の我もそのように育てられた記憶がほんのりとあり、他の同族より身体が傷病に対して強かった。

「はい、あーんしてください」

「あー……むぐむぐ……肉が恋しい」

「ふふっ、味を知っているだけに恋しくなってしまいますか?」

「うむ、早く成長したいものだ」

「だったら、たくさん食べて動きましょう。あ、その前にお昼寝ですね」

「食べたら眠くなるのも厄介だな……」

 ちなみに、こうして甲斐甲斐しく世話を焼いてくれているレティスだが、当人曰く「私もあと数年したらお母さんになる予定なので」とのことだ。

 確かこやつの年齢も大分いい年だと思うのだが、一体どんなもの好きが――

「なにか?」

「……なんでもない」

 女はこう言う時は鋭いな。同性であったとはいえ、我にはわからぬ感覚だ。

 なにしろ、生前は男よりも男らしいと言われていたくらいだからな。

 ……一応、我にも女としての自覚くらいはあったのだが。

 食後、早速眠気に襲われた我は、抗う事も出来ずに眠りに落ちていった。

 ちなみに姿の見えない今生の我が母は「ケリをつけてくる」と男らしい台詞を残して父のもとへ向かったらしい。さて、どうなる事やら。



 我が目を覚ますと既に日が暮れていたようで、部屋の中は夕暮れ色に染まっていた。

 ふと温かさを感じて視線を動かすと、隣では我が母がすやすやと眠っていた。レティスの姿はない。

 となれば、ここは我が家か? いや、違うな。場所はまだギルドの様だった。

 父との話はどうなったのだろうか?

「……ん、あ、ヤバ、寝てた」

 と、母が目を覚ましたようだ。

 そして、目が合った。

 とりあえずいつも通りに振る舞うとしよう。

「あー、まぁまっ!」

 母の方へ両手を延ばし、足をばたつかせる。

 抱っこをせがむ仕草である。

「おはよー、ウィー君。よくねまちたねー」

 こちらを見たまま破顔した母親に抱きあげられる。

 うむ、やはり母に抱かれるのがしっくりくるな。血の繋がった母だからだろうか?

 とりあえず、腹が空いたので母の乳をねだることにする。

「ぶーっ、まんまっ」

 と、母の胸に触れながら声を発すると「はいはい、ちょっとまってねー」と、母が寝台に腰かけ、衣服の前を開いた。

 我が母は獣人ではあるものの人族寄りの姿をしている為、乳房は一対しかなく、毛も生えていない。

 ちなみに今生の我も母に近い姿をしており、獣人の特徴と言えば鋭い五感と身体の末端部(手、足、耳、尻尾など)が獣寄りなくらいだろうか。ちなみに父はほぼ獣寄りだ。

 まあ、それはともかく食事だ。ふっくらとした乳房の先端に吸い付き、母乳をいただく。

 最初は戸惑ったものの、今は慣れた物で、口内で噴き出る母乳をこくこくと飲み下していく。

 うむ、穀物や野菜よりはよっぽどマシだな!

「相変わらずいい飲みっぷりねー。ママのおっぱい萎んじゃうわー」

 そう言いながらも、目を細めて幸せそうに微笑み、我の頭を撫でる母は、誰よりも気高く、美しく見えた。

 ……前世の我が生きていたならば、いつかはこのように子を産み、育むことが出来ていたのだろうか? いや、無理だな。そもそも相手がいなかった。

 母の温もりと優しさを肌に感じながら母乳を飲んでいると、部屋のドアが開いて、部屋の主が入ってきた。

「あ、戻っていたんですね。どうでした?」

「あ、ギルマス。お帰りー。今この子におっぱいあげてるから。ちょっと待っててね」

「はい、ゆっくりでいいですよ」

「ええ、今日はありがとね」

「いえ、色々と勉強になりましたよ」

「あははっ、結構大変でしょー?」

「はい、でもウィリム君はお利口だったので、聞いていたよりは楽でした」

「ふふん、自慢の我が子よ! お、飲み終わったかな?」

 我が口を離したのを確認し、再度口元に乳首を寄せるが、我の腹は満たされたので顔を逸らしてもういらないと意思表示をした。

「よしよし、じゃあ、けぽってしましょうねー」

 と、母が軽く担ぐように我を抱き上げ、とんとんと背中を叩いた。

 母乳を飲んだ後は腹が張って声も出せぬほどに苦しいのだが、これをやると楽に――

「けぽっ……あうー」

 口から空気が抜け、楽になった。相変わらず見事な手腕である。

 まあ、たまに勢いあまって飲んだ物まで出てしまうのだが、それはご愛嬌と言う奴だ。

「よいしょっ、と。ええと、とりあえず結果なんだけど。浮気は勘違いでした。ごめんなさい!」

 なんだ。勘違いか。つまらん。

「そうだったんですね。それは良かったです」

「ただね。あのバカってば、俺も村着きになるんだって言って、都に向かって飛び出してったのよ。既にこの村の住人だってのに……はー、ほんっっとバカ」

 ふむ、村着きと言うのはよくわからんが、どうやらしばらく父は居なくなるようだな。

 少しばかり寂しく……はないな。アレは居ても居なくても変わらん。

 むしろ居なくていい。

「あはは……た、たぶん途中で気付いて戻って来るのでは?」

「あのバカのことだから、都のギルドで話を聞くまで気付かないかも……ったく、あんな調子で今後父親としてやっていけるのかしら?」

 安心しろ、母よ。我が大きくなったら苦労はさせぬ。父のことは忘れろ。

 そんな思いを込め、言葉を発する。

「あー、うーっ!」

「ウィー君はあんな風になっちゃだめだからねー?」

「あいっ!」

 無論だ母よ。我は真っ当な戦士になって見せよう!

「よしよし、いい男に育ったらパパからママを強奪しても良いのよ?」

「いや、流石にそれは……」

「だっ!」

 さすがにそれはまずいぞ母よ。

「もう、冗談にきまってるじゃない」

 本気の気配を感じたが、本当に冗談だろうか……?

 獣人族はその辺り大らかすぎるからな。親兄弟間で――と言う話はよくあるのだ。

 我の前世たる魔狼種は絶対数の少なさと血統を重んじる規律のせいでそれが特に顕著だったが、正直、アレはやり過ぎだと思ったな。

 そんな母の怪しい気配を感じてか、レティスが話題の転換を試みた。

「そう言えば、ウィリム君の鑑定結果はどうでした?」

 む、それは気になるな。

 生まれ変わったという事はかつての技能は失われ、新しい技能を得ているはずだ。

 我の前世は超再生と言う肉体がほぼ不死身になる技能を所持していたが、果たして今世はどうなっている事やら。

「職業は普通に村人で、スキルは――まさかの獣化」

 技能の獣化とは――


 獣化 身体を獣に変化させる。


 ――である。

 一般的にはそこそこ良い技能なのだが、我の場合は異なる。正確には、獣人族にとっては、だが。

「えっ、ということは……」

「そう、この子の場合はゴミスキルってやつ? 獣人族の固有能力の獣化と被ってるのよ。だから実質スキル無しってことになるわね」

 技能無し……もしや我、生きている価値がないのでは?

「そうですか……」

「でもまあ、ね?」

 しかし、母達の様子はそう落胆した物ではなかった。

「そうですね。特に心配することはないかと」

「ね。ひと昔までは考えられなかったけど、スキルってある程度の物は意外と短期間で習得できるんだものね」

 なにっ? 技能が意図的に、それも短期間で習得できるとは、どういうことだ?

「ユーグ君のおかげで落伍者が出る確率が大きく減りましたからね」

 落伍者と言うのはいわゆる無能者のことだな。

 成人しても碌な職業につけず、スキルも役に立たない者を指す言葉だったか。

 我の故郷にもそう言うのが一人いたな。

 いつの間にか姿を消していたが、まあ、死んだということはないだろう。

「そうね。それこそサボったりしない限り、今後、そうなる子は出ないんじゃないかしら?」

「はい、ですので、きちんと訓練やお手伝いをしてもらえるようにマリアさんとも協力して指導書を作っているんですよ」

「ほー、至れり尽くせりね。しっかし、ユーグ君、ここ数年で凄いことになっちゃったわねぇ」

「はい、村の内外問わず女性人気が凄いことになってしまって……」

 と、何やら村の少年の話になった所で我は眠気に襲われ、母の腕の中で眠りに落ちていった。



 起きた。十分な睡眠をとった赤子の身体は唐突に覚醒するな。それとも我だけだろうか?

