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七スキル目 相性の悪いスキル

 この世界は歪んでいる。俺が正してやろう。

 そのようなことを言い、出会い頭に私の父上を殺そうとした男は呆気なく返り討ちにされて、国の衛兵達に連れて行かれた。

 自分は選ばれた勇者だ。などと喚きながら連れて行かれる男を見送った私は、幼いなりに異世界人と言う存在は危険なものであると認識するのだった。

 異世界人と言うのは、ああも頭がおかしい者が多いのだろうか?

 父上が言うには「全ての異世界人がああではない」という事だが、若くして大きな力を持っている事が多い彼等には、いささか自重や理性と言うものが足りないと思うのだ。

 異世界人の大半はこことは違う世界から、其々の理由によって神或いはそれらに類するモノを僭称する何かの元へ辿り着いた後、こちらへと送り込まれてきた。という様な発言をする場合が多い。

 また、過去にはこちらから彼等を呼び出す術が存在したらしいが、それらの手法は現在、失伝している。

 その原因こそが異世界人であるそうなのだが、詳しいことは記録に残っていない。

 ただ一つだけ残っていたとある碑文の一文には「今後、この世界に異世界人は不要である」と記されていたらしい。

 事実、異世界人の存在は過去から現在において、挙げた功績以上に災禍をもたらす者達と言う認識が深く根付いている為、異世界人を快く思わない者も一定数存在する。

 もっとも、大半は関わり合いになりたくない、という考えのようだが。

 別の世界からやってくる彼等はその大半が着の身着のままで、酷い場合は衣服すらまとわぬ姿で現れることもあり、猥褻物陳列罪で人が捕まると「また異世界人か」という言葉が出ると父上が言っておられた。

 また、異世界人の中には、この世界の者として生まれてくる転生者と言う者も存在し、幼くして突出した才を持つ者には転生者の嫌疑がかけられ、特級鑑定官による鑑定を受ける義務が発生する。

 この対象となるのは人の子だけではなく、家畜や魔物に至るまで該当し、場合によっては転生者と思われる個体には莫大な懸賞金が掛かることもある。

 過去には魔物として生まれた転生者によっていくつもの国が滅ぼされた事例もあり、転生者と思われる個体への警戒は厳重な物となっているそうだ。

 正直、見知らぬ世界に放り出された彼等の境遇には同情すべき点もあるのかもしれないが、だからと言って横暴を許すわけにもいかない。この世界に存在する以上、この世界の決まりごとに従って生きてもらわねばならないのだ。

 目立たず、静かに隠れ潜むのならよい。

 しかし、大事を起こすようであれば警戒もやむなしなのだ。

 もっとも、現在において危険なのは異世界人達よりも、彼等を利用しようとする者達の方だ。

 異世界人達の大半は、この世界での知識が浅い為か或いは人柄か、騙されやすい傾向にある。

 父上を狙った男も、そのうちの一人だったらしい。

 詳しいことは私も知るところではなかったのだが、このようなことは近年特に多いのだそうだ。

 この事態に長命種の有識者達は過去の惨劇を危惧しているようだが、既に勇者が動き始めているからすぐに鎮静化するだろうと父上は忙しそうにしながらも言っておられた。


 さて、このように多忙な我が父だが、ここ数年は治めている地域に存在する、とある村に赴くことが多くなっていた。

 屋敷のある土地からそう遠くないということもあり、私も同行するように命じられ、初めてその村へと赴いたのが確か、五年前。

 そこで私は、運命の出会いを果たすことになる。


「父上、このようなみすぼらしい所に何の用なのです?」


 あの頃の私は、初めて訪れ、目にした村の様子を見て思わずそう口走った結果――

「どこがみすぼらしい所だぁっ!」

 通りすがりの女性に拳骨を落とされた。

「っ! っ! ぶ、無礼者っ! 何を――ぃだぁっ!」

「無礼者はお前の方だ」

 ついでに父上からも叩かれ――るどころか殴られた。

 後日、この時のことが話題に出た時には、女性が拳骨を落としていなかったら本気で張り倒していたと言われた。父上の本気は痛いどころでは済まない。危うく命を落とすところだった。

 ある意味、女性に助けられた形になっていた私だが、当時はそのようなことに気付く筈もなく、理不尽な暴力を振るわれたと憤慨していた。

「クリス。罰として、お前は一人でこの村を見て回って来るんだ」

 なので、この時の父上の言葉の真意にも気づくことはなく、私は不承不承に頷いた。

「……はい、父上」

 こうして、私は初めて訪れた村の中で、様々な出会いを果たすことになる。



 私の名はクリス。年齢は十五才。将来は父上のような貴族に成ることが目標だ。

 現在、私は三年ぶりに父上と共に、とある村へと赴いているところだ。

 その村は近年目覚ましい発展を遂げている為、父上は毎年、この村へ視察に来ている。

 私は三年前に王立学校へ入学し、今年、成人するのと同時に卒業したところなのでしばらくは行っていなかったが、彼等は元気にしているだろうか。

 ……特に三年前、その村に住んでいる薬屋の娘であるナナリー女史に求婚したのだが、果たして返事は聞けるのだろうか。

 父上から聞いた噂によると、ナナリー女史は自宅に引きこもって製薬作業に勤しんでいるそうだ。

 三年前まではそのようなことはなかったはずだが、一体どういう心境の変化なのだろう?

 もしや、私の求婚が心的負担になってしまったのだろうか?

 だとしたら、大変申し訳ないことをしてしまった。

 彼女への求婚理由に関しては私のスキルと彼女の職業が起因している故、あまり重く受け止められていたとすると事だ。

 村に着いたら、まずはナナリー女史の元へ謝罪に行かねばならないな。

 そして、彼にも早く会いたいものだ。

 ――ああ、彼こそが、私の運命を変えたと言っても過言ではない少年なのだ。

 ユーグ少年。私は一刻も早く君に逢いたいよ。


 村に到着すると、村長とギルドマスターが出迎えに来ていたようで、父上が二人と話し込んでいる隣で話を聞きながら、久方ぶりに訪れる村の様子をそれとなく観察した。

 村は明らかに以前よりも活気が増しており、商人や冒険者の姿が多く確認できた。

 あれから村には温泉が湧いたようで、湯治目的の冒険者や旅行者も頻繁に来ているらしい。

 温泉が湧いた件は帰って来た時に父上から聞いていたが、今から入るのが楽しみだ。

 ふむ、ここはひとつ、ユーグ君と裸の付き合いをするのも良いかもしれない。

 貴族と村人の間柄だが、私と彼の間にそのような身分の違いなど考える必要など皆無なのだ。

 それに、この三年間で彼がどれほど成長したのかも確認したい所だな。

「クリス。ここに来るのも久し振りだろう。私はこれからギルドへ向かうが、お前は村を見てくると良い」

「良いのですか?」

「ああ、今回は村の範囲拡張計画の経過確認だからな。お前は三年間ここに来ていなかったのだし、しっかりと見てきなさい」

「わかりました。では、行って参ります」

「宿はいつもの所を取ってあるから、日が暮れる頃には戻って来るんだぞ?」

「はい、ギルドの隣ですね。夕刻には戻ります」

 そう父上に告げてから、私は久方ぶりに訪れる村の散策へと出かけた。


「新しい建物が増えているな」

 軽く歩いてみているだけでも、記憶の中の村とは様変わりをしている。

 新しい建物が増え、以前にはなかったはずの商業区と言えるものが形成されつつあった。

 人の出入りが多くなったことで、この村を訪れる商人が増えたようだ。

「村側の商品は……農産物に青果物、野草類か。数も多い」

 これほどの量が売りに出されているという事は、収穫量は十分のようだな。

 ナナリー女史が独自に調合したという農作物用の肥料が効いているのだろう。

 新たな肥料まで開発してしまうナナリー女史には脱帽せざるを得ない。

 おまけに、彼女の製薬技術は三年間でさらに上達しているようで、近年だと子供用の風邪薬が特に有名だろう。

 これのおかげで、薬が出回っている範囲――主に父上が治めている領内――では風邪による子供の死亡率が激減しているのだ。

 ……それにしても、以前より作物の品目が倍以上に増えているな。

 交易が盛んになったことで流入している植物も多いのだろうか。

 とりわけ珍しい物が置いてあるわけではないが、町でなければ買えないものが普通に並んでいるというのは村の商店として考えた場合、珍しい光景だろう。

 立ち並ぶ商店を眺めながら、人の流れに従って歩いて行く。

「……ふむ」

 食料品や日用品が目立つのは相変わらずだが、子供向けの玩具や本に始まり、酒や煙草と言った娯楽嗜好品の類も見かけるようになっている。

 これらの物が並んでいるという事は、売れているからこそなのだろう。

 まともな商人であれば、辺境の村にこのような物を持ってくることはまずないからな。

 つまるところ、村の生活に余裕が出てきているということでもある。

「素晴らしいことだな」

 大よそ、私が知り得ていた村の生活と言うものは清貧そのものであり、このような物を購入する余裕はほとんどない生活を送っている。という認識だった。

 事実、学校に通っていた際に聞いた他の領の話でも、それが当然と言う認識であった。

 この村の場合は温泉という観光資源の賜物でもあるのだろうが、なによりもそこに商機を見出していち早く動いた者達の功績でもあるだろう。

 その内の一人があのユーグ少年の親友でもあるライナスと言う男だ。

 私の記憶の中の彼はとてもそのようには見えないが、人間、その中身はわからないものだ。

 思いのほか優秀だった彼の才を見抜けなかったのは私の失態だな。

「……しかし、暑いな」

 物事を考えながら歩くのは私の癖だが、今日は中々集中できない。

 その原因が今口にした暑さだ。

 季節は初夏。

 燦々と照り付ける陽の光がじりじりと肌を焼くような気がした私は、日陰へと移動した。

 多少涼しくはあるものの、人の多さが熱気と湿気を生み、肌にまとわりつくような、むわりとした空気を作っている。

「人が多いのも考え物だな……」

 これ以上の観察を諦め、商業区を出ることにする。

 今回、村には三日ほど滞在するという話であるし、今日の夕刻か明日の朝頃に改めて来ても良いだろう。

 足早に商業区を抜け出ると人波が落ち着きを取り戻した。

 今居るのは村の広場だ。

 この辺りには小さな露天商がぽつぽつとある程度で、よく子供達が遊んでいるのを見かけた物だが、今回は少し違うらしい。

 と言うのも、出店されている露天商の一つに見知った顔を見つけたからだ。

「カナタ。久しぶりだな」

「んー? うげっ! 坊ちゃまじゃん! 久しぶり!」

 一応、成人しているのだが、彼女の中では私の呼称はこれで固定されてしまっているらしいことは三年前に痛感しているので、今更訂正はしない。

 それはそうと、今の反応は女性としてどうなのだろうか?

