表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/11

二スキル目 変身するだけのスキル

 この世界は滑稽だけれど、とても素敵なところね。

 そう言っていた冒険者のお姉さんは、男に振られたとかで朝から酒を煽って管を蒔いていた。

 ……大人の女性って大変だな。と、その時は他人事のように思っていた。当時五歳の私。

 そのお姉さんは理想の結婚相手を求めて世界を旅しているそうだ。

 理想の相手なんて、一目でわかるモノなんだろうか?

 私はそう言うのは未だによくわからない。

 ずっと一緒に居たいと思う相手はいるけど、好きとかそう言うのじゃないと思う。

 同じ年頃の女の子達は好きな人と一緒にいるとドキドキするとか、ふわふわするとか、食欲がなくて夜も寝られないだとか――後半は何らかの疾病を疑ったけど、そう言う事じゃないらしい――そんなとりとめのないことを言ってはキャッキャウフフと騒いでいるけど、私はそう言うのを感じたことは全くない。

 それでも、ずっと一緒に居たいと思うのは、ダメなのだろうか?

 好きでもない、嫌いでもない。でも、ずっと一緒に居たい。それが彼に対する私の気持ち。

 一方で大人である冒険者のお姉さんは、顔が良くて頭も良くてお金持ちで自分を大切にしてくれるならそれ以上の欲は言わない等と言っていたけど、前提からして欲塗れだった。

 お姉さんが言うには、そう言う人は何人も奥さんを貰ったりしているから自分にもチャンスはあるんだとか。もしも私が男なら、あのお姉さんはちょっと遠慮したい。

 そんなお姉さんだけど、冒険者としては優秀なようで職業は双剣士のレベル六――人類を軽く超越しているレベルなのだからわからない。

 こんな人が世間一般で言う超越者の一人なのだから、この世界が滑稽だというお姉さんの言葉は間違っていないのだと思った。


 私はナナリー。年齢は十二歳。趣味は薬作りと、ある事情から止むえず始めた裁縫の二つ。

 名前の由来は過去に実在した聖女に肖ったそうだけど、名前負けにもほどがあると思う。

 それでも、その聖女に匹敵していると思われる部分が、私にはある。


「……また胸が大きくなった……」


 それがこの身体――もとい胸である。伝承によると聖女はとても大きな胸の持ち主で、神の一滴と言われる不思議な力で勇者を導き、魔王を討伐したそうだ。

 ちなみに私にはそんな力はない。

 私の職業は聖女ではなく、魔法使いだからだ。

 この世界は生まれながらに職業が決まっていて、聖女のような職業は千万人に一人程度の割合でしか生まれない。

 魔法使いのような戦闘系の職業は百人に一人と、微妙な割合で生まれる。

 そして大半の者は村人として生まれ、私の住んでいる村の者も大半が村人だ。

 基本的に、村で生まれた者は村で一生を過ごす。

 一部の珍しい職業に生まれてしまうと、早くて五歳、遅くても十歳には国の首都にある国立学校へ入学させる義務が発生する為、村によってはそう言った子供達を意図的に隠して育てる場合もあるらしい。

 私は魔法使いだけど、魔法使い程度の戦闘職ならその義務が発生しないので気ままな人生を送ることが出来ている。

 魔法使いや戦士などのような希少ではない戦闘職に生まれた者はその大半が村や町の組合――ギルドに所属し、依頼をこなして生計を立てるそうだけど、私は実家の薬屋を継ぐ予定だ。

 幸いにも母と同じ製薬スキルを受け継いで生まれたため、薬作りに関しては小さい内から手慣れているし、独自の薬品開発にも成功している。

 そんな私だけど、もう一つ生まれながらに持ったスキルがあって、それが原因で幼馴染の一人で私がずっと一緒に居たいと思っている男の子に現在進行形で誤解をされている。

 そのスキルと言うのがこれだ。


 変身 効果 変身する。


 もう少し詳しく言えば、自分の着ている服がなんかひらひらとした露出の高い可愛らしい衣装に変化する。ただそれだけだ。他に何かがあるわけじゃない。本当になにもない。

 これこそまさに正真正銘の役立たずなスキルだと言えよう。

 しかしこのスキルには隠された秘密と言うか……私の本当の職業にとっては必要不可欠な物だったのだ。

 私の本当の職業……その話を聞かされたのは、私が九歳の誕生日を迎えた頃だった。

 両親の話によると、その職業は極めて珍しい類の物だったようで、両親の意向の元にその日まで隠されていたという事だ。今だからこそ言えるけど、本当によく隠してくれたと思う。

 もしも公になっていたら、私は通いたくもない国立の学校へ連れて行かれてた所だった。

 それで、私の本当の職業だけど――

「ナナちゃん、起きてる?」

 ――今日、そのことを彼に話そうと思っている。とりあえず夕方辺りに。

「ん、ちゃんと起きてる」

 今は朝。それも早朝だ。

 いつもなら製薬作業の徹夜明けでベッドにもぐりこむか、そのまま作業を続行しているかのどちらかだけど、今日からは生活リズムを変えることになった。

 それもこれも、彼――ユーくんのせいだ。

 ちなみに本名はユーグ。ユーくんはあだ名だ。

 私と同じように英雄に肖った名前で、同じく名前負けをしているただの村人の男の子。

 そして、私がずっと一緒に居たいと思っている人でもある。

「ああ、よかった。昔みたいに寝ぼけてベッドに引きずり込まれるのは勘弁して欲しいからね……」

 違う。あれは寝ぼけてたんじゃなくてわざとだ。

 ユーくんはある一時からほとんど私に構ってくれなくなったから、ささやかな仕返しのつもりだった。

 ……今度またやってみよう。最近忙しくて構ってくれなかったし。

「ナナちゃんの布団、しばらく洗濯してないはずだし、大分匂いがキツそうだもんね」

 ……絶対引きずり込んでやる。絶対にだ。

「そんなことはない。いい匂い」

「それ、昨日までグリーンチーズみたいな匂いさせてた子が言う?」

「……グリーンチーズは美味しい」

 匂いはまあ、うん。控えめに言って――死ぬほど臭い。

「匂いが臭いのは否定しないんだね……」

 だって正直、そんな匂いがしてたなんて気づかなかったもん。

 人は何時だって自分のことには鈍感なのだと、教科書の偉い人がそう言ってた。

「まあ、洗濯は後でやっちゃおうね。下着くらいは自分で洗ってよ?」

「それくらいはちゃんとやってる。ユーくんのえっち……」

「だから自分でやってって言ってるでしょ! まったくもう……じゃあ、まずは朝の運動に行こう」

「んっ」

 早朝からの運動は嫌だけど、これからしばらくは毎日ユーくんと一緒だ。

 運動程度、なんと言う事はない。


 ――そう思っていた時期が、私にもあった。

「ユーくん……だめっ、死ぬっ……」

「まだ歩き始めて十分も経ってないんだけどっ?」

 朝の運動は村の外周を歩くだけだというのに、私の身体は早くも限界を訴えていた。

 これは計算外……私の身体は思っていたよりも鈍っているようだった。

 ちょっと三ヶ月程度部屋に引きこもっていただけなのに……?

「もうダメ……ユーくん、私は置いて先に行って……」

「体良くサボろうとしてるだけだよね? ほら、待っててあげるからちゃんと立って」

 ……魂胆がばれた。

「騙されてくれない……ユーくんの意地悪……」

 ユーくんは無駄に小賢しい。ずっと昔からそうだ。

「いや、何年付き合ってると思ってるのさ。ナナちゃんが嫌なことをサボろうとするたびに僕が駆り出されてきたんだよ……?」

 そう言えばそうだった。

「ユーくんは私専用だから」

「勝手に専用にしないでよ……」

「ユーくんが私を貰ってくれたら万事解決なのに……」

 自分で言うのもなんだが、私にはまともな生活能力がない。

 そして、その他諸々の女としての欠点を抱えている。

 ……はっきり言ってしまうと、嫁の貰い手がない。ユーくん以外には。

「いや、それだとナナちゃんが際限なく堕落する未来しか見えないんだけど……」

「……そんなことはない、はず」

 ちょっとは覚悟しておいた方が良いのかもしれない。ユーくんが。

「ちょっとは自覚してるなら、生活改善はきちんとね?」

 年々、ユーくんの私への扱いが厳しくなってきている気がする。

 もしユーくんに愛想を尽かされたら、文字通り生きていけなくなってしまう。

「……頑張る」

 私だって、そろそろやればできると言う所を見せつける時期なのかもしれない。


 ――やっぱ無理。

「……もう無理。死ぬ……」

 おかしい。運動ってこんなにも過酷だった……?

