四スキル目 使えないスキル
この世界は恐ろしいですけど、優しい世界ですね。
そう言っていたあの女性は、今はどこに居るのでしょうか?
今思えば、彼女は不思議な女性だったように思います。
見た目はごく普通の女性で、少なくとも冒険者や旅人の類ではなく、かと言って商人や貴族でもない。どこにでもいるような人族の女性でありながら、どこか超然とした雰囲気の人でした。
彼女の言うように、この世界は恐ろしい。人の住む境界を出てしまえば、野生の獣や魔物の脅威にさらされるだけでなく、野盗や犯罪者に狙われることもあります。
しかし、優しいかと言われると――わかりません。
私は世界の全てを知っているわけではありませんが、むしろ、厳しい方だと思います。
そもそも、優しい世界とは何でしょうか?
彼女と出会った当時の私も、同じようなことを彼女に問いました。
彼女はどうやら異世界人だったようで、彼女の居た世界では心を病んでしまう人が多くなり過ぎてしまい、そう言った者達による犯罪が徐々に増加していたそうです。
そして、とある国が禁止されていた兵器を使用してしまったのをきっかけに世界の全てを巻き込む大きな戦争が勃発。それが原因で前述した人々の多くが暴徒となってしまい、彼女はそんな暴徒達に殺され、気が付いた時にはこの世界に居たのだそうです。
人々が暴徒と化す現象はこの世界でもあり得る事ですが、心を病むというのは余り聞きません。
彼女が言うには仕事や人間関係が原因だそうですが、その程度のことで心を病んでしまう物なのでしょうか?
「どんなに小さな嫌な事でも、それが積み重なると気付かないうちにそうなってしまうんです」
どうやら、彼女の世界は周囲の人から日常的に嫌がらせを受ける世界のようでした。
なんて非生産的な世界なのでしょうか。他人を貶めるような暇があるなら、自分を高めることに時間を使った方がよっぽど有意義に決まっています。
そもそも、そのような行為は、この世界だと犯罪です。
意図的に他者を貶める行為は厳罰の対象となり、最も軽い罰でもスキルレベルの初期化は免れません。最も重い場合だと職業が罪人となり、自身のレベルまで初期化され、ステータスを下限値まで下げられます。
一般的な認識としては、重い物になると死刑の方がマシだと言われるほどです。
実際、この村ではそのような犯罪は起こったことがありません。
「だから、この世界では大丈夫です!」
私がそう断言すると、彼女は「そうだと良いですね」と言って小さく微笑み、私の頭を撫でてくれました。
これが確か、三年前。私が九歳になった時の事でした。
あの人は今、幸せに生きているのでしょうか? そうあってくれることを願います。
さて、では自己紹介をしましょう。
私の名前はセリア。歳は十一歳。家族は両親と一つ年上の兄がいます。
知人や友人は私のことを真面目過ぎると評価していますが、きっと不真面目過ぎる兄との対比でそう見えるだけでしょう。私は普通です。
私の職業は、賢闘士と言う極めて珍しい職業なので本来は王都にある学校への入学を強制させられる立場だったのですが、母の教育方針の下、職業を隠すことなくこの村で生活することが出来ています。
母はその昔、王都で働いていたことがあるそうで、その時の伝手を利用してこのような無茶を押し通しているようでした。
ですが、そんな母のおかげで、私はこの村で健やかに暮らすことが出来て幸せに思います。
なんというか、その……村には憧れの人もいますし。
……頑張る人って、素敵だと思いませんか? 私は好きです。
例えば――ん? 誰か来ましたね。
「大変っ、忘れ物をしてしまいました」
慌ただしく家に入ってくる人の気配を感じて確認をすると、母でした。
「お母さん? 学校に行ったのでは?」
母は村の学校の教師をしています。
村とは言え子供の数は多いので、下手な街よりも学校を作る意味があるのです。
ちなみに、この村の学校は創立百二十五年。そこそこ古い方です。
異世界人の方は村にある学校を見て驚いていることが多いようですが、百年以上前から建っている建物など、この世界では珍しくもありません。
どういうわけだか、彼らの多くはこの世界の文明等が遅れている物だと勘違いしがちなのですが、いったい、なぜなのでしょうか?
まあ、それはさておき、母の要件はなんでしょう?
「ええ、ちょっと忘れ物をしてしまいまして」
「忘れ物ですか?」
「はい、うっかりしていました」
母が忘れものとは、珍しいこともある物です。
能力的には優秀な半面、色々と問題のある母ですが、記憶力は良かったはず。
そういえば最近、何かに悩んでいる様子だったので、恐らくはそれが原因でしょう。
私の方まで来ると、母は一冊の本を私に預けました。
「これを預かっていてくれますか?」
「はい」
受け取った本の表紙には共用語と異世界語交じりで『男女の為の正しいセックス教本』と書かれていました。
セックスとは何でしょうか? 異世界語には詳しくないので、この単語のことはわかりません。
わかる部分から判断するに、何らかの教本のようですが、なんだか怪しげな気配をこの本から感じます。少なくとも、うちや学校で見かけた覚えのない本です。
「この本は?」
「それは、ミレイさんにユーグ君のことを相談されて、その時に出てきた本ですね。ちょうど良いので借りてきました」
そう言いながら、母は本棚からいくつかの本を抜き出しています。
――ああ、我が家では全ての部屋は勿論、廊下にまで本棚があって、どの本棚も本で埋め尽くされているのです。そして、それらのほとんどは母の蔵書なんですよね。
この部屋。居間の本棚には学校で使う一般教養の本が多いのです。
「ちょうど良いとは?」
「ええ、そろそろ年長組の子達には性教育をしないといけませんからね」
「……ああ、これはそう言う本ですか」
どうやら、この本は性教育用の教本だったようです。
そう言われてみたら、そういう時期でしたね。
母が手に取っている本も、確かに性教育に使う物が多いようです。
「ふふっ、セリアちゃんは相変わらずお堅いですね。それにしても、ユーグ君もこういう事に興味を持つようになったようで、安心しました」
……えっ?
「えっ、ゆ、ユーグさんの持ち物なんですかっ?」
「ええ、そうみたいですよ? ミレイさんがユーグ君のお部屋で見つけたそうです」
あの真面目なユーグさんが性教育の本をっ?
学校の授業では恥ずかしそうにずっと俯いていたあのユーグさんがっ?
なんと言う事でしょう! 信じられませんっ!
それにしても、あのユーグさんが所持していたという教本……ごくり。
「……(ちらっ)」
「セリアちゃんも興味が出てきました?」
「ぎゃああああああっ! お、お母さんっ! 驚かさないでください!」
横から突然覗き込まれたせいではしたない声を上げてしまいましたよ!
「ふふっ、今日の授業で使い終わったら見ますか?」
「いいですっ! 遠慮します! それより早く行ったらどうですかっ?」
「はいはい、それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい……はあ」
疲れました。気分転換に後で散歩にでも行きましょう。
ああ、ちなみに今日は手伝いが休みの日です。
村の子供は十歳以上になると村の仕事の手伝いを始めなくてはなりません。
早い子だとその前から始めていますが、基本的に何もせずに遊んでいられるのは九歳までと決まっています。
うちの兄は昼間は遊び歩いていますが、夜は酒場で冒険者達を相手に賭け事に興じていて、それを生業としています。褒められたものではありませんが、裏でギルドと繋がっているらしく、そこからの依頼で情報収集をしているようです。
と言うのも、兄の恋人と言いますか、未来の奥さんがこの村のギルドマスターなんです……いったいどういう経緯でそうなったのかは、さっぱりわかりません。
まあ、兄のことより私のことですね。
私は村の防人の手伝いをしています。
防人の仕事はおおまかに言うと村の治安維持活動で、主な仕事の内容は村の見回り、見張り台からの森と山道の監視、村で発生した喧嘩や暴動の鎮圧と言った所です。
私のような手伝いの者は村の見回りか村の入口に常駐して冒険者や商人の受け入れ作業を手伝う事が多いです。
冒険者や商人の受け入れは本来ならギルド職員の仕事なのですが、ここ最近は村の温泉や新しくできたパン屋などの影響なのか、村を訪れる者の数が目に見えて増えた為、防人の方から人員を貸し出すようになっています。
今後は村の拡大や各施設の増設に伴い、多くの人が出入りするようになるため、ギルドの方は人員の補充を行うそうです。
防人の方は村長がその辺りの判断を行う為、まだ詳しいことはわかりませんが、恐らくは増員されるものと思われます。
「あ」
おっと、いけません。考え事をしながら歩いていたら職場の方まで来てしまいました。
私が手伝いをしている防人の隊舎は村内の森寄りの位置にあり、隊舎の中から伸びるように見張り台である物見櫓が建っています。
森で何かあった時などはすぐに対処できるようにと、この立地となっているそうです。
……ここまで来たついでです。ちょっと見張り台に寄って行きましょう。
確か今日は私の親友が見張りに就いているはずです。
隊舎に入り、中に居た者達に声をかけてから物見櫓を上っていくと、森の方を眺めている親友の背が見えました。
「カナタ、何か見えますか?」
「んー? ああ、セリアじゃん。どうしたの? 今日って休みだったよね?」
「ええ、近くに来たので様子を見に来ました」
「そうなんだ? でも、今のところ特に面白い物は見えなかったかな。二年前の温泉の時はびっくりしたけど」
確かに、あれは私も驚きました。
「ああ、そう言えばカナタは昔からここによく来ていたのですよね?」
「うん、眺めの良いところが好きだからね」
カナタは元の視力が良いのに加えて鷹の目と言うスキルを持っており、非常に優秀な見張り役として防人の中でも重用されています。
鷹の目と言うスキルの効果は私はよく知りませんが、カナタが言うには「よく視えるんだよ。色々とね」と言う事だそうです。
ちなみに、私のスキルはよくわからないものです。と言うか、読めません。
諠ウ螳壼、 常時発動。任意の使用不可。
この有様です。
常時発動と言う事は既に何らかの影響が私に出ているはずなのですが、特に自覚症状もなければオババの鑑定で確認をしてもらっても何の異常もないそうです。
少々不気味ですが、生活に支障がないので放置しています。
「あはっ、ライナス君だ。こっちに手を振ってるよ?」
カナタが兄を見つけたようで、嬉しそうに声を上げました。
「無視していいですよ」
まあ、そう言った所で意味はないのですが。
「兄妹なのに冷たいなぁ……あははっ、溜め池に落ちたっ!」
カナタは兄のことが好きだと言っていましたからね。
婚約のことを知った時はとても驚いているようでした。
「よくある事です。それにしても、カナタは兄さんのどこが好きだったんですか?」
「ん? 今でも好きだよ?」
「えっ」
それはつまり……略奪愛と言う事でしょうか?