 まあいい。今居るのは……ふむ、実家だな。ここ二年で見慣れた天井が見える。

 時刻は……まだ外はほんのりと薄暗いが、体感としては朝だろう。

「まー」

 と、声を上げて起床を知らせると、ぱたぱたと足音が聞こえ、母が部屋にやってきた。

「おはよー。ウィー君。ご飯にする? おっぱいにする? それともママにする?」

 母よ。それは全部一緒だ。

 朝の授乳を終え、顔を拭かれておしめを替えられた我は、床に降ろされた。

 ここからは遊びの時間だ。直近の目標としては、まずはいはいを卒業せねばな。

 ところで、今生の我の実家は極東式、或いは東方式と呼ばれている形式の家造りをしており、玄関で靴を脱いで上がると言う、この辺りでは一風変わった様式の家となっている。

 なぜこのような造りなのかはよくわからぬが、我は割と気に入っている。

 特にこの、畳と言う床はいいな。このほど良い硬さが良い。

 草の香りがするのも自然を感じられて素晴らしい。

「あー」

 立とうとして上手く立てずにごろりと畳の床に転がると、母が「ウィー君は本当に畳が好きねぇ」と嬉しそうに言った。

 別に好きだから転がった訳ではないのだが、まあ、こうやって畳の上に転がるのは好きではあるな。

 そして、どうやらこの家は母親の趣味の賜物らしいのだ。

 うむ、いい趣味だ。母とは気が合うな。

 そして、朝の運動を終えた我は休憩の為、寝台に寝かしつけられた。

「じゃあ、ママはちょっとお掃除してくるから、一人で遊んでてね?」

「あいー」

 正直、この時間は暇で仕方がないのだが、母の邪魔をするのも忍びない。

 少々疲れた事でもあるし、大人しくしているとしよう。

 赤子の身体はすぐに疲れるな。体力も付けなければな。

 はあ、肉が食いたい……。

 と、思ったところで仕方がないので、日課の訓練もとい一人遊びを行うこととする。

 寝台の上でろくに動けぬ我にできる事と言えば、手足をばたつかせるか、意味もなく声を発することくらいだ。思考に耽るのは時間の無駄なので無いものとする。

 となると前述の二択であり、先ほど動いて疲れた我にできるのは後者の発声或いは呼吸である。

 我の日課の一人遊びとは呼吸である。呼吸法とも言う。

 独特の呼吸を行う呼吸法という技術は古来より存在し、主流としては四元属性と言われる火、水、風、土の四つの呼吸法が広く使われている。

 これは魔術の初歩にも利用され、大抵の魔法使いは自らの主属性の呼吸は体得しているはずだ。

 我は魔法使いではないものの、四元の呼吸の他、いくつかの呼吸法を体得していた。

 一端の戦士であれば、自身に合った呼吸法を極めているのは当然だ。

 我が四元の呼吸を極めていたのは肉体の鍛錬に限界を感じたせいだ。

 女性の身体は肉が付きにくくてな。困ったものだ。

 そう言う意味では男として生まれたのは、やや行幸なのかもしれない。

「……っ」

 呼吸のコツは前世で掴んでいるので、今のところは身体を壊さぬように、徐々に慣らして行っているところだ。赤子の心肺機能では少々調整が難しいのだ。

 一定の感覚で息を吸い、吐く。その繰り返しを長時間にわたって乱さず行い続けるのは、なかなかに困難だが、その先にある恩恵を考えると大した苦でもない。

 そして、日課が終わる頃になると、母が家事を終えて戻ってきた。

「ウィー君、そろそろお昼ごはんにしましょうねー」

「んまー」

 母よ。正直、幼児食よりも母乳が良いぞ。それか肉を食わせてくれ。

 そんな思いを込めて抱き上げてきた母の胸肉を揉む。我が母の胸肉はでかいのだ。

「ウィー君はママのおっぱい大好きねぇ」

「うー」

 確かに触り心地は極上だが、違う。そうじゃない。肉だ。肉をくれ。

 いや、この際だ。母乳でも構わん!

「ああん、こら。駄目よ。ママだってもっとおっぱい飲んでもらいたいけど、ウィー君の為なんだからね?」

「うあー」

 今日の昼も穀物と野菜を肉の出汁で柔らかく煮込んだ幼児食だった。

 肉の出汁が使われてはいるが、それが余計に肉食欲求を掻き立てて辛い。

 食後はまた少しだけ運動をして、昼寝の時間となる。

 この時間になると抗い難い睡魔に襲われる。早く大きくなりたい。


 昼寝から目を覚ますと、母の寝顔が目の前にあった。どうやら一緒に寝てしまったらしい。

 母はよく添い寝をしてくれるのだが、大抵一緒になって眠ってしまうのだ。

 起こしてやっても良いのだが、このまま寝かせておこう。

 誤解だったとはいえ、父の件でここの所、心労が溜まっていただろうしな。

 母の寝顔をじっと見つめる。贔屓目に見たとしても、我の母は美しく魅力的な女性だ。

 もちろん外見だけでなく、快活で明るい面もあって、多くの人に好かれているとレティスも言っていた。

 このような妻を持った夫が、浮気などするはずがないだろう。少なくとも我ならしない。

 ……まあ、元女性であり現在は子供の我が言ったところで発言の信頼性もないが。

「んっ……あー、またやっちゃった……」

「あー」

 気にするな母よ。もっと眠っていても良いのだぞ?

 そう思いを込めて母の頭を撫でると、母は吃驚したように身体を硬直させ、ジワリと瞳を潤ませるなりこちらを抱きしめてきた。何やら効果が覿面すぎたようだ。

「ウィー君! ママ頑張るからねっ!」

「お、おぉぅ……」

 程々で良いのだぞ……? あと、父が既に居ないものとされているようだが、あれが家を飛び出してしばらくして帰ってくるのはいつものことだ。

 起床後の母乳を飲んだ後は散歩の時間だ。

 と言っても、まだ我は歩けぬので、母に抱いてもらっての散歩だ。

 昼を過ぎ、夕刻へ向けての時間は晩夏とは言え、まだ暑い。

 来たる初秋へ向けて日ごとに収穫の準備が整えられて行く村の様子を見て回るのは中々に興味深く、飽きが来なくて良い。

「今年の秋も収穫に期待できそうねー」

「おうあー」

 確か、村の薬屋の娘が開発した肥料が作物の生育に役立っているのだったか。

 我は農業に詳しくはないが、このような辺境の地で農業を営んで来た先人達には感服せざるを得ないな。

 仇は既に死んだということであるなら、我も将来は農家を目指してみるのも良いかもしれない。

 農作業は生前の主が兵達に行わせていたが、アレはなかなか良い訓練になるのだ。

 身体を鍛えるのは苦にならぬし、生産的でもある。前向きに検討しておこう。

 それにしても、この辺りの地面はやけに硬そうに見えるが、いったいどんな猛者が耕したのだろうか?