「まだ一周目なんだけどなぁ……じゃあ、歩くのはここまでにして、明日から距離を徐々に増やしていこうね?」

 ふふ……なんだかんだでユーくんは私に甘い。

「……もう終わり?」

「激し――くはなかったけど、朝の動的な運動はここで終わりだよ。次は静的な運動をしよう」

 性的な運動? お母さんが、子作りはある種の運動だと言っていた気がする。

「性的……ユーくん、流石にそれは気が早い」

「いや、それ違う運動だからね? そもそも動きはするけど、運動じゃないし。どっちかと言うと生産だし」

 なにこの反応。ユーくんが鉄壁過ぎる。

「下ネタに動じないユーくんが素敵過ぎて辛い……」

「そう言うのはサラさんに鍛えられているからね」

「お母さん……」

 余計なことを。

 とは言え、ユーくんを陥落させる為に色々やったり教えたりしてくれるのは本当に助かっている。

 ユーくんが巨乳好きだと知ったのもお母さんのおかげだった。

 私の胸が大きいのだってお母さんの遺伝だ。ありがとう、お母さん。

「じゃ、柔軟を始めようか」

 静的な運動とは柔軟のことらしい。

「身体の柔らかさなら自信がある」

「はいはい、それじゃあ、僕の真似をしてね。身体を動かす時はゆっくりと、筋を伸ばすようにね」

「わかった」

 柔軟なら疲れないし、痛くもない。


 ――などと言うのは間違っていた。

「ゆーぐんっ、ぐるぢいっ……!」

「いや、なんでこんなに身体硬くなってるのさ! 部屋に籠り過ぎだよ!」

 私は座り前屈をしている背中をユーくんに押されていた。にも拘らず、上半身と下半身の角度はっちり綺麗に九十度を描いていた。

 ……おかしい。私の身体はこんなにも硬かっただろうか? おっぱいは柔らかいのに。

 少なくとも三年前は前屈で手がつま先に余裕で届いていたし、開脚だって百八十度は出来ていた。

「いったい私の身になにが……?」

「だから運動不足だって」

「たかが三年で……?」

「いや、三年間のサボりは大きいからね? それにしてもこれは……運動だけじゃなくて食生活からも見直さないとだめだね」

 私の身体はそこまでしなければならないほど酷いらしい。

「食事くらいは好きな物が食べたい……」

「出来るだけ希望に沿うようにはするけど、余計な間食は禁止だよ?」

「……ユーくんが作ってくれるの?」

「もちろん、一緒に作ろうね」

「だと思ってた」

 ユーくんは私に甘いけど、私が甘えるのは許してくれない。

「ああ、でも今朝の朝食は僕が作って来たから、料理はお昼からね?」

 やっぱり肝心なところで甘い。そんなユーくんが、私は好き。

 異性としてではなく、幼馴染としてだけど。



 柔軟と言う名の拷問が終わる頃には、私は全身汗だくになっていた。

「へへっ……いい汗かいた……ふへっ」

 疲れのせいもあってか、変な笑いが込み上げてきた。

「ナナちゃん、疲れてるところを悪いけど、ご飯とお風呂、どっちを先にする?」

 ご飯とお風呂……どちらも捨てがたい。

「両方」

「いや、お風呂でご飯とかびしょ濡れになるよ? ちなみに朝ご飯は具だくさんのサンドイッチだからね」

 朝食は私の大好物だった。

 サンドイッチ……異世界から伝わったとされるその料理は、パンで肉や野菜などを挟み、手軽に食べられるようにするという簡単かつ機能的な料理だ。しかも美味しい。

「……じゃあ、お風呂」

「お風呂だね。汗を流すだけなら一人で大丈夫でしょ?」

 簡単に言ってくれる。

「……無理。手伝って」

「軽くお湯を浴びて温泉に浸かるだけだよ?」

「今の状態で温泉に浸かったら――寝る。確実に」

 この疲労感にお風呂の気持ち良さは至福が過ぎる。すぐに寝れる。

「あー、うん……あり得るね。って言うか、前にあったね」

「うん」

 あの時は死ぬかと思った。

 間一髪の所をユーくんが助けてくれて、それ以来、私がお風呂に入る時はユーくんが同伴することになっていた。そう、なっていたはずだ。

「ユーくん、私が心配じゃないの……?」

 私を一人お風呂に放つなんて酷い。

「そりゃ心配だけど、きちんと見てるから一人でも大丈夫でしょ?」

「……一緒に入ってくれるの?」

「え? うん。だって、僕も少し汗かいたし」

 なんだ。それだったら文句はない。手伝ってくれないのは残念だけど。

「じゃあいい。入る」

「もしかして、完全に一人で入れられると思った?」

「うん」

「いやぁ、流石にナナちゃんを一人で放置って言うのは危なっかしすぎて無理だよ」

「……うん」

 釈然としない所はあるが、危ないのは事実なので何も言い返せなかった。



 今回もユーくんの視線は私の胸を何度もチラ見していた。五十五チラだった。

 ふふふ、記録更新。ユーくんが落ちる日は近い。多分、恐らく、きっと……うん。

 とりあえずお腹が空いているから、早くご飯が食べたい。

「ユーくん、ごはん。早く」

「僕の分もあるから、全部食べないでよ?」

 そう言いながらユーくんが差し出してきたのは大きなバスケット。

 蓋を開けると中には前言通り、ハム、卵、野菜等が入った具だくさんのサンドイッチ。そして大量の果物が入っていた。

「おぉ……朝から豪勢」

「ちゃんとよく噛んで食べてね」

 ユーくんがお母さんみたいなことを言った。

 きっとユーくんは良い母親になれるだろう。

「ん、いただきます」

「はい、召し上がれ」

 ……うん。美味しい。ユーくんの料理スキルが着実に育ってる。

「ユーくん、こっちでも食べていけそう」

「いや、料理人になるには料理スキルのレベルをもっと上げないと駄目なんだよ」

「料理人になる必要はあるの?」

 村の宿で料理を作っているミラ叔母さんは料理人じゃないけど、普通にお金をもらって料理を作ってるし、料理人である必要性なんてこの村ではないと思う。

「ないけど、なった方がスキルの成長も早くなるし、料理に魔法みたいな付与効果が付くようなんだよね」

「そうなんだ……じゃあ、ユーくんは料理人になるの?」

「え、ならないけど?」

「ユーくんの目指す先がわからない……」

「まだ決めてないからね」

「もう三年しか猶予がない」

「まだ三年も猶予があるよ?」

 うん、良い傾向だ。前までは必死だったけど、今のユーくんには余裕がある。

 少なくとも狩人と薬師になる条件は整っているから、落伍者になるという事はないだろう。

 落伍者と言うのは成人時に昇格条件が整わず、昇格しそびれた者を指す。

 そういう人達は滅多に居ないが、産まれながらスキルに恵まれなかった者が稀にそうなってしまうと村の学校で教えてもらった。

 落伍者になってしまった人達は問答無用で村から追い出される――と言う事はないが、昇格するまでは一人前と認められず、結婚はもとより子供を作ることも許されない。

 厳しいようだけど、村の生活では未熟者を一人前と認めてしまうわけにはいかないのだ。

「そういえば、ユーくんは成人したらどうする?」

「どうするって?」

「村を出る?」

 私達の年代の子は、成人と同時に村を出る権利が与えられる。

 特に若い世代は村の外に憧れる者も多く、毎年、該当世代の半数以上が村を出ていた。

「ああ、そう言う事か。僕は村に残りたいかな」

「ん、私も一緒」

 ユーくんが村を出ると言ったら私もついて行こうと思ったけど、その心配はなさそうだった。

「僕達の年代の子は半数以上が残るんじゃないかな? 村の拡張の話も出てるし」

「……? あ、忘れてた」

 そういえばそうだった。

 村に温泉が出来てから人の出入りが多くなって、新しい施設を建てる土地を確保するために村長がこの地方の領主に掛け合っていたのをすっかり忘れていた。

 村の拡張は勝手に行って良い物ではなく、最低限の条件としてそこに住む村人の半数以上の賛成意見と村のギルドの保証、それを村長が領主に伝えて許可をもらう事が必要だった。

 そして、その許可が出たということで近々領主が村を見に来るという話だったはずだ。

 ……すっかり忘れていた。

「……ユーくん、私と婚約して。今すぐ」

 結婚は成人まで無理だけど、婚約なら今すぐできる。

「えぇっ? いきなり何言って……ああ、領主様の息子さんかぁ。僕もすっかり忘れてたよ」

 そう、私はなぜか領主の息子に求婚されていたんだった……。

 あいつのことだ。今度の視察にもついてくるに違いない。

「せめて既成事実が欲しい」

 いっそのこと子供を作ってしまうと言う手もないことはない。

 特に好きではないけど、ユーくんの子供なら産んでもいい。

「そっちはもっと駄目な奴だから! でも心配いらないと思うけどなぁ」

「あいつ、ものすごいしつこかった……」

 本当に、記憶の片隅に封印する位にはしつこかった。むしろ忘れていたかった。

「でも、今のナナちゃんの姿って前よりも地味さに磨きがかかってるから、気付かれないんじゃないかな?」

「……本当?」

「うん、髪は伸び放題だし目の下にはクマが出来てるし、今はマシだけど血色もいまいちだよ?」

 なるほど、みるからに酷いようだ。

「それなら良かった」

 そんな女、まともな男なら嫁にしようなどと思わないはずだ。

「いや、良くないからね? あと、その猫背も良くないよ。姿勢も改善しようね?」

 猫背と言うか、前傾姿勢になりがちなのはどうしようもない。

「これは胸が重いせい」

「それは知ってるけど、身体によくないから直させるよ?」

「むぅ……ユーくんが厳しい」

 厳しいのはいつも通りだけど、なんだか今回はやけにしつこい。

 っ! まさか……。

「私をあいつに押し付けようとしてる……?」

「なんでそんなことしないといけないのさ? まともなナナちゃんなら、むしろ僕がお嫁さんにしたいくらいだよ」

「っ!」

 これだからユーくんはっ……! もうっ! もうっ!

「いたっ! ちょっ、なんで叩くのさ!」

「ユーくんが悪い」

「えぇ……って、それ僕の分! ナナちゃん食べ過ぎだから!」

「知らない。美味しく作ったユーくんが悪い」

 本当に美味しい。なんと言うかもう……美味しすぎる。私の好みがすっかり把握されている。

 男は胃袋を掴むと良いって叔母さんが言ってたけど、むしろ私が掴まれている。

 女だって胃袋を掴まれることがある。身を以って実感した、夏の朝――ちょっと語呂が良かった。

「ユーくんのご飯が毎日食べたい……」

「あ、やっぱり味付け気に入った? 教えるよ?」

 そうじゃない。そうじゃないんだよ。ユーくん……。

「あ、うん……また今度」

 それでも味付けは気になるので教えてもらう私は、未だ料理初心者……。



 朝食後はユーくんに付いて回って村の各所でお手伝い。

 このお手伝いはスキル習得に役立つので、成人未満の子供達は、ほぼ強制的にどこかしらの手伝いに駆り出される。

 その中でもユーくんの仕事量と内容の幅広さは異質だと、これから私は知って行くことになる。


 最初のお手伝い場所は畑仕事だった。

 今の季節は夏、早朝で涼しい内に畑の手入れを行うようで、その内容が――

「害虫の駆除?」

 と言う事らしい。

「うん、作物についた虫を取ったり、虫がつかないように薬を散布するんだよ」

「どんな薬を使ってるの?」

「お、食いつくと思ってたよ。と言っても、使ってるのはこれだよ」

 そう言って、ユーくんは担いでいる液体散布機の蓋を開けて中身を見せてきた。

 これは匂いから察するに――

「ん……酢と大蒜、あとは唐辛子と牛乳……を混ぜただけ? 効くの?」

 これは薬とは言えない。こんなものが害虫に対して効果があるのだろうか?

