十一スキル目 必ず一ダメージを与えられるスキル
ここでひとまず完結となります。
この世界は継ぎ接ぎだらけだ。
というのは――はて、何処の何方の言葉であったでしょうか? 忘れてしまいました。
私自身、神と称される身なれど、記憶と言う物はどうにもなりません。
なにしろ不死であるため、蓄積される記憶は膨大であり、古く不要な記憶から消去されていきますからね。
言は残れど名は残らず。というのは間々ある事です。
つまりは些事です。忘れましょう。
それに今は仕事中です。
世界の管理という崇高な仕事ではありますが、多忙が過ぎて病んでしまう神が大半です。
「お、例の村のガキが至りやがった。あの若さでやるねぇ」
中にはこのように堂々とサボる堕神も居ますが。
「またあの村を観測していたのですか? 早く仕事に戻ってください、チンピラ」
「誰がチンピラだぁ! こいつはファッションだって言ってんだろぉっ?」
サングラスにアロハシャツ、おまけに最近は肌を浅黒く、髪を金髪にしたせいでチンピラ度がマシマシになった男神が戯言を吐いていますね。でもこの神、これでも智神なんです。
「智神も堕ちたものですね……」
「うるせぇ! このエロ神!」
「失礼な、この博愛と豊穣の女神に向かって」
「物は言い様だなおい。情愛と繁殖の性神様よぉ」
「ええ、そちらも私の一面なので否定はしませんよ?」
ただ、博愛と豊穣の方が聞こえが宜しいのでそのように名乗っているだけです。
ついでに人々の間で通っている名前も複数あります。
そもそも我々に個の名前という定義はないのですけどね。
ただ、名前によって其々別の神だと思われているのは不本意ではありますが。
「ちっ、張り合いがねぇなぁ。と、そうだそうだ。例の村の特異スキル持ちがスキルの覚醒に成功したんだった」
「ああ、ゴミスキルとか呼ばれてるアレですか。希少なスキルであることはわかっているはずなのに、なぜそう呼ばれているのでしょうね?」
「そりゃ初期の性能が弱過ぎるだからだろ。でも、きっちり育ててやれば神クラスにも届くスキルばかりなんだけどなぁ」
「肝心のスキルの育て方や覚え方が失伝していますからね」
そもそも、大半のスキルは自力での習得が可能なものです。
本来は誰もが知っていた知識であったはずなのに、時の権力者達が独占しようとこぞって隠し続けたせいで事故等のいざこざで継承に失敗した挙句、知識そのものが途絶えるという間抜けをやらかしていますからね。
定型ですが、欲の張った人族は本当に愚かです。
「ところがどっこい、このガキが自力でそこに辿り着いたんだわ」
知識が途絶えたというのに、全くの無知の状態から自力で、それも成人しても居ない子供がそこに辿り着いたと言うのは驚嘆に値します。
「なるほど……偶然ですか?」
「それもあるが、努力の賜物って奴だろうな。スキルが消耗のないタイプだったのもデカい」
「どういったスキルですか?」
「元々は固定打撃っつー名前の攻撃行動による与ダメが全部一になるって言うスキルだな」
ああ、確かにそのようなスキルがありましたね。
打撃と言う名のわりに攻撃行動であれば打撃以外でも与えるダメージが一になるという無いようなので覚えていました。
スキルの名前と効果、その他諸々は担当した神によってまちまちなので、困ったことに名前だけだと効果がよくわからない物もあるのです。
「覚醒後は?」
「任意行動による与ダメが全部一になる」
「ふむ、対象は?」
「覚醒前も後も生物から非生物までなのは変わらずだな」
実質全てと言う事ですね。
「スキルの干渉範囲は?」
「覚醒前はレベルに応じて干渉範囲が増えて行き、覚醒後は全てに干渉できる」
全てとなると、そこにはこの世界で生きる者の根幹たる部分も含まれるわけで。
「……それ、不味くないですか?」
「ああ、不味いな」
「干渉する対象と項目によっては世界が崩壊しますよね?」
「だな」
「……それ、不味くないですか?」
「ああ、不味いな」
「……あなた達、いつもそんな風なの?」
「「!」」
「「「「「ぎゃあああああああああっ!」」」」」
突如聞こえた第三者の声に、私と智神は絶句し、死んだ目で仕事をしていた同僚達――もとい他の神々は恐慌状態に陥った。何柱かは白目をむいて泡を吹いている。
「煩いわね……ほら、あなた達の遊び場よ。ここのヒト達が教えてくれるから遊んできなさい?」
「「「わーい!」」」
突如現れた御方――名前を出すのも恐ろしい、というよりは今現在、恐慌状態に陥っている神々が名前を聞くだけで竦み上がってしまう為、ここではエル様と呼ばれている女性は一緒に連れて来たであろう三人の子供達をこの場に放った。
エル様はともかく、ただの子供がこの領域に来て無事な筈がない。
なのに、子供達は元気良く走り回り、私達の仕事場を興味津々に見て回っている。
それどころか、子供達から強い神気を感じる?