「あ、こんにちわ」

「こんにちわ」

「あら、ユーグ君、ナナリーちゃん。こんにちわ。今日も一緒なのね」

「はい、今日は畑仕事の手伝いをしてきました」

「疲れた……」

 む? 村の子供らか。それにしても、ユーグとナナリーとは、過去に実在した人族の英雄と聖女の名ではないか。肖ったのだろうが、人族はそう言うのが好きだな。

 それにしても、妙に仲睦まじい雰囲気である。どことなく熟年の夫婦のような貫禄があるな。

 母と会話を始めた二人だが、少女の方が我をじっと見つめてくる。

「……赤ちゃん」

「あー、そっか。ナナリーちゃんは初めてだったわね。この子はウィリム。私の子供よ?」

「ウィリム君、前に会った時より大きくなりましたよね?」

「ええ、赤ちゃんの成長って思ってたよりすごく早いのよねぇ」

「あうー」

 なんとなく触りたそうにこちらを見つめる少女に向けて手を差し出すと、恐る恐る手を差し出してきたので指を握ってやると、表情に乏しい顔を若干綻ばせて少女は少年に向けて言った。

「……可愛い。ユーくん。私も早く赤ちゃん欲しい」

 む、この少女達はもう、そう言う年齢か? 言われてみれば、身長こそ足りないものの、少女の胸の生育具合は我の母を上回っているやもしれん。

「そう言うのはまだ先でしょ」

「あと二年と少しだけ」

 人族の成人年齢は十五歳だ。つまりまだ十二歳かそこらでその胸囲か……末恐ろしいな。

 ちなみに生前の我も胸囲には自信があったが、大半が筋肉だったな。

「あら、ユーグ君、ついにその気に?」

「ここまで外堀埋められたら逃げられませんよ……と言うか、ここまで面倒見てきたナナちゃんを盗られるのも癪だと思ってしまった時点で諦めました」

 なにやら少年が達観したような表情をしている。いったい彼に何があったのだろう。

 未来の伴侶が決まってしまったらしい少年だが、相手がいるだけマシだと思う。

 我の前世など、恐れ多くて無理だと見合いすらできなかったぞ……。

 今世では男だが、せめて結婚はしたい。

 相手は女性になるのだろうが……まあ、問題はないな。むしろ女性の方がいい。

 別に妙な趣味があるわけではないのだが、前世の我は筋骨逞しい方で、女性らしい身体に憧れていたからな。

 それに、抱くならごつごつした身体より柔らかい身体の方が気持ち良さそうだ。

 ……まあ、未だ見ぬ将来の伴侶に想いを馳せても仕様のないことであるな。

「そう言えば、ニーアちゃんの所もあと数ヶ月なのよね」

「はい、もう大分お腹も大きくなってました」

「あと、今年から来年にかけては出産が多いって、お母さんが言ってた」

 母達の会話はなにやら誰かの出産についての話題になっていた。

「収穫もかなり安定してきたし、ナナリーちゃんのお薬のおかげで子供が病気で亡くなることも減ったし、ナナリーちゃんのお家には特に助けられてるわねぇ」

「うちは薬屋だから……」

「この村ほど欲しい物が充実した薬屋はなかなかないとは思うけど?」

 ほう、このような辺境の薬屋が充実しているとは珍しい。

「需要に応えるのが生産者の矜持って、お母さんがいつも言ってる」

「さすが一級薬師。言うコトが違うわね。街の薬師共に聞かせてやりたいわ。そう言えばナナリーちゃん、薬師免許はどうするの?」

「ん、成人したら取る予定。販売資格が欲しい」

「いずれ必要になるものね」

「でも、街まで行かなきゃいけないのが面倒……」

「と思うでしょ? 実は今、この村のギルドでも、そう言った資格検定を受けられるように動いてる所なのよね」

「……ほんと?」

「ええ、ほんとほんと」

「……あの、それって僕達に話しても良かったんですか?」

「……聞かなかったことにしてくれる?」

 母よ。機密事項は守らないと首を切られるぞ……。


 少年達と別れ、母が再び歩き出す。今度はどこかへ向かっているようだ。

「ニーアちゃんも出産か……元気にしてるかしら?」

 どうやら先程話題に上がった女性のもとへと向かっているらしい。

 しばらく歩いて行くと、芳ばしい香りが風に乗って鼻孔をくすぐってきた。

 この匂いはパンか。どうやらどこかでパンを焼いているらしい。

 しかし、どうもそれ以外の香りも混ざっているな? 肉や香辛料の香りも嗅ぎ取れた。

 まあ、時間的に夕飯の支度をしていてもおかしくはないか。

「わぁ、相変わらず盛況ねー」

 と、目的地に着いたらしい母が声を上げ、視線の先を追いかけると、そこには鍛冶屋があった。

 ……鍛冶屋?

 どうやら匂いの元はここのようだが、妙に客が多い上に、客層が少しおかしい。

 冒険者と思わしき者達や商人はまだわかるが、村の住人も多数居る。

 武具とは無縁な村の住人が鍛冶屋を利用する機会は少ないはずだが、どういうことだ?

「あー、ダメ。我慢できないわ。今夜はパンにしましょうねぇ」

「あい」

 母が苦笑しながら言う。確かに、この匂いはたまらない。

 しかし、パンか。まだ母が焼いた物しか食べたことが無いな。

 少し前まではパンを母乳でふやかした離乳食を食べさせてもらっていたが、今は小さくちぎった物をたまに食べさせてもらっている。

 肉ほどではないが、主食としては悪くはない。

 母に連れられるままに鍛冶屋の方へ向かい――裏手へ回ると、パン屋の看板と屋外に用意された休憩所にて寛いだり談笑しながらパンを食べている者達の姿が見えた。

 どうやら、鍛冶屋の裏側がパン屋になっているようだった。

 そういえば、鍛冶屋の炉の熱を調理等に利用できるようにする建築構造が人族の間で流行っていると生前に聞いた覚えがあるが、こういうことだったのか。

 母が店舗へと歩を進めると、よりパンの香りが強くなった。ああ、これはたまらないな。

「あら、涎が……」

 おもわず涎が出てしまい、母に拭われた。申し訳ない。

 と、ちょうどパンが焼き上がったのか、店舗の奥からパンの乗った鉄板を持った女性が出てきた。

「はーい、焼き立てですよー」

 む、あの女性、只者ではないな? 強者の気配がする。

 見た目は普通の村娘と言った所だが、隠しきれぬ覇気が漏れ出ている。

「あら! ニーアちゃん! 久しぶりー!」

 なんと、母の知り合いだった。

「あっ! シア姐さんっ? お久しぶりです! ちょ、ちょっと待って! ネイちゃん! ちょっとお店の方お願い!」

 母に名を呼ばれた女性は奥の方へと声をかけ、新たな女性が出てきた。

「はーい!」

 奥から出てきた女性はなかなか体格が良く――はて? どこかで見た覚えがあるな?

 こちらもまた強者の気配を感じるが、先に出てきた女性ほどではない……はずだ。

 うぅむ、いまいち気配が読みにくいな。まあ、気にするほどでもないか。

「じゃあ、お願いね。シア姐さん、こっちこっち」

 と、招かれるままに母が生活区域と思われる方へと誘導される。

 ふむ、こちらは食堂か。

「なんだか悪いわねぇ」

 食堂のテーブルに着きながら母が言う。

 姉さんと呼ばれていたり、随分と慣れ親しんだ様子だが、妹君だろうか?

「いいのいいの! 本当は休んでていいんだけど、ジッとしてられなくって……」

「ああ、わかるわかる。私もつい仕事が気になって、もうすぐ臨月だってのにギルドに入り浸ってたものー」

「シア姐さん、いつの間にか村のギルド職員になってて、最初聞いた時は驚きましたよ」

 ニーアと呼ばれていた女性は会話の合間に茶菓子と飲み物を用意し、テーブルに置いてから対面の席に着いた。

 うむ、見事な手際だ。動きに無駄がない。

「ほんと偶然なのよ? あっちで働いていた時にギルド職員の求人が出てて、試しに受けてみたら見事に受かっちゃったんだもの」

 ふむ? 我が母は、もとは違う仕事に就いていたらしい。

 おまけに、先ほどの言い分だと、この村の出身でもないようだ。

「なるほどぉ。ところで、この子がシア姐さんの?」

「ええ、私の可愛いウィー君よ。ウィリムって言うのよねぇ?」

「あうあー」

「くはぁっ! かわゆい……っ! し、シア姐さん! 抱っこさせてもらってもっ?」

「ええ、良いわよ。ほら、ウィー君。このお姉ちゃんが抱っこさせて欲しいって」

 ふむ、まあよかろう。

「だぁ」

 ニーアの方へと身を寄せられたので、そのまま腕を伸ばし抱いてもらった。

 ふむ、悪くないな。レティスと同程度の抱かれ心地だ。

 ……身体の柔らかさはレティスの方が上だが、こちらは視線が高くてよい。

「あぁ、可愛い……獣人族の幼少期の可愛さはほんと反則過ぎる……」

「獣人族って言っても、この子、私と同じで人間寄りよ?」

「でも人族にケモ耳なんて言う可愛いパーツはないんですよっ!」

 よくわからぬが、耳が重要らしい。珍しく母が引いている。

「そ、そうだけど、獣人族っぽいところなんてパッと見だと耳と尻尾くらいでしょうに」

「そこが重要なんですよ……」

「そ、そう……ところで、ニーアちゃん、どんな心境の変化があってパン屋を開いたのかしら?」

「あー、一応、私がやってきたことは知ってますよね?」

「そりゃまあ、ギルドの職員だし、知ってるけど……あのまま街に居たら、いい生活も出来たと思うわよ?」

「いやですよ。いい生活って言っても王族や貴族に囲われた生活じゃないですか」

 王族や貴族に囲われるとは、いったい何者だ……?