「カナタよ、今何か、下品な声が……」

「気のせい気のせい! そっかぁ、今日来たんだねぇ」

「うむ、先ほど着いたところだ。ところで、カナタは何を?」

 何かを売っているようで、箱を抱えている。

 肝心の商品は箱の中に入っているようで見えない。

「ん? あー、これ? 去年から売り始めたアイスだよ。甘くて冷たくて美味しいよ? 十本くらい買ってく? ちなみに一本銅貨一枚ね」

 アイスと言うのはよくわからないが、安いな。

 冷たい食べ物のようだし、一つ買うとしよう。

「そんなに要らんが、一本貰おう、今日は暑くてかなわん」

「はい、どうぞ。そりゃ暑いけどさぁ。そんな格好してたらもっと暑いじゃん」

 箱を開けて中に入っていたアイスとやらを寄越しつつ、私の姿について指摘してきた。

 今回は初夏と言うこともあって、いつも着ている物より薄い平服を着てきたのだが、それでも暑そうに見えるようだ。もっとも、実際に暑いのだが。

「これでも平服なのだがな」

 平服と言っても平民が着るような物とは違い、衣服には防刃繊維の生地が縫い込まれ、耐魔の刺繍が施されているため、どうしてもこのような物に成ってしまうのだ。

 貴族として生まれた以上、戦争以外では迂闊に死ぬことも許されぬ身故の処置だ。

「うへぇ、こんな暑い時までそんな恰好しなきゃいけないんだ。貴族って大変だね」

「これでも普段着ている服よりは涼しいのだがな。これより上等な物だと冷却符を仕込んだ物もあるそうだぞ?」

「なるほどねぇ。あと、話してるとアイス溶けちゃうから、早く食べた方がいいよ?」

「むっ、溶けるものなのか。面妖な……」

 見た目は氷柱のように細長く、柑橘系の果物を想起させる色合いをしており、言われてみれば仄かな冷気も感じる。これがアイスか。

「そりゃ氷菓子なんだから溶けるでしょ。坊ちゃまって氷菓子は食べたことないの?」

「ないな。初めて見た」

 カナタの質問に答えながら、アイスとやらをいただく。

 口に含むと冷たい感触と甘さが来て、歯を立てるとさくりと崩れ、口内に冷たさが広がった。

「……ふむ、確かに冷たくて甘い」

 これは暑い時期ならよく売れるだろう。

「でしょ? 今日は特に暑いから、果汁を固めたさっぱり系のを持って来たんだよね」

「他にも味があるのか?」

「うん、乳と卵を使ったものとか、それに果汁を混ぜたやつとか、今食べた果汁の物だけでも五種類くらいあるよ? ここにあるのはこの一種類だけだけど、私の家まで行けば全種揃ってるよ」

「ほう、色々とあるのだな」

 この場で売っている者が一種類だけなのは本店に向かわせるためか。よく考えているな。

「色々あった方が選ぶ楽しみがあるしね」

「確かに。それに、この見た目もどことなく涼しげなのに色鮮やかでいいな」

「あー、それはね。異世界人の意見を参考にその形にしたんだよ。確か、アイスキャンデーだったかな? 元の世界にそれと同じ食べ物があったんだってさ」

「なるほど。異世界人か」

 彼等の中には故郷の食べ物を再現しようと躍起になっている者も少なくないが、昔の異世界人が既に再現しているのに気付かなかったという話は偶に聞くな。

 知り合いの異世界人が言うには、向こうにあった食べ物はこちらでも探せば大体はあるそうだ。

 ただ、名称が変わっていたり、改変がされている等で見つからない場合もあるようだな。

 このような氷菓子は私は初めて見るが、そう言えば学校の敷地内にある軽食店で似たような名前の氷菓子が提供されているという話は聞いたかもしれない。

「異世界人って美味しい物に目が無いらしいからね。美味しい食べ物のことは異世界人に聞けって諺があるくらいだし」

「うむ、確かに、彼等の食に対するこだわりには執念めいた物を感じることがある」

「そういえば、坊ちゃまって異世界人嫌いじゃなかったっけ?」

「別段、嫌いではない。私が嫌いなのは頭のおかしな異世界人だけだ」

「異世界人は大体おかしいと思うけどなぁ」

 ……困った。反論する言葉が無い。

「訂正しよう。話の通じない異世界人だ」

 特に、私の父に襲い掛かった自称勇者のような奴だな。

「あー、いるいる。支離滅裂なことばかり言う人ね。あれは迷惑だよねぇ」

「まったくだ。しかし、この村にもそのような輩が出没するとは……」

「ああいうのはどこにでもいるんじゃないかな? それに、この村には先生が居るし」

「マリア様か。確かに、あの御方なら魔神級でも現れない限りは後れを取ることはないか」

「あと、今はニア姉も居るからね」

「なんと、剣神ニーア様か! 帰ってこられたのか?」

 剣神ニーア。この村出身の女性にして、職業はパン屋の身でありながら魔王を切り伏せた女傑であり、過去の私に拳骨を落とした女性でもある。

「そだよ。街で結婚して、こっちに移住して今はパン屋さんをやってるよ」

 なんと、パン屋になったのか。

 私の記憶が正しければ、彼女は自身の職業を忌み嫌っていたはずだが、なにか心境の変化があったのだろうか?

「冒険者を引退されたと風の噂に聞き及んではいたが……そのパン屋と言うのはどこに?」

「あっち。村の鍛冶屋の裏手にあるからすぐわかるよ」

 村の鍛冶屋と言うと、剣神様のご実家か。

 神匠と謳われたスミス師といい、あの家系は職業に関係なく特定の分野に突出した者が多いな。

 だからなのか、あの家には父上も密かに関心を寄せているのだ。

「ああ、あそこか。ありがとう。アイスとやら、実に美味だった」

「あ、食べ終わった後の棒はこのくず入れにポイしちゃってね」

 言われて見ると、ナナリー女史の傍にはくず入れが置いてあった。

「む、これか。では、また後ほど。今回もしばらく村に滞在するので、ご友人達に知らせてくれるとありがたい」

 一応、出会うことが出来たら挨拶はするつもりだが、ここに来るのは久しぶりな物だから、皆がどこに居るかわからない。

「はいはーい。またねー」

 カナタと別れて、今度は鍛冶屋を目指すことになった。


 しばらく歩いて行くと、鍛冶屋が見えて来るのと共に、パンの焼ける匂いが風に乗って漂ってきた。

「焼き立てのパンか……」

 思えば、物心ついた頃から温かい食べ物をほとんど食べていない気がする。

 貴族と言う立場上仕方のないことなのかもしれないが、冷えた食べ物は大体不味い。

 毒見が必要なのはわかるのだが、せめて温め直して欲しい。

 それか冷えても美味しく食べられるものが良い。

 欲を言うなら出来立ての食べ物が食べたいが……やはり、自分で作れた方が良いのだろうか?

 まあ、今回は視察の意味もあるのだし、剣神様のパン屋に限って毒が盛られるようなことなど、万が一にもないだろう。

 たかだか貴族の子息一人を消すのに、組織一つが潰れる危険性を侵す暗殺者がいるわけがない。

 そもそも既にアイスを買い食いしているから問題はないな。

「と言うわけでパンを買いたい」

 パン屋に着いた私は、店頭でパンを並べていた女性にそう告げた。

「どういうわけかは知らないけど、ここは自分で商品を取って会計に持って行くんだよ」

「む、そうなのか」

 ……言われてみれば、こういったパン屋での買い物は初めてだったな。

 なるほど、と感心していると、木でできた板と火ばさみのような物を渡された。

「はいこれ。パンを載せる盆とパンを掴むはさみだよ」

「ほう、これで取るのか」

「手掴みだと不衛生だろう?」

「確かに。では、どのような商品があるか教えてくれないか?」

「そりゃあ、色々さ。異世界パンってやつだね」

 異世界パンか。あれは良い物だ。冷えていても美味いのが良い。

「異世界パン……学校で食べたな。あれは良い物だ」

 学校で食べた物は個包装だったな。

 あれは厳正な審査の下にしっかりと包装されており、異物が仕込まれてもすぐにわかる構造になっていたから、安心して食べられる物としても人気だったな。

「で、あんたはどういうのが食べたいんだい?」

 今は焼き立てのパンが食べたい気分だな。

「焼き立てなら何でも構わん」

「焼き立てはちょうど切らしてるねぇ。焼き物じゃあないけど、ついさっき揚がったこれなんかどうだい? 出来立ての熱々だし、一番の人気商品だよ?」

「揚がった? パンを揚げたのか……よし、それを貰おう」

「はいよ。一つ銅貨二枚だけど、幾つ買う?」

「安いな。二つ貰おう」

「はいはい。銅貨四枚ね。中身が熱いから気を付けて食べるんだよ?」

「ありがとう。そこで食べても?」

 店員の忠告に礼を言ってから、店の片隅にあるテーブルを指して問うた所「ああ、もちろん。そのための場所だからね」と返答が来たので遠慮なく店内でいただくことにする。

 質の良さそうな紙袋に入ったパンを取り出し、一口食べてみる。

「……っ!」

 口の中が痛いっ! いやっ、辛いっ! しかし美味い! なんだこれは!

「まさか、毒か……っ!」

「何言ってんだい。そりゃ毒じゃなくて香辛料だよ」

「む、香辛料……しかし、ここまで複雑な味わいが出せるとは……」

「ははっ、あたしも初めて食べた時には驚いたよ」

「確かに、これは驚くほどに美味だ。なんというパンだ?」

「それはカレーパンだよ。中に入ってる辛いのがカレーだね」

「カレーか。随分と大量の香辛料を使っているようだが、銅貨二枚で商売が成り立つのか?」

 私の問いに、店員は「詳しくは言えないけど」と前置きしてから――

「食材の大半はこの村で手に入るものだし、使っている香辛料の半分くらいは森で採れる香草の類だよ?」

「なるほど、現地で大半の材料は手に入るのか」

 ならばこの安さも納得だ。さすがは人気商品。そして、剣神様の腕前――

 ……そうだった。剣神様の顔を拝みに来たのだった。

「あー、その、剣神様――いや、ニーア女史はおられるだろうか?」

「ニーアちゃんかい? 今は厨房で休憩中だと思うけど、知り合いかい?」

「まあ、その……昔、世話になったのだ」

 知り合いと言えるほどに長い付き合いがあるわけではないのだが、世話になったという点では間違いない。

「へぇ、そうかい。どれ、今呼んであげようね。ニーアちゃん! あんたにお客さんだよっ!」

「はーい、私にお客さんってのも珍しいわね。で、どこ?」

 呼び出しからすぐに返事が来て、奥の部屋から見知った顔が出てきた。

 間違いない、ニーア女史だ。

「ほら、そこの貴族様みたいな男の子だよ」

「えー? どこの貴族が何の用――あっ! いつぞやの!」

 一瞬、私の姿を見て顔をしかめたが、こちらの顔を見てすぐに気づいてくれた辺り、向こうはしっかりと覚えていてくれたらしい。

 しかし、出会いが出会いだけに、恥ずかしさの方が際立つな。

「その節は、お世話になりました……」

「あらまぁ、すっかり大きくなって。確か、クリス君だったかしら? 歳はユーくんの二個か三個上くらいだったっけ?」

「はい、三つ上で、今年成人しました」

「あー、そうだったそうだった。五年前だっけ。懐かしいわぁ」

 そう、五年前だ。その頃はまだ剣神様も普通の村娘だったのが、村を出てから飛躍――いや、飛翔するかのような勢いで頭角を現し、魔王を切り伏せるまでに至ったのだ。

「あの時、貴方に叱っていただいたからこそ、今の私があると自負しています。その節は誠にありがとうございました」

「もう、大袈裟よ。あの時はあたしの方こそ、いきなり殴っちゃってごめんね?」

「いえ、故郷を貶されてのことですし、貴方に非はなかった。悪かったのは私の方です」

「うーん……まあ、クリス君がそう言うんならいいけどさ。そう言えば、君がここにいるってことは、領主様も来ているのよね?」

「はい、父上はギルドで、この村の拡張計画の進捗を確認している所です」

「そっかそっか。ここ数年で色々増えたりしてるものねぇ」

「今見て回っているところですが、以前とは活気が違いました」

「そうね。ちょっと、賑やか過ぎるかしら?」

「商業区はそうですね。ですが、こちらの方はさほどでもないと思います」

「今の時間帯はね。朝とか、飯時の時間になると、結構冒険者が多いのよ?」

「そうなのですか。確かに、これほど美味しいパンがあるのなら納得ではありますが――」

「あー、違う違う。いや、それもあるんだろうけど、近頃は村の住人の間で屋台商売が流行っていてね? 出来立ての料理を手頃な価格で振る舞うもんだから、宿の食事よりもこっちで食べる人が多いのよ」

「屋台ですか。しかし、流行っているとは?」

「ここに来るまでに見かけなかった? カナちゃんの所でアイスって言うのを暑い時期に売ってるんだけど」

「ああ、広場で売っていました。冷たくて美味しかったですが、それと屋台に何の関係が?」

「うん、オバさん――カナちゃんのお母さんがね、アイスの売れ行きに味を占めたのか、今度は屋台なんか作っちゃって、南方の辛い料理を売り始めたのよね」

 ここで屋台が出てくるのか。しかも――

「辛い料理、ですか」

 そう呟きつつ、私の視線は手元に落ちた。

「そう、それ。実は、このくそ暑い時期にもかかわらずうちのカレーパンがやたらと売れるのよね」

 そう言えば、店員も一番の人気商品だと言っていた。

「言われてみると不思議ではありますね」

「でしょ? でも、不思議と食べたくなるのよ」

「確かに、こうして食べてみると余計に汗はかきそうですが、不快ではありません」

「そうなのよね、逆に爽快と言うか……で、辛い物を食べ終わった後に乳と卵で作ったアイスクリームってやつで締めるのがまたイイわけよ」

 確かに、それは実に魅力的な食べ方だ。

「なるほど、相乗効果ですか」

「そうそう、それよ。だもんだから、売り上げが凄いらしくてね? それに便乗する形で屋台を始める人が多いってわけね。まあ、じきに落ち着くとは思うけどさ。楽しそうだからって理由でやってる人も多いみたいだし」