「あー、だからそう言う好きじゃないって。確かに婚約の話を聞いた時は驚いたけどね」
「ああ、そう言う事ですか……」
難しいですね。好きと言う感情は。
「それにしてもライナス君って、あれで結構、女の子に人気あるよね?」
「そうなのですか?」
それは初耳です。
「うん、年上の人達が多いみたいだけど、面白くて好きだって言う人が多いよ?」
年上……レティスさんも年上でしたね。
そう言えば、同じようなことを隣家のシェリルお姉さんも言っていました。
それにしても、面白い、ですか……不快の間違いではないでしょうか?
「……理解に苦しみますね」
「そう?」
「はい」
「言い切ったねー」
「それはそうですよ。私が何度、あの兄の尻拭いをしてきたか……!」
「あはは……あ、そうだ。話は変わるんだけどさ」
「なんです?」
「ほら、私達ってもうすぐ大人になるわけでしょ? うちにいい本があったから持って来た」
「大人になる事と本に何の関係が……?」
「じゃーん! これ! 性行為の教本なんだってさ!」
「そ、それは……っ!」
ユーグさんが所持していたという本と同じ物!
「お、セリアも興味ある?」
あります。等とは口が裂けても言えません。
しかし、それよりも気になる事があります。
「いえ、あの、そうではなく……その本はどちらで?」
ユーグさんも持っていた本。入手経路が気になります。
「うちのお兄ちゃんが隠し持ってた。なんかねー、かなり前に旅の行商人から買ったみたいだよ?」
旅の行商人……なるほど、彼等ならこういう品を扱っていても不思議ではありません。
「そう、ですか……」
それにしても、碌な物を扱っていない行商人ですね。
「で、どうする? 一緒に見る?」
「そ、そもそも、そう言った行為に関しては知識として知っているじゃないですか!」
「いやー、そうなんだけどさ? でもさ、ちょっと考えてみてよ。子供を作る時ってさ、男のアレが私達のアソコに入って来るんでしょ?」
※天の声 自分で書いててアソコをマン○と空目した。疲れてるのかな?
「言い方ぁっ!」
ってものがありますよねっ?
「いや、まじめな話さ……入ると思う? 思えないよね? 指一本入れるだけでも痛いのに」
さらっととんでもないことを言っていますが、聞かなかったことにしましょう。
とは言え、その意見には同意です。
「……思えません」
「だよね! 絶対痛いよね! 裂けるよね!」
「た、確かに……」
私とて女です。自分の身体のことくらいはある程度把握しています。
「でね? この本にはその辺りのことが図解で詳しく書かれてるみたいでさ……気になるよね?」
図解……つまり、どのようになるのかがわかると言う事でしょうか?
そんなの、興味がないわけないじゃないですか!
「い、言わせないでください……」
「うんうん、言わずともわかるよ? よし、じゃあ、一緒に見よっか?」
「……はい」
二人並んで座り、本を開くと同時に息を呑みました。
まず目に入ったのは、その……男性のモノでした。
「長太いっ! って言うかなにこの形状! 凶悪すぎ!」
そう言いながらも目が離せないのか、カナタは凶悪な形状の――まるで亀の頭のような形をしたそれをまじまじと見ています。
「こ、このような異物が体内に侵入してくるのですか……?」
ありえません。女として生まれたことを後悔しそうです。
「い、いやいや、流石にこれは拡大図で……原寸大とか嘘でしょっ? こんなの入ったら死んじゃうからっ!」
「最初の見開きでこれですか……」
最初の頁は見開きとなっており、そこには写実的な男性と女性の性器が描かれていたのです。
恐ろしい本です。開幕から読者の心を折りに来ました。
「ず、図解付きの教本だし、こんなものなのかな……? って言うか、男のアレってこんな風になるの? 私の記憶だと、もうちょっと可愛げのある大きさだったと思うんだけど」
「そ、そうですね……」
確かに、昔、兄やユーグさんと一緒にお風呂に入った時はもっと可愛らしい形でした。
「それになんて言うか、女性側の方も見慣れない形状をしてるし……」
「ですがその、大人の方はこのような形状ですよ?」
「えっ、そうなのっ?」
「はい、温泉で目にしたことがあります」
「あー、なるほど……言われてみたらそうかも。それにしてもこの形……見比べてみると、確かに入りそうな気はするね」
「そ、そうでしょうか?」
「うん、なんて言うか……すごく広がりそう」
「あぁ……」
わかってしまうのが悲しい所です。
「つ、次いこっか?」
「はい」
ぺらりと頁をめくると、目次が出てきました。
「あ、目次だね。なんか色々あるよ」
「そうですね……初心者から熟練者まで、段階に分けて書かれているみたいです」
「性行為の熟練者ってなんだろ?」
「わかりたくもありませんよ……とりあえず、順番に読んでいきましょう」
「そうだね。私達って初心者も良い所だし……初心者だよね?」
「当然です!」
「ああ、良かった。セリアって大人っぽいし、とっくに経験済みだったらどうしようかと」
「何を言ってるんですか。そもそも村の決まりでそのような行為は成人するまで禁止されているでしょう?」
「え、ああ、そっか。そうだよね」
何か含みのある反応です。
「なんですか。その反応は」
「あー、いや……実はね。私達くらいの歳でも、既に婚約している人達って、もう経験してるみたいだよ?」
「そうなんですかっ?」
それは初耳です!
「うん、私も聞いた話なんだけどね」
「そうですか……婚約済みなら良いのでしょうか?」
将来を誓い合っているのなら……良いのでしょうか? わかりません。
「さあ、私には何とも……でも、身体が出来上がっているなら若い内に子供を産んでおいた方が良いって言う話はよく聞くよ?」
「身体が出来上がるとはどういう事でしょうか?」
「私もよくわかんないけど、オババに鑑定してもらうとわかるらしいよ?」
「ああ、そう言えば、以前にさっさと結婚して子供を産めと言われました」
しかもそれを尻を撫でさすりながら言うので、心底ぞっとしたのを覚えています。
「私は特に何も言われなかったなぁ……まだ未完成なのかな? いつ完成するのかな……?」
そう言って、カナタは自身の胸に手を当て、自問自答していました。
……同年代に比べて発育が遅れているのを気にしているようです。
とは言え、私達の年代はまだ成長期があるので、望みは断たれていません。
ですが、それよりも重要なことがあるのでは?
「それ以前に、相手は居るのですか?」
「いるわけないじゃん!」
「ですよね……」
「その反応だと、セリアも?」
「当然です」
異性には何かと口説かれはするのですが、どうにもその気になれません。
「お堅いなぁ」
「母と同じことを言わないでください……」
「まあ、私も人のことは言えないね。お互い、二十歳になる前には結婚したいね……」
「そうですね……」
※天の声 この世界では二十歳=現代のアラサーくらいの認識です。
「そのためにも、予習は必要だよね! と言うわけでどんどん行ってみよう!」
「はい!」
ぺらり、と、頁をめくると、今度は全裸の男女が寄り添っている絵が出てきました。
「今度はまともだね」
「ええ、全裸だという点を除けばですが」
「まあ、することするんだし、こんなものじゃないのかな?」
「ああ、なるほど……それで、これはいったいどういう状況なのでしょう?」
絵を見る限りでは、男性が女性に寄り添って身体に触れているようです。
「えっと、前戯? って言う行為みたいだね。性交の前に行う行為みたいだよ」
前戯ですか……つまり、準備運動と言う事でしょうか?