「え、エル様! この子達はっ?」
「あなた達の後輩……になるのかしら? 忘れたの? 貴女の化身と、うちの人の間に生まれた子達よ?」
「え? 私の……あっ!」
そうでした。エル様の旦那様のハーレムには私の化身が居るのでした。
確かに子供ももうけており、化身の身体を借り、お腹を痛めて産んだ子も居ました。
「もうこんなに大きくなって……」
私にとってはつい先日の出来事という感覚ですが、こうして自らの子と対面するというのもなかなかに悪くはな――
「あれ? お母さんだ。いつもと格好が違うけど」
「それに、なんかまともそうだよ?」
「ほんとだ。知性を感じるお顔だねぇ?」
「……」
――今度あちらに降臨した際には化身の生活態度の改善に勤しまないといけないようです。
それはそれとして、なぜエル様がこの子達を……?
「あの、エル様? これは一体……?」
「世界を管理する神員が足りないと言っていたじゃない。この子達なら適任でしょう?」
「いえあの、確かに化身とは言え私の子でもあるわけですが……」
「おい、こいつら使えるぞ!」
いつの間にか智神が子供達に仕事を教えていました。
「いや、何を言って……本当ですか?」
彼がそんなくだらない嘘を吐くとは思えないので、本当の事なのでしょう。
ですがにわかには信じられません。
「ちょ、ちょっと確認を……確かに、出来ていますね」
むしろ、我々より仕事が早いのでは?
「うちで教育を施しているのだから当然ね」
エル様、我々これでも神なのですが……。
「というわけだから、貴女に預けるけど、きちんと門限までには帰すようにね」
「あの、門限と言われましても、ここの時間の流れは現世と違うのですが……」
「ああ、そうだったわね――今合わせたから任せたわよ?」
「いやあの今合わせたって――本当に合ってるっ?」
もう無茶苦茶ですねこの方は!
「そもそも、ここの時間の流れが他と違う意味ってあるの?」
意味が有る無しの話しではないのですが、こうなってしまった以上は何も言い返せません。
「いえ、あの、無い、です、ね。ハハハ……」
そもそも、ここと現世では次元が違うので、時間の流れ自体変えようがないのですが……。
エル様の非常識な行動は今に始まったことではないのですが、まさか異次元の法則まで操作できてしまうとは思いませんでした。
「じゃあ、後は任せたわね」
そう言うと、来た時と同じように忽然とエル様は消えてしまいました。
さすがに、こちら側で会うと緊張しますね。
とは言え、脅威は去ったので仕事に戻るとしましょう。
「では皆さん、仕事に戻りましょう」
「お前、さっきの今でよく平然としてられんな……」
「呆然としていても仕事はなくなりませんからね。ほら皆さん、エル様はご帰宅なされたのでもう大丈夫ですよ。あなた達は引き続き仕事をお願いしますね?」
まだ頭を抱えて震えあがっている神々に声をかけ、子供達にも同じく声をかけると、元気な返事が返ってきました。
「了解!」
「これ、楽しいねー」
「お父さんから聞いたゲームみたい」
子供達もやる気は十分のようですが、世界の管理は遊びではないのですよ?