 いや、待て。ニーアと言えば確か、我と同格とされていた七将軍の一人を斬った者の名ではないか?

 確か、剣神などと言う大層な二つ名を与えられていると聞いていたが、どうやら噂に違わぬ強者のようだ。

「でも、北の魔王をぶった斬ったんでしょう? 十分誇れるようなことだと思うけど」

 この女、おまけに北の魔王まで斬っていた。恐ろしい。

 北の魔王の仔細についてレティスが言い淀んでいたのは、この村に居たからか。

「あの後、色んなところから求婚されたり勧誘されたりして大変だったんですよ……しまいにはうちの旦那の実家にまで迷惑かける奴らまで出てきたから、キツイ脅しをかけてトンずらして来ました」

「相変わらず無茶苦茶ねぇ……」

「いや、無茶苦茶さに関しては私よりシア姐さんの方が……」

「あら、なにあったかしら?」

 今、母の方から凄まじい威圧を感じたのだが、気のせいだろうか?

「……いえ、気のせいでした。あっ、パン! パン食べます?」

 む、そうだった。我々はパンを所望しているのだ!

「ああ、そうだったわ。ニーアちゃんの様子見ついでにパンを買って行こうと思ってたのよ」

「あ、何度か来てくれてたんですよね。ごめんなさい。ここ最近はお腹がこれで、大体奥の方にいたので……」

 そう言うニーアの腹はハッキリとわかるほどに膨らんでおり、妊娠しているのが見て取れた。

 我も産まれ出るまではあのようにして母の胎内に居たのか……あの頃は視界もなく真っ暗であったが、母の体温に包まれて覚めやらぬ微睡の中にあったな。

 産まれ落ちた際の絶望にも近い喪失感と、直後に包まれた母の温もり――あの時は久しく感情を刺激されて大いに泣き、抱かれてからは深く安堵したものだ。

「別に良いのよ。元気そうだってのは聞いていたし、こうして会って見て元気にしてたんだってわかったから」

「へへ……あ、パンを取ってきますね! 今日はご馳走します! はい、ウィリム君。ママの方へ行ってねー」

「だぅ」

 我を母の元へ戻すと、ニーアはそそくさと店舗の方へと向かった。

 ふむ、照れ隠しか?

 しかしまさか、あの剣神ニーアが我が母の知り合いだとは……世界は狭いな。

「あの子も、もうすぐ一児の母かぁ……私も年取るわけだわ」

「あう?」

 言われてみると、母の年齢は知らぬな。

 まあ、外見その他諸々から判断するに二十代後半か。三十代は行っていないはずだ。

 おそらく二十七歳と言った所であろうな。

「うっ、なんか今、図星を刺されたような……」

「お待たせしました! 全種類持って来ました!」

「いや多い! 多いからっ!」

 大量のパンを持って来たニーアに絆され、我々は少し早めの夕飯を取ることになったのであった。



 結局、食べきれずに余ったパンはお土産として渡され、我々はパン屋を後にした。

「また来てくださいねー!」

「はーい、また今度ねー」

 うむ、腹も膨れたし、後は寝るだけだな。

 いや、その前に風呂か。

 前世の我は風呂嫌いが多いとされる獣寄りの獣人であったが、風呂は好きだ。

 風呂は命の洗濯だ。とはうまく言ったものである。確か異世界人の言葉だったか。

 奴らの文言はなかなか面白い物が多い印象だ。

 異世界人とは何度か戦ったことはあるが、ちぃと? とやらと、罵倒らしき言葉を吐かれたが、未だによくわからん。異世界語は難しいな。

「さて、帰ったらお風呂ねー。もうちょっと大きくなったら温泉に連れて行ってあげるわね?」

「うっ!」

 温泉か。我は温泉も好きだ。そう、この村には温泉があるらしいのだ。

 転生した上に種族性別まで転じてしまったが、これは嬉しい。

 そう言う意味では、この村に生まれてきたのは僥倖かもしれない。

 身体が自由に動かせるようになるのが、今から楽しみだな。


 帰宅後はすぐさま風呂へと直行だった。

 村に温泉が湧く前に母が大枚叩いて設置したという我が家の風呂は魔導式の湯沸かしが付いており、水を貯めて魔力を流すだけで湯になると言う優れものだ。

 父曰く、我はここで仕込まれたらしい……聞きたくはなかったが、風呂に入れてもらっている最中だったのと、赤子の身体ではどうしようもなかった。

 下品な父の話はさておき、母共々生まれたままの姿になった我らは風呂に浸かっていた。

「ウィー君、気持ち良い?」

「あー」

 丹念に身体を洗われた後、母に抱いてもらいながらの入浴だ。

 やはり風呂は気持ちいいな。

「んー、おっぱいが張ってる。搾らないと……」

 と、呟いた母がおもむろに搾乳を始めた。風呂の中に母乳が滲んでうっすらと濁った。

 なるほど、これがミルク風呂と言う物か……いや、我の聞いたミルク風呂とは違う気がする。

「ウィー君の卒乳はいつ頃になるかしらねぇ……」

 搾乳しながら母が言った。

 早く卒乳して欲しいのだろうか……いや、この顔は逆だな。寂しそうだ。

「うー」

 母よ。安心しろ。母の母乳は我の楽しみ故、出る限りは吸い続ける所存だ。

 まあ、肉が食えるようになったら要らなくなるかもしれないが。

「いつまでもおっぱいあげてたい気もするけど、流石に大きくなってきたら無理よね……」

 うむ。その点については我も同感だ。どれだけ遅くとも五歳までには卒乳しよう。

 ……ところで、我はいまだに赤ちゃん語と言うか、幼児語を用いているが、子供の話し始めと言うのは何時頃からなのだろうか?

 会話自体はレティスとは行っているように既に流暢に話せるのだが、まだ母の前では幼児として振る舞っているため、辞め時がわからん。

 なにぶん、同い年の子供が周りにいないから、参考となるものがない。

 我より大きな子供はたくさんいる様なのだが、母が中々離してくれなくてな。

 母よ、我をもっとほかの子供と交流させてくれ。


 ※獣人族は子供でも力が強いため、力加減を覚えるまでは他種族の子供と遊ばせないと言う暗黙の了解があります。


 風呂から上がった後は少し涼んだ後、母と共に寝床に入った。

「ウィー君、ねんねしようねー」

 と、母がぽんぽんと優しく我の胸を撫でるように叩きながら、歌い始めた。

 これは犬種の獣人族に伝わる民謡だな。

 魔狼種にはそう言ったものはないのだが、近縁種と言うこともあってか、妙に耳に心地よい。

 母の歌に合わせて瞼が重くなり、我は眠りへと誘われて行った。



「……む、夢か」

 ふと、意識が覚醒したと思えば、我は生前の姿で血塗られた大地に佇んでいた。

 これは――ああ、思い出した。我の――私の初陣の日だったか。

 魔狼族の戦士として初めて戦場に赴いた私は、血に酔った挙句、敵味方を問わずに殲滅してしまったのだ。人生初にして最大の失敗であった。

 辛うじて味方は虫の息程度で済んだが、倒した敵の中には敵方の有力者が多く含まれていた為、私の失敗はお咎めなしどころか、多大なる功労とやらによって無かったことにされた。

 とは言え、私の凶行は事実として残り、当時共に戦った者達によって話しは広まり、私が――我が魔狼将軍と呼ばれるようになる頃には、敵も味方も等しく殺戮する狂狼などと陰で囁かれていた。

 まあ、恐れられること自体は組織の上層に位置する者として悪いことではなかったのだが、よもやそれが原因で婚期を逃すとは……。

 我の同僚曰くそれだけが原因ではないとのことだが、我はああ見えても家庭的な方だったのだぞ?