「準備運動のような物でしょうか?」
「そうなんじゃないかな? なんかね、濡らす必要があるんだって」
「濡らす? どこをです?」
「えっと、その……私達の入ってくるところをだけど、セリアって濡れたことないの?」
ここが濡れる状況と言ったら、思い当たるのは一つしかありません。
「用を足した時は濡れますが……」
「いやそうじゃなくって……ああ、うん、その反応はないんだね」
「よくわかりませんが、それはおそらく学校で習った生理的な反応によるものでしょうか?」
「あー、うん、それそれ」
「なるほど……確かに、あのような物を挿入するとなると潤滑作用をよくするためにも濡れる必要はありますね」
「あー、うん、そーだね……でも、そんな程度で入るのかな?」
「そうですね。受け入れるにも、こちらの入り口は小さすぎます」
「だよね。まあ、次で分かるんだろうけど」
「ですね。どのようになるのか見ものです」
「なんで上から目線……? まあいいや、ほいっと」
次の頁を開くと、仰向けになって足を開いている女性と、その足の間に陣取った男性の絵があり、互いの腰の位置はかなり接近していました。
しかも、この頁からは解説付きで一寸ずつ絵が変化して行くようになっていました。
「うわ、うわぁ……」
「こ、これは……」
※天の声 全年齢向けなので、ここからしばらく音声のみをお楽しみください。
「えっ、うそっ、こんなに広がって……!」
「い、痛そうですが、大丈夫なのでしょうか?」
「うわっ、先っぽの茸の傘みたいな部分が飲み込まれた!」
「は、入るものなのですね……」
「えっ、ええっ! まだ入るのっ?」
「届く所までと書かれていますね……」
「うわっ、全部入っちゃった……痛くないのかな?」
「慣れないうちは痛むようですが、絵の女性は何というか……」
「これ、どんな表情なんだろ、苦しそうにも見えるし、気持ち良さそうにも見えるよ」
「そうですね……」
「えっ、ここから動くのっ? そんなの絶対痛いに決まってるじゃん!」
「余裕があるなら女性も腰を動かすとなお良いとありますが……」
「無理無理っ! 受け止めるだけで精いっぱいだよ絶対!」
「……相手の動き次第では行けそうではありませんか? それに、一方的にされるというのも癪です」
「なんで対抗意識燃やしてるの? セリアのそう言う所はちょっと尊敬するけど」
「それで、次はどうなるのでしょう?」
「えっと……しばらくは動きの繰り返しで、限界が来たら男性の方が女性に声をかけると良いみたい」
「限界? 声をかけるとは?」
「えっと、出す、とか、出るって言ってあげると女性側が驚かなくて済むみたい」
「ああ、出すとは……」
「うん」
「「子種ですね(だよね)」」
「確かに、不意に出されたら驚きそうです」
「そうだよね。絶対驚くし、反射的に手が出るかも……」
「それは確かに」
「あははっ、セリアに殴られたら怪我じゃすまないよ」
「さすがにそれは大げさでは?」
「え?」
「えっ?」
※天の声 以上、女同士の生々しい会話でした。
初心者向けの項目を一通り読み終えての感想はですね?
「これは有害図書ですね」
教本とは言え、幾らなんでも詳細に過ぎます。
「だよね。内容は確かに性教育の本だけど、ここまで詳細に書かれていると、ちっちゃい子には見せられないね。むしろこれ、大人向けの教本だよ」
まったくです。子供が真似したら大変なことに――
「……うちの母が性教育で使うと学校へ持って行きましたね」
「……それ、まずいんじゃない?」
「はい、ですのでこれでお暇させていただきます!」
「う、うん、早く止めた方が良いよ」
「そうします! ではっ!」
カナタに別れの挨拶を済ませると、私は梯子を滑り降り、途中で樹に飛び移ってから学校へと向けて走り出しました。
学校へ向かう途中、何やら慌てた様子で走る兄に遭遇しました。
その進路は私と同じく学校の方へ向かっています。
「兄さん? そんなに急いで何処へ?」
「学校だ! ちょっと母ちゃんに用があってな!」
「奇遇ですね。私もです」
「「……」」
この時、私は直感で悟りました。兄は敵だと。
後日聞いたところ、兄も同じことを思っていたそうです。
ただし、この時は私の方が早かったので――
「兄さん、あそこにレティスさんが!」
「なにぃっ! ぎゃあああああああっ! 謀ったなああぁぁぁぁぁっ……!」
走りながらあらぬ方向を向いて盛大に転んだ兄の怨嗟のこもった叫びを聞きながら、私は学校へと急ぎました。
学校へ着くと、真っ先に職員室へ向かい、母の姿を探します。
「失礼します! 母――マリア先生は在室でしょうか!」
「あら? セリアちゃん、どうしたのです?」
「どうもこうも、お母さんが持って行った本はどこですか!」
「どの本のことでしょうか?」
「あれです! その……ユーグさんの所で借りたという本です」
「ああ、あの本なら年少学級の性教育に役立ちそうでしたから、今日の読み聞かせで読んでもらいなさいと子供達に渡してありますよ?」
「アレは子供には早すぎます!」
「そうですか? 絵が載っていて分かりやすいと思うんですけど……」
「分かりやす過ぎるのが問題なんです! とにかく、あの本は回収しますからね!」
「あら、それなら必要ないですね。今日の読み上げ係は――」
遅かったようです!
「だめえええええええぇぇぇっ!」
私は年少組の教室へ向けて走り出しました。
あんな物を読ませるわけにはいきません!
年少学級の教室へ向かう途中、また兄と遭遇しました。
「ナナリー! さっきはよくもやってくれたな!」
「兄さん! しぶといですね!」
「つーか、俺に何の恨みが――あっても不思議じゃねぇが、あの仕打ちはなんだこら!」
あれは騙された兄さんが悪いので、私は悪くありません。
「兄さんもあの本を狙っていたようなので、先に潰しておこうかと」
「なんて妹だ……! つーか、お前こそ、あの本に何の用だ!」
「有害図書なので没収します!」
「読んだのかっ? くそぅ、そんなにすげぇもんなのか……」
すごいなんて物じゃありませんよ全く!
「そう言う事ですので、邪魔しないでください」
「そうは行くか! あれは俺とレティスさんの為に必要なんだよ!」
「詭弁ですね! 兄さんはまだ未成年ですし、レティスさんだって焦る必要はないと言っていたではありませんか!」
「レティスさんと付き合い始めて一年……温泉に一緒に入ったりはしたけど、触れ合いはまだ手を握る程度なんだぞ!」
「相手がいるだけ良いじゃないですか!」
私なんて、そんな相手は産まれてから一度も居たことがないですよ!
「馬鹿野郎! 居たら居たで大変なんだぞ! とにかく、本は俺が貰う!」
そう言うと、兄はさっそうと窓から飛び降り――
「兄さん! ここ二階ですよ!」
「ふははは! 近道ぎゃあああああっ!」
樹に飛び移ろうと枝につかまったようですが、その枝が折れて、痛そうな着地をしていました。
「ぐあああっ! 足が痺れるぅぅぅ!」
大丈夫なようですね。あの兄とはいえ、怪我がなくて良かったです。
私は普通に急いで年少組の教室へと向かいました。
一階に着いて教室へ向かう途中、またもや兄を見つけました。
外を走ってそのまま教室の方へ向かっています。
どうやら窓から侵入するつもりのようです。
ですが、甘いですよ。私の方が足は早いのです!
「させませんよ……!」
あのような有害図書は回収した後、厳重に管理しなくては!
ようやく教室に着きました!
「その読み聞かせ! 待ってください!」
教室の扉を開けて室内へ入ると、そこには見知った顔がありました。
「あれ、セリアちゃん?」
……幼馴染のユーグさんでした。
「ふあああああああああああああっ! ゆゆゆ、ユーグさんっ? なんでここにっ!」
なぜユーグさんがここに……っ!
私が驚いていると、その隣にいた女性が質問に答えてくれました。
「私達はお仕事。そう言うセリアは?」
ん? 知り合いでしょうか……?
この方は、どこかで見たような――
「え、あ……? ナナリーさん? うわぁっ、お久しぶりです! 私はちょっとここに有害図書を回収し、にっ……ぎゃああああああああああああっ! そ、それ! それです! ユーグさん、それを今すぐこちらへ!」
女性はナナリーさんでした。しばらく姿を見かけていなかったのですが、以前あった時よりも女性らしさが増しているように見えます。なんて羨ましい!
いや、それ以前に本を回収しないといけません!
まだ読んでいなかったのか、肝心の物はユーグさんが持っていました。
「あ、ああ、うん」
私の要請に対してユーグさんが本を差し出そうとしましたが、窓の外に邪魔者が現れました。
「ちょぉっとまったああああああああああああっ!」
まったく、しつこい兄です。
「ユーグ! それをこっちに寄越せ! そいつに渡したら、その貴重な本が燃やされる!」
燃やすわけないでしょう。厳重に管理するだけです。
「えっと、どうしたらいいかな?」
ユーグさんは困った様子でナナリーさんにお伺いを立てています。
ナナリーさんは本をじっと見て何やら考え込んでいる様子でしたが、不意に声を上げました。
「……待って、その本をよく見せて欲しい」
「う、うん」
手渡された本をめくり、中を改めていたナナリーさんでしたが――
「……とりあえずこの本は、私が責任を持って預かる」
なぜか自分が預かると言ってきました。
いけません、ナナリーさんのような方がそんな物を所持するだなんて!