 な、なるほど。

「この村の人達は、なんと言うか……」

「相変わらず、でしょ?」

「……はい。ですが、良いことだと思います。新しいことに挑戦するのは二の足を踏んでしまいがちですが、この村の方々は恐れることなく挑戦していますから」

「それはそれで怖いんだけどねぇ。まあ、慎重なのもちゃんと居るから、均衡は取れてるんじゃないかしら?」

 ふむ、慎重と言うと、まず思い当たるのが一人。

「それは、ユーグ少年のことですか?」

「ええ、ユーくんもその一人ね」

 ふむ、やはりユーグ少年は一目置かれているようだ。

「そう言えば、彼は今どこにいるのでしょうか? ひとまず、この後はナナリー女史の所へ伺うつもりなのですが」

「ユーくんなら、今日はカナちゃんの所じゃないかしら? 去年もこの時期はずっとアイス作りと販売に駆り出されてたし。って言うか、アイスを作ってあそこに売り込んだのはユーくんなのよね」

「なんと、彼が?」

「ええ、ある意味、この状況を作り出した張本人でもあるわね」

「うぅむ、彼はいつも私の予想を上回る……」

「そりゃあね。あの年代では一番慎重なくせして、一番何をやらかすかわからない子だもの」

「確かに、私もそれで以前、彼に驚かされました」

「あら、クリス君も? あの子ったら、ほんと色々やらかしてるわねぇ……はいこれ、食後にどうぞ」

 と、会話中に飲み物らしき物を作っていた剣神様が飲み物らしき物の入った器を差し出してきた。

 ふむ、見たことのない物だが、値段は幾らなのだろう?

「これは幾らですか?」

「これはサービスってやつよ。パンを買ってここで食べて行ってくれる人には飲み物がタダで一杯付くの」

 とりあえず、飲み物らしき物の正体がちゃんとした飲み物であることは判明した。

「なるほど。では、有難くいただきます」

 とは言うものの、これは一体どういう飲み物なのだろうか?

 作っている工程を見た限り、乳のような色をした半固形物に少量の氷と赤い果実を加えて風の魔道具で粉砕しつつ混ぜたもののようだが……?

「あの、これはなんと言う飲み物なのでしょうか?」

「ああ、これ? 異世界では食べ物に近い飲み物だとかで、スムージーって言う名前だそうよ? これもユーくんが教えてくれたのよ」

「なるほど、これもですか」

 差し出された硝子の器には桃色のさらりとした液体寄りの流動体が入っている。

 きっと、ここに来る前に食べたアイスを微細に削ったらこのような見た目になるのだろう。

「これが意外とさっぱりしてて美味しいのよ」

 確かに、見た目は美味しそうではあるな。

 せっかく頂いたのだし、飲んでみるとしよう。

「ふむ……んっ。なにか、食べるような感覚に近い飲み口ですね。ほのかな甘みは果実由来で、この酸味は……?」

「ああ、これね。酪って言うんだけど、乳を発酵させて作った物なの」

 そう言って、どろりとした白い食べ物らしきものを見せてくる。

「ほう、このような物があるのですか」

 と、またもや初めて目にする食べ物の話題で盛り上がり、パン屋で存外に時間を消費してしまった。

 それにしても、剣神様は以前に王都で見かけた時よりも穏やかな様子だったな。

 やはり、故郷と言うのは心安らかに過ごせるのだろうか。

 おまけにどうやら懐妊している様子でもあったな。話題には出なかったが、めでたいことだ。


 パン屋を出た後は、まっすぐ薬屋へと向かうことにした。

「さて、ナナリー女史は在宅だろうか?」

 剣神様の話だと最近引っ越したそうだが、仕事の時は実家に戻って来ているという話だ。

 しかも、引き籠り生活も改善されたそうだ。

 そして、その功労者はやはりユーグ少年だという。やはり彼は素晴らしい。

 ユーグ少年への思慕を募らせつつも薬屋の方へ歩いて行くと、村人よりも商人や冒険者を見かける割合が多くなってきた。薬屋は以前に増して盛況のようだな。

「む、あそこにいるのは――」

 薬屋の前に見知った顔を発見するも、こちらから声をかける前に見つかったようだ。

「クリス様! お久しぶりです!」

 彼女の名はセリア。賢闘士と言う非常に稀な職業を持つ少女だ。

「ああ、久しぶりだな。セリアはここでなにを?」

「私は防人隊の一員としてこの行列の整理を手伝っています」

 なるほど、確かに薬屋の前は客となる商人や冒険者が行儀よく並んで順番を待っているようだ。

「混雑を避ける為の列の整理か」

「はい、この辺りは村の方が良く通るので、特に見回りなども強化してあります」

「それが賢明だな。しかし、以前に来た時よりも客が増えているようだが」

「ええ、この村のことを知る者も増えてきているようで、わざわざ隣国から訪れる方もいるくらいですよ」

「ほう、それはすごいな」

 わざわざ隣国からか。

 この村が国境にあるとはいえ、安くはない関税が取られるだろうに。

 それにも拘らず求めに来ると言う事は、ここの薬にはそれほどの価値があるという事か。

 隣国となるとあまり持ち出されても面倒だし、この件は父上に報告しておこう。

 この国は周囲を山と海で囲まれており、山を境とした隣国があるだけの小国だ。

 一方で山向こうの隣国はこちらと同じく小国ながら、列強諸国に囲まれつつも平然と生き残っている武闘派国家だ。

 戦争自体は千年以上前に終戦協定が結ばれてからなくなっているが、国境では小競り合いのような物があり、特に近年は色々と物騒だと聞いているからな。

 用心するに越したことはない。

「ところでセリア」

「はい?」

 近くまでやってきたセリアの顔を若干見上げながら、私は問うた。

「……また身長が伸びたのか?」

「……言わないでください」

 私も身長はそこそこある方だが、セリアのそれは男性の平均を大きく上回るものだった。

 三年前はそうでもなかったはずだが、急激に伸びたようだ。

「む、すまん。しかし、羨ましいものだな。私はすっかり止まってしまった」

 一方で私は男性の平均をやや上回る程度だ。

 学校に通って居た時の身体測定では、二年目と三年目でほとんど変わらなかった。

 個人的にはもう少し欲しいのだがな。

「私もそろそろ止まって欲しいですよ……」

 とは言うが、確かセリアは自分の四つ下だったはずだ。

 つまり齢十一歳、まだ成長期が残っている。末恐ろしいな。

 ふむ、まあ、女性がこうでは好ましく思わない輩が一定数いるのは事実だ。

 しかし、私はそうは思わない。

「なに、それでも尚、君は美しい。職業も珍しいのだし、嫁の貰い手には困らないと思うぞ?」

 確か、セリアのような女性を異世界後でモデルというのだったか?

 身体を見せる仕事をしているそうだが、一体どういう仕事なのか……異世界は恐ろしいな。

「そ、そう言う話はしてませんっ! まったくもう……それで、クリス様はこちらに何の御用ですか?」

「おお、そうだった。ナナリー女史に逢いに来たのだ」

「ナナリーさんですか? ナナリーさんなら、先程仕事を終えて家に帰りました」

「む、入れ違いになってしまったか。家というと、新しくできたという屋敷か?」

「はい、場所はわかりますか?」

「ああ、教会の近くだと伺っている」

「だったら大丈夫そうですね。もしわからなければ教会に居るはずのルシアさんを尋ねてください」

 ルシアか。確か、彼女は教会の近くに住んでいるのだったな。

「ああ、そうしよう。では、また」

「はい」

 セリアに別れを告げ、村の教会の方へと足を向ける。

 と、薬屋の隣家が目に入った。

 あの家は確か、ユーグ少年の家だったな。

 当人はナナリー女史共々例の屋敷に移り住んでいるとのことだが、どういう状況なのだろうか?

 もしや、ナナリー女史と婚姻を……?

 それはそれで構わないのだが、どうにも状況がわからん。

「……まあ、行けばわかるか」

 この三年間で彼がどれほどの成長を見せつけてくれるのか、今から楽しみだ。



「む、あそこか」

 教会の方へと向かって行くと、それらしい屋敷が見えた。

 そのまま歩いて行くと、何やら路上で話し込んでいる男女が見えた。

 身なりから判断するに男の方は冒険者、女の方は商人か。

「怪我したって聞いてきたんだが、意外と元気そうで良かったぜ」

「アンタほどじゃねぇよ。つーかあの時はアンタも居ただろ。ついに頭がおかしくなっちまったか?」

「まだおかしくなってねぇよ。あの時は先に死んじまったからな。その後のことは人伝手に聞いたんだよ」

「それにしちゃあ、来るのが遅かったな」

「仕方ねぇだろ。こちとら冒険者だぜ? 忙しいんだよ。ま、生きてるんだからよかったじゃねぇか」

「本当にな」

「で? お前の王子様はいつ紹介してくれるんだ?」

「そっ、そんなんじゃねーし! つか、用がないなら帰れ! あたしだって忙しいんだよ!」

「ははっ、まあ、相手は割れてるからな。そこの教会の――」

「いいから帰れっ!」

「あだっ! おーいてぇ。蹴り飛ばすことはねぇだろ……ま、それだけ元気なら問題はなさそうだな。じゃ、また用があったら来るわ」

「おう、じゃあな」

 と、男が追い払われるような形で話は終わったらしく、男がこちらの方へと歩いてきた。

「ん?」

 ――と思ったら、私の顔を見るなり声を上げて立ち止まった。

「む?」

 つられて相手の顔を見ると、どこかで見たような顔だった。

 が、名前が思い出せん。確か、街で見たような気がする。果たしてどこだったか……。

「どこかで会っただろうか?」

「……いや、人違いじゃねぇか? おじさんはただの冒険者さ」

「そうか? 確か、街の方で――」

「おっと、用があったのを忘れてた! じゃあな!」

「……ふむ、人違いだったか」

 まあ良い。思い出せないということは、それほど重要な相手ではないということだろう。

 要人の顔と名前は父上に厳命されて、しかと覚えているしな。

 足早に去る男には目もくれず、屋敷の方へ向かうと、先ほどまで男と話し込んでいた女商人がこちらをじっと見つめていた。

「なにか?」

「あー、いや……あんた――じゃなくてあなた様は、もしかして貴族様のご子息で?」

 またもやどこかで会っただろうか?

 いや、わざわざ聞いてくるということは初対面だな。

 平服とは言え、村人が着る者とは違う服を着ているからな。

 私が貴族の子息だという事は、気づく者は気付くだろう。

 目端の利く商人ならなおのことだ。

「ああ、そうだ」

「ああ、やはり。私、商人のファマルと言う者で――」

 む、やけに遜って来るな。

 どうにも商人のこういう所は苦手だ。奴らはいつも隙あらば取り入ろうとしてくる。

 まあ、金に正直な分、他所の貴族共を相手にするよりは楽だがな。

「楽な口調でいいぞ」

 そう言うと、恭しく礼をしていた商人の女はパッと顔を上げ、先ほど冒険者を相手にしていた際の口調に戻った。

 ふむ、そこらの商人とはまた少し違うな。個人的に好感が持てそうな相手だ。

「おっ、そりゃ助かる。と言っても、今はこれと言った商品は持ち合わせてねぇんだよな」

「構わん。それより、先ほどの冒険者とは知り合いか?」

 やけに気安い関係の様だったが、商人と冒険者の仲が良いというのはなかなかに珍しい。

 なにしろ互いに商売相手だからな。

 それ故に、普通はあそこまで気安い関係になることはそうある事ではない。

「まあ、腐れ縁ってやつかな。大した関係じゃねぇよ」

 この様子からから判断するに、長い付き合いのある知人と言った所か。

 それならば先程のやり取りにも納得できる。

 一つ納得したところで、もう一つ気になる点が生まれた。

「そうか。ところで、貴女は見たところ南方の出身のようだが、商いでこちらまで来ているのか?」

 近くで見て気付いたが、このファマルと言う商人、南方の人族特有の褐色の肌をしていた。

「いんや。前までは放浪商人だったんだけど、今はこの村で暮らしてんだよ。居候だけどな」

「ほう、この村に住んでいるのか」

「ああ、そこの家の世話になってんだ」

 そう言ってファマル氏が示すのは屋敷の近くにある家だ。

 確か、あそこはルシアの家であったな。

「ほう、ルシアの世話になっているのか。彼女は元気にしているか?」

 ルシアか……便宜上、あの者のことは彼女と呼称したが、実際のところはわからん。

 本人は見目麗しく女性的な外見故に、私は女性扱いしているが、村の住人の中にはあの者が男性だと認識している者も少なくはないようだ。

「なんだ。知り合いか? ルシアなら、ちょっと前に両親が帰ってきたおかげですっかり歳相応になってるよ」

 なんと。

「死亡したと聞いていたが、存命だったのか。確か、龍の討伐に出て行方知れずだったとは聞いていたが……」

「ああ、すげぇよな。龍殺しだってよ」

「龍を仕留めたのか……」

 龍の討伐など、数百年ぶりの快挙ではないか?