「正直微妙かな……ないよりは全然マシだけど」

「そうなんだ……天然成分に拘ってる?」

「うん、そうだね。人の口に入る物だし、あまり強い薬は使いたくないっておじさんが言ってたよ?」

 なるほど……どうやらこの畑の主にはそう言った拘りがあるらしい。

 私も物が違うとはいえ、人が口にする物を作る身だ。その想いは尊重したい。

「そう……どこのおじさん?」

 気になったので尋ねてみると、ユーくんはすごい勢いでこっちを見た。

「えっ?」

「……なに?」

「えぇ……」

 どうしたんだろう。ユーくんが信じられない物を見るような目で私を見つめて来る。照れる。

「えっとね。ナナちゃん、ここはおじさんの……ナナちゃんのお父さんの畑だよ……?」

 ほほぅ……なるほど。これがうちの畑だった、と。

「随分と立派になって……正直見違えた」

「誤魔化そうとしても無駄だからね! 完全に忘れてたよね!」

 怒られた。

「でも、こんなに青々としてた……?」

 私の知っている畑は、なんかお花がたくさん咲いていたはず。

「いや、畑って季節で移り変わるからね? ちょっと見てない間に様変わりするからね?」

「そうだったんだ……これが異文化交流……」

「いや、ここでは日常だからね? ここがナナちゃんの日常だからね?」

「私の知らない日常は日常じゃない」

「また屁理屈を……ちなみにここは、おじさんの畑の一つだよ。ほら、あっちの掘り起こされたところは昨日のうちに芋が収穫された畑だね」

「うん、昨日の晩御飯で食べた。美味しかった」

 それに、お芋は好物だ。一週間三食お芋でも私は一向に構わない。

 ……でも、ひと月以上はさすがに勘弁して欲しい。ほんのり切ない幼少期……。

「おじさんの作る芋は美味しいよね。四季芋って言われてて、年を通して食べられるし」

「うん」

 一時、文字通り年を通して食べていたから知っている。

「でも畑に出る害虫が、その美味しい芋が育つ邪魔をするんだよね」

 ユーくんが私に何をやらせたいのか把握した。

「つまり、害虫を絶滅させたら問題ない?」

 お芋に近づく悪い虫を悉く駆逐し、根絶やしにするだけの簡単なお仕事のようだ。

「絶滅って……そこまでしなくてもいいよ。要は害虫が作物に寄らないようにしたいんだよ」

 追い払うだけで良かったらしい。残念。

「だったら、作物に影響が無くて害虫が嫌気もしくは忌避するような薬があればいい?」

「うん、出来るかな?」

「出来る――と思う。でも、そう言う薬は作ったことない。だから検体の害虫が必要」

「それなら、ちょっと探せばたくさんいるよ――ほら、これが害虫」

 そう言うと、ユーくんは火ばさみを使って何かをつまみ上げた。

「これは……芋虫? 何かの幼虫?」

 緑色でうねうねと蠢くそれは、目や口と言った器官がなく、イボイボとした表面だった。

「これはイボ虫だよ。これが葉っぱにつくと葉の根元から茎に侵入してそのまま寄生するんだ」

 イボ虫と言うらしい。初めて見た。

「気持ち悪い……噛みつかない?」

「見た目はこうだけど、身体の表面から水分と栄養を吸収するだけだから、嚙みつくことはないよ」

「そう……とりあえず十匹くらい欲しい」

「はい、じゃあこれ。容れ物はこの袋を使ってね」

 火ばさみと袋を渡された。自分で捕獲しろと言う事らしい。

「……ユーくんは?」

「僕は既に寄生されている茎を切って回るから、ナナちゃんは葉っぱに付いた虫取りね?」

 役割分担と言う事か……仕方がない。

「ん、わかった」

 さっそく作業を開始する。

 畑の端から反対側に向かって生い茂る葉っぱを見ながらの移動――目が疲れる。

 緑、緑、緑、文字に起こすと全部同じだけど、葉っぱの表裏や茎で色が少し違う。

 でも、基本は緑。そして、肝心のイボ虫も緑……すごく見つけにくい。

「……あ、居た」

 でも、イボイボの見た目のおかげでなんとかわかる。

「……ん?」

 ふと、視界の端に違和感。

 葉っぱの付け根がやけに膨らんでいるような気がする。 

「ユーくん?」

 対面で作業に没頭しているユーくんに聞いてみよう。

「ん? どうかした?」

「これ、茎の所が変」

「えっと……? ああ、そうそう、これが寄生されている茎だよ」

「これがそうなんだ……」

 こんなの、ぱっと見じゃわからない。

「これは寄生されて間もない方だね。寄生されている時間が長くなるほど葉っぱが枯れた状態になっていくから、時間が経ったものは分かりやすいんだよ」

「それだと良い芋ができない?」

「うーん……そうだね。葉っぱが作った栄養と土から吸い上げた水分と栄養は殆どイボ虫が吸収しているから、そうなっちゃうのかな?」

「……お芋の為にも頑張るっ」

 そして、私は――


 ――少々頑張りすぎてしまったようだ。

「どうしよう……」

 ずっしりとした重みが右手に持った袋から伝わってくる。

 ついでにうぞうぞと言う微振動も伝わってくるのはご愛嬌。

 ……捕まえ過ぎた。

「ナナちゃん、おわっ……おぉぅ」

 ちょうど作業を終えたらしいユーくんがこっちに来ると同時に私の右手の袋を見て後ずさった。

「ユーくん……」

「ちょっ! 止まって!」

 近づこうとしたら手で制してきた。酷い。

「そのぱんぱんに膨れ上がった袋は、まさか……」

「捕まえ過ぎた……」

「うわ……と、とりあえずあっちに処理するための穴を掘ってあるから、そこに放とう」

「そうする……」


 ……ふう、酷い光景だった。

 イボ虫の処理は穴を掘ってそこにイボ虫を放し、土で埋めると言う方法だった。

 イボ虫は皮膚呼吸をする生き物なので、土に埋めると窒息死するそうだ。

 穴の中には私が捕まえたのとはまた別のイボ虫も投入されていた。

 ……正直思い出したくない。忘れよう。

 肝心のイボ虫の具体的な処理方法は、深めに掘った穴の中にイボ虫を投入したら大量の土をかけ、穴が埋まったら仕上げに木槌で叩いて穴の底のイボ虫を叩き潰す。

 イボ虫、窒息死する前に圧死してた……。

 でも、そうする事でイボ虫の養分が溶け込んで良い土になるそうだ。

 昔ながらの処理方法及び土作りの手法だと、お父さんが言ってた。


「いやあ、ナナリーが手伝ってくれるとは嬉しいね……」


 と、お父さんは喜んでいた。

 でも、ユーくんに「ついに貰ってくれるんだね……?」とか言うのは止めて欲しい。

 ユーくんの攻略は自分でやるから良いのだ。余計な口出しは不要だ。

「思ったより早く終わったね。ところでナナちゃん、さっきの仕事だけど、あれで何のスキルを習得できると思う?」

 ああ、また始まった。

 ユーくんは狩人になる事を避けるためにスキル習得に勤しんでいるけど、ここ最近はスキルを習得する悦びに目覚めたらしく、なにかにつけてはスキル談議を振ってくる。

「……虫を摘まむのが精密。寄生した虫を見つけるのが看破」

「え、あ、うん……正解です」

 それはそうだ。だって、お父さんも持ってるし、そのスキル。

「畑仕事はこれで終わり?」

「うん、今日の仕事はこれだけだよ。ちょっと早いけど、次の場所に向かおうか」

「ん、わかった」


 畑仕事を終えて次の場所へ向かう。

 この時間になると村の農家の人達が畑仕事を行う様がみられるようだ。

 少し離れた所からは鍛冶屋と大工の槌の音が競い合うように、カンコンと言う音が響いてくる。

 そして、パンの焼ける良い匂いもどこからか漂ってきた。

「……お腹空いた」

 ……お腹が鳴った。

 私は別に大食いと言うわけではない。普段はむしろ少食だ。

 身体を動かしたのもあるけど、時間的に仕方がない。

「食べ盛りだもんね。僕もお腹空いたから、次の仕事場に着いたら何か食べようか」

「次の場所はどこ?」

「次は鍛冶屋兼パン屋だね」

 鍛冶屋兼と言うのが気になるが――

「パン屋さんなんかあった……?」

 私の記憶の中では村にパン屋さんはなかったはずだ。

 基本、パンのような主食は各家庭で作っているから、あまり需要はなさそうだけど経営は成り立っているのだろうか?

「最近できたんだよ。ちょっとしたおやつとか軽食に向いたパンがあって面白いんだよ?」

「へぇ……ユーくんのサンドイッチとどっちが美味しい?」

「いや、流石に本職には敵わないからね?」

 なるほど。それは期待できそうだ。

「ほら、あそこだよ。鍛冶屋は覚えてるよね?」

「うん」

 覚えている。確か、偏屈なお爺さんが職人兼経営者だったはず。

 あのお爺さん、まだ生きてるんだろうか?