「え」
唖然とするユーグさん。そして、ほぼ同時に私と兄が声を上げました。
「ま、待ってください! それは私がっ!」
「駄目だ! それには俺の未来がかかってんだ!」
ナナリーさんにあのような本を持たせておくわけにはいきません。
私と兄が牽制しあいながらにじり寄っていくと、兄と私を交互に見た後、ナナリーさんは――
「ユーくん、後はよろしく」
――あろうことか、ユーグさんに投げ渡しました。
「え、ちょっ、なんでえええええええっ!」
ユーグさんが律儀に逃走を! いけません!
「ユーグさあああああああああん!」
「それを寄越せええええええええ!」
私と兄はユーグさんを慌てて追いかけ始めました。
瞬く間に教室を飛び出したユーグさんは、廊下を駆け抜けて玄関から外へ出ると村の中央に向けて走っていきます。
「くっ、速い……!」
「あんにゃろう! さらに足が速くなってやがる!」
私は常日頃から鍛えているので足に自信はあり、兄さんも私ほどではありませんが、足は早い方です。ええ、特に逃げ足が。
なのに、ユーグさんに追いつける気がしない……!
しかも兄さんの言う通り、以前よりも速いです。
「負けませんよ……!」
そして撒けるとは思わないことです!
その本は必ず回収させていただきます!
「兄さん! ここはひとまず協力しましょう!」
「なにぃっ? お前、どの口で言ってんだ!」
「どのみち、このままではユーグさんに逃げ切られてしまいます! 二手に分かれて追い込みましょう!」
「んなこと言ったって、俺の足じゃユーグに追いつけねぇぞ?」
「それは私も同じです! ですが、私の足なら辛うじてついて行くことはできます! なので、兄さんはスキルを使って先回りをしてください!」
「おおっ! なるほど! わかったぜ!」
さあ、ユーグさん、覚悟してください!
さっそくスキルを使用した兄が別の方向へ走っていく気配を確認し、私はユーグさんを追いかける事に集中しました。
それにしてもユーグさん、スキルの習得だけに飽き足らず身体の鍛錬も怠らないとは、凄まじい努力家ですね……やはり尊敬するに値します。
「さて……」
感心するのは後にして、ユーグさんの逃走先を予測して少しでも距離を詰めたいところです。
現在の進行方向だと、村の中央――ギルドのある方角です。
現時刻は昼過ぎ。あの周辺は人の通りもまばらなので見失う心配はなさそうです。
律儀に道なりに逃走するユーグさんに対し、私は道を外れて少しずつ距離を詰めるように走りますが、なかなか追いつけません。
「これでも鍛錬は怠っていないのですが……」
村人のユーグさんにここまで後れを取るようでは、私もまだまだですね。
出来たら独力で追い付きたかったところですが、ここは素直に協力を仰ぎましょう。
私は物見櫓の方へ身振り手振りで合図を送りました。
『カナタ、見ていますね?』
これは防人隊に伝わる会話方法で、遠くの相手と会話をする時や声を発せられない状況などに使用します。
すぐにカナタから返事が返ってきました。
『見えてるよ。何かあったの?』
『ユーグさんが例の本を持って逃走中です。動きを追って報告してください』
『了解! ちなみに今、ギルドに入って行ったよ』
確かに、ギルドへ入っていくのが見えました。
『こちらでも確認しました』
『頑張ってね』
『はい、村の風紀は守ります!』
さて、ギルドに逃げ込んだようですね。
ユーグさんのことですから、これで追い詰めた。と言うわけにはいかないでしょう。
私もすぐさまギルドに入って行くと、ギルド内は人で溢れかえっていました。
「なっ、これは一体……?」
行き交う人混みを見た限り、商人が多いようですが……何かあったのでしょうか?
……いえ、それよりもユーグさんです。
この人混みでは探すのも一苦労――
「セリアちゃん? 何かあったのですか?」
掛けられた声に振り向くと、レティスさんが居ました。
「あ、レティスさん。ユーグさんを見かけませんでしたか?」
「ユーグ君ですか? さあ……私は見かけていませんが」
「ありがとうございます。ところで、この人混みは……?」
「ええ、村の拡張工事と森の開墾作業で人手が必要になるので、奴隷商人や開拓商人を呼んで、見積もりをしているんです」
「そう言う事でしたか」
そう言えば、奴隷商人と聞くと異世界人の方は大半が顔をしかるようですが、聞いてみたところ、どうも彼らと私達の間では奴隷商人に対する認識に大きな違いがあるようでした。
奴隷商人とは労働力を提供する商人です。
そして、奴隷とは奴隷商人が提供する労働力であり、商品でもあります。
奴隷と言うのは奴隷商人に登録を申請してなることが出来る身分であり、職業とはまた違います。
奴隷商人はそうして登録した奴隷を個々の能力に合わせて各職場へと派遣し、紹介料と仕事料の一部を徴収する事で儲けを出します。
私はあまり詳しくないので知っているのはその程度のことですが、こう説明すると、大半の異世界人は納得してくれます。
中には「奴隷は派遣……派遣は奴隷だったのか……」とわけのわからないことを言っている方もいましたが、どういうことなのでしょう? 奴隷は派遣するものですよ?
「それより、ユーグ君を探しているようですが?」
「ええ、有害図書の所在を確認したのですが、ユーグさんがそれを持って逃走してしまったのです」
「有害図書ですか……どのような本です?」
「あまり大きな声では言えないのですが……性行為を描写付きで詳細に説明している本です。大人ならまだしも、子供には早すぎる内容でしたので回収に乗り出した次第です」
「そうですね。確かに、子供には早いと思います」
「はい、ですので、もしユーグさんを見かけたら――あっ!」
二階に上がっていくあの後ろ姿は間違いありません!
「すみません! 見つけたので失礼します!」
「はい、頑張ってくださいね」
レティスさんに一礼してから、私はユーグさんを追いかけます。
混み合う人混みを抜けて二階へ上がると、窓から飛び降りるユーグさんの姿が――
「ユーグさんっ?」
逃げる為とはいえ、そこまでするだなんて……!
慌てて窓に駆け寄り下を確認しましたが、ユーグさんの姿は見当たりません。
「カナタ……はここからは見えませんか」
この窓からだと見張り櫓は見えません。
いったん外に出てカナタに確認した方が良さそうですね。
「おい! 上だ! 上!」
と、窓の外から兄の声が聞こえ、引き返して確認すると、窓の下から兄が上を指さして叫んでいました。
「兄さん? 先回りしていたのでは?」
「先回りしたからここに居るんだろうが! それより上だ! 屋根の上にユーグがいるぞ!」
「屋根の上っ?」
「ああ、ばれちゃったかぁ」
頭上からユーグさんの声が聞こえました。
本当に屋根の上に居るようです。
「ユーグさん! 危ないので降りてきてください!」
「見逃してくれたら降りるよ?」
「いけません! その本は厳重に管理すべきです!」
「でも、これって僕の本じゃないからなぁ……」
「えっ」
ユーグさんの本ではない……?
「んなこたぁどうでもいいんだよ! ちょっとでいいから見せてくれ!」
「いや、ライナスだってまだ未成年でしょ? こんなの目の毒だって」
「読んだのかっ? 羨ましいぞこんちくしょうっ!」
「いや、ほとんど見てないよ? 最初の方を見ただけで、これは僕には早いって思ったし」
最初の方ですか……わかります。
「俺は早くレティスさんとイチャイチャしてぇんだよぉぉぉっ!」
「えぇ……」
「兄さん……」
ここがどこだか忘れていませんか……?