 と、意識がそれかけていたが、このような夢を見るのは久しぶりだな。

 ふと視線を下すと、先ほどまでは若く瑞々しい肢体であったのが、命を落とした頃の屈強な身体に代わっていた。先程までと比較すると、明らかに女性らしさが損なわれている。

 身体か? 身体が屈強なのがいけなかったのか?

 気にしてはいないつもりだったが、婚期を逃したのはどうも未練であったらしい。

 まあ、今世では男であるわけだし、遠慮なく身体を鍛えるとしよう。

 屈強な男にこそ、女はなびくものだろう。

 もっとも、生前ではそのような男に出会えなかったが。

 我の母は筋肉好きであるし、ひとまずは母好みの男を目指すとしよう。

 しかし、なかなか覚めぬ夢だな。せっかくだから、生前にも行っていた鍛錬をするか。

 こう言った夢は明晰夢と言うそうで、自分の思い通りに夢を操れるのだ。

 なので、生前の我はこのような夢を見るたびに自らを凌駕する仮想敵を創り、鍛練を行っていた。

 仮想敵は空想の存在よりも現実に居る者の方がより創りやすく、良い鍛錬になる。

 これをやり始めた当初は、主に自分自身か、横槍などで勝負の着かなかった強者を仮想敵としていたな。

 もっとも、自分自身が相手だと決着がつかなかったので、自分を仮想敵とするのはすぐに止めた。

 この話を同僚にしたところ、自分達がいるだろうと言われたのだが、そんなのはとっくに試して圧勝していた我はその事実を伝えたところ、同僚達と実践訓練をすることとなり、当然のように圧勝してやった。我に敗れた同僚達の愕然とした表情は、今思い出しても笑える。

 しかし、この鍛錬法にも難点はあり、強過ぎる者だと仮想が困難になるのだ。

 生前に大陸からやってきたらしい猛者が単身で竜種に殴り勝ったのを見たが、あの次元の強さともなると実力が推し量れん。

 流石の我も、自然災害を殴り倒すことなどできないからな。

 竜種に殴り勝つというのは、そう言う事なのだ。

 しかし、今回は運が良かったな。ちょうど、うってつけの相手がいる。

 我を倒した白銀の騎士と異彩を放つ魔女が居る。

 レティスに聞いた限りでは両者共に故人のようだが、仮想敵としては申し分ない相手だ。

 さっそく奴らを創造してみることにする。


「……ふむ、久しぶりであったが、どうにかなるものだ」


 我の前に、あの騎士と魔女が現れていた。

 双方既に戦意に満ちている様子で、生前の通り、騎士が我を足止めしようと掛かってきた。

 前回と同様に後手を踏んだが、今回は前の様にはいかんぞっ!



「……」

 七度目でどうにか辛勝した……まさか、あの騎士が傀儡だったとはな。

 道理で妙に重たかったわけだ。

 それにしてもあの魔女め、ようやく近づいたと思えば近接戦闘もこなせる上に、他の傀儡までも隠し持っていた。

 しまいには騎士の鎧を身にまとって高速戦闘をしながら並行詠唱を用いての魔法攻撃まで仕掛けてきた。我ながらよく勝てたものだ。

 それにしても、この鍛錬法はやはり便利だな。何度でも再戦できるのがありがたい。

 一度相対した者の実力を完全に再現できているのも素晴らしい。

 どういう理屈なのかは知らぬが、我の知らぬ戦い方まで繰り出してくるからな。

 この鍛錬法を教えてくれたのは我が主だが、主も同じ鍛錬法を用いていたのだろうか?

 そうであったのなら、ぜひ一度手合わせを願いたかったところだが、もはや叶う術もなしか。

 主が戦っているところを、我は一度も見たことがなかったからな。

「む、時間か」

 そろそろ目覚めが近いな。

 意識が浮上する感覚と共に、夢の中の我の身体がゆっくりと溶けていき――


「……んあぅ」

 我は起床した。時間帯はまだ早朝と言った所か。

 しかし、夢の中での鍛錬のせいか、汗が凄いな。

 気持ち悪くてもぞもぞしていると、母が目を覚ました。

「んん……おはよう。ウィー君、今日は早起きねぇ……って、すごい汗。そんなに暑かった?」

「いあー」

「はいはい、脱いじゃいましょうね。うわ、おもらしみたいにぐっしょり濡れちゃってるわねー。こんなに汗かいたら喉も乾いてるでしょう?」

 確かに、言われてみたら喉が乾いたし、腹も空いた。

 母よ。我は母乳を所望するぞ。喉が潤い腹も膨れる。こういう時こそ母乳だ。

 母乳を貰うべく母の乳に触れようとするが、先に母が服をはだけて乳房を露出させた。

「はい、おっぱい飲みましょうねぇ」

 これはありがたい。

 我はすぐさま母の乳にむしゃぶりついた。

「あむっ、ぢぅっ、ぢぅぅっ」

「んっ、あはっ、かつてないほどのすごい飲みっぷり……よっぽど喉が渇いてたのね。いっぱい出るから、たくさん飲んでいいのよ?」

 母が我の頭を撫でながら言う。言われずともそのつもりだ。

 母はそう言う体質なのか、すぐに母乳が溜まるとたまにぼやいているが、その分は我がたくさん飲むので問題はないのである。

 結局、片乳だけでは足らず、両方の乳房からたっぷりと母乳を飲ませてもらい、ようやく一息つく我であった。

「けぷっ」

「凄い飲んだわねぇ。ふふっ、お腹がたぽんたぽんよ?」

 ポッコリと膨らんだ腹を母が軽くつつく。止めてくれ。出てしまう。

「やっ」

「うふふっ、ごめんね? さぁてとっ、私も朝ごはんにしましょ。ウィー君はここで休んでてねー」

「あーい」

 うむ、母もたくさん食べて新しい母乳を作ってくれ。

 ……我の卒乳はまだ遠いかもしれないな。


 母が戻ってきたのは小一時間ほどしてからだった。

「おまたせー。ウィー君、寂しくなかった?」

「だぁい」

 うむ、問題はなかったぞ。

 ただ、大量に母乳を飲んだ弊害か、出る物は出てしまった。

「あ、うんちとおしっこ。今替えてあげるからね?」

「あいっ」

 所で母よ。今朝から割とそれっぽい返事をしているのだが、なかなか気づいてくれないな?


 おむつを替えてもらった後は、母とのじゃれ合いの時間となった。

「ほーら、ママの尻尾を捕まえられるかなぁ?」

 ぱたぱたと揺れる母の尻尾をはいはいで追いかけ、全身で捕まえる。

 もふりとした柔らかな感触と安心感のある優しい匂いがする母の尻尾は我のお気に入りだ。

「はい、上手ねぇ。じゃあ、もう一回!」

 と、尻尾に抜けられ、再びぱたぱたと目の前で振られる。

 ふふふ、母よ。今日は良い物を見せてやろう!

 夢の中の鍛錬で身体の感覚が研ぎ澄まされたのか、今日の我は調子が良い。

 我は今日で、はいはいを卒業するぞ……っ!

「うぅ……おぉーっ!」

 両手を床について、両足に力を籠め、両手を床から離しながら上体を起こし、倒れないように足を踏ん張ると、どうにか起ち上ることが出来た。

 母よ! 出来たぞ! 我はついに成し遂げたのだ!

「ほああああっ! ウィー君! そのまま! そのままこっちに来てっ!」

 我の立ち姿に狂喜し、奇声を上げた母が尻尾をぶんぶん振りながら両手を広げて言ってきた。

 ほう、欲張りな母め。立ったその場で歩行を要求するとは、我に対する挑戦だな?