「あの、ゲーム感覚では困りますからね……?」
「いや、ゲームみたいなもんだろ」
「……」
まさか身内にそのような考えを持つ者がいたとは……。
それにしても、エル様がわざわざこちらに来るなんて珍し――おや、いつの間にか何処かと繋がっていますね。
まったく、繋ぎっぱなしはあれほどやめろと言っ――
◆
本日の授業も終わり、校内の職員室でまったりとお茶を嗜んでいた私は、突然の訪問者を迎えていました。
「マリアは居るかい?」
「あら、オババ様? 何か御用でしょうか?」
「ちょいと面貸しな。ユー坊のことで話がある」
「ユーグ君、ですか?」
ユーグ君と言えば生まれ持った技能のハンデを抱えながらも、今では村の同年代の中では最も多くの技能を習得するに至った子のことですね。
私の子供達の幼馴染でもあり、息子の親友で、娘の憧れの人でもある彼がどうしたのでしょうか?
そう言えば最近見かけましたが、少し背が伸びて男らしくなっていて、なんとも美味しそ――ではなく、立派になっていましたね。
「いいからさっさと支度しな」
と言われましても、まだ手元には淹れて間もないお茶があるのですが。
「これを飲んでからでもよろしいですか? あ、オババ様もどうです?」
「はあ……アンタは相変わらず呑気だねぇ。わかった。頂くよ」
どうやらそこまで性急な用事でもないようで、オババ様が近くの椅子に腰かけました。
何やらお疲れの様なので、疲れに効くハーブティーを淹れましょう。
「お茶菓子もどうです?」
「要らんよ」
「それで、何があったのですか?」
「ここでは言えん。このあとギルドに向かうから、そこで話すよ」
私を連れてギルドへと言う事はレティスさんも聞く必要性がある話だという事ですね。
おまけにここで話せない内容となると、それなりに機密性が高いようです。
最近だと聖域のこともありますし、なにかと話題に尽きない子ですね。
「ああ、ユーグ君と言えば、近頃はネイさんと面白そうな実験をしているとか?」
「ん? ネイ? あぁ、最近やってきた村着きの子かい。その子とユー坊が実験ってのは一体何だい?」
「なんでもスキルに関する実験だとか? 私も詳しくは存じ上げませんが」
私が若い頃にはそう言った実験が行われていましたけど、成果は出ていないようでした。
「……なるほど。その件も含めて問い詰めなきゃならんねぇ」
どうやらは何か関係がありそうです。
技能の習得速度を圧倒的に短縮して見せたユーグ君ですが、よもやそちらの方面でも何かやらかしてくれたのでしょうか?
本格的に私の助手として雇う事も考えた方が良いかもしれません。
レティスさんも狙っているようですし、行動は早い方が良いかもしれませんね。
優秀な人材は何処の組織も欲しがるものですからね。
「そう言えば、以前にオババ様もユーグ君と何やら行っていたようですが?」
あれも訓練、なのでしょうかね?