「ライナス……ここでそれを言っちゃうの?」
ユーグさんも同感だったようです。
そして、いつの間にか私の背後に来ていたある人が恥ずかしそうに窓から顔を出しました。
「あの……ライナス君? お気持ちは嬉しいのですが、やっぱりそう言うのはきちんと大人になってからにしませんか……?」
騒ぎを聞きつけて来たのか、様子を見に来たレティスさんは兄の失言を聞いてしまったのです。
「――おああああああああああああっ! 恥ずか死ぃぃぃぃぃぃぃっ!」
ようやく自身の失態に気付いたのか、兄は絶叫しながらその場にうずくまってしまいました。
さすがにこれは自業自得と言わざるを得ません。
おっと、いけません。兄に気を取られてユーグさんのことを忘れていました。
「ユーグさんも、とりあえず降りてきてください。ひとまずその本は持ち主が判明するまでこちらで預かります……ユーグさん?」
返ってくると思っていた返事が聞こえず、身を乗り出して屋根の上を確認しましたが、ユーグさんの姿は忽然と消えていました。
「くっ、逃げられました! 兄さん! 落ち込んでいないでさっさと立ち直りなさい!」
「うるせー! 盛大にやらかしといて、そう簡単に立ち直れるかぁ!」
「まったくもう……こんな時にごねないでください!」
私達が言い合いをしていると、レティスさんが兄さんに魔法の一声を掛けました。
「……ライナス君! 頑張ってセリアちゃんのお手伝いをしたら、あの本の最初の方でやってることをさせてあげます!」
「えっ」
思わず声を漏らすような発言でしたが、兄さんは興奮した様子で立ち直り、声を返して来ました。
「あの本の、最初の方でやってること……? レティスさんも持ってんのかよ!」
「ええ、あの著者が書くあの手の本は昔からあるので、その時の内容で良ければですが……」
むぅ、そちらの内容も気になります。
勘ですが、あの手の本は昔の物の方がより過激な内容だったりしそうです。
「後で見せてくれよな!」
「それはいけません。それとも、私に教えられるのは嫌ですか?」
「……むしろ教えられたいです!」
レティスさんは兄さんの扱いが実に巧です。私にはとても真似できませんが。
「よろしい。じゃあ、セリアちゃんと協力して頑張ってくださいね?」
「了解であります! セリア! ボケっとしてないで行くぞ!」
「あ、はい……レティスさん。ありがとうございます」
「未来の妹の為ですからね。頑張ってください」
「はい!」
ギルドを出て、まずはカナタに確認です。
『ユーグさんと兄さんはどちらへ行きました?』
『二人とも山頂方面に走って行ったよ。あの方向はユーグ君の家の方かな』
『わかりました。引き続きユーグさんの追跡をお願いします』
『見える範囲なら任せてよ』
『お願いします。では!』
『はーい、頑張ってね』
さて、ユーグさんの家がある方となると、ユーグさんの家か温泉でしょうか?
後はナナリーさんの実家でもある村の薬屋があるくらいですが――
「――またもや!」
薬屋の方に行くにつれて人が増えて行き、薬屋の前まで来ると、大勢の行列が出来ていました。
列に並ぶ顔ぶれは冒険者が多いようですが、行商人や町から来たと思われる方々までいるようです。
そして、その列を整理しているのは見回りをしていた防人隊の隊長達でした。
「ナナリーか、ちょうど良かった」
「隊長、これは何事ですか?」
「薬の買い付けだ。休みの所を悪いんだが、列の整理を手伝ってくれないか?」
薬の買い付けでこんなにも混雑するという事は、またナナリーさんが新薬の開発に成功したのでしょうか?
そして、ユーグさんはこの状況を確実に知っていたはず。
どうにも後手に回っていますね……。
「……なるほど。ですが申し訳ありません。手伝いたいのですが、別の件で立て込んでいまして……」
「そうか、では、そちらの対応を頑張ってくれ。こちらはどうにかしよう」
「はい、それで、ユーグさんを見かけませんでしたか?」
「ユーグを? いや、見ていないな。ライナスなら見かけたんだが……」
「兄はどちらへ?」
「温泉の方へ向かって行った」
「そうですか……では、失礼します!」
「ああ」
兄さんは温泉の方……スキルを使用しているはずですから、ユーグさんが向かう確率の高い場所だと言う結果が出たのでしょう。
……私はあえて別の場所へ行った方が良さそうですね。
とりあえず、ユーグさんの家へ行ってみましょう。
「お邪魔します」
挨拶をして中に入ると、家主の婦人――レイナさんが揺り籠の傍で産まれて間もない赤ちゃんを寝かしつけているところでした。
「……あら? まあ、セリアちゃん、久しぶりねぇ」
「レイナさん、お久しぶりです。出産祝いの時以来でしょうか?」
レイナさんは母の友人でもあり、私達兄妹も幼い頃から世話になったこともあり、出産祝いの贈り物をしたのです。
「ええ、お見舞いの果物、ありがとうねぇ。おかげでお乳の出がすごく良くなったのよ?」
ああ、あの果物ですか……。
「いえ、たまたま行商人が売っていたのですが、子育てに良いと聞きまして」
栄養価も高く出産直後の女性に最適と言う商人の売り文句に惹かれて買ったのですが、少々心配になってオババに確認してもらった物です。結果は問題ないとのことでした。
「ええ、なんていったかしら? パインだったかしら?」
「ポインですね。大陸産の果物だそうで、女性が食べると豊乳作用に加えてお乳の出が良くなるみたいで、出産後の女性に食べさせてあげると良いみたいです」
「あー、確かに、ちょっと大きくなったわねぇ……リッくんは喜んでたけどぉ」
「え、リックさんが?」
リックさんはレイナさんの夫で、ユーグさんの父親です。
当然、男性なのですが、小柄で可愛らしい人なんですよね。
「あら、今のは内緒だったの。忘れてねぇ?」
どうやら今のは失言だったようです。
しかし、リックさんもやはり男性だったという事ですね……少し安心しました。
「あっはい……ところで、ユーグさんを知りませんか?」
「ユーくん? 今日はナナちゃんと一緒に行動するって言ってたけれど、何かあったのかしら?」
なるほど、それで学校にナナリーさんがいたのですか。
そして、この様子だと、ここ数時間は見ていない様子。
「あ、いえ、見ていないならいいのです。では、失礼しました」
「はぁい、また遊びに来てねぇ」
「はい、必ず」
それにしても、ユーグさんはどこに行ったのでしょう?
兄は温泉の方へ向かったようですから、行ってみましょう。
ユーグさん宅の裏手にある温泉の方へ足を運ぶと、言い争う声が聞こえてきました。
「ユーグ! そいつを寄越せぇ!」
「うわぁ! どこから出てきてるのさ!」
ざばぁ、と言う水音が聞こえたことから、恐らく温泉の中に潜伏していたであろう兄は奇襲に成功したようでした。
私は迷わず温泉へ突入しました。
「ユーグさん! 今度こそ追い詰めましたよ!」
「うわっ! セリアちゃんまで!」
「よーし、セリア! 挟み込むぞ!」
「ええ!」
「えーっと……見逃してはくれない、よね?」
「「当然だ!」です!」
「だよね……僕もいい加減疲れたし、ここで決着にしよっか?」
「お? ついに観念したか?」
「そうしてください。それは私達には早すぎます」
「まあ、確かに刺激の強い内容だよね……それで、この本だけどさ。僕から奪ったとして、どっちが手にするのかな?」
露骨な誘導ですが、流石に引っかかるような兄ではない筈です。
「……」
「兄さん? まさか、今の露骨な誘導に心が揺らいだなんてことはありませんね?」
「お、おう! 当然だろぉっ?」
「兄さん……」
レティスさんとあのような約束をしておきながら、まだ未練がありますか。
「ははっ、ライナスは自分に正直だよね」
「仕方がねぇだろ! 興味津々なんだよ! お年頃なのぉぉっ!」
「みっともないですよ。ユーグさんを見習いなさい」
「おまっ、ユーグだって絶対エロい事に興味あるぞ! おっぱいの大きな子の乳をよくチラ見してんのを俺は知ってんだぞ!」
「ちょっ! なんでこっちに飛び火するのっ?」
「ユーグさん……?」
「あっ、いやっ、違うよっ? そう言う意味じゃなくて、こう……すごいなって」
「おっぱいが?」
「そう――じゃなくて! とにかく違うから!」
「その話は後で詳しく聞かせていただきます。さあ、ユーグさん、観念しなさい」
「あっ、ちょっと厳しくなってる……失敗したなぁ」
「さあ、ユーグ、それをこちらへ渡せ!」
「うーん……じゃあ、はい」
と、ユーグさんは、実にあっさりと兄に本を渡してしまいました。
「は?」
思わず声を上げる兄。当然です。
「えっ?」
私も思わず声を上げ、兄とユーグさんを交互に見て迷いが生じました。
その隙をつくわけでもなく、ユーグさんは悠々と私のそばを通り過ぎて行ってしまいました。
「それじゃあ、僕は学校に戻るね?」
普通に、実に普通に去っていくユーグさん。
「「えっ?」」
そして、私達の視線は本に吸い寄せられました。
「……兄さん?」
「後で渡す! 絶対渡すから今は見逃してくれ!」
「あっ!」
脱兎のごとく逃げ出す兄を追い、再び逃走劇が再開されました。
――まあ、兄さんの足で私から逃げきれるわけがないのですが。
「ちくしょーっ!」
ギルド前まで追いつめ、仕事終わりのカナタの手も借りて、兄さんを取り押さえました。
「はいはい、暴れないでね。それで、その本で間違いない?」
「……してやられました」
兄さんから奪い取った本は見かけこそ例の本でしたが、それは表紙だけで、中身は別の物にすり替わっていました。
「ありゃー、流石はユーグ君だね。防人隊に欲しいなぁ」
「ユーグさんは荒事が嫌いですから」
「知ってるよ。でも、もったいないよね。才能はあるのに」
「才能はあっても、本人のやる気がなければいつか重大な失敗をやらかしますよ」
「そうだね……」
「あ……すみません」
今のは失言でした。
「ううん、ロニにいの事は仕方がないよ。過信してたロニにいが悪いんだし……」
カナタの所は大家族で、兄が四人いたのですが、そのうちの一人である狩人のロニさんは、三年ほど前に狩りに出た際、野生の獣に襲われて命を落としているのです。
「ジャイアントグリズリーですからね……」
ロニさんを殺害したと思われる獣はジャイアントグリズリーと言って、この近辺に生息する大型の肉食獣です。あれは一対一で、そう簡単に勝てる相手ではありません。
「あの後、冒険者に駆除されたんだけど、どうもあの個体はロニにいを殺したのとは違ったみたいなんだよね」
「ああ、その話は私も聞いています。そして、ロニさんを殺したと思われる個体を仕留めたのが……」
「ユーグ君達っぽいんだよね。ジャイアントグリズリーじゃなかったんだけど」
「あのような個体は初めてみましたよね。あれは何だったのでしょうか……」
「すっっっごい美味しかったよねぇ……」
……いや、確かに美味でしたけど。
「あの、そう言う意味ではなかったのですが……」
「でも、すごく美味しかったよ? ジャイアントグリズリーの肉は硬くて臭くてまずかったけど、あのわけのわからない熊っぽい獣の肉は生涯食べた肉の中でも一番だったもん。その内また出てこないかなぁ……」
「あの、ロニさんを殺した獣なんですが……」
「それとこれは別だよ! 兄の死よりも美味い肉!」
「そ、そうですか……」
「それはそうと、どうする?」
「どうする、とは?」
「いや、あの本だよ。今から没収しに行く?」
見事に出し抜かれましたからね……とはいえ、必要はないでしょう。
「……いえ、やめておきましょう。ユーグさんなら、あの本の与える影響も理解しているはずです」
「まあ、よく考えたらそうだよね」
ええ、本当にそうでした。しかし、良かったこともあります。
「ええ、不可抗力とはいえ、ユーグさんと競えたのは行幸でした」
「あ、そう言う結論になっちゃうんだ……」
なぜ呆れているのでしょう?