「スミスさん、未だに現役で金槌を振ってるけど、最近は御弟子さんが付いたんだよ」

「それは以外……誰?」

「街の方から来た人だってさ。ほら、スミスさんって昔は有名な鍛冶職人だったって自慢してたでしょ?」

「それは覚えてる」

 そして、何かで揉めて街を追放されて、この村に流れ着いてから村の娘と結婚して永住を決めたと言っていた。正直興味がなかったので、それ以外はあまり覚えてない。

「で、その御弟子さんの奥さんがスミスさんのひ孫で、パン屋の店主なんだ」

「スミスさんのひ孫……誰?」

 ユーくんに尋ねると、背後から声が飛んできた。

「誰だと思う?」

「っ!」

 どこか懐かしい声に振り返ると、そこに居たのは――

「やっほー、ナナリー。久しぶりね?」

「……誰?」

 知らない女だった。

「酷い! おしめを替えたことだってあるのに!」

「おしめ……? あっ、ニア姉?」

 ほんのりと思い出した。確かに年上の姉みたいな人がいた。

 名前がニーアで、私はニア姉って呼んでいた。

「もうっ! 覚えてるじゃないの!」

「すっかり忘れてた……でも、ニア姉って冒険者じゃなかった?」

 かなり前に冒険者になるって言って村を飛び出していたはずだ。

「転職したの。ハイリスクハイリターンな人生なんてなかったのよ……」

「なるほど。出戻り」

 冒険者業界は世知辛いそうだから仕方がない。

「はぅっ、事実だけに言い返せない……」

「ところでニア姉」

「ん? なあに?」

 私は久しぶりに目にするニア姉の全体像を見て思ったことを尋ねた。

「……太った?」

「へ? あー、違う違う。これは赤ちゃん。妊娠したのよ」

 いや、それくらいはわかる。私だって女なのだから。

「え、でも頬っぺたとか、かなりふっくら」

 それでもなお、記憶のニア姉より明らかに太っていた。

「……そうよ太ったわよこんちくしょう! でも仕方がないじゃない! 赤ちゃんがお腹にいるとお腹が空くの! っていうかお腹が膨れても身体が空腹を訴えてくんのよ!」

 ようやく認めたようだ。現実逃避は良くない。

「ニア姉、カリカリするのは胎児に良くない」

「あ、うん、そうね……」

 別に、妊婦が太るのは母子共に健康な証だから気にすることではないと思う。

 とは言え、ぶくぶくと太った身体が気になる乙女心はよくわかる。

「太ってるのが気になるなら、私が栄養剤を作る。必要な栄養が取れていたら食べ過ぎることもない」

「なにそれ助かる! 本当にいいのっ?」

「前からそういう相談が多いってお母さんが言ってたから、ちょうど良かった」

「……ん? あれ、なぁんか雲行きが怪しいぞぉ?」

 さすが元冒険者。察しが良い。

「ニア姉、実験台になってくれる? 大丈夫、健康上の被害は出ない。出てもニア姉がデブるだけ」

「被害出てるから! むしろそれが一番嫌なんだけどっ!」

「ニーアさん、大丈夫ですよ。ナナちゃんは村一番の薬師ですから」

「あー、それね。私、それが未だに信じられないんだけど……」

 失礼な。

「だったら別にいい。ニア姉はそのまま太り続けるだけ」

「ごめんごめん! 嘘だから! お願いだから見捨てないで! あと悪阻もキツイのでそれもどうにかしてください!」

 悪阻……あれは個人差による程度が大きいから難しい。

「……悪阻は緩和する程度しかできない」

「それで十分であります!」

 私がそう言った薬の作成に詳しいのには訳がある。

 それはいずれ私がユーくんの子供を産む時の為と言うのもあるが、都から離れた村で暮らしている女性にとって、子供を産むというのは大仕事であり死活問題だ。

 それは妊娠後に限らず、妊娠前から計画的に進めないと最悪命を落とす羽目になる。

 仕込む時期を間違うと、真冬の豪雪によって産婆の助けも借りられない状態で産む羽目になる。

 そうなると、最悪母子ともに死亡と言う事態になる可能性もあるのだ。

 とは言え子供は授かり物なので、どうしようもない部分はある。

 それを解決するのが私の作った薬だ。

 その薬は女性の月経を抑制し、遅らせる作用がある。

 具体的な用法は男性といたす前に服用しておくことで妊娠する確率を大きく下げることが可能だ。

 注意点としては月経が終わった直後や始まってしまったあとでは意味がないと言うこと。

 あくまでも月経が始まる前に服用しなければならない。

 この薬を利用するようになってからは、冬場の無茶な出産が目に見えて減った。

 薬ができるまでは産婆のオババが雪の中で遭難しかけたりと色々大変だったそうで、オババにはすごく感謝された。

 ちなみにその翌年には男性側の性欲を抑制する薬を作ってみたところ、こちらの方が飛ぶように売れるようになった。本当に男はどうしようもない。と言うのは各家庭の奥様方。

 それぞれ旦那に内緒で購入して、食事にこっそり混ぜているそうだ。

 効果は単純で、服用すると数日は機能しなくなると言う物だ。

 さらに翌年にはそう言う部分で衰えを感じたらしい村の男性陣からお父さんに相談があったそうだけど、性欲増強剤の類は表向きは作れないことにしている。薬が原因だし。必要はない。

「……ユーくんは性欲薄い方?」

「いきなり何聞いてるのさ! 暑過ぎて頭がわいてるのかなっ?」

「個人的には人並みが良い……」

「そうね。そう言うのは人並みが良いわ。性欲旺盛だと疲れるのよね……」

「そう言う話は僕の居ない所でしてよ!」

「あらぁ、ユーくんもそう言う事に興味持つようになったのねぇ?」

「よく私のおっぱい見てる」

「み、見てないし! ほ、ほら、お腹空いたって言ってたよね! こっちにパン屋があるから何か買って食べよう!」

 ああ、そう言えばそうだった。

「ん、食べる」

 さっきからいい匂いもするし、早く食べたい。

「あら、それならそうと言ってくれたら良かったのに」

 ユーくんの後について鍛冶屋の裏にあるパン屋の店舗へ向かった。

 パン屋は随分と盛況なようで、冒険者や商人と思われる人達が多種多様なパンを物色していた。

「おぉ……いろんなパンがある」

「どのパンも値段は一緒だから、好きなのを選ぶと良いよ」

 商品の価格が全部一緒だと、買う側も売る側も会計が楽そうだ。

 そうなると、原価が気になってくる。

「どれが原価的に一番お得?」

「うーん、それはちょっと言えないわねぇ」

「ナナちゃん……」

「ちょっと気になっただけ、他意はない」

「あー、ナナリーの所は薬屋だものね」

「うん、私が作った薬の価格付けで困ってる」

 自分で言うのもなんだが、私の作る薬は有用性と効能が高い物が多い。ついでに材料も高い。

 そして、作れる者が私しかいないというのも問題になっている。

「そう言えばサラさんも言ってたわね……。まあ、今はパンを召し上がれ?」

「ん、そうする」

 そのことに関してはもうほとんど諦めているし、一時問題になったこともあったが、後ろ盾を得てからは大分気楽ではある。

 ついでに、しばらくはユーくんによる日常復帰への手助けという大義名分を得ているから、何も心配はいらないのだ。

 と言うわけで、今は目の前の美味しそうなパンを物色させてもらうとしよう。

 ……それにしても、どのパンも名前も見た目も知らないものばかりだ。

 これが噂の異世界パンと言う物だろうか?

「ニア姉、おすすめは?」

「そりゃもう、全部ね!」

「全部は無理、食べきれない……」

 ダメだ。この人は参考にならない。

「いや、なんで勧められた物を全部食べようとするのさ……」

 ああ、そうだ。ユーくんが居た。

「ユーくん、私好みのパンは?」

 私の好みを把握しているユーくんなら最適解を導き出してくれるはずだ。

「え? うーん、そうだなぁ……ナナちゃん好みの味なら、このポテサラパンかな? 角切りハムと

野菜がたっぷり入った芋のサラダがパンの中に入ってるんだよね」

「それにする。あと二個」

「三個も食べるんだ……じゃあ、このコロッケサンドかな? コロッケって言う芋の揚げ物をパンで挟んであるんだ。コロッケにかかってるソースが絶品で、パンによく合うんだ」

「それも食べる。あと一個」

「うーん……」

「……ユーくん、芋に拘らなくてもいい」

 むしろ三つとも芋だと重い。

「あ、うん。それじゃあ、このホットドッグって言うのはどう? 大きいソーセージをこういう変わった形のパンで挟んでいる物なんだけど、ナナちゃんソーセージ好きだよね?」

 確かにソーセージも好物だけど、そうじゃない。

「好きだけど、もう少し控えめなのが良い」

「軽めのが良いのかな? だったら果物のパイはどう? パイって言うのはサクサクした生地のお菓子なんだよ」

 パイ……そう言うのもあるのか。初めて聞く名前の食べ物だ。

「パンとは違うの?」

「分量が違うだけで材料は殆ど同じよ? 生地に酵母を使ってないから、食感は軽いわね」

「じゃあ、それにする」

「はい、三つで銅貨六枚ね」

「一つ辺り銅貨二枚……?」

 安過ぎやしないだろうか?

「心配は無用よ?」

 どうやら大丈夫らしい。

「僕はこれをお願いします」

「はいはい、銅貨三枚ねー。仕事まで時間あるから、奥で食べててね」

「わかりました」

 パンを受け取り、ユーくんと共に店の奥へ向かった。

 店の奥はパンを作る場所になっているようで、パン作りに使うと思われる器具や材料がたくさん置いてある。

「ユーくんは何にしたの?」

「僕のはカレーパン、ピザトースト、焼きそばパンの三つだよ」

 どれも聞いたことも見たこともないパンだった。

「美味しそう」

「うん、すごく美味しいよ。僕も何度か食べたけど、どのパンもハズレなしだね」

「それは期待」

 さっそく食べてみよう。まずはポテサラパンとやらだ。

 ポテサラ……芋のサラダのことらしいけど、ポテはなに……?

 そう言えば、異世界人の冒険者が芋のことをポテトと呼んでいたような気がする。

 まあ、それはさておき一口。

「あむっ……ん、美味しい」

 柔らかくてほんのり甘いパンの中には程よく潰された芋のほくほくとした触感、シャクシャクとした歯ごたえの失われていない玉葱等の野菜、弾力のある歯ごたえで噛みしめるたびに旨味を滲ませる角切りハムの味わいが混然一体となって口の中に広がる……っ!

 それを一言で言うと、美味しい。

 その前の感想は異世界人の言い方を参考にしてみたけど、これはない。

 くどい感想など不要。私は美食家じゃない。料理は美味しければいいのだ。

「ん、これ、マヨネーズ入ってる?」

 マヨネーズ……過去に異世界人がもたらした魔法の調味料。作り方は卵黄に塩、油、酢を混ぜるだけというシンプルなもの。

 生の卵を使うという大胆過ぎる発想が当時にはなく、レシピが広まった当初は食中毒が多発していたそうだ。原因は当然、卵である。

 養鶏場の衛生面が整っていない環境で生産された卵の生食は本当に危険なのだ。

 ちなみにこの村は生卵が大好きな口うるさい年寄りがいるので、その辺りはきちんとしている。

 養鶏場のおばさんは金が掛かるから勘弁して欲しいと当初は言っていたけど、今では高級卵として売り出せる様になり、かえって生活が楽になったと喜んでいる。

「うん、やっぱり芋にはマヨネーズだよね」

「バターも美味しい。けど芋のサラダにはマヨネーズ」

「バターは熱々の芋にのせて食べると美味しいんだよね」

「うん……秋になったら焼き芋したい」

 秋の四季芋は糖度が高いようで、甘くて美味しい。

 火を通すとさらに甘みが増すのも特徴だ。

「あ、それいいね。やろうか?」

「うん」

「食べ物を食べながら食べ物の話って……色気がないわねぇ」

 通りすがりのニア姉が何か言ってたが、私達の間に色気はいらない。

 それより、さっきから芳しい香りが気になってしょうがない。

「ユーくんのも一口ちょうだい?」

「うん、口付けちゃったけど、それでよければいいよ?」

「ん、平気」

 ユーくんが今食べているのはカレーパンと言う物だ。

 カレーと言えば香辛料をふんだんに使った贅沢な料理だけど、何処から調達しているのだろう?

 香辛料は薬剤にも使用できるので非常に気になるところだが、恐らく冒険者をやっていた時の伝手か何かだろう。

「あーん」

 私は口を開けてカレーパン待ちの姿勢に入った。

「え、僕が食べさせるの?」

「だって、私もパン持って……ああ、なるほど。はい、ユーくんも、あーん」

 私は自分が持っていた食べかけのポテサラパンをユーくんの口元へもっていった。

「一旦置くって言う発想はどこへ……?」

 そんな物は端からない。

 戸惑いながらもパンを差し出してくるユーくんはやっぱりユーくんだ。

「あむっ……んっ、はむっ」

 うん、これも美味しい。香辛料の食欲をそそる風味がする。

「ちょっ! 二口行ったね! 僕も二口貰うからっ!」

 思いのほかカレーパンが美味しくてつい二口食べてしまうと、ユーくんも負けじと私のポテサラパンに食らいついてきた。

「うーん、仲睦まじいけど、まるで兄妹……まだ子供だものねぇ」

 また通りすがりのニア姉が何か言ってった。

 私の方がユーくんよりも若干年上だけど、なんか逆のことを言われたような気がする。


 軽めの食事を済ませると、仕事の時間と言う事でニア姉がやってきた。

「じゃあ、今日もお願いね?」

「はい」

「何をするの?」

「ナナリーは初めてだったわね。まあ、簡単に言っちゃうと粘土遊びのような物よ」

「粘度遊び……?」

 パン屋で粘土遊びとはどういう事だろう?