オババ様から逃げがちだったユーグ君が真剣にオババ様と話をしていたのでよく覚えています。
確か、温泉が湧く前後だったはずですから、およそ二年前ですね。
「あの子の訓練に付き合っていたんだよ。鑑定が自分で出来るようになりたいと言ってね」
「鑑定ですか? 確かに修得した事例はありますが、記録では十年かかったとか」
それに、鑑定と言う技能自体、鑑定士と言う者達がいる為、技能習得の必要性が薄かったということもあって自ら習得しようとした例自体が少ないのです。
「……そうだね。だが、あの子は二年で習得して見せたよ」
「そこまで短縮したのですかっ?」
「当人曰く、重要なのは観察対象の種類と数だとさ。やろうと思えばもっと短縮できそうだとも言っていたね」
「それは、何とも……」
恐ろしい子です。ただ、あの子のやろうと思えばと言うのは無茶を前提としたものでしょうから、参考にはならないでしょう。
とは言え、記録を大幅に短縮するとは驚きです。
技能研究の権威に知り合いがいますが、彼女の耳に入ることがないように留意しておきましょう。
「まあ、ユー坊の習得速度が異常だって言うのもあるんだろうけどね」
「そう言えば、現在は子供達や大人の希望者達の訓練も請け負っているとか?」
「ああ、そちらの方の成果も出ているが、流石にユー坊ほど目立つ早さじゃないね。それでも早くはあるんだが、個人差があり過ぎて調べるのも億劫になるよ」
「素質や感覚も関係しているでしょうからね」
何気なくそう言うと、オババ様が何やら思いつめた表情で言葉を発しました。
「……最近、あの子を鑑定したんだがね」
「はい」
私が知っているユーグ君の鑑定結果は三年ほど前のものですから、今はどうなっているのか、かなり興味がありますね。
「……いや、それもあとで話すとしようかね。ほら、茶も飲み終わっただろう?」
何か問題でもあったのでしょうか?
素質や感覚が増えることは稀にあるので、珍しいとはいえ黙るようなことでもないですし。
まあ、このあと解る事なので良しとしましょう。
「あ、はい、そうでしたね。では、参りましょうか」
さて、いったいどのような話を聞かされるのでしょうね?
◆
オババさんから緊急招集と言う事で、私はギルドの一室を開けて今回の召集で集まる方達を待っていました。
「ユーグ君のことで話があるという事でしたが……」
「えっと、色々とすみません」
本人も居るんですよね。何なら一番早くに着いたくらいですし。
今は椅子に座って、緊張しているのか落ち着かない様子です。
「ユーグ君のことなので悪いことはしていないのでしょうけど、なにかとても大変なことをしてしまった……という所みたいですね」
「たぶん、そうだと思います。僕としても予想外のことで、出来ることなら秘密にしておきたかったんです」
「それでオババさんからの呼び出しとなると、技能関係でしょうか?」
「それもあります」
「他にもあるんですか……」
とにかく、オババさん達を待つ必要があるみたいですね。
とりあえず、お茶でも淹れてきましょうか。
そう思って席を立つと、部屋の扉を開けて中をのぞき込む人がいました。
「あ、どーも。なんか私も関係あるかもしれないって呼び出されたんですけど」
二人目の当事者――で良いのでしょうか?
最近、村着きの冒険者として赴任してきたネイさんです。
採用したのは私なんですけどね。
「あら、ネイさんもですか?」
「はい、オババさんがあとでギルドに来いって言ってたので」
「そうなんですね。では、中に入ってお待ちください」
「はーい。あ、他には誰が来るんでしょうかね?」
「私も詳しくは……恐らく、当事者以外は信用のおける方だけだと思います」
「じゃあ、私は当事者側って所かな? ユーグ君との特訓の事なら呼び出される心当たりがありますし」
「私はネイさんのことも信用していますよ?」
不遇な技能を身に宿しながらも冒険者として地道に実績を上げてきた彼女ほど信頼できる人物はなかなかいませんからね。
「はいっ! 信用に応えられるように今後も頑張ります!」
「ふふっ、では、私はお茶を淹れてきますから、待っていてくださいね?」
「了解でーす。あ、ユーグ君、ちょっと聞きたいことがあるんだけどさー」
「え、なんですか?」
何やら気安い様子で話し始めたので少し気になるところですが、私はお茶を淹れるため、部屋を後にしました。
それにしても、この村に赴任してからは退屈することがありませんね。
私の番も見つかりましたし、あとは子供が出来たら言う事なしです。
とは言え、番の子はまだ未成年なので、成人するまで待つ必要があります。
今さら少し待つ程度はどうという事もないのですが、肝心の番の子がそう言う事に興味津々なのが少し困りもので……。
「さすがに未成年相手はまずいですよね……」
一昔程前なら若い内からの方が良いという認識でしたが、今は昔と違って平和なため、子供をたくさん産む必要がなくなりましたからね。
「お、レティスさん。ユーグがどこにいるか知らね?」
「ら、ライナス君っ?」
まさか、今の独り言を聞かれた……?