「おーい、そろそろ離してくれー……」
「あ、ごめん! はい、じゃあ、ライナス君、お疲れ様ー」
「兄さん、わかっていますね?」
「わぁってるよ。あの本は諦めた。それに、どっちにせよレティスさんと……ぬふっ」
「うわぁ……下心が顔に出てる……」
「あの本で言う最初の方と言っていましたが……」
「え、そんなこと言ってたの?」
「ええ、大丈夫なのでしょうか?」
「お、おい、不安になるようなこと言うなよ……」
「いえ、心配なのはレティスさんの方です」
「いや、なおさら不安だぞ! 一体どうなるってんだ!」
「いやぁ、それを私達の口から言うのはちょっと……」
「ええ、無理ですね」
「いったい何が起こるってんだっ?」
「とりあえず私から言えることは……絶対に無茶したらだめだよ?」
「そうですね。最悪、婚約破棄なんてことにも……」
「それは嫌だぞ! レティスさんは俺の理想の女性なんだ!」
「じゃあ、なにがあっても暴走しないようにね?」
「兄さん、我慢ですよ?」
「お、おう……結局、何が起こるのかはわからんが、わかった……」
念を押して言うと、戸惑いながらも兄は去って行きました。
あそこまで言っておけば大丈夫でしょう。
さて、そろそろ日暮れですか。
帰って夕飯の準備をしなければなりませんね。
「ねえ、セリア」
「なんです?」
「……男の人って、皆ああいう風なのかな?」
「……まあ、少なからずそう言う面はあるのかと思います」
あのユーグさんでさえそうでしたからね。
「やっぱりそうだよね……うちのお兄ちゃん達だけだと思ってた」
「ええ、私もうちの兄だけかと思っていました」
「ってことは、弟達も将来ああなるのかな……嫌だなぁ」
「それは避けられないでしょうね。きっと、人の営みに必要な事なのでしょう。うちの母を見ていたらわかります」
「あー、なるほど……これ以上ないくらいに納得しちゃったよ……」
「まあ、あそこまで明け透けになる必要はないでしょうが、私達も男性のそう言う部分を受け入れられるようにならないといけないのでしょう」
「そうだね。ちょっとくらい気持ち悪くても我慢しないとね」
そう、あの禍々しく気持ち悪い肉の棒を――
「う……思い出してしまいました」
「あはは……お互い前途多難、かな?」
「ええ、将来の為にも慣れなければいけませんね」
「慣れたくないなぁ……いっそ私と結婚する?」
「何を言ってるんですか……」
「まあ、無理だよね……子供ができないし」
「そう言う問題ですか……?」
「あ、いっそのこと誰かに種だけもらって二人で育てるって言う手も……?」
「どちらが産むのですか。私は嫌ですよ?」
「赤ちゃんなら私が産みたいなぁ。ライナス君なら割とすんなり行けそうだし」
「それだと甥っ子を育てることになるのですが……」
「あ、そうか……じゃあ、ユーグ君とか?」
「それはダメです!」
「あははっ、冗談だって。いやぁ、でもそっかぁ、セリアがねぇ……?」
「なんですか?」
「好きなんでしょ? ユーグ君のこと」
「はあ、憧れてはいますが……」
好きかと問われると、わかりません。嫌いではないことは確かですが。
「……セリアに恋愛はまだ早かったみたいだね。私も人のこと言えないけど」
「そう言う事は時間が解決してくれるでしょう。オババがそう言っていました」
「オババかぁ……なら仕方がないね。じゃ、そろそろ帰ろっか」
「はい、帰って夕飯の支度をしないといけませんからね」
「あー、うちもそうだった……じゃ、また明日ねー」
「ええ、また明日」
カナタと別れ、私は帰途に就きました。
◆
「ふぃー、食った食った」
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様です。兄さん、そろそろギルドへ行く時間では?」
兄はこれから仕事です。
これまではギルドの隣にある酒場で賭けをして稼いでいたのですが、
「お、そうだった。んじゃ、行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」
「お皿は私が片付けますから、セリアちゃんは先にお風呂に入っちゃってください」
「わかりました」
では、風呂に入ってくることにしましょうか。
村の温泉も良い物ですが、私は一人でゆっくりできる自宅の風呂の方が好きです。
ただ、自宅の風呂は水汲みと湯沸かしが大変なんですよね……。
うちの場合は母が魔法で両方ともこなしてしまうので楽なのですが、他の家庭ではそうもいかないので、あの温泉が出た時はみんなが喜んでいました。
「……ふぅ、今日も色々ありましたね……」
風呂に浸かりながら、今日一日を振り返っていました。
午前中は家の家事と読書、午後からは散歩のつもりが思わぬ知識を得てしまったのと有害図書を持ち逃げしたユーグさんを追いかけたことで思いの外に疲れました。
「……ユーグさん、また成長していました。私も見習わないといけませんね」
狩人になりたくないが為に日々努力を怠らないユーグさんに私は憧れ、尊敬しています。
……まあ、動機についてはともかく、狩人と言うのはなり手が少ない上に需要度が高いので、村としては一人でも多く居て欲しい人材です。
しかし、狩人と言うのは死と隣り合わせの職業です。
いくら才能があるからと言って、そのような職業になるしかない将来など、受け入れられるはずがありません。
そもそも、狩人と言う職業は村にとって必要な職ではありません。
森の獣等を狩るのなら、ギルドに依頼を出せばよいのです。
では、なぜそこまで村にとって需要があるのかと言うと、狩人によって狩られた獲物は村の利益として収められるからです。
それだけ聞くと一方的な搾取に思えますが、狩人は狩った獲物の一部を狩ったその場で優先的に得ることが出来るので、村に収められるのは実質的には残り物です。それだけでも十分すぎる程の益があるのです。
また、狩人には村からの全面的な援助があり、家が一軒と多額の給金が与えられるので、命を懸けるだけの価値はあると判断する者は少なくありません。正直、私はどうかと思いますが。
そんな村の狩人は最大三人で、現在は二人分の空きがあります。
最有力候補はユーグさんただ一人で、それ以外は居ません。
と言いますか、該当する年代に攻撃スキルを持っている者がいないのです。
肝心のユーグさんのスキルも固定で一のダメージを与えるだけと言う致命的に威力が低いスキルです。これでは兎も狩れません。
そう言った訳で、最有力候補のユーグさんが早々に狩人になる事を放棄する宣言をしている為、実は村の若者勢の中では攻撃スキルないし戦闘系のスキルを習得しようと躍起になっている者達もいるのです。
誰が狩人になるのか興味はないですが、ユーグさんの心の平穏の為にも頑張って欲しい物です。
その一方でユーグさんは村の各所での手伝いを通じて様々なスキルを習得し、身体能力も向上しているようでした。
中でも特に生産系のスキルを重点的に習得しているようなので、恐らく将来はその手の職業に就くつもりなのでしょう。希少な物が作れるのであれば、狩人よりも需要は高いですからね。
「……私は将来は何になるのでしょうか」
私の職業は前述してある通り、賢闘士と言う稀な職業で、今のところ昇格先は判明していません。
一応、戦闘系の職業ではあるので、このまま防人隊に就職することになるのでしょうか?