「パン生地を練るんだよ。材料を混ぜ合わせて捏ねる作業は力がいるからね」

「ああ、なるほど」

「本当は自分でやりたいんだけど、お腹がこの通りでね?」

「お腹が台につっかえる」

「そうそう、つっかえちゃって……じゃなくて、妊婦が力むのはまずいでしょ? まあ、つっかえもするけど……栄養剤、ほんとお願いね?」

「ん、それは任された。それで、パン生地は何を使うの?」

「それはちゃんと指示するから、今から言われる材料と分量を守って手順通りに作業してもらえる?」

「わかった」

 そして、初めてのパン作りが始まった。


 ――なるほど、パン作りとは、運動だったのか……。

「ユーくん、後は、任せ……ぃたっ!」

 ニア姉にお尻を叩かれた。酷い。

「ほら、サボらないの。あんたのサボり癖は治んないわねぇ……」

「病気みたいに言わないで欲しい。それより、この生地を捏ねる作業キツイ……腕が痛い」

 普段使わない筋肉を使うせいか、腕がぷるぷるする。

「コツがあるのよ。脇を絞めて体重を使うの」

「ん、こう? あ、少し楽になった」

 言われた通りにしたら腕の負担がほとんどなくなった。

 この作業は腕力じゃなくて体重で捏ねるのが正解らしい。

「そうそう、騎乗位も似たような感じだから、ここでモノにしていきなさい?」

 にやにやとイヤらしい笑みを浮かべながら言うニア姉。

 騎乗位と言うと、あの騎乗位だろうか?

「ほう、詳しく」

 そう言う技術はまだお母さんが教えてくれないから興味がある。

「聞かなくていいからね! ナナちゃんにはそう言うのは早いから!」

 話を聞いていたらしいユーくんが邪魔してきた。

 ユーくんの為でもあるんだから、邪魔しないで欲しい。

「あら、私の初体験はナナリーより早かったわよ?」

「えっ!」

 ユーくん、驚き過ぎ……。

「ユーくん、ニア姉が私より早いのは当たり前。先に成人してるから」

 ちょっとした言葉遊びのつもりだったのだろうけど、流石に悪趣味だ。

 そう言う行為は基本的に成人するまで禁止なのが村の掟だ。

 破ってしまったら良くて村八分。最悪、着の身着のままで追い出されてしまう。

 例外としては双方の両親の合意があった場合は許される。

 ちなみにユーくんと私の場合は両家の両親の合意があるため、少なくとも私の方はいつでも受け入れる準備はできている。早く堕ちて欲しい物だ。

「え、あ、ああ、そうだよね! びっくりしたぁ……」

「いやぁ、やっぱりユーくんをからかうのは楽しいわねぇ」

「ニア姉、ユーくんはちょうど多感な時期だから、そう言うのは良くない」

「そしてあんたは全く動揺しないわね。お姉さん、ちょっと心配よ?」

「正直、そう言うのはまだよくわからない」

「あー、まだお子ちゃまなわけね……」

 言い方はともかく、その通りだ。

 身体こそほとんど大人だけど、私はまだ何も知らない子供だ。

「うん、私はまだ子供……ニア姉、これくらいでいい?」

「どれどれ? うん、イイ具合にまとまって来たわね。じゃあ次は、これを畳んで潰しての繰り返しを程よい弾力が出るまで続けてね?」

「……まだ終わらない?」

「美味しいパンを作る為よ?」

「美味しいのには訳がある……」

 パン作りは重労働……美味しいの陰にはこんなにも過酷な労働があった。


「――ニア姉、出来た」

 パン生地を畳んで潰す作業を何度も繰り返していくと、なかなかの弾力感が出てきた。

「はい、じゃあ次は叩く作業ねー。とりあえず百回ね?」

「えっ」

 無慈悲に告げられる次工程。

 パン生地作り、それは料理と言う名の肉体労働だと、私は悟った。


 無心になってパン生地を台に叩きつけること百回、パン生地は捏ねていた時から大分変貌を遂げ、良く粘り、良く伸び、良い弾力を持った生地へと仕上がっていた。

 表面もつるつるのてかてかになっていて美しく、手触りも滑らかだ。心なしか愛おしくも感じる。

「ニア姉……終わった……」

 とても疲れた……パン屋は大変。私覚えた。

「お、出来た? どれどれ――うん、これくらい捏ねたら十分ね。あとはこの生地を寝かせて、膨らんだのがこれね」

 と、私が捏ねた生地が入った物とは別の入れ物を持って来た。

 そこには大きく膨らんだ別のパン生地が入っていた。

 私の捏ねた生地もこうなるのだろうか?

「こんなに膨らむんだ」

「そうよ。この状態の生地には酵母の発酵によるガスがたくさん含まれているから、もう一度捏ねてガス抜きをするの」

 と、ニア姉が膨らんだ生地を軽く押すと、フシューと空気の抜ける音がした。

「おぉ……パンの匂いがする」

「お腹壊すから、食べちゃダメよ?」

「ん、生麦は消化に悪い」

「そうなのよね。冒険者時代はそれを知らなくてねぇ……そりゃもう酷い目に遭ったわ」

 どうやらお腹を壊したことがあるらしい。

「確か。最近制定された冒険者の三大生食禁止品目でしたよね?」

「そうそう、生麦生米生卵ってね」

 ちなみに、それらが生食禁止なのは衛生的な問題の方が大きい。

 特に麦と米は寄生虫が怖いそうで、過去には死人が出たこともあるそうだ。

 それにしても、今のニア姉の言葉が面白かった。

「生麦生米生卵……面白い響き」

「異世界人の呟きが元だそうよ?」

「そう言うのけっこうありますよね。異世界人の言葉とか」

「あの人達、時々面白いこと言うのよねぇ。基本的には妄言が多いんだけど」

 わかる。よくわからない言葉を言ったり、突拍子もない行動をとる。それが異世界人。

 でも、出来る事なら関わりたくない種類の人類だ。

「――ニア姉、空気抜けた」

 それはそうと、パン生地の空気が抜けた。

「お、出来た? じゃあ、後は形を整えて焼くだけね」

「どんな形にする?」

「この生地はロールパンにしましょう」

「丸くするだけじゃだめ?」

「それでもいいんだけど、パン生地は層を作って焼いた方が美味しくなるのよ」

「なるほど……」

「で、ロールパンだけど。空気を抜いた生地を棒状に伸ばして程よい大きさに切ってくれる? だいたいこぶし大でいいわよ?」

「ん……こんな感じ?」

「そうそう。で、切った生地をさらにこうやって伸ばして丸めて――はい、出来た」

「おぉ、見たことある形」

「でしょ? これを焼くと、うちの人気商品の一つであるロールパンの完成ね。じゃ、やってみてくれる?」

「わかった」

 まずは生地を程よい大きさに切り、それを伸ばして丸めて――

「出来た」

 やればできるものだ。

 この作業は私に向いているのかもしれない。

「そうそう、いい感じよ? 大きさに注意して、出来るだけ揃えて作ってね?」

「ん、大丈夫」

 分量が大事なのは薬も食べ物も一緒だ。

 多くても少なくてもダメ。適量こそが最良なのだ。

「へえ、上手いもんねぇ。下地があるとやっぱり違うのかしら?」

 それは大いにあると思う。

「だと思う。分量を量るのは得意」

「ナナリーならパン屋でもやっていけそうね。いずれユーくんと一緒にどう?」

 それも悪くない。でも……。

「私は薬屋を継ぐ」

 むしろ、薬屋以上に私に向いている仕事はないと思う。

「あら、残念。ユーくんは?」

「いや、さすがにパン屋でやっていけるほどじゃないですよ」

 そう言いつつも要領よくパンを仕上げているユーくんは、本当に何を目指しているのだろう。

「ユーくんもダメかぁ」

「自分の子供に継がせたらいい」

「それも悪くないんだけど、生まれるまでは何ともね」

 この世界では子供の職業は生まれるまでわからない。

 それを称して異世界人がガチャとか呼んでいたが……きっといい意味ではないはず。

 ちなみに異世界では努力次第で自由な職業に就けるそうだ。羨ましい。

「……ニア姉は、自分の子供が凄い職業だったら、どうするの?」

 そのことで家出までしたニア姉は、どう思っているんだろう?

「んー、答えにくいことを聞くわねぇ……」

「じゃあ聞き方を変える。普通の子供が良い? それとも、勇者みたいな子供が良い?」

「まあ、断然普通よね」

 即答だった。

 うちのお母さんと一緒だ。

「……ニア姉は勇者になりたかったって聞いた」

 ニア姉は職業がパン職人として生まれたけど、それを良しとせず勇者を目指して村を出た。

 それがこうして、今は村に戻ってパン屋を開いている。それがどうしても気になった。

「まあ、私はね? でも、それを自分の子供に望みたくはないわね。子供が大きくなってからどう思うかは、この子次第だし、私と同じように別の職業を目指すって言うなら止めるつもりもないわ」

「なるほど……」

 将来の参考にしよう。

「あ、そう言えばニーアさんって勇者様に会ったことがあるんですよね?」

「そうなの?」

 それは初耳。と言うか、ニア姉が村を出てからのことは全く知らない。

「ん? まあ、会ったというか――一発ぶん殴ってやったわね」

「えっ」

「すごい。ニア姉、勇者を倒した女」

「別に倒しちゃいないけど、ホントムカつく奴だったわねっ」

「え、勇者様ってそんなに酷い人だったんですか?」

「んー、私もあまり詳しくないし、ちょっと複雑な話だから敢えて簡単に言っちゃうけど、今の世界って、思ったより勇者がたくさんいるのよね。だいたい一国につき三人以上は居るみたい」