 勇者や魔王ですら争うことを避けると言われている龍種は、その強さと絶対数の少なさから、太古より生きた災害として恐れられている。

 そのような存在故に、討伐が叶えば莫大な富と名声を得ることが出来ると言われているほどだ。

 しかし、そのような噂も知らせも私は聞いていない。恐らく父上も同様だろう。

 この件についても父上に報告だな。

「ま、そんなわけでルシアの奴なら元気だぞ?」

 しかし、あの大人びた少女が年相応に、か……言われてみれば、ルシアの年齢は今年で十一才であったはずだ。

 そう考えると、これまでは相当に無理をしてきたのだろう。

「そうか。それは良かった」

「会っていくか? 今なら教会に居るはずだけども」

 ルシアにも会いたくはあるが、教会に居るという事は仕事中か。

 確か、あそこの神父は……よし、やめておこう。

「……いや、仕事の邪魔になるといけないから遠慮しておこう」

 あの神父は苦手だ。

「そか。んじゃ、あたしはもう行くぜ?」

 私が断ると、そう言ってから、ファマル氏はルシアの家の方へと歩いて行った。

「さて、いよいよだな」

 私は屋敷の方へと向き直り、身だしなみを確認する。

「……よし、行くか」

 と、意を決したところで――

「どこにですか?」

 背後から突然に声を掛けられた。

 まるで気配がなかった為、人生で上位に入る程度には驚いた。

「ひゃうっ――んんっ! だ、誰だ?」

 漏れかけた情けない悲鳴を飲み込み、どうにか取り繕って振り返ると、誰よりも逢いたかった顔がそこにあった。

 少女と見紛うようだった顔立ちも、少し男性らしい精悍さがついただろうか?

 記憶よりも男らしく成長した少年の姿に、私は思わず感動していた。

「――ユーグ少年! 久しいな! 逢いたかったぞ!」

 思わず手を取って詰め寄ると、少年は戸惑っていたようだったが、すぐに気づいてくれたらしい。

「えっ、誰……あっ、クリス様ですかっ? うわぁ、お久しぶりです!」

「うむ、覚えていてくれて嬉しい。三年ぶりだな」

「はい、もう三年になるんですね」

 そうだ。三年間も彼に会えなかったのだ。

 実に寂しい思いをしたものだ。

「それで、例の件は考えてくれただろうか?」

 何より、彼にはナナリー女史と同様にとある取引と言うか、頼みを持ち掛けていたので、その返答を聞きたかったのだ。

「え、あ、それは……」

「――いや、待ってくれ。その前にナナリー女史の返答を聞かねば」

 こちらの要件は大事だが、ナナリー女史の近況も気になるところであるし、そちらの返事を聞いてからでも遅くはないな。あと、謝罪も必要か。

「え、ナナちゃんですか?」

「うむ、彼女には三年前に求婚したのだが、その時の返答をな」

 あまり芳しくない反応をしていたが、果たして返答はいかなるものだろうか?

「あー、そう言う事もありましたね……」

「む? なにか聞いていたのか?」

 ナナリー女史とユーグ少年は仲が良いようだし、相談を受けたのだろうか?

「ナナちゃんから相談と言うか……その、愚痴を……」

 愚痴か……なるほど。やはり駄目だったようだ。

「やはりそうか。あの後、引き籠り切りになってしまったという話を聞いて心配していたのだ」

「あ、それはたぶん違うことが原因だと思います」

 どうやら引き籠りの件に関しては私の憂慮していた事情とはまた違うらしい。

「む、そうなのか。しかし、その様子だと彼女から色よい返事はいただけないようだ」

「なんかすみません。と言いますか、クリス様ならもっと良い相手が見つかると思いますよ?」

 出来る事ならそうあって欲しいのだが、父上がまだ早いと、見合い話すら持ってこないのだ。

 だから、相手は自分で探すしかないのが現状だ。

 おまけに、私の伴侶となる相手には、とある条件も必要なのだ。

「うむ、ありがとう。とはいえ、私の結婚相手の条件は決まっていてな。魔法使い系統の職業を持つ者が良いのだ」

「魔法使い、ですか?」

「うむ、君には教えたと思うが、私のスキルを最大限に活かすには子供に継承させるしかないのだ」

 子の職業は高確率で親の職業と同じか同等の系統になるのだ。

 当然、スキルも一定確率ではあるが引き継がれる様になっているが、実は確実に継承させる手段も確立している。

「確かに聞きましたけど、その問題はひとまず解決したはずじゃあ……?」

 と、私の弁に困惑するようにユーグ少年が言う。

 確かに、その問題はユーグ少年のおかげで一時的に解決した。

 なにしろ、当時の私ではこのスキルをまともに扱うことすらできていなかったからな。

「うむ、確かに君の助言と訓練のおかげで私でも有効的に使う事は出来るようになったが、いかんせん、私の職業ではせっかくのスキルが持ち腐れとなってしまう」

 解決したのだが、やはり私が使用するには効率が悪いというか、分不相応なのだ。

「クリス様は騎士ですからね」

 そう、私の職業は騎士なのだ。決して魔法が得意な職業ではない。

 いずれ父上に倣って聖騎士に成るつもりだが、それでもなお、私のスキルを持て余してしまう。

「うむ、その通り。故に――」


「私のスキル【尽キ果テヌ魔力】は、やはり魔法職でなければ活かし切れんのだ」


 このスキルの効果は実に単純ながらも驚異的なもので、いかなる副作用もなしに無尽蔵の魔力が扱えるという破格の性能なのだ。

 もしこれを魔法使い系統の職業が所持していたのなら、戦略級の魔術を一人で連発するような行為も容易に行えるようになる。

 だからこそ、私は魔法職の者と番い、このスキルを継承した魔法職の子供を祖国の為に残す義務があるのだ。

「うーん……騎士職の派生で魔法を使う職業の中には暗黒騎士などがあるそうですけど」

「む、それは無理だ。私はエクサリサ教徒だからな」

 聖神エクサリサ様は聖なる女神だからな。

 暗黒騎士に成る条件を加味すると改宗の必要が出てくるし、何よりそれは父上も母上も許さないだろう。なにより、私としてもそれは避けたい。

「ですよね。じゃあ、やっぱりクリス様は聖騎士を目指すんですね?」

「うむ、そうなるな」

「ですよね……って、ごめんなさい。こんなところで立ち話もなんですし、話は家でしませんか? 僕もさっき手伝いが終わった所なんです」

 そう言えば、今日はカナタの家の方で手伝いをしているだろうと剣神様が言っていたか。

 疲れているだろうに、悪いことをしてしまったな。

「ああ、それがいいな。君達の家を私にも見せてくれ」

「はい、ぜひ招かれてください」

 うむ、楽しみだな!


 さて、招かれたのは良いのだが……困ったことになった。

「えーっと、ナナちゃん?」

「……」

「これは、困ったな……」

 ナナリー女史がユーグ少年の背後に張り付いて、無言で威嚇してくる。

 どうやら嫌われてしまったようだ。

 元から好かれてはいなかったと思うが、求婚したのが決定打となってしまったようだ。

「ナナリー女史、実は本日は三年前の答えを……」

「断る」

 返事は即座に返ってきた。

 わかっていたとはいえ、この状況には少々辛いものがあるな。

「う、うむ、それはわかった。それと、あの時は急に求婚して悪かった。謝罪する。すまなかった」

「……」

「え、えーっと、この話はこれでおしまいでいいかな?」

「……ん、終わり」

 ナナリー女史から険が少し取れた。

 どうやら少しは許してもらえたらしい。

「うむ、振られてしまったが、まあ、仕方が無いな」

「当然のこと」

 当然か。まあ、普通はそうなのだろう。

「ナナちゃん! 言い方っ!」

「そもそも、なんで私に求婚したのかがわからない。私にそういう趣味はない」

「そう言う趣味? それってどういう――」

 む、それはいかん。まだ早い。話題を変えねば!

「それより、ユーグ少年。温泉が湧いたという話を伺っているのだが、良かったら経緯を聞かせてくれないか?」

「あ、はい。あれはライナスが――」

 と、ユーグ少年が温泉が湧いた際の経緯を話す間、ナナリー女史は私のことを深く警戒するようにじっと見続けていた。

 先程の発言と、今もユーグ少年に寄り添ってこちらを牽制するような様子から察するに、どうやらナナリー女史は私の秘密に気づいていたらしい。さすがの慧眼である。

 であればこそ、当時の私の求婚にも大いに戸惑い、驚いたことだろう。

 本当に済まないことをしたものだ。

 しかし、仕方がないことなのだ。

 私だって、好きでこのように産まれてきたわけではないのだから。

 いや、産んでくれた母上には感謝しているのだがな。

「――と言うわけで、所有権は村の物となっていますが、管理は僕らが行っています」

 温泉の話が終わった。

 まさか、温泉を探り当てるとは、あのライナスと言う男もなかなか有能らしい。

 職業が遊び人だと聞いていたので、すっかり侮っていた。

 それはそうと、ここからが重要なのだ。

「ふむ、なかなか興味深い話だった。それで、その温泉に入ることはできるか?」

 出来る事なら滞在中は毎日入りたい。

「あ、はい。一般開放されている共同浴場は掃除の時間以外ならいつでも解放されてます」

「む? 温泉は一つだけではないのか?」

 湧いた温泉は一つだと聞いていたのだが。違うのだろうか?

「はい、源泉からお湯を引いて、村の者達が使う物とそれ以外の者が使う物に分けてあります」

 なるほど、村人と外来人用に分けてあるのか。

「なるほど。では、村の者達が使う方へ案内してくれないか?」

 そちらの方が空いていそうだし、出来たらゆっくりと浸かりたい。

「え、良いですけど、そっちの方は殆ど自然のままですよ? 最低限整えてはありますけど」

「ほう、造りが違うのか?」

「まあ、はい。村用のはほとんど手を入れず混浴になっていて、一般用のが男女別に区分けがしてあって、中も利用しやすいようにしっかりと整えてあります」

 つまり、村の者達が利用する方は自然のままの野趣に溢れる温泉を楽しめるのか。

 学校に居た頃は毎日のように共同浴場へ通ったものだが、そう言った趣の風呂も一度経験してみたいと思っていたのだ。

 ……ところで、そもそも村人用の温泉に私が入っても良いのだろうか?

「村人が使う方の温泉に私が入ることは可能か?」

「ええっ? それはできますけど、本当にいいんですか?」

 むしろそれはこちらの台詞であるが、どうやら問題はないようだな。

「うむ、構わん。案内してくれ。ついでに、ユーグ少年も付き合ってくれ」

「いやいや、クリス様と一緒に温泉なんて恐れ多いですっ!」

 む、まだそのようなことを言うか。相変わらず真面目だな。

「私が構わんと言っているのだ。良いだろう? 男同士、裸の付き合いと言う奴だ」

 そう言い寄ろうとしたところで、割って入る者がいた。

「……それはダメ」

「え、ナナちゃん?」

「どうしてもと言うのなら、私も一緒に入る」

「どうしてそうなるのかなっ? 僕だけならともかくクリス様だっているんだからねっ?」

 うむ、確かに女性と入るのは少し気恥しい。

 ……嬉しくもあるがな。

 しかしユーグ少年、その言い分だと、ナナリー女史とは既に……?