しかし、いずれ家庭に入ることも考えるとなると、内職系のスキルも習得しておいた方が良さそうですね。手先が器用とは言えないのが辛い所ですが。
ちなみに家事は得意です。家事スキルを習得し、マスターする程度には。
しかし、家事が得意な職業となると――
「……メイド? いや、なにをバカなことを……」
メイドとは本来異世界語で女性の使用人のことを示しますが、今ではこの呼称が一般的となっているようです。
さすがにメイドはないですね。私の性格的に無理でしょう。
こういっては何ですが、不遜な輩には手厳しいので、例え主人と言えどそのような態度を取られたら手が出るでしょう。ええ、間違いなく。
となると、それ以外のスキルを習得して仕事の選択肢を増やすことも考えなくてはなりませんね。
スキルの習得となると、真っ先に浮かぶのはユーグさんの顔ですが――
「……私も、スキルの習得に付き合わせてもらえないでしょうか」
なんとなく呟いてみましたが、これは意外と良い案かもしれません。
ユーグさんは三年前からスキルの習得に励んでいるわけですし、今度頼んでみましょう。
そう決意する頃には、結構な時間が経っていたようで。
「うぅ……のぼせました……」
すっかりのぼせた私は、風呂を出て早々に寝付くことになるのでした。
その翌日、ユーグさんとナナリーさんが同居する上に二人の家が建ったという話を母から聞かされた私は、早朝から運動をしているというお二人の元へ駆け付けました。
「ユーグさん! ナナリーさん! おはようございます! お二人が同居するという話は本当なのですかっ?」
未婚の男女が同居だなんて、陰謀めいた物を感じます!
「あ、セリアちゃん、おはよう。情報が早いねー」
「母から聞きました! それで、真相のほどはっ?」
「あー、なるほど。うん、本当だよ? ナナちゃんを管理するには常に一緒に居るのが一番だからね」
「そ、そうですか……あの、それで、ナナリーさんはなぜ倒れているのです?」
お二人に追いついたのは良いものの、当事者の片割れであるナナリーさんは地面に倒れ込んでいました。
「昨日の運動による筋肉痛と疲れかな?」
「……それなのに朝からこの仕打ちは酷いと思う」
「いや、歩いてるだけでしょ。ほら、早く立って。汚れちゃうよ?」
「それでも私には激しい運動……つらい。引き籠りたい」
「一緒に暮らす以上、引き籠りはさせないからね?」
「うぅ……ちょっとでも浮かれた私が馬鹿だった……」
いまいち状況はつかめませんが、ユーグさんがナナリーさんの教導を行っているという事でしょうか? そして、お二人の同居はそのための物……?
「と言う事は、ナナリーさんはユーグさんに弟子入りを……?」
「違う……けど、一部は似たような物だから何とも言えない」
「弟子の生活の面倒を見る師匠って嫌だなぁ……まあ、師弟関係ではないけど、僕と一緒に生活をして生活習慣の改善と体力の向上を目指すって言う点では僕が師事される側なのかな?」
「あの、それで、同居と言う事はやはり……将来的にはご結婚を?」
「結婚かぁ……僕はナナちゃんがまともになってくれるなら文句はないかな」
「私もユーくんが貰ってくれるなら文句はない」
「そ、相思相愛なんですね……」
「えー、それはどうなんだろ……あいたっ! なんで叩くのっ?」
「ユーくんのバカ」
「今、何か怒るところあった……?」
「ナナリーさん、やはりユーグさんのことがすふぃっ」
口を塞がれました。思いの外に素早い動きでした。
「それよりセリア、何か用?」
「んむ……ぷはっ、えっと……ああ、そうでした。お二人が同居すると聞いて何の陰謀かと勇んでやってきたのですが、どうやら私の勘違いのようでしたね」
「陰謀と言えば陰謀かな? ナナちゃんをまともにするという目的の」
「私の為に家が建つなんて、全然知らなかった……」
ナナリーさんはずいぶんと長い事、姿を見かけなかったですからね。
同世代の間では一部死亡説が囁かれていたことは伏せておきましょう。
「ははは……あ、そうです。お二人の家ですが、もう見ましたか?」
「あー、そう言えばまだ見てないね」
「私はどこに建っているのかも知らない……」
「私も見ていないのですが、母に場所を教えてもらったので、これから見に行きませんか?」
「あ、いいね。じゃあ、ナナちゃん、朝の運動は新しい家の前を折り返し地点にしようか」
「ん、賛成。村一周よりは楽そう……」
「ここから少し歩きますが、すぐに着きますよ。こっちです」
そうしてついた先に建っていた家は、思いのほか大きい物でした。
「えっと、此処なのですが……」
「……え、これ?」
「おぉ、これが私とユーくんの……家?」
「いや、これ……家と言うより屋敷だよ!」
「そう、ですね……お二人の将来を考えて、この大きさなのでしょうか?」
それにしては大きすぎるような気もします。
「……ユーくん、私、赤ちゃん何人産めばいいの?」
そう来ましたか。いや、そう言う事なのでしょうか?
確かにこの規模の家ならば、十人以上は余裕で住めそうです。
「いや、なんでそうなるのさ……普通に考えてナナちゃんの仕事道具とか運び込むためじゃないかな?」
「じゃあ、新しい道具も買って良いの?」
「必要ならね」
「必要。あっちの家だと狭くて置けないようなのも置けそう」
「製薬作業にはそのような道具も必要なのですね……」
「ん、大型の鍋があったら濃縮作業が捗る」
「よくわかりませんが、その作業が捗ると一体何ができるのでしょうか?」
「分かりやすい所で言うと一級の回復薬。さすがに特級は無理だけど」
「はあ……一級の……一級ですかっ?」
「ああ、今の家だと一ヶ月で一本しか作れないんだっけ?」
「ん、小さい鍋しか置けないから、それくらいしか作れない」
「まっ、待ってください! 一級回復薬と言ったら死んでさえいなければどのような状態からでも五体満足に完治させるという、あの一級回復薬ですかっ?」
「なんかすごい説明口調だったけど……その一級回復薬だよね?」
「ん、お小遣い稼ぎに作ってる。そこそこ良い値段で売れる」
「お小遣い稼ぎ……っ! そこそこ……っ!」
一級回復薬なら一生遊んで暮らせるだけのお金が稼げるはずです。
それをお小遣い稼ぎとは……さすがはナナリーさんと言う所なのでしょうか?
「大体、金貨一枚くらいで売れる」
「待ってください! 幾らなんでも安すぎます!」
その十倍の宝貨で貰ってもまだ安いくらいですよ!
※天の声 宝貨の価値=現代換算で百万円程度。
「でも、原価はほとんどタダ。もっと安くても良い」
「ナナちゃんの所は回復薬に使う薬草を自家栽培してるからね」
「そう言う問題ですかっ? と言うかナナリーさん、もしや製薬スキルのレベルはとっくにマスターしているのでは?」
「ん、二年前にしてる」
「そ、そんなにも前から……」
「僕もあと少しで製薬スキルが習得できそうなんだよね」
「そ、そうなんですか……」
確か、製薬スキルの習得にはスキルの調剤と調合をマスターする必要がありますから、他のスキルも並行して習得しているユーグさんの成長速度は、かなり早いのでは……?
この数分で、お二人の凄さに改めて驚かされました。
……やはり、私自身も精進するために、お二人に師事するというのはありなのでは?
「あの……」
「あら、三人揃ってお家の下見ですか?」
「あ、マリア先生」
「……おはようございます」
「母さん、なぜここに?」
「セリアちゃんに言い忘れたことがあって追いかけてきたんです」
「言い忘れたことですか?」
「ええ、このお家だけど、ユーグ君とナナリーちゃんだけじゃなくて、セリアちゃんにも住んでもらいますからね?」
「「「えっ」」」
「村長や双方の両親の公認とは言え、外聞と言う物がありますから、男女三人で暮らすという事にしたら多少は健全でしょう?」
「あの、より不健全な気がするのですが……」
「あら、そうでしょうか? 男女二人の共同生活と、男女三人の共同生活……常識的に考えて、どちらが不健全に思えます? 後者の方が不健全に思えるその心、そちらの方が不健全では?」
男女二人ならまだしも、男女三人でそのような想像をするというのは、確かに後者の方が不健全極まりないです。
「……言われてみたらそうですね。すみません、私が不健全だったようです」
「わかれば良いのです。そう言うわけですので、うちのセリアちゃんをよろしくお願いしますね?」
「え、あ、はい、わかりました」
「ん……まあ、それはそれで悪くない」
「あと、お風呂のお世話などはセリアちゃんに任せても良いですからね?」
「あ、それは助かります」
「私は別にユーくんで構わな――」
「僕が構うからね!」
「あの、お風呂の世話と言うのは……?」
「ふふっ、私も聞いた話なんですけど――」
と、母からお二人のこれまでのやり取りを聞いた私は、俄然この生活に対してやる気を見出しました。
「いくらなんでもやり過ぎです! お二人とも、もう少し節度を持ってください!」
特にお風呂のくだりは酷いの一言に尽きます!
「はい、おっしゃる通りで……」
「……私は別に恥ずかしくない」
「むしろ恥じらってください! 気心の知れた相手とはいえ、男性に身を委ね過ぎです!」
「ユーくんだから問題は……」
「ありますよ! 親しい仲にも礼儀ありです!」
「……でも、ユーくんは私のおっぱいを見て喜んでる」
「ちょっ! ナナちゃんっ?」
兄も言っていましたが、やはりユーグさんは胸の大きな女性が好みなのでしょうか?