 よかろう! 受けて立つ! そこまで歩いて行こうではないか!

 体重を支えるだけで精いっぱいの足をどうにか浮かせ、一歩を踏み出す。

 この一歩はまだ小さな一歩なれど、我にとっては大いなる一歩だ。

 ようやくだ。ようやく歩くことが出来たぞ!

 床を這いずり回る日々は屈辱の極みであったが、もはやその必要はない!

 ぷるぷると震える足でもう一歩、もう一歩と歩を進め、五歩目で我は母のもとへと辿り着いた。

「ウィー君、すごいすごい! たっちできたねぇ! 偉いっ!」

「うおぉぉーっ!」

 母にべた褒めされ、我は今生初の雄叫びを上げるのであった。

 しかし、五歩で精一杯か……まだ先は長いな。


 我が立ったことがよっぽど嬉しかったのか、母は我を抱き上げるとそのまま自身の職場であるギルドへと駆け込んでいった。

「レティスちゃん! ウィー君がついに立ったのよっ!」

「あ、あのっ、まだ着替えてますからっ!」

 起床して間もないと思われるレティスは涙目で下着を穿いた。

 ふむ、レティスは就寝時、全裸派か。生前の我と一緒だな。


「ごめんね。つい嬉しくって……」

 レティスの着替えと支度を待つ間、母が謝罪の意味を込めて作った朝食をレティスに供した。

「あはは……お気持ちはなんとなくわかります」

「そう言ってもらえると助かるわ。この喜びを誰かと分かち合いたくてね?」

「はい、ウィリム君が立ったんですよね?」

「ええ、ちょっと遅いかなって思ってたんだけど、立ったその場で歩いて見せたのよ!」

「獣人族は早熟な方ですからね。この調子だと話すのもすぐかもしれないですね」

 む、レティスよ。良き助言だぞ。そろそろ会話を出来るようにしたいと思っていたのだ。

「ええっ! そう言えば最近はお返事が上手になってきてるのよ!」

 おお、気づいていたのか。

「ああっ、はやくウィー君とお話ししたい……!」

「それは……まあ、そうですね……」

 レティスよ。その含んだような言い方はなんだ。我とて幼児の話し方程度は弁えておるわっ!

 その後は母とレティスの間を立ち歩きで往復を繰り返すという訓練じみた遊びをして、疲れ果てた我は昼食を食べる間もなく眠りに就いた。


 起きた。一時間ほど寝ただろうか。

 まだ少し眠いが、そんなことよりも腹が空いた。

「んまー」

「あ、起きた。ウィー君、お腹すいたでしょー? 今ご飯持ってくるから待っててねー」

 むぅ、この時間は幼児食か。まあ、仕方がないか。

「ごめん、レティスちゃん。ちょっと見ててくれる?」

「はい、大丈夫ですよ」

 パタン、とドアが閉まり、母の気配が遠ざかっていった。

 さて、今のうちに聞きたいことを聞いてしまおう。

「ふむ、レティスよ」

「はい」

「この村には剣神が居るのか?」

「……はい。お会いになられましたか」

「うむ、尋常ではない気配の持ち主だった。北の魔王を叩き斬ったと言うだけのことはある」

「ですよね……私も初めて会った時は驚きました」

「それと、もう一人気になる者がいたのだ」

「どなたでしょうか?」

「剣神のパン屋で働いていた。確か……ああ、ネイと言ったか」

「ああ、ネイさんですね。彼女は最近、村着きになった方ですよ。ニーアさんのファンなんです」

「ふぁん? とはなんだ?」

「異世界語です。いわゆる憧れの対象に対する愛好家といったところです」

「ああ、そう言う手合いか。我の同僚にもそう言うのがたくさん付いていたな」

 魔鳥将軍ラフィリム。我と肩を並べる七将軍の一人で、自身を偶像とした、あいどる? 活動とやらを行って種族を問わず多くの手下を獲得していた女だ。

「ラフィリム様のアレはファンと言うよりは信者ですよ……」

「ああ、言い得て妙だが、そこらの宗教の信者共より、よほど厄介だったな……」

「三年前の争いで壊滅しましたけど、人族に一番被害を与えたのも彼等ですからね」

「ああ、奴らの戦果については色々聞いていた。そう言えば、ラフィリムはどうなったのだ?」

「主様を庇い死亡したと聞いています。彼女は主様を特に慕っていましたので……」

 ふむ、そう言えば、奴と主は男女の関係にあると言う噂もあったか。

「そうか……奴も転生しているとなると、何ともやるせないな」

「はい……」

 自ら命を賭して守った主が自身の魂を犠牲に我らを転生させていたのだ。

 それを知った奴がどう出るか……人のことを言えた義理ではないが、早まった真似をしなければよいのだがな。

「しかし、転生した者で見つかっているのは我だけか? 他の者はどうなっている?」

「いくらかは見つかっていますが、大半の方は記憶を失っています」

「む、そうだったのか……まあ、前世の記憶はない方が生きやすいかもしれぬな」

 現にこうして苦労している我が居る。

 人生を赤子からやり直すなど、普通なら正気でいられるわけがない。

「ただ、特に我の強い方程、そういう傾向にあるみたいで……」

「ふむ、となれば将軍達は全員記憶を保持している可能性がある、か」

 人のことを言えたものではないが、我ら幹部勢は我が強過ぎたからな。

「はい……」

「……せめて、何かが起こる前に見つけたいところだな」

「……はい」

 まあ、我にはどうしようもないことであるし、精々無事を祈っておくとしよう。


 母が戻って来て昼食をとった後、我は食後の運動を兼ねてギルドの周りを散歩していた。

 よちよち――いや、よたよた歩きの我に同行するのは母とレティスだった。

「あっ、おっ、うーっ」

 くぅっ、足が上がらん! 力が入らないというよりは、骨格的に辛い!

 これまでの体勢故、足が上手く真っ直ぐにならず、中腰に近い立ち姿での歩行だから尚更だ。

「うっ、うーっ!」

 どうにか足を延ばそうとするが、身体が上下に動くだけで、その姿がまるでその場で音頭を取って踊っているように見えてしまうらしく、レティスが吹いていた。

「あぁーん! かわいぃー!」

 ……母は悶えていた。親にとって、子供は何をしていても可愛い物らしい。

 まあ、赤子の内だけであろうがな。

 しかし、こうして外を歩くのはまた辛いな。

 室内と違って、ちょっとした小石ですら歩くのを阻害する障害物となってしまう。

「お、お外を歩くのはまだ早かったみたいですね……ふふっ」

「おあーっ!」

 まだ笑うか!

「あぁっ! ごめんなさい! あまりに可愛くて!」

「やだ威嚇よ! 吠える姿も可愛いわーっ!」

 吠えて抗議するも、可愛い可愛いと母とレティスにもみくちゃにされた。

 我は怒っているのだぞっ。まったくっ!


 ギルドの周囲を歩き抜くことはできず、半周すらもたずに母に抱きあげられた。

 途中、近くを通った少女に「わかる。疲れる……」と、謎の同意を貰ったが、赤子の我と比べられてもな……。

 それにしても妙に薬草臭い少女だった。あれが噂の天才薬師だったのだろうか?

 ……ああ、そうだ。ナナリーと言ったか。前にも見掛けたな。

「ウィリム君、この調子だとすぐにたくさん歩けるようになりそうですね」

「うーん、それはそれで嬉しいんだけど、もうちょっとよちよち歩きを見て居たいわねぇ……」

「ふふっ、可愛いですよね」

「ええっ! 最強の可愛さよね!」

 何やら母とレティスが二人で盛り上がっているな。

 それにしても疲れた……少し寝るか。

「あら、寝ちゃったわ」

 と言う母の声を聞きながら、母の温もりと匂いに包まれて、我は眠りに就いた。 



 うん? 何か、聞き慣れない声がするな。

 寝台に寝かされていた我は、意識の覚醒と共にゆっくりと瞼を開いた。

「……ん、シアねぇ。赤ちゃん、起きた」

 昼間に見かけた薬臭い少女、ナナリーが居た。

 寝台に寝かされていた我をじっと見て居たらしい。

「あ、起きた? ナナリーちゃん、抱っこしてみる?」

「……いいの?」

「ええ、ウィー君は人見知りしないし、大丈夫なはずよ?」

「……じゃあ、する」

 ふむ、どうやらナナリーが我を抱き上げるらしい。

 さて、どれほどの物か。レティスの初抱きのような雑な抱き方をしたら吠えてやろう。

 ナナリーが恐る恐る我の尻と首の辺りに手を回し、そっと抱き上げた。

 ほう、手慣れているな。

「あら、上手ねー」

「……お手伝いで子守もしてる」

「ああ、そっか。ユーグ君とやってたわねぇ」

 ふむ、なるほど。抱っこ経験者か。

 しかし、抱かれてみて改めて思うが、この娘の胸はすごいな。

 我の母並み、いや、それ以上か……?