「だから、一緒に入らないとまずいことになる」

 それは……まあ、そうかもしれないが、私はユーグ少年の人となりを知っているし、問題はないと思うのだがな。

「わけがわからない……っ! え、えっと、とにかくナナちゃんはうちで待ってて? 僕はクリス様を案内してくるから」

「……わかった。でも、気を付けて。くれぐれも惑わされないように」

 惑わすとは、随分と疑われているな……いや、確かに可能ではあるのだろうが、果たして少年がなびくだろうか? ふむ、試してみるのも面白いやもしれん。

「何に惑わされないように気を付けないといけないのかな……? すみません、すぐに案内しますね?」

「ああ、頼む」

 温泉か……楽しみだなっ!


 そうして案内された温泉は、なんとユーグ少年の実家の近くにあった。

「ほう、ここにあるのか」

「はい、源泉がすぐ近くで、湧いた当日には村の男性陣で整地して、すぐに利用できる程度に整えました。ここは近くに用水路もあるので」

「なるほどな」

 源泉のすぐ傍に浴場を作ることで、すぐに利用できるようにしたわけだ。

 恐らく女性陣の意見なのだろう。気持ちはよくわかる。私だってそうしてもらう。

「えっと、クリス様、温泉に入るのは良いのですが、お風呂道具は……」

「ああ、それなら心配ない。この通り、収納の魔道具にしまってある」

 そう告げて、私は手拭いを取り出して見せた。

「うわぁ、これが収納の魔導具なんですか? 初めて見ました。どれくらい入るんだろ?」

 収納の魔導具は腕輪の形をしており、登録者のみが使えるようになっている。

 仕組みに関しては極秘扱いとなっているが、こうして個人の手に渡る程度には量産化が進んでいる代物だ。

 これは異世界人が常備しているスキルの一つである無限収納と言うスキルを参考に当時の技術者達が試行錯誤の末に作り上げた物なのだ。

「これは大きな水瓶一杯分程度の容量だな。数日なら手ぶらで旅ができる程度の物は入るぞ?」

「わぁ、すごいなぁ。確か、異世界人達のスキルの方は容量が無限なんでしたっけ?」

「ああ、そうだ。さすがにあれの完全再現には至っていないようだな」

「さすがにあれの再現は難しいですよ……」

 なお、現在の最大容量は国の倉庫ほどの容量だと噂には聞いている。

 その分、魔道具が携帯できない大きさになっているそうだが、本末転倒じゃないだろうか?

「そうだな。まあ、そんなことより温泉に入ろう」

「あ、はい。そうですね」

「もちろん、君も一緒に入るのだからな?」

「う、は、はい……本当にいいんでしょうか?」

「安心しろ。私が良いと言っているのだ」

「……わかりました。では、ご一緒させていただきます」

「うむ、ところで、脱衣所は分かれているのだな」

 村人用の温泉は柵で囲われており、脱衣所となっている小屋を経由して中に入る構造になっているようだ。

「え? あ、はい。さすがに脱衣所は別々にしてあります」

「混浴なのだから、一緒でもよかったのではないか?」

「そう言う意見もあったんですけど、着替える時に異性の目があるのは気になるという意見が多かったんです」

「なるほど、それなら仕方が無いな」

 会話しながら、私とユーグ少年は男性用の更衣室へと入った。

「ふむ、簡素な作りだが、綺麗にしてあるな」

「はい、掃除は毎日欠かしてません」

「うむ、清潔なのは良い事だ。さて、私の服は脱ぐのに時間がかかるから、ユーグ少年は準備が終わったら先に入っていてくれ」

「わかりました。あ、お手伝いしましょうか?」

「いや、不要だ」

「そうですか。じゃあ、お先に失礼しますね」

 そう言いながら、ユーグ少年は服を脱ぎ始めた。

 多少背は伸びたようだが、相変わらず線が細いな。

 体格の方は程よく鍛えているのか、全身にしなやかな筋肉が付いているのが見て取れる。

 ……男らしい身体つきになってきているではないか。見違えたな。

「では、お先に」

「ああ、私もすぐに行こう」

 さて、私も服を脱いで向かうとするか。


「毎度、着替えに疲れるな……」

 ようやっと衣服を全て脱ぎ去り、生まれたままの姿になった私は若干の心もとなさを感じつつ、防護の加護がかかった湯浴み着をまとい、浴場へと向かった。

 この湯浴み着も着始めた当初は抵抗があったものの、今では慣れた物だ。

 浴場に入ると熱気による汗と水分であっという間に湯浴み着が肌に張り付いた。

「……少年、待たせたな」

「あれ? クリスさ、ま……?」

 こちらを振り向いたユーグ少年の顔と身体が硬直した。

「ふむ、まあ、おおむね予想通りの反応か」

 それはそうだろう。

 少年が振り向いた先に立っているのは、どこからどう見ても女性なのだから。

 まあ、私なのだが。

「えっ、あれっ、なんっ……ええっ?」

 少年は自分の目を疑うように、まじまじと私の姿を確認していた。

 やけに胸に視線が集中しているが。そうか。少年は胸が好きか。気が合うな。

 我ながら形と大きさには自信のある逸品だ。

「あまりじろじろ見られるのは気分が良くないな」

 男性に裸を見られたところでどうとも思わんが、ユーグ少年に見られるのは若干の抵抗と言うか、気恥ずかしさがあるな。不快ではないが、なんともこそばゆい感じがする。

「す、すみませんっ! えっ、でも声までっ!」

 ん? ああ、声も本来の物に戻っているのだったか。

「ああ、私の着ている衣服に細工がしてあってな」

 私の発する声を男性の物に変換するように、喉の装飾品に変声の陣が仕込んであるのだ。

「そもそもなんでっ……っていうか、お、女の人だったんですかっ?」

「うむ、身体はな」

 そう言った所で、ユーグ少年が瞬く間に落ち着きを取り戻し始めた。

「か、身体はって……あ、もしかして、魂が?」

 どうやら私のような者のことを知っていたようだ。

 相変わらずの賢明さである。よく勉強をしているようだ。

「おお、知っているのか。その通り、私の魂は男でな。身体こそ女として生まれてしまったが、こうして男として生きているのだ」

 このような有様を異世界語では性同一性障害と言ったか。

 生憎とこの現象は決して少なくはない事例で、この世界においては障害などと言う扱いではなく転生神の悪戯と称されている。

「そ、そうだったんですか……すみません、むやみに驚いちゃったりして」

「む、それはそれでつまらん反応だな」

「いや、どう反応しろって言うんですか……」

「どうだ? 私の身体は魅力的ではないか?」

 自分で言うのもなんだが、鏡に映る自身と結婚したいと思ったことは一度や二度ではないくらいの美貌と体躯ではあると思う。

「えっと……すごく綺麗だと思います」

 なんとも安直だが、少年らしさが出ているな。

 下手な美辞麗句を並べられるよりはよっぽど嬉しい。

「……ふむ、なかなか嬉しいものだな」

 これがそこらの男であったなら張り倒していたが、不思議なことにユーグ少年に褒められるのは悪い気がしなかった。

「えっと、それで、どうしましょうか? さすがに女性と一緒と言うのは……」

 む、私は女性ではないというに。

 それに、ナナリー女史とは一緒に入っているようではないか?

 となれば、ナナリー女史が許されて私が許されない道理はないな。

「む? 先程のナナリー女史との会話から察するに、ナナリー女史とは一緒に入浴しているようだが?」

「あ、いや、その……はい、ちょっと前までは」

「今は違うのか?」

「はい、これまでは危なっかしかったので僕が一緒に入ってたんですけど、今はセリアちゃんとナナちゃんがその役を請け負ってくれてるんです」

「なるほど、そう言った事情があったのか」

 ナナリー女史がどれほど危なっかしかったのかは知らないが、ユーグ少年が言うのなら、きっとそうなのだろう。

 引き籠っていたという話だし、身体の筋も弱っていただろうからな。

「と言うわけなので、入浴はお一人で……」

 気が付けば、ユーグ少年は既に逃げの体勢に入っていた。

 む、いつの間に。侮れんな。だが、逃がさん。

「何を言っている。男同士ではないか。気にする必要などないぞ?」

「いやでも身体はっ……!」

「君は見た目で人を判断するような者ではなかったと思うが?」

 だからこそ、私を男として見てくれていたのだろう?

 言外にそう言った想いを込めながら見つめると、少年は観念したようだった。

「……ご一緒させていただきます」

 よし、これで男同士、裸の付き合いができるな!


 とは言え、裸の付き合いと言うのは何をしたら良いのだろうか?

 掛け湯をし、お湯に浸かった私はユーグ少年に問うた。

「ところでユーグ少年。裸の付き合いと言うのは何をする物なのだ?」

「はい?」

「裸の付き合いだ。男達は共に風呂に入ることを裸の付き合いと言うのではないのか?」

「あ、そう言う……えっと、実は、僕もそう言うのはよく知らないんです」

「むむっ。となると、裸の付き合いと言うのは成人男性の文化なのか……?」

「あ、確かに冒険者の人達とか大工さん達が良く使ってますよね。裸の付き合いって」

「確かに。しかし、一体何を……? 付き合い……いや、突き合い、か?」

 男同士、風呂で突き合いをするのか? 何らかの鍛錬方法なのだろうか?

 鍛練となれば、ユーグ少年と私の得意分野だな!

「……ユーグ少年」

「いやたぶんそれ違うと思います」

「そ、そうか」

 突き合いをしようか、と提案する前に否定されてしまった。悲しい。

 しかし、よく考えてみれば風呂で突き合いと言うのもおかしいな。

「うーむ、付き合い、つきあい……」

「あの、普通に一緒にお風呂に入って話をするだけだと思うんですけど……」

「む、話か。会話に付き合うという事か。話題は何なのだろうな?」

「ありきたりなことでいいんじゃないですか?」

 少年、ちょっと面倒くさくなってきていないか?

 先程からちっともこちらを見ようともしないし、不敬罪に処してしまうぞ?

「少年、もう少し真剣に考えてくれ」

 ユーグ少年の肩を抱き寄せ、身体を密着させながら少年の頭を少し乱暴にわしわしと撫でると、少年の身体が緊張にこわばった。

「む、どうした? 何かの気配でも感じ取ったか?」

 もしや暗殺者か……?

「お、おっぱ――じゃなくて近い! 近いですっ!」

「む? 近くにいるのか? しかし、気配などどこにも……」

「何のことですかっ! クリス様と僕の距離の話ですけど!」

「男同士だし、これくらい普通だろう?」

「うぅ、素なのか演技なのかわからない……」

「くくっ、腹の探り合いで私に勝てるとでも?」

 演技のつもりはなかったのだが、どうやらユーグ少年にとって私の身体は刺激が強すぎるようだ。

 この様子だと性経験はないようだな。

 まあ、未成年の村人であるし、普通はないはずだ。

「では、戯れはこのくらいにして、少し話しでもしようか」

「始めからそうしてくださいよ……」

「すまないな。久しぶりに君に逢えて、はしゃぎ過ぎたようだ」

 どうにも、ユーグ少年と共に在るのは楽しすぎていかんな。

 胸が高鳴り、そわそわと落ち着かなくなってしまうのだ。

「クリス様にもそう言う所があるんですね。少し、意外です」

 本当に意外だったようで、少しではないくらいに驚いた顔をしている。

「そうか? これでも、初めてこの村を訪れた際には、暴言を吐いて剣神様に叩かれたのだぞ?」

「えぇっ? そんなことがあったんですか?」

「うむ、今でこそ愚かだと思うが、当時の私には見識と言う物が足りなかったな」

 本当に当時の私は愚かな子供だったと自分でも思う。

「ああ、そう言えば初めて会った時はすごいことしてましたよね。まさかあれをああするとは……」

 なんだ? なんのことだ?

「む? あれをああするとは何だ? 心当たりが多過ぎてわからん」

 この村を初めて訪れた年は色々なことがあり過ぎて何のことだかわからん。

「本当に、よくご無事で……」

「な、なんなんだっ? 当時の私は一体何をしたのだっ?」

 教えてくれ! ユーグ少年!