……そう言えば、あの本の女性も立派な胸の持ち主でしたね。
きっと、あの本の筆者も大きな胸の方が好みなのでしょう。
そう言えば、あの父も母の胸で甘えていたことがありましたね……。
となると、男性の多くは胸の大きな女性が好き……?
「それは男の子なのですから仕方がないでしょう……ですが、見慣れられたら困るのでは?」
幾ら大きな胸が好きだと言っても、見慣れてしまうと飽きるのでは?
※天の声 飽きる? いや、そんなことはない!
「……一理ある。ユーくん、今度からお風呂のお世話はセリアにやってもらう」
「うん、そもそも、世話されずに入れるようになろうね……?」
「それは難しい相談……」
「いや、皆は普通にやってることだから」
「とりあえず、その話は後ほど女性同士で話しましょう。それでお母さん、私の役目は名目上、監視役と言う事で良いですか?」
「ええ、そうなります。それ以外は自由なので、普通に過ごしてくれて構いませんよ?」
「わかりました。ではユーグさん、提案と言いますか、お願いがあるのですが、防人の仕事がない時だけで良いので、私もお二人と一緒にスキルの習得や鍛錬などに付き合わせて頂けませんか?」
「うん、僕は構わないけど、大したことはしてないよ?」
「……ユーくんは十分に大してことをしてる。私は昨日思い知った……だから、道連れができるのはすごく嬉しい」
「ありがとうございます。将来の選択肢を広げる為にも、お二人からは色々と学ばせていただきます」
「あー、そっか。セリアちゃんのスキルは……」
「はい、使用できないスキルが一つきりでしたので……」
「それでも職業任せの身体能力で乗り切ってきて、習得したスキルと言えば家事スキルだけ……ようやく危機感を持ってくれたみたいですね?」
「お、お母さん……」
「ユーグ君、頭は悪くないくせに脳筋なセリアちゃんですが、末永くよろしくお願いしますね?」
「お母さん、別に嫁入りするわけじゃないのですから……」
「なんだったら種を付けるだけでもいいですよ?」
「お母さんっ!」
「あら、つい口が……じゃあ、後は若い者同士で仲良く話し合ってくださいね」
そう言うと、母はそそくさと去って行きました。
「さらっととんでもないことを……」
「いつものこと」
「まったく、母には困った物です」
「ユーくん、私は愛人が居ても気にしない」
「なんで正妻面してるのさ……」
「じゃあ、私が愛人――ユーくんが私の愛人でもいい」
「なんで言い直したの? って言うかそんな間男みたいなの僕は嫌だからね?」
「あの、お二人の仲を邪魔する気はありませんので……」
「あー、うん、セリアちゃん? 僕とナナちゃんはまだそんな関係じゃないからね?」
「そう、ただの幼馴染」
「いたっ! 今なんで叩いたのさっ!」
「なんとなく」
「ふふっ、お二人といると退屈しなくて済みそうです」
「ユーくんの忙しさ、思い知ると良い……」
「はい、楽しみにしてますね」
「……ユーくんの同類が居た」
「ところで、あの家って入っても良いのかな? 引っ越す前に間取りとかを確認しておきたいんだけど」
「ん、私も見ておきたい」
「それも良いのですが、朝の運動を終えて落ち着いてからの方が良いのでは?」
「うーん、それもそうだね。結構広そうな家――屋敷だし、見るだけでも疲れそうだよね」
「ん、さっぱりしてからの方が良さそう」
「じゃあ、戻って温泉で汗を流して、朝食を取ってからにしようか。今日の仕事はこの後パン屋さんの搬入作業があるから、それが終わってからの方が良いかな?」
「他に仕事はないの?」
「うん、今日はそれだけだよ。引っ越し作業があるからね」
「今日から住むの?」
「そうなるね。だから、今日の仕事が終わってから明後日までは仕事とかは休みにしてもらってるんだよ」
「それでも三日間……間に合う?」
「大丈夫じゃないかな? 父さん達も手伝ってくれるって言ってたし」
「そうなんだ……じゃあ、大丈夫そう」
「私はそんなに持ち込むような物もないですし、お手伝いしますよ?」
「ん、ありがとう。私、仕事道具が多いから大変……」
「確かに、あの量はね……」
いったいどれほどの道具があると言うのでしょうか……まあ、大丈夫でしょう。
「では、私はこの後は昼まで村の見回りに就くことになるので、午後から合流させていただきます」
「うん、こっちは先に始めていると思うから、先に自分の荷物を済ませてからでいいからね?」
「はい、わかりました。では!」
「ん、またあとで」
「はい、また後で!」
ユーグさん達に挨拶を済ませ、私は仕事に行く準備をするため、家に戻りました。
まさか私がユーグさん達と同居することになるとは思いませんでしたが、この機会を最大限に生かし、スキルの習得と自己鍛錬に励みましょう。
……それにしても、私のスキルはどうなっているのでしょうか。
読めない名称に、常時発動となっているにもかかわらず何の実感もない謎のスキル。
役に立っているとは思えないので、これもまたゴミスキルと言うベきなのでしょうか?
まあ、使えないスキルに意識を割いても意味はないです。
職業が村人ではないゆえに、私はスキルの習得は必要ないと思って過ごしてきましたが、今のままだと肉体労働しかできないので、家庭に入ることもままなりません。
母曰く気付くのが些か遅かったようですが、それでもまだ間に合う……はずです。
さすがに子供を身籠ったまま防人の仕事はできませんからね。
ええ、私だって女ですから、子供は欲しいと思っています。
……まあ、相手はまだ決まっていませんが、いつか見つかるでしょう。
母がユーグさんに何やら言っていましたが、あのようなことを私とユーグさんが――
「……なんでしょう。この気持ちは……」
あの本で見た行為を自分とユーグさんに当てはめてみると、不思議と嫌悪感はなく、なにやら恥ずかしいような心地良いような妙な感覚に囚われてきました。
「……いけません。やはりあれは有害図書です」
なのでまた後日、しっかりと中を改めなければいけませんね。ええ、他意はありません。
ユーグさんも目を通しているようですし、もしもあのお二人が婚姻前に子供を作ってしまったら大変ですからね。私がお二人を性の誘惑から守らなければ!
さて、家に着きました。
これから仕事に行って、帰ってきたら引っ越しです。
新しく始まる生活に少々心が躍りますが、気を引き締めて行きましょう。
なにしろ、あのお二人との生活ですからね。
学ぶところはたくさんある事でしょう。
しっかりと参考にさせていただいて、ユーグさんのように、たくさんのスキルの習得をしていきたいものです。
ゴミスキル持ちの私ですが、将来のために頑張って生きています。
◆
※天の声 ちょっと混線します。
所変わって、別の次元。
薄暗い部屋の中、十三のデスクとパソコンの前に、十三人の男女が座って居る。
その中の一人、サングラスをかけたアロハシャツのいかにもチンピラ風な若い男が声を上げた。
「おいおい、ちょっと、これ不味いんじゃねーの?」
その声に反応したのは、その隣ので何かを打ち込む作業をしていた女性。
「どうしました?」
「これこれ。このセリアって子のスキルなんだけど、文字化けしちゃってんじゃん? これなんで?」
「……本当ですね。効果は?」
「なんも割り振られてないっぽいぞ。未実装スキルってやつか? えーっと、なんか、想定外とかってなってるけど?」
「ああ、それは未実装の状態ですね。そのスキルの担当は誰です?」
「わかんねぇから聞いてんじゃん? 実際、誰よ? はーい、怒んないから挙手してー?」
「……居ないようですが?」
「えー? もしかしてあれ? 消されちゃった奴ら?」
「でしょうね。あの件で我々の大半が消滅させられましたから……」
「アレなー……マジで調子に乗り過ぎたよなぁ……」
「自業自得とは言え、あのような存在を生み出すことになってしまったのは反省すべきです」
「ホントな。百万柱の神が束になってかかっても瞬殺とか、未だに笑えねぇわ。さすがのアレには神になってから初めてビビったし、冗談抜きにちびったからな」
「現状ですら見逃してもらっているような状態ですし、これではどちらが神なのだかわかりませんね……」
「お前はまだいいよな。最近送り込んだ異世界人が良い仕事して、アレを抑え込んでくれてんだろ?」
「そんな言い方はやめてください。そんなことより、この未実装スキルはどうするつもりですか?」
「さすがにこのままにはして置けねぇが……正直俺はやりたくない」
「酷い人ですね」
「俺はまだ消されたくないからな。お前らだってそうだろ?」
「……仕方がないですね。私がやりましょう」
「いや、お前がやるとまた変なのになんだろ。保留だ保留!」
「変なのとは失礼な。個性的なだけです」
「とにかくお前はなんもしないでアレの方を見張っとけ」
「わかりました……まあ、こちらはこちらで面白いことになりそうなんですよね」
「頼むから余計なことはすんなよ?」
「もちろん、何もしませんよ? 私は」
「ったく、このただっぴろい世界を十三柱で回すとか、ブラック企業も真っ青だぞ……ん? ああ、しまった。変な所と繋がってんな……はあ、神なのに楽じゃねぇってどういうことd
※天の声 混線終了。今回の話もこれにて終了。