「えぇ……」

「世界に一人だと思ってた」

「私もそう思ってたわ。で、私がぶん殴った勇者ってのがこっち生まれの純粋な勇者じゃなくて異世界から召喚された勇者でね?」

「あ、聞いたことがあります。各国の王家に伝わっている異世界召喚魔法ですよね?」

「ユーくん、知っているの?」

「名前だけはね。ほら、結構前に村に来てゴブリンに殺されたおじさんも、そうやってこっちに来たって言ってたよ?」

「……? あぁ、ギルドのミスで死んだおじさん?」

 そう言えばそんな冒険者のおじさんがいた気がする。

「そうそう」

「ああ、あのおじさんね。私が村を出て街に行った頃は元気そうにしてたわよ? その後は知らないけど」

「あ、ちゃんと蘇らせてもらってたんですね」

「蘇生魔法はすごい」

 そして、一度見てみたい魔法でもある。

 なぜなら私の生涯の目標の一つが蘇生薬の開発だからだ。

「でも、あれってすごいお金かかるのよね」

「使い手が限られていて、一日に一回しか使えないんでしたっけ?」

「ええ、おまけに失敗する場合もあるのよ。まあ、ただの村人には、ほとんど無縁の物よね」

「そう?」

 村人の生活は割と死と隣り合わせな部分があると思う。

「いや、経済的な意味でね?」

「……確かに」

 失念してた。村人の一般的な収益では蘇生料なんて、とても払える額じゃなかった。

「まあ、私達はそんな物は最初からない物として生活してるんだし、問題ないでしょ」

「そうですね。死んだら終わりですもんね……」

 死んだら終わり……自分で言って、自分で落ち込むユーくんが居た。

 たぶん、少し年上の村の狩人が死んだ時のことを思い出したのだと思う。

「あー、そういや、ロニ君が死んだんだっけ? あの子はいつか死ぬとは思ってたけど……」

「え、な、なんでですか?」

「そうねぇ……一言で言うと向いてなかったのよ。大人は皆、やめておけって言ったのにね」

 その話は聞いたことがある。

 彼は村人でありながら強力な戦闘系のスキルを持っていた。それなのに大人達は皆、狩人になる事を反対したのだと、彼自身から聞いたらしいユーくんが語っていた。

「それはロニさんも言ってたけど……いったい何が?」

「それはね。皆には有る物が彼には無かったから、かしらね。あの子は生まれる時と場所次第では英雄とか呼ばれてたと思うわよ?」

 アレが英雄……? どう考えても向こう見ずの馬鹿丸出しだったアレが?

「えぇ……?」

 さすがにそれは言い過ぎだとばかりにユーくんも困惑している様子だ。

「まあ、ユーくん達は知らなくてもいい事よ。成人までしっかりと考えて行動して、自分の道は自分で決めなさい?」

「は、はいっ」

「もちろん、ナナリーもね?」

 それは言われずともだ。

「ん、ユーくんと色々やってみる」

「それとね――」

 と、ニア姉は私の傍に来て、耳元で囁くように言った。

「――そろそろ自分の気持ちに素直にならなきゃダメよ?」

 失礼な。私は何時だって素直だ。そう思いはしたものの……。

「――」

 ……なぜか、何も言い返せなかった。


 パン屋での仕事を無事に終えるとちょうどお昼の時間だったようで、店舗の方は客で埋め尽くされていた。本当に人気のようだ。

「はい、お昼ごはんね」

 と、ニア姉に渡されたのは、私達が焼いたパンだった。

「なるほど……」

 ユーくんが言ってた自分達で作るというのは、こういう事か。

「それじゃあ、ニーアさん、また明日来ます」

「ええ、二人とも、明日もよろしくねー」

 ニア姉に見送られて、次の場所へと向かう。

「明日もパン作り?」

「そうだね。ただ、時間は朝早くだよ?」

「朝の仕込み……大変そう」

「それもあるけど、朝は材料の搬入作業があるんだよ。パンの材料の大半はこの村で仕入れてるからね」

「ああ、だからあの値段……なるほど」

 現地調達なら、税がかからない分を安くできる。

 希少な材料は商人頼りの薬屋ではやりにくい方法だ。

「……いや、自家栽培と言う方法も……?」

「ナナちゃん?」

「ん、何でもない」

 まあ、その辺りは追々考えて行こう。

「それより、お昼ご飯はどこで食べる?」

「次の場所で食べよう。今度は大した肉体労働にはならないから、そんなに警戒しなくていいよ?」

「う……」

 正直、警戒してた。

 朝から運動と肉体労働を立て続けにやってきて、さらに肉体労働となると心が挫けてしまいそうだった。

「次はナナちゃんも良く知ってる場所だよ?」

「私もよく知ってる場所?」

 どこだろう。

 自分の住む村なのに私の知らない場所があるというのも妙な話だけど、私が引き籠っていた三年間で村も大分様変わりしているようだ。特にパン屋がいい例だ。

 今向かっている方向には、確か村長の家があったはず。

「村長ってまだ生きてる?」

 私の記憶の中の村長はヨボヨボのお爺さんだったけど、まだ生きているんだろうか?

「あー、うん、生きてるよ。見ててハラハラするけど。寄ってく?」

「いい」

 次の場所は村長の家ではなかった。てっきり老人介護でもやる物かと思ってた。

 となると……学校? でも、学校で何をするんだろう?

「次は学校で子守?」

「あれ、もうわかっちゃった? そう、次は学校で幼年組のお守りだよ。僕達も小さい頃に面倒見てもらったでしょ?」

「うん、覚えてる」

 私達の時に面倒を見てくれたのはニア姉達だった。

 この村では子供達の教育と子守を兼ねて三歳以上の子供を預けられる学校がある。

 学校へ預けられるのは三歳以上十歳未満の子供達が対象で、三歳から五歳までの子供が幼年組、六歳から九歳までの子供が年少組と言う扱いになっている。

 ちなみに、十歳以上の子供は今の私達のように村の各所で大人の手伝いをしながらスキルやアーツの習得に励んでいる。

 そして、その手伝いの中に年少組の面倒を見る事も含まれていたようだ。

「子供のお世話なら簡単」

「あはは……ナナちゃんにはそうだろうね」


 ――うん、やっぱり子供のお世話は楽だ。

 周囲が言うには、かなり大変だそうだけど、私にとっては楽な仕事である。

 なにしろ、食事を終えた私達が幼年組の教室に現れた時の反応がこれである。

「ひぃっ! ナナリーねえちゃんだ!」

「にがいおくすりのまされる!」

 このように、村の子供達の大半には私(=薬)に対する恐怖が擦り込まれているので、上下関係がはっきりしていた。

「良薬は口に苦し。でも、いい子にしてたら次のお薬は甘くしてあげる」

「はーい、わたしいいこにしてるよ?」

「わたしもー」

 今ではすっかりみんないい子で助かる。

 毎年、季節の変わり目などで風邪をひく子供は多いので、私の作る薬の世話になっていない子はいない。

 風邪の特効薬はないけど、子供用の風邪薬と言うのも三年前までは存在しなかった。

 それまでは大人用の物を薄めたりして与えていたのだけど、効き目がいまいちと言う事でお母さんと一緒に色々と調べた結果、大人と子供では必要とする成分の種類や量が根本的に違うということが分かったので、それ以降は子供用の薬が調合されるようになった。

 そして、それは私が初めて完成させた薬でもあり、一番作り慣れた物でもある。

 そんな経緯もあって味の調節も思いのままなので、悪い子には特別に苦いお薬を調合して与えることを親御さん達からの要望もあって行っていたら、いつの間にかこうなっていた。

「だから私は悪くない」

 一部の子供達に平伏され、また一部からは懐かれる私を見て引いていたユーくんに私は言った。

「いや、知ってるけど……すごいね」

 雑草ジュースと言う体で実験体の一人になっていたユーくんは昔を想起されてか、冷や汗をかいていた。おかげでいいデータが取れて、あの時は本当に助かった。

「ユーくんも功労者」

「え、何のこと?」

 おっと、これは秘密だった。

「それより、なにするの?」

「あ、うん。今日は読み聞かせをしようと思って本を持って来たんだ」

「読み聞かせ? 何のお話?」

「ナナちゃんも読むんだからね? それじゃあ、みんな、読んで欲しい本を多数決で決めよう」

「「「「「はーい!」」」」」

 すごい、統制が取れている。

 私の恐怖政治と違ってユーくんの治世の下では上手く行っているらしい。

 さすがユーくん、その調子で私のことも治めて欲しい。

 どうやら読み聞かせの内容は男女によって傾向があるらしく、男の子は英雄譚や冒険活劇、女の子はお姫様が出てくるような恋愛要素を含んだ童話が多い。

 そして、今回はあらかじめ意見を統一させて徒党を組んで来たらしい女の子達が完全勝利したようだった。幼くてもさすがは女子、群れでの行動は男子の上を行く。

「ずるい!」

「ひきょうだぞ!」

 男の子達が文句を言っているが、これは完全に女の子達の作戦勝ちだろう。

「ま、まあ、次があるからね?」

 勝負のつき方に若干引いてたユーくんが男の子達をなだめていた。

「おねえちゃん、これー」

「よんでぇ?」

 と、勝者側の女の子達は私の方へやってきて、一冊の本を差し出した。

 さて、一体何の本を――

「……ユーくん、これはちょっと無理」

「え、無理って何が……へあっ! な、なんでこの本がぁっ!」

 女子達が持って来たのは、とある教本。その内容が――

「さすがに性教育は早い過ぎる」

 かなり詳しく書いている上に写実的な挿絵付きであまりに刺激が強すぎた結果、読むのを断念した奴だった。

「さすがのナナちゃんもちょっと動揺してるねっ! って言うか、この本は何処から持って来たのさ!」

「さっきせんせーがおいてったー」

「マリアせんせーがナナリーお姉ちゃんに読んでもらいなさいってゆってたのー」

「先生がっ?」

 ……なるほど、あの女か。

 その女こそがこの村の教師の一人で、通称を淫乱人妻女教師。マリアと言う伝承の聖女と同じ名前を持ちながら、最期の時まで清らかな乙女を貫いた彼女とは正反対の行動ばかりする女である。

「あのロリババア……」

 しかも見た目は幼女で振る舞いは一見すると淑女なのに、このような悪戯をよくやらかすから始末に負えない。あれはきっと幼女の皮を被ったサキュバスだと私は睨んでいる。

「ナナちゃん! 落ち着いて!」

 私が久しぶりにキレそうになっていると、何処からともなく騒音じみた足音が近づいて来て、教室のドアが勢い良く開いた。

「その読み聞かせ! 待ってください!」

 やってきたのは、あの女の娘だった。

「あれ、セリアちゃん?」

 名前は今ユーくんが言った通り、セリアと言う。

 あの母親に顔立ちは似ているが、身長や肌の色はオーガそっくりな父親の方に似たのか、子供の中では村一番の長身と浅黒い肌の持ち主で、何というか――

「ふあああああああああああああっ! ゆゆゆ、ユーグさんっ? なんでここにっ!」

 とにかく騒がしい子である。

「私達はお仕事。そう言うセリアは?」

 それにしても久しぶりに見たセリアはまた大きくなっていた。身長が。

 そして身体つきも大分女性らしくなっていた。羨ましい。

「え、あ……? ナナリーさん? うわぁっ、お久しぶりです! 私はちょっとここに有害図書を回収し、にっ……ぎゃああああああああああああっ! そ、それ! それです! ユーグさん、それを今すぐこちらへ!」