 想定していたのとは少し違ったが、裸の付き合いと言う物を経験できた。

 本当は背中を流し合う程度のことはしたかったのだが、ユーグ少年に断られてしまった。

 恐れ多くてどうしても無理だと言っていたが、どうも私の身体が気になってしまうようだ。

 我ながら悩ましい肢体をしているからな。無理もない。

「ユーグ少年、私の身体が気になるのか?」

 だから、身体を洗い終えた後、少し涼むため湯殿の縁に腰かけながら聞いてみた。

「それは気になりますよ」

「ふむ、正直だな。君のそう言う所は好きだぞ?」

「ですが、クリス様はご自身の身体についてどう思っているんです?」

「ふぅむ、何というべきか……少々頼りなくは思うが、大した不便は――あ、いや、月のモノが少々辛いな」

 あれさえなければ最高なのだがな。

「……性転換とかはお考えになってます?」

 ふむ、確かに、そう言う手もないわけではない。

 何せ、割と気軽にできるものだからな。

 昔、調べたところ、男から女に成りたい事例が存外に多いのだとか。

「そう言うのも可能だそうだが、父と母に頂いたこの身体を変えようとは思わんな。私は私であるし、身体が女だろうが構わん。それに、自分で自分の子を産むことが出来るのだぞ? むしろ得をしたと思っているくらいだ」

「そ、そうなんですか」

 うむ、そうなのだ。

「今は同性で子供を作る技術も確立できているし、わざわざ男の身体に拘る必要がないというのもあるがな」

「え、同性で子供なんてできるんですかっ?」

 どうやらユーグ少年にとっては未知なることであったようだ。

「うむ、まだ広まってはいないが、公にはなっているぞ? 本来は不妊治療の一環で行っていた研究の副産物なのだそうだ」

「そう言う技術もあるんですね……すごいなぁ」

「街の方へ行けば君の知らない物はまだたくさんある。どうだ? 興味がわいてこないか?」

「えっと……それは、例のお誘いのことですか?」

 む、少し露骨過ぎたか。

「うむ、三年前にも言ったが、私は君が欲しい。この三年間、その思いは強まるばかりだった」

 何せ、学校に居た私の同年代の者達ときたらユーグ少年と比較して明らかに向上意識がなく、能力的にも大したことのない者達ばかりだった。

 そんな者達が将来国の中核を担うとなると頭が痛いところであったが、しっかりとふるいに掛けられた結果、大半が留年していたのでまあ良しとしよう。

 何しろ、私の通っていた学校は質実共に身分に相応しい人材とならなければ卒業は勿論、次の学年への進学すらままならない上に一度入学すると退学すら許されない学校だったからな。

 彼等が卒業するのはいつになるかはわからんが、あそこの方針は素晴らしいと思う。

 だからこそ、私はユーグ少年をあそこに通わせてやりたいのだ。

「必要な金なら私が出そう。ユーグ少年、あの学校で学び、研鑽し、卒業したあかつきには私に仕えてくれないか? 君に、私を支える右腕となって欲しい」

「えっと、ごめんなさい。お断りします」

「……どうしてもだめか?」

 少し身を傾け、上目遣いでユーグ少年の顔を下から覗き込むように聞いてみた。

 ……学校時代に相部屋の女生徒から聞いた男を落す手管の一つだ。

「いや、あの……それずるいですよっ! 心は男性なんですよねっ?」

「ちっ、ダメか」

 やはり付け焼刃の演技ではユーグ少年の心をつかむことはできないらしい。

 多少揺らいではいたようだがな。

 こんなことならもう少し詳しく彼女に教えを請うのだった。

「そもそも、僕はこの村の外で働く気はないですからね?」

「なんだ。もしや、もう将来を決めてしまったのか?」

「あ、いえ、それはまだですけど……」

「だったら、これからの三年間を学校に通いながら決めても良いではないか」

「いや、でも……あっ。あの、一つ良いですか?」

「なんだ?」

「その学校に、この村の先生以上に優秀な先生は居るのでしょうか?」

 この村の学校の先生と言えば……ふむ、マリア女史か。

 そうだった。マリア女史かぁ……。

「いないな」

「ですよね?」

 これは一本取られたというべきか。

「いや、しかし、マリア女史とて君にかかりきりと言うわけでもないだろう?」

 そうだ。そもそもユーグ少年の年齢になると、この村の学校はとっくに卒業しているではないか。

「えっと、実は最近、週に一度の個人授業を少し」

「なに……?」

 人類の叡智と称えられているマリア女史から週に一度も個人授業を受けているだとっ?

 世界中の識者が血涙を流して憤死しかねないほどの好待遇ではないか!

「一体何がどうしてそのようなことになっているのだっ!」

「い、いえません! あっ、いかがわしいことじゃないですからねっ?」

 いかがわしいことだとうっ?

「言えない? いかがわしいこと? 一体何を教わっているのだ君は!」

「いやだからそう言うのじゃなくてちゃんとした理由が……って、近い! 近いです! あと湯浴み着がはだけて見えてますって!」

 そんなの知ったことか!

「見えたからどうした! 君の好きな女性の乳房だぞっ? さあ、遠慮なく見るがいい!」

「何言ってるんですかっ! って言うかどうしてこんなことに!」

 私にもわからん! しかし、マリア女史といかがわしい個人授業をしているユーグ少年の姿を想像してしまった私はどうにも抑えきれないむかむかとした気分にさせられ、こうしてユーグ少年に詰め寄ってしまっている。

 なんだこの感情は? これが嫉妬と言うものなのか?

「むぅ……ユーグ少年、君は罪作りな男だな」

「そんなこと言われても……」

「よし、決めたぞ。君には何としてでも私の元へ来てもらう! さしあたっては既成事実を作るぞ!」

 幸いにも、以前に行商人から買い付けた教本によって子供を作る手順は心得ている。

 本日が出来易い日であればなおのこと良かったのだが、欲は言うまい。

 一度関係を持ってしまえばユーグ少年のことだ、次からは断れなくなるだろう。

 そして、子供ができてしまえばもはや逃げる余地はない!

「既成事実って――あっ! なに脱いでるんですか! 止めてください!」

 と言いつつちらちらとこちらの胸を見るあたりは、彼も大概だと思う。

「安心しろ、私は初めてだ」

「何をどう安心しろとっ? って言うか、僕まだ未成年なのでそう言うのは困りますっ!」

「問題ない。私は貴族だぞ?」

「身分をかさに着た行いだぁっ! 誰かっ! 誰か助けてぇっ!」

「くくく、君が先に入った隙に人除けの魔道具で結界を張らせてもらった。助けはこなっ――」

 チクリと、首筋に何かが刺さると同時、私の意識は暗転した。



「……ん、む……?」

 目が覚めたら見知らぬ天井云々――と言う表現をやたらと使いたがる異世界人が多いのだが、それは何か儀式的な意味合いでも持つのだろうか?

 異世界人の知り合いに聞いてみても、それらしい答えが返って来ることはなく、なぜか気まずそうな顔で目をそらされたのだが、もしや聞いてはまずいことなのだろうか?

 まあ、それはそうと、どうやら私は眠っていたらしい。

 ……そもそも、なぜ寝ていた?

「ここはどこだっ?」

 飛び起きると、どうやら温泉の脱衣所に寝かされていたらしいことが分かった。

「あ、本当に起きた。時間ぴったり」

「ん、私、すごい」

 聞こえた声の方へ顔を向けると、ユーグ少年とナナリー女史がいた。

 ユーグ少年はまだ服を着ておらず半裸のままであることから、どうやらそれほど長い時間寝ていたわけではなかったらしい。

「いったいなにが……」

「お前がユーくんを襲おうとしたから眠り針で昏睡させた」

「ちょっ! ナナちゃん! クリス様をお前呼ばわりはまずいって!」

 そうだった。ユーグ少年を手籠めにしようとしたら何者かに邪魔をされたのだった。

 まさかナナリー女史だったとは……。

「無念……それにしてもナナリー女史、なぜ私があのような行動に出ると?」

 正直、当初の私はあそこまでする気はなかった。

 ああなったのはユーグ少年からマリア女史との話を聞かされたのがきっかけだ。

 心底不思議でならない私の問いに、ナナリー女史はさも当然とばかりに応えた。

「勘」

 勘か。それはどうしようもないな。

「なるほど、乙女の勘と言うわけか……ユーグ少年、すまなかったな」

「い、いえ、驚きはしましたけど、何事もなかったので別に……」

 あのようなことがあったというのに許してくれるという。

 君はどこまで優しいのだ……まあ、許してくれるというのならその好意、素直に受け取ろう。

「む、そうか。それならよかった。では次は上手くやるとしよう」

 今度はナナリー女史への対策も考えておかねば。

「あの、それ本人の前で言って良いことじゃ……」

「次も、その次も私が阻止する。ユーくんは渡さない」

「うむ、私も負けないぞ?」

 まさかナナリー女史と争う事になろうとは思わなんだが、貴族として負けるわけにはいかん。

「え、ちょ、僕の意志は……?」

 よし、決めたぞ。私の第一子はユーグ少年との子供にするのだ。

 行為に対する不安はあるが、興味の方が大きいからな。

 それに、最初の子供くらいは自然に作った方が気分的に良いと思うのだ。

 ユーグ少年程の美少年であれば、普通の男に感じるような嫌悪感はないしな。

 とは言え、この村に来るのは短くても一年に一度、滞在期間も長くてひと月程度であるし、ユーグ少年を堕とす難易度を考えると、まったくもって時間が足りない。

 どうしたものか……とりあえず父上に相談だな。



 結論として、どうにかなった。否、なってしまったというべきか?

 温泉での出来事の翌日、私は改めてユーグ少年達の家に赴いていた。

 その理由と言うのが昨晩、急に決まったことがあって、それの報告と共に大人達の間で瞬く間に決まってしまった事項を伝える為だった。

「と言うわけで、本日付で領主代行としてこの村に赴任することになったのだ」

 本日もユーグ少年は出払っているようで、応対に出たのはナナリー女史だった。

「……それはわかった。けど、これはどういうこと?」

 そう言うナナリー女史の視線は私を捕らえておらず、別の方向をじっと見ている。

 それでいて責めるような気配を感じるのは、きっと気のせいではないのだろう。

 昨日の今日で若干気まずいのだが、私も貴族としての責務であるため、逃げるわけにもいかん。

「うむ、急に決まった話で申し訳ないのだが――」

 ナナリー女史の視線を追うように家の入口を見る。

 先程から我が家の使用人が出入りを繰り返し、急遽買い揃えた荷物を運び込んでいるところだ。

「――しばらくの間、この家に住むことになった」

「……ずっとじゃあない?」

「ああ、私が住む家が完成するまでの間だ」

 昨晩の話が出た時点ですでに家の着工が始まっていたというのだから驚きである。

 どうやら父上はこのために私をこの村へ連れてきたようだ。

「……なら、いい。でも、ユーくんを誘惑するのはダメ」

 誘惑ではなく口説くだけなのだが。まあ、この屋敷の主の言う事には従おう。 

「うむ、この家にいる間は、そのようなことはしないと約束しよう」

「……それなら、まあ良し。でも、家を出た後も邪魔はする」

 手強い。さすがはナナリー女史だ。

「うむ、では私は正々堂々と出し抜くとしよう」

「手強い……」

「それで、話は戻るのだが、私はどの部屋に寝泊まりしたらよいのだろうか?」

 しばらく滞在するにせよ、部屋がないと寝泊まりができん。

 宿を取るという手もあるが、現在、人の出入りが激しいこの村の宿の一室を長期に渡って占有するのは余りよろしくはないのだ。

 しかし、この屋敷であれば空き部屋の一つや二つはあるだろう。

 そのような希望的観測は、すぐさま打ち砕かれることとなった。

「……空き部屋がない」

「なに?」

 それは困る。

「ん、大丈夫。寝泊まりするだけなら使っていない執務室がある」

 なんだ。あるではないか。

「おお、その部屋で十分だ。なんだ、ちゃんとした部屋があるではないか」

「……使ってないから、物置きになってる」

「……なるほど」

 まずは片付けからと言うわけか。

 と、ちょうど荷物を運び終えたようで、使用人達がこちらへやってきた。

 今回の視察に同行してきた使用人は二名、執事のグラッドと侍女のルースだ。

 どちらも優秀なため同行することになったのだが――

「お嬢様っ! お荷物運び終わりましたぁっ!」

「ルース、坊ちゃまとお呼びしなさい」

「あっ、そうでした! 坊ちゃま! お荷物運び終わりましたぁっ!」

 ルースは少し気を抜き過ぎだな。

「……ああ、ご苦労」

「で、どの部屋に運びます? あ、なんならユーグ君のお部屋にします?」

 実家ではないせいか、ルースの軽口が酷いな。全く、困ったやつだ。

 それにしてもルースめ、いつの間にユーグ少年と親しくなったのだ?