「おぉぅ……」

 おもわず母にやっているように胸を揉んでしまったが、恐ろしく柔らかでありながら瑞々しい張りがあった。乳神、と言う単語がなぜか頭をよぎった。

「んっ、残念。私のは出ない……」

「ナナリーちゃんも出るようになったらたくさん出そうよねー」

「シアねぇはいっぱい出るの?」

「そりゃもう、毎日びゅーびゅー出るわよ? あっ、ナナリーちゃんのお薬に使う?」

「さすがにそれは使えない……」

 母よ。それは我もどうかと思う。


 寝起きの授乳を済ませた後は、母に抱かれながら話に混ざる事になった。

 どうやら女性陣で集まって世間話をしていたらしく、普段見かけない顔ぶれもあった。

 現在の話題は子供の人数についてだった。

「私は三人は欲しいですね」

 そう言うのは、見知った顔のレティス。

 鼻息も荒く「最初はもちろん男の子が良いです」等とのたまっている。

「私もそれくらいは産みたいかなぁ。ミレイさんのところは六人でしたっけ?」

 こちらも見知った顔で、剣神のニーア。

 仄かにパンの匂いがして腹が空く。

「ええ、一番下の子が最近産まれたばかりなの」

 そう答えるのは初めて見る顔だ。

 ミレイと言う名か。この者からは特に警戒するような気配は感じないが、どことなく安心する雰囲気の女性である。

「おー、頑張るわねぇ」

 そう言ってにやにやと笑っているのはどことなくナナリーに似た顔立ちの女性だが、初めて見る顔だ。恐らくナナリーの母親なのだろう。

「サラさんだって、まだ若いでしょう?」

 笑っていた女性がミレイに言い返される。ふむ、サラと言う名か。

 ……今日は初顔が多くて困るな。覚えきれるだろうか?

「そうねぇ……うちは女の子ばっかりだから、作るとしたら次は男の子が欲しいのよね」

「確実に男の子を授かるなら、教会で祈るのも一つの手ですよ?」

 そう言ったのは、この場で名を知らぬ最後の女性だ。

 見た目はレティスのように若いと言うよりは幼い印象だが、胸はでかいので、歴とした成人女性なのだろう。

 しかし、この者は――と、思考に入ろうとしたところでサラが声を上げた。

「あー、エクサリサ様かぁ……結構話には聞くけど、そんなに凄いの?」

「驚くほど確実に産み分けができているみたいです」

「私もウィー君が産まれる前にお祈りしたわねぇ」

 なに? 我が男児になったのは、もしやそのせいでは?

 まあ、このことに関しては既に受け入れているので問題はないが、この話が事実なら、エクサリサとはさぞや力のある神なのだろう。

 しかしまあ、どのご婦人も若々しくて美しいな。

 中にはレティスやレティスのような妙に若く見えるのもいるが……あの者は本当に人間か?

 強者の気配と言うか、強大な魔力を持つ者特有の怖気を感じる。

「マリアちゃんはどうなの? ライナス君もセリアちゃんも大きくなったし」

「そうですね。今度主人が帰って来た時に仕込んで貰おうとは思うのですけど、なにぶん、あの人の放浪癖は予測がつかなくて……」

 ふむ、マリアと言うのか。いまいち実力の読めぬ相手だが、気を付けておくとしよう。

 それにしても、我が話題の一因ではあるのだろうが、仕込むなどと、子供の前でそう言った明け透けな話をするのはいかがなものか。

 まあ、この卓には成人女性しかいないようだがな。

 ちなみに、我が起きた時に居たナナリーは別の卓で同年代の少女達に混じって話をしているようだった。

 あちらの卓は若い女性――もとい少女ばかりだ。

 ふむ、これが噂に聞く女子会とやらか? 我は男だが、幼児は数に数えないのだろう。


 女子会は夕刻近くまで続き、暇でうとうとしていた我は撤収の物音に気付いて顔を上げた。

「では、今日の所はこれで解散と言う事で」

 と言うマリアの一声で場は解散となり、母に連れられて我は家へと戻ってきた。

「ふぅ、お腹すいたわねー。ウィー君もお腹空いた?」

「あい」

「ふふっ、じゃあ、ちょっと待っててね」

 と、母は我を寝床に寝かせ、部屋を出て行った。

 ふむ、厠だろうか。

 ほどなくして戻ってきた母は自身の夕食を用意してきたらしい。

「今日は一緒に食べましょうねー」

「おー」

 本日の母の晩餐は串焼きか……そう言えば近所に出店があったな。

 毎日夕刻になると炭火と肉の焼ける匂いが漂って来てたまらないのだ。

 むぅ、我も食べたいぞっ!

「おっ、あーっ」

「はいはい、ウィー君はおっぱい飲みましょうねー」

「むうぅ……」

 肉が目の前にあるのに……まあ、仕方がないか。

 我は肉を見ながら母乳を飲んだ。

 肉を食えない悲しみを紛らわせるように、いつもより強く乳を吸った。

「んっ、ちょっ、つよっ、強いっ! ウィー君、吸うのが強過ぎぃっ!」

 母が悶えていたが、肉を食えない悲しみを背負う我に、その声が届くことはなかった。


「はぁっ、はぁっ……い、色々と危なかったわ……」

 授乳後、なぜか汗だくの母に妖しい手つきで撫でられた我は、そのまま寝床に寝かされた。

 結局、肉はすべて母の胃に納まってしまった。無念。

 とは言え、母乳をたらふく飲んで満足はした。

 さっそく眠くなってきたが、次は風呂だ。

 この眠気だと、風呂の間に寝てしまうかもしれない。

 案の定、風呂の最中に眠気の襲撃が始まり、風呂を出る頃には深い微睡に呑まれ、寝床に入るとすぐさま抗えぬ睡魔が押し寄せ、我は眠りに落ちた。

 何やら寝る前の母の鼻息が妙に荒かった気がするが、おそらく気のせいだろう。


 翌朝、妙に肌の色艶が良い母に連れられて来たのは村の外れにある見晴らしの良い草原だった。

 休養中の農耕地らしく、緑に覆われた地面は程よく柔らかい。

 少し離れた所には畑があり、村の大人達が農作業に勤しんでいた。

「さあ、今日はここであんよの練習よ!」

 朝から絶好調の母が鼻息荒く宣言する。

 なるほど、歩く練習か。確かにここなら転んでも痛くはなさそうだ。

 赤子の脆弱な身体では少し硬い地面だと転んだだけですりむいてしまうからな。

 この場所であれば、思う存分歩行訓練ができるであろう。

「うおーっ!」

 母よ。我もやる気は十分だぞ!