「ん? どうかしたか?」
どうやら聞かれてはいなかったようです。
「え、あ、いえ、今日はいつもより早いですね?」
ライナス君は普段であればもう少し日が暮れてから来るのですが、今日は少し早いですね。
「ああ、ユーグを探してんだよ」
「ユーグ君なら、お話があるので会議室で待機してもらっていますが、急用ですか?」
「うーん、急用なのかどうかわかんねぇけど、ちょっと困ったことになっててさ」
「困ったこと、ですか?」
「ああ、実はスキルがおかしなことになっちまってさ」
「ライナス君もですか……」
「?」
どうやら、ライナス君も今回の話に関わって来るようです。
◆
本日の仕事も終わり、出かける準備は済ませた。
後は子供達だけでも大丈夫だろう。
「さて、行くか」
あの婆は緊急の要件だと言っていたな。
いったいどのような話を聞かされるのか皆目見当もつかんが、儂を呼ぶような話となると、宗教関連か……よもや、魔王候補の娘の覚醒が迫っているのか?
「神父様、お出かけですか?」
む、ルシアか。
彼女はこの村の教会で働いているシスターであり、一時は面倒を見てきたこともあって、儂にとっては孫娘のような存在でもある。
最近は行方知れずであった両親が無事に生還したこともあり、以前より明るくなった。
その両親であり、冒険者時代の儂の――弟子、という認識で合っているかは定かではないが、奴らにはきっちりと説教と共に灸を据えておいたので、しばらくは大人しくしているだろう。
「うむ、少し出かけてくる。何かあったら組合へ連絡するように」
「わかりました。行ってらっしゃいませ」
「うむ、後は頼む」
普段は彼女を使いとして外に出しているが、儂自身が教会の敷地から出るのは随分と久しい気がするな。
そう考えていると、ルシアはくすりと小さく笑みをこぼした。
「どうした?」
「いえ、いつもは私が見送られている立場なので、少しばかり新鮮だな。と」
「言われてみればそうだな。では、行ってくる」
「はい」
今度こそ背を向けて教会を後にする。
久しぶりの外出ついでだ。
組合へ向かいがてら村の様子を見て回るとするか。
教会の敷地を出て、まずは組合の方面へと足を向ける。
「む、随分と様変わりしているな」
まだ教会を出ただけだというのに、村には以前にはない活気が見て取れた。
夕飯時が近いこともあるからか、それなりの人の流れが村の中央へ向かって出来ている。
以前であれば村の外れであるこの辺りの、この時間に出歩くような者など居なかった。
「うむ、見違えたな」
教会の敷地に隣接するように立っているルシアの実家、その隣にはまだ新しい屋敷が建っていた。
何やら工事をしているのは知っていたが、もう完成していたのか。
「あれが件の子供らの家か……」
ルシアとの会話によく出てくる子らだが、話に聞く限りではどの子も個性的ではあるものの、これと言って問題のあるような者達ではないはずだ。
これから組合に赴くのも子供らの一人が何かをやらかしたそうだが、一体何をやらかせば儂までもが出張ることになるのか。
なんにせよ、行けばわかる事だ。
……それにしても、村の中央の方からやけに芳しい匂いがするな。
聖職者故に普段は粗食ばかりだが、たまの外出時くらいは多少の贅沢をしても良いだろう。
婆は時間厳守とほざいていたが、多少は遅れても構わんな。
「行くか」
現役時代に稼いだ金は腐るほど余っている。
教会や孤児院の運営資金にも困ってはおらぬし、金は使ってこそ価値のある物だからな。
◆
「……遅い!」
マリアを連れてギルドには着いたものの、声を掛けた奴らの内、二人が遅れていた。
「まあまあ、重要な話とは言っても、そこまで急ぐようなことでもないのでしょう? ところでレティスさん、うちの子との進展具合はいかがですか?」
「え、ええっと……」
「やめてくれよ母ちゃんっ! これでもレティスさんとは清いお付き合いをしてんだぞ!」
「えっ、レティスさんって年下趣味なんだ?」
「そ、そう言うわけじゃないんです!」
全く、やかましくて仕方ないね。
「ところで、なんでライナスまで居るの? 僕としては気が楽だけど」
……言われてみたらそうだ。
あまりに違和感なく居るもんだから指摘するのを忘れていたよ。
「言われてみたらそうだねぇ。あんた、なんでこの場に居るんだい?」
そう尋ねると、ライナス坊やは驚くべきことを口にした。
「おー、忘れるところだった。なぁ、ユーグ。言われた通りにスキルの訓練してたらスキルの名前が変わってよぉ。どうなってんだこれ?」
スキルの訓練? 名前が変わった?