 前は名前で呼んでいなかったはずだぞ。

「それは私が許さない」

「執務室があるそうだから、そちらへ運んでくれ。ただ、物置きと化しているそうだから、まずは部屋を片づけてからだな」

「では、私共が――」

「待って。危ない物もあるから、私の指示に従って欲しい」

「おお、そうでしたか。かしこまりました。ナナリー様の指示に従いましょう」

「ん、そうしてくれると助かる。じゃあ、ついて来て」

「了解でーす!」

「ふむ、私が使うのだし、私も手伝お――」

「大丈夫」

「我々にお任せくださいませ」

「う、む。わかった。手が必要なら――」

「大丈夫」

「私達に任せてくださいねー」

「さて、行きましょうか」

「ん、こっち」

 頑なに手伝いを拒否されてしまった。なぜだ。

「……ふむ」

 仕方がない。私はまた村を見て回るとしよう。

 昨日一日では回り切れていないからな。

 領主代行を任された以上は、この村をより良くして行かねばならない。

 領主の仕事は初めてであるから、領地のことはよく見て回らないとな。

「よし、行くか」

「あや? 坊ちゃまじゃん。どうしたの?」

「む、カナタか。なぜここにいる?」

「なんでって、私もここに住んでるし」

「そうだったのか。ここに住んで居るのはユーグ少年とナナリー女史とセリアの三人だと聞いていたが」

 そう言うと、カナタは指折り数えながら名前を挙げ、状況を説明した。

「他にもライナス君とルッシーも居るよ。私も含めてこの三人は主に寝泊まりに使ってるくらいだけどねー」

 主に寝泊まりか。そう言えば、ライナスは最近ギルドの仕事に就いているらしいな。

 そしてカナタは防人隊勤務だったな。

 どちらも勤め先はこの屋敷から近い位置だったか。

「ああ、仕事の関係か。しかし、ルシアはすぐ隣では……」

「ルッシーの所は最近両親が帰って来たんだけど、なんと言うか、夜のアレが、ね?」

 なるほど、あの小さな家ではどこに居ても聞こえるか。何がとは言わぬが。

「ふむ、教会勤めで年頃であるしな。仕方がないか」

「そうそう。で、坊ちゃまはどうしたの?」

「私もしばらくここに住むことになってな。今、部屋を一つ空けてもらっているところだ」

「あ、そうなんだ? でも、なんでまたここに?」

「住む場所がまだできていなくてな」

「宿を取る――のはあまりよくもないか。今ってかき入れ時だし」

「ああ、そう言う事だ。それと、まだ代行の身ではあるが、領主としての赴任となる。よろしく頼む」

「へー、領主代行ね。って、そう言う事は先に言ってよっ!」

「まだ発表はされてないからな。正確には予定だ」

「あー、そういうことね。とりあえず発表されるまで黙っとく」

「うむ、そうしてくれ。ところでカナタはこのあと暇か?」

「今日はどっちの仕事も休みだから暇と言えば暇だけど、何か用?」

「ああ、この村で私がいない間に変わった所を案内して欲しい」

「あー、長いこと来てなかったもんね。いいよ」

「助かる。給料は後で渡そう」

「いや、案内だしいいって」

「そう言うわけにもいかん。労働に対する対価の支払いは必要だぞ?」

「別にいいんだけどなぁ。あっ、それじゃあ、今日のお昼ご飯奢ってよ」

「その程度でいいのか?」

「大した手間じゃないし、散歩ならいつものことだからいいの」

「そうか。ではよろしく頼む」

「あいあい。じゃあ、まずはどこに行きたい? 変わった所ならたくさんあるけど」

「近い所からでいいぞ」

「おっけー」


 屋敷を出てしばらく行くと、話題提供のつもりなのか、カナタがこのようなことを尋ねてきた。

「あ、ところで坊ちゃまってさ、昔っからユーグ君がお気に入りと言うか気にしてるっぽいけど、何かあったの?」

「ふむ、特に人に語って聞かせるようなことでもないが、私にとって彼との出会いは……そうだな。運命、だったのだろうな」

「それって長くなる?」

「尋ねておいてそれか。まあ、そんなに長くはないが、聞きたいのか?」

「まあ、気になるっちゃ気になるかな。坊ちゃまがあった頃のユーグ君って、私と訓練しなくなってからのユーグ君だろうし」

「ああ、少し前まで一緒に訓練してた相手がいなくなって寂しいと言っていたな」

「へ、へぇ、そうだったんだ……。それで? どんな感じの出会いだったの?」

「そうだな。あれは、反省と称して父上に村を回って見て来いと言われてすぐのことだった」



「父上め、村を見て来いと言っていたが、こんな村に何があるというのだ……」

 当時の私は怖いもの知らずというか反抗的と言うか、そこらの木っ端貴族らしい性根であった為、文句を垂れながら適当にぶらつこうと考えていた。

 そんな折に、ふと視界に入ったのが、小さな少年の姿であった。

「ふん、子供か」

 場所は村の外れにある広場で、村の子供達の間では秘密基地と称されている場所であったのは後に知る事であった。

 その時はちょうど人気のない時間だったようで、一人でぶつぶつと呟きながら何事かをしている少年のもとへ近づいた私は、少年の奇行を目の当たりにして絶句した。

「十一、十二、十三――」

 少年が呟いていたのは数字であり、その数字は少年が持っていた細い木の枝で少年の頭ほどもある石を叩く毎に増えていた。それも至極真剣な表情で。

 遊んでいる。と言うのにはあまりにも無理がある光景に絶句していた私は、ぴしり、と言う音を耳にし、訝しむと同時に少年に声を掛けようと口を開いたところで少年の叩いていた石が爆ぜた。

 人は驚き過ぎると声も出せない状態に陥ると言うが、その時の私はまさしくその状態に陥り、父上に見られていたら怒られそうなほど無様に口をあんぐりと開け、その信じがたい光景を生み出した少年を凝視していた。

「ん? うわっ! 誰っ!」

 と、振り返った少年に言われて我に返った私は、思わず素直に名乗っていた。

「あ、いや、その、クリスと言う。君は?」

「え、あ、ユーグです……その、貴族様、ですか?」

「う、うむっ! そうだぞ! 私は貴族だ! ユーグ少年、私に声を掛けられたことを光栄に思うがよい!」



「すまない。やはりこの話はなかったことに」

「ええっ! ここから面白くなりそうなのに!」

「いや、しかしだな、当時の私は自分でも嫌気が差すほどのクソガキでな」

 自分で話していて当時の自分に腹が立ってくるのは精神的に宜しくない。

「坊ちゃまの口からクソガキなんて単語が出るほどのクソガキだったんだ……まあ知ってたけど」

「知ってて話させたいのかお前は……」

「ほら、早く続き!」

 この女、容赦がない。



 ユーグ少年が起こした謎の現象に関しては察しがついた。

「今のはスキルによるものか?」

「は、はい、そうです」

「なんと言うスキルだ?」

「あの、固定打撃って言って――」

 と、スキルの説明を受ける。

 このスキル、固定打撃と言う名のくせに打撃以外の攻撃行動も含め、全て一ダメージ扱いとなり、どのような武器を使っても無駄だったとのことだ。

 どのような強力な武器を用いても一ダメージしか与えられないとなると、戦闘者にとっては致命的だな。

「ふむ、ゴミスキルと言う奴か」

「はい、そうです」

「しかし、そうなると先程の現象の説明がつかないぞ」

 木の枝で石を爆ぜさせるとは、どんな手を使った?

「え、えっと、さっきのは多分、石の耐久を全部無くしたから、ああなったんだと思います」

 耐久とは、生物で言う所の体力にあたるパラメータだな。

「ふむ、耐久値か……少年、鑑定は?」

「まだ使えません」

「教わってはいるようだな。庶民にしては感心なことだ。どれ、鑑定レベル三の私が少年の訓練とやらを手伝ってやろう」

「すごいっ! 鑑定が使えるんですかっ?」

「ふふん、まぁなっ!」

「じゃあ、これお願いしますっ!」

 と、ユーグ少年は嬉々とした様子で小ぶりの黒曜石を差し出してきた。

「む、黒曜石か。この辺りには多いのか?」

「はい、これくらいのなら、探せばあちこちに転がってますよ?」

「そうか。では、鑑定っ!」

 鑑定スキルを実行すると、眼前の黒曜石の情報が頭の中に流れ込んできた。

 黒曜石の情報に目を通していると、少年がおずおずと聞いてきた。

「あの、耐久以外にどういう項目がありますか?」

「む? 耐久以外か。目立つのだと鋭さ、硬度辺りか」

「鋭さと硬度……あの、鋭さの数字を見ててもらえますか?」

「うむ、構わんぞ。しかし、結構な鋭さだな。黒曜石は刃物に加工されることが多いと聞くが、どうりで――」

 と、一人で話している間にユーグ少年が木の枝で黒曜石を叩いた。

「いちっ」

「ん? なんだ? 今数字が……」

「にっ」

「減ったっ? ど、どういうことだこれは!」

「さんっ」

「おまけに黒曜石の角がぽろぽろと取れていく……」

 そこからは茫然としたままユーグ少年の行動を見せられ、遂に黒曜石から鋭さが失われた。

 それを手に取ってみると、綺麗に加工された黒曜石さながらの輝きを放っていた。

「鋭さゼロ……真球、と言うことか」

 ユーグ少年のスキルによって鋭さにダメージを与えられ続けた黒曜石の鋭さは零となり、黒曜石の小片は芸術的なまでに綺麗な球体と化していたのだ。

「やっぱり、ほかの数字にもダメージを与えられるんだ……」

 少年は少年で、自分がしでかしたことに驚いている様子だった。

 どうやら初めての試みだったらしい。

 いや、そもそも、なぜそのような発想に至った?

「……少年、なぜこのようなことが出来ると思った?」

「え、えっと、なんとなくです」

「……なんとなく、か」

 おそらく嘘だろう。答える際に視線が泳いでいた。

 何か、決定的な時事を隠している気がする。

 とは言え、これは凄まじいスキルだな。

 ゴミスキルなどと侮っていたら足元をすくわれるだろう。

 これをうまく使えば魔王はもとより勇者でさえも倒してしまいかねない。

 もし危険そうであれば、手元に置いて監視しておいた方が良いのかもしれない。

 と言うか、私の片腕に欲しいくらいだ。

「……少年、大きくなったら国の騎士団に入るつもりはないか?」

「い、いやですよ! 僕、危ないの嫌いなんです!」

 思った通りの性根だったか。

「そうか。残念だな」

 残念ではあるが、少しばかりの安堵もあった。

 このようなスキルの有用性が判明してしまえば、少年の人生から平穏は失われるだろう。

 幾ら当時クソガキの私でも、自分より年下の少年を気遣う程度の分別はあるのだ。

 しかし同時に、とある疑念も浮かびつつあった。

「少年、君は……」

 異世界人、或いは転生者ではないのか? と出掛かった台詞を呑み込んだ。

「あの……?」

「いや、何でもない」

 よく考えたら、この村には大賢者たるマリア様がや鑑定士のオババ様がいたことを思い出し、杞憂であったと安堵した。

 安堵したところで、手元にある黒曜石が目についた。

「……ところで少年」

「はい?」

「この加工された黒曜石、貰っても良いか? 金は言い値で払おう」

 加工された黒曜石自体は良く出回っているが、これほどに綺麗な品はなかなかお目に掛かれない。

 貴族に限った話ではないと思うが、光り物に目がない私は、スキルによって加工された黒曜石が欲しくなってしまったのだ。

 そんな私の提案に対し、ユーグ少年はぶんぶんと首を振って、どうぞと差し出すようなしぐさと共に言い放った。

「い、いえっ、差し上げます! お金だなんて滅相もないですっ!」

「何を言う。労働に対する対価は必要だぞ? これは君がスキルを行使するという労働でもって加工された品だ。これを欲する私には、君に対して金を支払う義務がある」

「で、でも、その石だってそこらに落ちてたものだし……あっ、じゃ、じゃあ、鑑定してくれたお礼ってことで!」

「む、そう来たか。まあ、少年がそう言うのならそれでいいだろう」

「ふう、良かった……」

「それにしても、ユーグ少年は面白いな。いつもこのようなことをしているのか?」

「あ、はい、スキルの訓練以外にも、スキル習得のために色々と……」

「うむ、感心なことだ。君は将来、何になりたいのだ? 私は父上のような立派な騎士になるつもりだ」

「えっと、狩人とか危ないの以外なら何でも……」

「戦闘系の職業は嫌なのか? 男のくせに珍しいな」

「う、はい……その、怖いのとか痛いのは嫌なので」

「正直だな。まあ、そのスキルではろくな戦闘も望めないか」

 どのようなものに対しても攻撃が通るという利点はあれど、一のダメージしか与えられないスキルだからな。普通の戦闘職に向かないことは明らかだ。

「しかし、暗殺に使えばそれほど有効なスキルもないぞ?」

「あ、暗殺……」

「ははっ、冗談だ。まあ、君には無理だろう。似合わんからな」

「僕もそう思います……」

「にも拘らず、見たところ少年は身体もしっかりと鍛えているようだな?」

「あ、はい、何か役に立つかもしれないですし」

 普通、こんなに小さな子供が何かの役に立つかもと身体を鍛えるか?