 やる気があれば何でもできる。

 前世の我はそう信じていたが、現実はそうもいかない。

「おぉぅ……」

 だ、だめだ。もう立てん……。

 母について歩き始めた我だが、一時間と経たずに足が震え始め、つい先ほど地に手を着いたが最後、そのまま立てなくなった。

 四つん這いの姿勢で動くことすらままならず、我は視線で母に助けを求めた。

「はぁんっ! 可愛い……っ!」

 いや、母よ。悶えてないで助けてほしいのだが。

 じとりとした視線を向けると、正気に戻った母が慌てて抱き上げてくれた。

「ウィー君、限界まで頑張らなくてもいいのよ?」

「あーう」

 そうは言うが母よ。子供と言うのは限界まで動く物だろう。

 前世の我の親戚の子供達などは限界まで遊び続けて急に倒れたと思ったら死んだように眠りに就いていたぞ。

 子供はそうやって己の限界を学びつつ鍛える物だと我は思う。

 故に我も限界まで動く! と言うわけで母よ。我は疲れたのでもうすやぁ


 起きた。場所は――まだ外のようだな。

 時間は昼前のようだが、肉体の疲労は回復していた。

 子供の身体は回復が早くて助かるな。

 現在いるのは先程まで歩行訓練していた休耕地の隅にある木陰で、我は敷布に寝かされ、母は傍らで飲み物を片手に村の牧歌的な風景を眺めているようであった。

 うむ、やはり我の母は美しい。あの父の嫁にしておくのがもったいないくらいだ。

「あら、ウィー君、起きた? 疲れてない? おっぱい飲む?」

「あい」

 即答する我も我だが、何かにつけて母乳を飲ませようとしてくる母も大概ではなかろうか?

 授乳を済ませた後は、そのまま木陰で涼むことになった。

 今日は夏がぶり返したかのように暑く、日差しもそこそこ強い。

「ふー、木陰は涼しいわねぇ……ウィー君もお水飲む?」

「うー」

 母よ。先程母乳を飲んだから水は無理だ……。

「おっぱいばかり飲ませてごめんねぇ……そろそろ離乳食の回数を増やして食べ物の種類も増やさないとねー」

「あう?」

 離乳食が増えると必然、母乳を飲む回数も減る。それはちと辛い。

 しかし、食べ物の種類が増えるとは……?

 母よ、期待しても良いのだな?

「ウィー君だって、そろそろお肉とかお魚も食べたいでしょう?」

「あいっ!」

 おおっ! ついに肉が食べられるのか! 正直、穀物と野菜だけには飽きていたのだ。

 肉が食える。これほどに嬉しいことはない……っ!

 魚は別にいいな。魚はあの細かい骨がどうにも苦手だ……。

「昨日は串焼きを食べたそうにしてたものねぇ。肉食系の獣人だし、やっぱりお肉が好きよね」

「おうぅ!」

 もちろんだとも! 肉を食わねば力も付かぬしな!

「とは言え、ウィー君に食べさせるお肉料理かぁ……まずは鶏肉からね」

 鶏肉は余り肉を食った気にならんが、この際、肉が食えれば種類は問わん。

 とは言え、ちらと聞いた話だと、この村の特産品の一つが地鶏だそうだ。

 味には期待できるやもしれん。

 なにしろ、近所から漂ってくる匂いがその地鶏を使った串焼きだからな。


 そして、その日の晩、ついに待望の時がやってきたっ!

「はい、じゃあ、今晩からウィー君もお肉を食べられまーす!」

「うおおおぉぉっ!」

「でも、最初だから今回はちょこっとね?」

「ぶーっ!」

「はいはい、怒っても可愛いだけよー? お肉の量は少しづつ増やして行ってあげるから、今日は我慢ね?」

「……あい」

 仕方がない。少量とは言え、肉が食えるのだ。今日の所はこれで妥協しよう。

 母が用意してくれた肉料理は焼いた鶏肉に塩を振っただけのようだ。

 きっちり焼かれて油が落ちており、鶏肉の醍醐味とも言える皮がないのは非常に残念だが、文句は言うまい。

「村の鶏肉は捌きたてなら生でも食べられるんだけど、ウィー君にはまだ早いのよねー」

 生で食べられる肉は貴重だ。流石は村の特産品と言われるだけのことはあるな。

 いつかは生で食べたい物である。

 獣人族は成人であれば大概の生肉は問題なく食べられるが、幼児の間は病気になってしまう恐れがあるのだ。

「はい、それじゃあ、あーん」

「あーむ」

 ほどよく一口大に切り分けられたそれを食べさせてもらい、ゆっくりと咀嚼する。

 うむ、じっくりと焼き上げたのか、しっとりとした焼き上がりになっている。

 味の方は薄い塩味であるが、それがかえって地鶏の旨味が引き立たせていた。

 面倒な文言を省くと【美味】の一言に尽きる。

 生前、我の同僚が焼いた鶏肉は、ぱさぱさしていてあまり美味しくはなかった……。

 母が料理上手で本当に良かった。

「うまぁー」

 赤子らしく感動を伝えると、母は野菜料理を差し出してきた。

「美味しい? お野菜も食べないとだめよ?」

「……あむ」

 これはこれで不味いわけではないのだがな……。

 ともあれ、久方振りもとい、前世振りの肉を食すことが出来た。

 やはり肉こそが至高の食物であるな。


 晩餐を終えた後は久方ぶりに肉を口にした余韻に浸りながら風呂を済ませ、母と共に寝床に入る事となった。

 ……父が居ないと母が独り占めできるし、なかなか悪くない気分だな。

 父が家に居た時は我が寝ている横で母とまぐわい始めることなどもあって著しく睡眠を妨害されたものだが、ここしばらくは安らかな眠りが享受できている。

 ちなみに母は我が横で寝ている際は声を抑えようとしてくれるのだが、抑えきれていない。

 夫婦であるのだし別段、まぐわうのこと自体は構わないのだが、やるならこの部屋の外でやって欲しい物である。

 ……まあ、別の部屋ではじめた際にも声がこの部屋まで届いていたが、仕様がない。

 子を成す行為は生命が生きていく上で必要不可欠だからな。

「ウィー君、難しい顔してどうし……あっ、もしやうんち? じゃないわね。匂いはしないし」

「あうあー」

 気にするな母よ。少しばかり両親の性事情に思いを馳せていただけだ。

 しかし、あの盛りようだと既に二人目を身籠っているやもしれぬな。

 まあ、旺盛なのは獣人族の性であるし、我としても兄妹は多い方がなにかと気楽ではある。

 動けるようになれば我も子育ては手伝う故、今後も励んでほしいものだ。

 前世では子を成すことはなかったものの、兄弟を育て上げた経験はきっと役に立つはずだ。

 我のおむつを確認していた母はそれをもとに戻すと、伸びの動作を一つ行い、慈愛に満ちた表情で我に微笑みかけてきた。

「んーっ、それじゃあ、もう寝ましょうねぇ」

「あい」

 母の匂いと温もりに包まれ、筆舌に尽くしがたい幸福感と安堵の念を抱く。

 この世に再び産まれ落ちて早二年、すっかり我も丸くなったというか、子供としての自覚が芽生えてきたらしい。

 我のような堅物が中身であるのはいささか申し訳なく思うが、これからも母とはうまくやっていきたいものである。

 父のことは未だによく解らぬが、まあ、それなりに付き合って行こう。


 それにしても、我も数奇な運命を辿ってきたものだ。

 争いに満ちた前世と比べると、今世のなんとも平和なことか。

 我自身、戦事は好む身であれど、このような人生も悪くはない。

 幸か不幸か、今世は何の変哲もない犬人族の雑種に生まれた上に、生まれ持った技能も獣人族であれば自然と習得する獣化であるのだ。

 このような生まれでは平凡な生を送るしかなかろうが、それもまた一興だ。

 ……とはいえ、この村は妙に強者が多い気がする。

 パン屋を営む剣神に、そこで働く妙な気配の女、強大な魔力を持つ女も居たか。

 そして何より――我の母である。

 我と同じく雑種の犬人族であるはずなのだが、正直、前世の我と比較しても遜色のない覇気と言えるほどの強大な気を持っている。

 そのくせ、普段の様子を見た限り、強者らしい気配は全く見られない。

 強者であるほど平時はそのそぶりを全く見せないとは言うが、まさか、な。

 ま、まあ、母が強い女性だと言う事は頼もしい限りであるし、我に害を及ぼす事もないしな。

 ……今後、母は怒らせないように気を付けよう。

 しかし、この母の子として生まれたのであれば、我にもその才能が受け継がれているのでは?

 今世では強くなることを諦めていたが、もしかしたら希望はあるのかもしれない。

 

 ゴミスキルを持って生まれてしまったが、可能性がある以上は精一杯生きていくとしよう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