「あ、ああ、うん」

「ちょぉっとまったああああああああああああっ!」

 また一人来た。今度は窓から入ってきた。

「ユーグ! それをこっちに寄越せ! そいつに渡したら、その貴重な本が燃やされる!」

 今度は息子の方だった。こっちの名前はライナス。ただのロリコンだ。それ以上でもそれ以下でもない。あと騒がしいのはこの兄妹唯一の共通点だと思う。

 そして、二人とも私達の幼馴染だったりする。

「えっと、どうしたらいいかな?」

 こっちに振らないで欲しい。

 個人的には有用な書物だし、文章を見た限りでは清く正しい性行為の方法が書かれてあったから、性教育的な意味ではあった方が良いとは思う。

 しかし私は自分用にその書物を所持しているから、別に問題は――

「……待って、その本をよく見せて欲しい」

「う、うん」

 渡された本をぺらりとめくった結果――私の本だった。手製の栞が挟まってるのが証拠だ。

 いや、なぜここに? これはユーくんの部屋に隠していたはずなのに。

「……とりあえずこの本は、私が責任を持って預かる」

「え」

「ま、待ってください! それは私がっ!」

「駄目だ! それには俺の未来がかかってんだ!」

 どういう未来だ。

 とりあえず、ロリコンにだけは渡してはいけない。

 この本にはそう言う種族とのいたし方が人族視点で懇切丁寧に書かれているから絶対にダメだ。

 村から犯罪者が出る恐れがある。それは村の為にも避けるべき。

 セリアもダメだ。この子は脳筋だから問答無用で燃やされる。

 となると――

「ユーくん、後はよろしく」

 そう言うと、私はユーくんに向かって本を投げ渡した。

「え、ちょっ、なんでえええええええっ!」

 本を受け取ったユーくんは律儀に逃走を開始してくれた。

「ユーグさあああああああああん!」

「それを寄越せええええええええ!」

 騒がしい二人を引き連れて教室を出て行くユーくんは空気が読めると思った。

「……よし、じゃあ、二番目に人気だった本を持ってきて」

「「「「「はーい!」」」」」

 手元に残った本命を服の中へしまい込み、私は素知らぬ顔で別の本を要求したのだった。



「疲れた……」

「ん、ユーくん、お疲れ」

 読み聞かせを終えて次の者に後を任せてから学校から出ると、ユーくんが戻ってきたところだった。

 この様子だと逃げ切れたらしい。さすがユーくん。

「ところでナナちゃん……この本、中身だけ別物になってたんだけど」

「……何のことやら」

「それと、あの本ってなぜか僕の部屋にあったのと同じなんだよね。母さんが見つけたのか、僕の机の上に置いてあったはずなんだよね……それが何で先生が持っていたのかは知らないけど」

 既に見つかっていたらしい。さすがにベッドの下はまずかったようだ。

 あの女が持っていたのは、おおかたロリコン経由だろう。

 あのロリコン、母親には逆らえないから没収されたのだと思う。

 でもユーくん、中身について言及できるという事はだ。

「知ってるという事は……ユーくん、中身を見た?」

「そりゃ見るよ! 自分の部屋に得体のしれない本が置いてあったらとりあえず中身を見るよ!」

 それはそうだろう。私だってそうする。

 ちなみに、魔導書の類なら中身を見ただけで精神を持って行かれるような危険な物もあったりするが、その手の本は厳重な封印がかかっているから、一般人には開くこともできない。

 前に一度見たことがあるが、あれは見た目からして危ない代物だった。

「……どこまで?」

 ジッとユーくんの顔を見つめて問うと、顔を赤くして視線を泳がせ、終いには視線を逸らして一言だけ呟くように言った。

「と、途中まで……かな?」

 ――つまり、最後まで読み切ったらしい。さすがユーくんむっつりスケベ。

「……やっぱり、ユーくんも興味ある?」

「いや、その……うん、人並みには」

 よかった。これが真顔で興味ないとか言われていたら自信を無くすところだ。

「ん、それならいい。次の場所は?」

「だ、だよね? え、ええっと、次の場所は……」


 と、連れられてきたのは今朝も世話になった温泉だった。

 この温泉、五年くらい前にユーくんとロリコンが掘り当てた物で、ここの管理もその二人で行っている。あのがめついロリコンが報奨金を辞退してまで管理に拘ったのは恐らく覗きの為だろう。

 たまに利用者に見つかって袋叩きに遭っているが、本人に懲りた様子は全くない。

 それはともかく、なぜ温泉?

「最後はここの掃除だよ。夕方の一般開放までに終わらせて、そのまま入浴しちゃおう」

「おぉ、ご褒美付き」

 掃除は面倒だけど、終わってすぐに温泉に入ることが出来るのはありがたい。

 ちなみに、この温泉は村の住人も有料だ。

 村の温泉なのに有料なのかと文句が出そうなものだけど、自分達でお湯を貯めて沸かすよりは格安で済むという事、脱衣所や浴場の清掃がしっかり行き届き清潔感がある事から、そのような文句は一切なかった。

 なお、著しく汚した場合等は罰金及び罰則が発生する仕組みになっており、それに従わない違反者が発覚するとギルド経由で正式に犯罪者認定されるようになっている為、今のところそう言った問題も発生していないようだ。

「じゃあ、日が暮れる前に終わらせちゃおう」

「ん、わかった」

 ユーくんからブラシを受け取り、いざ掃除を開始――

「あ」

「危ないっ!」

 ――しようとしたところで足を滑らせ、後頭部から倒れ込みそうになるところをユーくんに突撃された私は、ユーくんと一緒に温泉へ落下した。


「ぷはっ、危なかった……ユーくん、ありがとう」

 温泉でぐしょ濡れになりながら礼を言うと、ユーくんもぐしょ濡れのままぷりぷりと怒っていた。

「ホントだよ! 今のは下手したら死んで……た」

 と、その視線が私の胸元で止まった。どうやら濡れたことで服が透けてしまったようだ。

 こんな状況でもおっぱい好きは見てしまう物らしい。

 とはいえ、チラ見はともかくガン見は恥ずかしい。

「ユーくん? あ……」

 あまりにガン見されるので視線を落とすと、透けているどころの話ではなかった。

 どうやら転んでお湯に突っ込んだ拍子に脱げてしまったらしい。

 つまり、ポロリしていた。

 ……まあ、特に問題はないか。

「……うわあああああああっ! ごごごっ、ごめん! って言うか隠して!」

 が、ユーくんにとっては問題ありだったらしい。

「いつもこっそり見てるのに……」

「そ、それは、その、と、とにかく隠して!」

 さすがに直に見せるのは久しぶりだけど、刺激が強すぎたようだ。

 でも、その反応はさすがに傷つく。

「……私のおっぱい、何か変?」

 隠してと連呼されると、かえって気になってしまう。

 確かに同年代に比べると大きいし、ちょっと垂れてるような気もするけど……変じゃない、よね?

「変じゃないよ! 綺麗な色――じゃなくてとにかく隠して!」

「やだ。ちゃんと見て。ちゃんと確かめて?」

「今日に限って頑固っ! っていうか無理だから!」

 ……無理って言われた。

 あれ? なんか、悲しい……泣きたくなってきた。

「……ユーくんは、私のこと、嫌い?」

「え、な、泣いてるっ! あのナナちゃんがっ?」

「……泣いてない」

 ちょっと声が震えてるだけだ。

「いや、だって、声が震えて……わあああっ! だから早くしまって!」

 ちょっとこちらを振り返ったと思ったら、私の胸を見るなり顔を両手で覆ってしまった。

 ……もう許せない。悲しいを通り越して苛立ってきた。

「絶対やだ。ユーくんが見てくれるまでこのままでいる」

「だ、ダメだから! 色々と不味いから!」

「じゃあ触って」

 見るのががダメなら触ってもらうしかない。

「それもっとダメな奴ぅっ!」

 何がダメなのかさっぱりわからない。

 昔は色んな所を触りっこしてたのに、なぜ今になって拒否されるのか、これがわからない。

「……わかった」

 そうだ。そもそも、ユーくんの方から触れてもらう必要なんてなかった。

「わ、わかってくれた? よかっ」

 ――私の方から触らせればいいんだ。

「んっ」

 両手を放して顔を上げようとするユーくんの隙をついて、胸の間にユーくんの顔を挿し込んだ。いや、挟みこんだ? とにかく、こう、パフっとしてみた。

「柔らかっ! じゃなくて何やってるのさ!」

「ダメ。動かないで」

 なんだこれ。すごくしっくりくる。

 胸の間にすっぽりと収まったユーくんの顔が気持ちいい。

 それになんだか、お臍の下あたりが温かくなってきた。

「え、えっと、ナナちゃん……?」

 ……あ、そうだ。告白するなら今しかない。なんかそうした方が良い気がする。

「……ユーくん、とても大切な話がある」

「え、な、なに?」

「実は私、本当は――」

「ほ、本当は――?」


「――魔法少女だったの」


 よし、言えた。今日の目標は達成した。

「……え? 今、なんて?」

 なんか胸元のユーくんからがっかりしたような気配を感じる。

 人のおっぱいに挟まっておいてそれはないと思う。

「私の本当の職業、魔法使いじゃなくて魔法少女だった。やっと言えた」

「え、あ、うん、えっ! 魔法少女ってかなり希少な職業じゃないのっ?」

「うん、だから、お父さん達がオババにお願いしてずっと隠してた」

「そ、そうだったんだ……え、じゃあ、もしかしてスキルも?」

「スキルはそうでもない。むしろ、ユーくんと一緒であまり役に立たないスキル」

「あれ、調合系じゃないの?」

「それは家の手伝いで覚えた。私の本当のスキルはユーくんも一度見たことがある」

「え、何かあったっけ?」

「三年前、ユーくんがバケモノを倒した時の、私の格好を覚えてる?」

 三年前、ちょっとしたことで口論――と言うほどでもなかったけど、そんな感じになって飛び出したユーくんを探している時に出会ったジャイアントグリズリーの亜種と思われるバケモノを倒す為、私はそのスキルを使用した。