「ふぅむ、考え方がなんとも……少年、年齢は?」

「九歳です」

「九歳か……若い。いや、幼いな。少年はもう少し遊ぶ時間を取っても良いと思うぞ?」

「似たようなことはよく言われます。手伝ってばかりいないで遊びなさいって」

「そ、そうか……」

 私が幼い頃には逆のことを言われた覚えはあるが、普通の子供とは違った意味で村の大人達も彼には手を焼いているらしい。

「あの、聞きそびれていたんですけど、クリス様はなんでこんなところに?」

「む? ああ、ちょっとな。村を見て回ろうと思って歩いていたら、君を見かけてな」

「あ、そうだったんですか。でも、村を見て回るなら来た道を戻らないと……」

「うむ、そうしたいところなんだが、私はこの村に詳しくなくてな」

「えっと、案内しましょうか……?」

「うむ! 頼むぞ!」

 こうして、私はユーグ少年に村を案内してもらう事となったのだ。



「とまあ、出会いはこのような感じでな。その後は村を案内してもらって、たまたま出会ったナナリー女史に一目惚れして求婚したのだ」

「ナナちゃんはすごい嫌がってたけどね」

「……らしいな。当時の私にとっては初めて出会った年の近い魔法使いだったのでな。あとには学校への入学も控えていたし、焦りもあってつい求婚してしまったのだ」

「つまり、坊ちゃまは魔法使いの人と結婚したいの?」

 その通りだ。

 そう言う意味では、ナナリー女史には酷く失礼なことをしてしまったと反省している。

「うむ、私のスキルが特殊でな。非常に強力な物なのだが、魔法使い系統の職業でなければ活かせないのだ」

「あー、そう言う事もあるんだ。それはそれで大変そうだね。確か、職業とスキルって子供に継承されることがあるんでしょ?」

「ああ、貴族として生まれた以上は、この有用なスキルを次世代に継承しなければならん」

「貴族ってめんどくさいね」

「はっきり言ってくれるな。しかし、カナタのそう言う所は気に入っているぞ?」

「はいはい、あ、着いた着いた。昨日も教えたけど、ニア姉のパン屋さん」

「ああ、ここのパンは昨日食べたが実に美味だった。いつ頃からあるのだ?」

「温泉が湧いてからすぐだよ。元々は鍛冶屋裏の物置きだったんだけど、ほとんど使ってなかったのを改築してパン屋さんにしちゃったんだよね。鍛冶屋の炉の熱を利用してパンを焼けるようにしたみたい」

「ほう、そのような作りになっていたのか」

「営業時間も鍛冶屋とほとんど一緒だから、冒険者のお客さんも多いみたいね」

「なるほど。確かに多いな」

「うん、この時間はね」

 現在の時間は早朝と言うほどではないが朝であり、多くの冒険者がパン屋と鍛冶屋を利用しているようだ。

「昨日の内に整備に出した装備品を受け取るついでにパン屋で買い物し、ギルドへ向かう。と言うわけか」

「うん、それを見越して近くに宿もあるからね。宿屋も新しい建物だけど、見ておく?」

「ああ、頼む」

 三年前と現在、変わったものと変わらぬものを一つ一つ確認しながら、私はこれからの生活におもいを馳せた。



 三年前から変わった所の案内の締めとして最後に連れてこられたのはギルドに併設された食堂だった。

 この食堂はもともとギルド内にあった食堂がギルドの拡張に合わせ、独立して建てられたそうだ。

 以前の食堂は主に冒険者が利用していたが、今では商人や旅人も気楽に利用できるようになっているとのことだ。

「とまあ、こんな感じかな? こうしてみると結構増えたり変わったりしてたね」

 確かに、以前と変わってないように思えたが、一つ一つ見て回ると変化点が多かった。

 それにしても、疲れた……。

「かなり歩いたな……さすがに疲れた」

 これでもそこそこ鍛えている方なのだが、少し息が上がっている。

 その点、カナタは暑さから汗はかいているようだが、疲れた様子は見受けられない。

「まー、村と言っても広いからね。今後はさらに広くなるみたいだけど」

「ああ、拡張計画か。確かに、今より広くはなるな」

「主に施設が増えるんだっけ。今、大工さんとかも結構来てるし」

「ああ、それと移住者は今募集している所のようだが、思いのほか多いと父上が言っていたな」

「へー、新しい人も来るんだ」

「移住希望者の中には冒険者も居るそうだ」

「おー、冒険者さんかぁ。それなら村の誰かと結婚した方が早いのにね。特に男の人は」

「それは……あー、その、なんだ」

「うん、知ってる。村の女の人が冒険者さんに対してやってる夜の商売だよね?」

 知っていたか。

「正直、領主代行となる身としては控えて欲しい商売なのだが……」

 そう言った商売は昔から行われているようなのだが、あまり好ましいものではない。

「難しいんじゃないかなぁ。生活が苦しい家はあれで何とかやってるわけだし、あれはあれで需要があるし、ぶっちゃけ儲かるから、って近所のお姉さんが言ってたよ」

 生活が苦しいのは把握しているのだが、性病や伝染病の蔓延に繋がりかねないのが怖いのだ。

「それならいっそのこと娼館でも建てるか……? いや、それはそれで治安に影響がでるか」

「まあ、この村では何十年も前から行われてることだし、今はだいぶ減ったってお母さんも言ってるから、村が発展して生活が安定したらなくなるんじゃない?」

 つまり、領主代行の手腕にかかっている、と。

「責任重大だな」

「期待してるね?」

「悪いようにはしない。とはいえ、私一人で出来る事ではないぞ?」

「うん、村の皆も頑張らないとだよね」

「そうだな。しかし現状、この村は農耕が主な仕事となっているが、それが多過ぎるのが問題だな」

「そうなんだ? お野菜とかが沢山出来るのは良いことじゃないの?」

「ああ、多過ぎると価格が暴落して単価が下がってしまうのだ。つまり、どれだけ多く作っても売り上げが大きく増えるわけではない」

「はー、だから一部の農家さんが苦労してたんだね」

「それを見越して複数の作物を育てるようにと言う指示は出してあったはずなのだが、上手くいっていない所があるようだな」

「上手く作物が育たなくて苦労してたみたいだね。今はナナちゃんの作った肥料のおかげでだいぶ良くなったみたいだけど」

「後は、育てる作物だな。育てる順番によっては障害が発生する恐れがあるから、その辺りの情報を早急に共有せねば」

「貴族様ってそう言うのも勉強するんだ?」

「当然だ。自分が治める領地で行われている仕事を把握していない貴族など居てはならないからな」

「そう言う貴族が居たら?」

「職務怠慢となり、良くて罰金、最悪なら家の取り潰しになりかねん。まあ、家の取り潰しになるのは相当に領地が荒れている場合だがな」

「大変だね」

 確かに一言で言えばそうなるのだが……まあ、庶民に貴族の大変さを訴えた所で仕方がないか。

 庶民には庶民の苦労があり、貴族には貴族の苦労があるのだ。

「まあな。さて、時間もいい所だし、約束通り食事を奢らせてもらおう」

「やったね! いやー、実は前からここの料理で食べてみたいのがあってねー」

 ここと言うと、この食堂だろうか。

 ギルドの横に併設されている物であるし、特段変わったものがあるとは思えんのだが。

 となると、価格単価が高いものか?

「ふむ、高いのか?」

「うん、べらぼうに高いってわけじゃないけど、興味本位で手を出すのは怖い価格かな?」

「なるほど。ではそれを頼むと良い」

「やったーっ!」

 さて、私は何にしようか。

 私も注文しようとメニューを手元に寄せた所で、カナタが給仕を呼び止めた。

「あ、すみませーん、注文良いですかー?」

「はいにゃー」

 呼ばれて立ち止まった給仕は半獣人の女性だった。

 酒場の給仕に半獣人とは何とも冒険したものだと思うが、街でもないこの村では特に気にされている様子はなかった。

 それはそうと、少し待って欲しい。

「待て、私の分がまだ決まっていないぞ」

「いやー、必要ないんじゃないかなぁ?」

「なに?」

「ご注文は何にするかにゃ?」

「これ! 超特大! お肉だらけの盛り合わせプレート!」

 なるほど、そう言う事か。量も多いと。

「はいにゃ。他にはあるかにゃ?」

 流石に肉だけは辛いな。

「野菜サラダも頼む。それと、飲み物は麦酒と――」

「あっ、私のは果実水で!」

「はいにゃ。ちょっと待っててにゃんっ」

 給仕の女性は握った拳を自らの顔の横まで持ち上げ、くいっと手前に捻りつつ――まるで猫が餌をねだるようなしぐさで――言ってから、調理場の方へと行ってしまった。

「なんだあれは……」

「なんか街で流行ってたらしいよ? あのお姉さんみたいな獣人だけの店員さんが対応してくれる喫茶店があるんだって」

「そうなのか。街の流行りは入れ替わりが早いな」

「らしいね。流行り廃りが酷くて面倒だって言ってたよ」

「流行りか、この村にもそう言うのはあるのか?」

「そりゃあるよー」

「参考にどんなものが流行っているか聞いても?」

「うん、今は訓練が流行ってるよ」

「……うん? 訓練?」

「うん。ユーグ君に触発されてか、若い人達の間でスキル習得のための訓練とかが流行ってるね」

「あぁ、そう言う事か。ユーグ少年のスキル習得速度は異常だからな」

 三年前に案内されている間に習得しているスキルを聞いたら、驚くほどの数を習得していて驚いたものだ。

 その後に彼の訓練方法を聞いて、学校にいる間に実践してみたが、確かに周囲の者達よりもスキルの習得速度が速かった。学校の教師達はさすがは聖騎士様の子息だと褒めていたが、私の成長はユーグ少年の手柄だろう。

「ちなみに、素質も増えるんだよ……」

「なにっ?」

 そんな話は聞いたこともないぞっ!

「なんかね。バカみたいな訓練方法なんだけど、それをやってたら新しい素質が増えてたんだよね」「なんと……」

 やはり、ユーグ少年は素晴らしい。

 ますます私のモノにしたくなるな。

 領主代行を任命されてどうなる事かと思ったが、ユーグ少年との交流は、きっと私をさらに成長させてくれるだろう。

 前途多難ではあるが、まずはできることからこつこつと、だな。

 しかし、スキル継承の為にも、できる事なら早めに妊娠しておきたいのだがな。

 さて、どうやってユーグ少年を篭絡するか……まあ、焦らずに行こう。

 私にとってはゴミスキルではあるが、まだ見ぬ我が子の為にも、精一杯生きていこうではないか。

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