 私に襲い掛かってきたそいつに魔法を一発叩き込んだところでユーくんが来て、一瞬気を取られた隙に私は攻撃を喰らって気絶してしまった。

 次に目を覚ましたらズタボロで泣きながら私を呼んでいるユーくんが居て、あの時は胸が締め付けられるような気持ちになったのを覚えている。

「あー、あれかぁ。あれ以来見てないよね。そう言えば、あの時から服も作って売るようになったよね?」

 正確には、ユーくんがあの衣装のことを村の皆に言ってしまったせいで、村の女性陣が興味を持ってしまったのが原因だ。

「うん、あの時はまだ隠しておきたかったから、裁縫を頑張った」

 元々それなりに出来たし、あまり興味のない作業だったけど、本格的にやってみると意外と面白かった。あれは怪我の功名だったと思う。

「そ、そうだったんだ……あれ? じゃあ、あの服は?」

「今見せる」

「え、まっ……!」

 スキルの効果を見せる為にユーくんを解放すると、ユーくんは目を瞑っていた。

 ……最初からそうしておけばよかったのに。まあいい。今はスキルだ。

「ユーくん、大丈夫だから見て」

「う、うん……って、隠れてない!」

「いいから、すぐに見えなくなる――変身」

 そう言うと同時に、私の身体を魔法の光が包み込み、例の衣装が装着されていた。

 このスキル、うっかり日常で【変身】と言う単語を言ってしまっただけで発動するから恐ろしい。

 しかも、変身後の格好はこの衣装だけではなく、他にも存在する。

 どうも私の意識や感情が反映されているようで、平時はこのひらひらした衣装で落ち着いている。

 そもそも、変身するだけというスキルの説明が不親切すぎる。なんだ変身するって。

 ただこのスキル、どうも私の魔法少女と言う職業とは相性が非常に良いようで、変身状態で魔法を使うと威力が大幅に向上するという副次作用があった。

 正直いらないけど、一度役に立ったことがあるから邪険にも出来ない。

「うわぁ……そう言う事だったんだ……」

 今のユーくんの『うわぁ』は感嘆のそれではなかった。

 なんと言うか、あまりいい意味の『うわぁ』ではなかった気がする。

「ユーくん、今のうわぁにはどういう意味が込められていたの?」

 返答次第では叩く。

 ちなみにこの衣装、腕力なども向上するので自宅に居る時は力仕事で役立っている。

「あ、いや、その……職業をごまかす為とはいえ、裁縫スキルを習得したのはすごいけど、やり過ぎと言うかなんというか……」

 別の方法はなかったのかと言いたいらしい。

「そもそも、ユーくんがこの格好のことを言いふらさなかったら、そんなことしなくて済んだ」

「あ、はい、その節はすみませんでした……」

「……でも、服を作ったりするのは楽しい。だから、どちらかと言うと感謝はしてる」

「いや、でもあの時はごめん……あの後から引き籠ってたのはそう言う事だったんだね」

 ……いや、それはちょっと違う。

 確かにスキルの習得は頑張ったけど、裁縫自体は村に住む女性にとっては嗜みのような物だから、言う程に苦労はしなかった。

 引き籠ってた主な原因はちょうど新しい薬の開発が上手く行ったのと、その量産に勤しんでいたせいだ。そう、例の子供用の風邪薬である。

 裁縫スキルは覚えはしたけど、服の型紙を作ってしまえば村の女性なら誰でも作業できるので、そっちの方は実は殆ど妹達に任せていた。

 おかげで私は製薬三昧……その結果が今である。

「服とかは殆ど妹達がやってる。私は時々手伝う程度」

 うちは女系家族。そして私が長女。

「あ、そうだったんだ……え、じゃあ、引き籠ってた原因ってやっぱり……」

 それは勿論――

「薬関係」

 それ以外に何があるというのだろうか?

「ああ、うん……ナナちゃんはそうだよね……」

 そう言って、ユーくんはどっと疲れたような顔になる。

「ユーくん、疲れた?」

 私はもうとっくに疲れている。

「あー、うん、色々とね……今度、僕も栄養剤を貰おうかな」

「ユーくんにはいつもお世話になってるから、タダでいい」

「それは助かるよ。じゃあ、お風呂の掃除終わらせちゃおうか」

「ん、じゃあ、元の格好に戻る」

 いい加減、このままの姿は恥ずかしいので、元の姿に戻ることにする。

「うん、そうして……あ」

「あ」

 ちょっと補足。変身を解くと、当然のように変身前の格好に戻る。

 衣服が乱れたままだったら、乱れたままで。

「うっ……」

 私のおっぱいを再び直視したユーくんが、いきなり鼻から出血した。

 温泉に浸かったままだったからのぼせてしまったんだろう。

「ユーくん、のぼせちゃった?」

「う、うん、そうかも……とりあえず服は直して」

「ん、また後でちゃんと確認してね?」

 もちろん、私の胸を確認させることは忘れない。

「わ、わかったから早く……」

 ユーくんを介抱するため、服を整えて私達は温泉から出た。



 ユーくんの鼻血は無事に止まったので、掃除を再開した。

 鼻血とは言え、そこそこの出血量だった。

「大丈夫だと思うけど、後で鉄分取った方が良い。鶏の肝臓がお勧め」

「肝臓かぁ……僕、肝臓は苦手なんだよね」

「これが終わったらお肉屋さんで新鮮なのを買って食べる」

「苦手って言ったよね!」

「大丈夫、新鮮なのは美味しい」

 私も月に数回は食べている。何しろ月に一度は必ず出血するから。

「ナナちゃんがそこまで言うなら……」

「今日の夕御飯はそれで決まり」

「いや、それとは別に作るからね? あくまで一品減るだけだよ?」

 ダメだった。

 そう、まだ夕御飯の支度が残っていた。仕事はこれで終わりだって言ったのに……。

「あ、そうだ。ナナちゃんを起こす時間が惜しいから、しばらく一緒に生活しようと思うんだけど」

「え」

 それは初耳。そう言う事はもっと早くに話題に出すべきじゃなかろうか?

「ナナちゃんはどうしたい?」

 その聞き方はずるい。

 とは言え、ユーくんと一つ屋根の下……うん、正直嬉しい。

 ユーくんが常に傍に居るという環境は、私としてもありがたい。

「……私も、それでいいと思う」

「わかったよ。じゃあ、手筈通りに進めてもよさそうかな」

「……うん? 手筈通り……?」

 手筈通りとはどういう事?

「あー、えっとね。ナナちゃんの生活改善について、サラさんに相談したら――」

 と、私はユーくんから、とんでもない話を聞かされた。


「お母さんっ!」

 今年一番の速さで私が自宅に戻ると、お母さんと妹達が出迎えてくれた。

 お父さんはまだ畑だろうか?

「あら、おかえりなさい」

「姉ちゃん、おかえりぃ」

「おかえりー」

 三者三様ながらも皆、同じ種類の笑みを浮かべている。

 ああ、この感じはアレだ。悪戯が成功した時のアレだ。

 その気配を感じつつも、私は尋ねずにはいられなかった。


「ユーくんと同居ってどういう事っ?」


 ユーくんの話だと、私の生活改善のために家が一軒建ったらしい。

 そう……私とユーくんの家が。

 一人の村娘のために家が一軒建つ等、前代未聞だ。

 ましてや、未婚の男女が二人っきりで一つ屋根の下で暮らすだなんて村の決まりにも反しているんじゃないだろうか?

「大丈夫! 村長は買収済みよ!」

「お母さん、それはさすがにやり過ぎ……」

「まあ、買収は冗談として、許可はちゃんともらってるのよ。あんただって一応、村の顔みたいなところあるんだし、しゃんとしてないのは困るからって快く許可してもらったわ」

 私が村の顔……きっと、子供用風邪薬の事だろう。

 あれはどうしても必要だったから作っただけで、有名になりたかったわけじゃない。

 いや、そんなことより、いきなりユーくんと二人きりと言うのは待って欲しい。

「えぇ……で、でも、ユーくんと二人きり……」

「嬉しいでしょう?」

「嬉しいけど……心の準備が……」

 確かに嬉しいのだけど、ユーくんだって男の子だ。

 間違いがあったらどうしよう……今日も私の胸でひと騒ぎあったくらいだ。

「何をいまさら……あ、ちなみに赤ちゃんができるようなことをしても大丈夫よ?」

「うん、わかって……うん?」

 ……聞き間違いだろうか?

「だから、赤ちゃんできるようなことしてもいいわよ? あんたの稼ぎなら大丈夫でしょ」

 大丈夫かそうでないかと問われれば大丈夫だと言える。しかし、

「……そう言う問題じゃないと思う」

「あら、ユーくんと一緒に居たいんじゃないの?」

「それはそうだけど……まだ早い」

 見たり触れたりする程度ならまだしも、それ以上の事となると正直怖い。

 一応、子供ができる仕組みは学校で習っているし、なにをどうしたらいいのかも、知識としてはわかっている。してみたいという好奇心もある。

 そのために例の本を購入して詳しいやり方を確認したけど――あれはまだ早いと私は判断した。

 もとい、読むのを断念する程度には刺激的だった。

「身体は大人なのに、中身はまだお子様ねぇ。もったいない」

 と、お母さんが私の胸をつついた。止めて欲しい。

「何がもったいないの?」

「んー、ま、それはナナリーが大人になればわかる事よ。まあ、とりあえず何かあっても大丈夫だってことだけは覚えておいてね?」

 胸を庇いながら問うと、見事にはぐらかされた。

 そして何かとは……まあ、そう言う事だと思う。

「……うん」

 まあ、うん、ユーくんも、まともな私となら結婚したいって言ってたし?

 私と暮らしている内に、私のことを好きになっちゃうかもしれないし?

 ……ちょっとくらいは、覚悟をしておいた方が良いのかもしれない。


 ――ああ、ダメだ。柄にもなく浮かれている自分がいる。

 でも、昨日今日と、久しぶりにユーくんと一緒に過ごして、私は気付いてしまった。

 いや、むしろ今まで気付いていないふりをしていたんだと思う。

 どうやら私は……ユーくんのことが好きらしい。

 好きになったのは、考えるまでもなくあの時だろう。

 バケモノを退治して私を迎えに来てくれたあの時、泣き笑いの顔で安堵する彼を見てから――


 ――なんだろうけど、正直あの時は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 だって、変身中の私の防御力は、あのバケモノの攻撃をものともしなかった。

 あの時、気絶したのだって、頭を殴られて「あ、これ死んだ」って思ったからだ。

 ところが事態が終わってみればユーくんは割と重傷で私は無傷……私がちゃんとしていたら、ユーくんはあんな怪我をしないで済んだ。

 素直に好意を伝えることが出来なかったのは、そう言う経緯があったからだと思う。


 だから、あれから私は部屋に籠って変身スキルについて、色々と調べた。

 スキル自体は本当に変身するだけのゴミスキルだけど、このスキルはどうやら私の職業である魔法少女の為に存在していたようだ。

 と言うよりも、魔法少女として生まれたせいでこのスキルを覚えて産まれてきてしまったらしい。

 なんともはた迷惑な話だけど、このスキルが無かったら、多分、私は生きていない。

 このスキルがあったから、私はユーくんのことが好きだと自覚することが出来た。

 色々と面倒なところも多いスキルだけど、その点だけは本当に感謝している。

 だから――


 こんなゴミスキル持ちの私だけど、自分なりに精一杯生きていこうと思う。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