「なっ! どういうことだいっ!」
「あ、それって私が今やってる訓練かな? やっぱり変わるんだ?」
まだあるのかいっ?
「その話もきちんと聞かせてくれるんだろうね?」
「あ、はい……」
まったく、事の重要性を理解してるのかねぇ。
ユー坊の様子に呆れていると、ようやく残りの二名が到着したようだ。
「すまない。遅くなった」
現在はこの村に滞在している領主代行のクリスと――
「うむ、久方ぶりに外に出たが、なかなかに様変わりしているな」
――なぜか大量の食べ物を抱えている教会の爺だった。
「神父様、お久しぶりです」
「うむ、マリアか。相変わらずお主は若々しいな」
「いやですわ。これでも二児の母ですよ?」
「うむ、ただの世辞だ。許せ」
「……」
マリア、気持ちはわかるが無言で魔力を練るんじゃない。
そう言うのは後でやりな。
「あれ? このお爺ちゃん、どこかで見たような……」
「あの方はドワルムさんです。元冒険者で、かつては破戒の剛腕と言われていた御方ですよ」
「え、剛腕ドワルムと言ったら聖職者だからって理由で引退するまでずっと武器を持たずに素手で魔物を殴り倒し続けたって言う……?」
「はい、その方です」
「伝説の冒険者じゃん! まだ生きてたんだ!」
物言いは失礼だが、まあ、そう言う感想になるんだろうね。
なにしろこの爺、この村に来てからは殆ど教会の敷地からは出てこなかったからね。
「儂は半分だけ鉱精の血が入っておるからな。無駄に長生きしとるのよ」
「こうせい……?」
「ドワーフのことですよ」
「ああ、ドワーフ!」
ネイの物言いに爺が不満げな顔をする。
「ふん、あの忌々しい異世界人共が勝手に呼んでいた名がすっかり定着しておるようだな」
こいつの異世界人嫌いも相変わらずのようだね。
「そんなことよりあんた、その抱えてるものは何だい」
「ふむ、久方ぶりに出てみると何やら芳しい香りがしたものでな。物珍しさもあってつい買いこんでしまったわい」
「商業区で大量の食べ物を買い込んでいるところを偶々発見したので連れてきました……」
そう言うのは疲れた様子のクリスだった。
この様子から、どうにか爺を引っ張ってきたって所かね。
この爺の相手は疲れるからね。なにせ、面倒くさい年寄りの典型みたいなやつだからねぇ。
「これから話し合いだってのに、そんなに買い込んでどうするんだい」
「生憎と食事がまだでな。話し通しというわけでもないのだろう?」
確かにそうだけども、どれだけ食う気なんだい、この爺は。
「まったく、仕方がないねぇ。でも酒はなしだよ」
この爺が酔っ払っているところなんてのは見たことがないけども、酒臭いのは御免だからね。
「ふん、そのくらい弁えておるわ」
「あ、他に食事がまだの方はいますか?」
「僕は済ませてきました」
「俺もさっき食ってきた」
「私は仕事終わりにそのまま来たから、何かつまめるものが欲しいかな」
「私も少しだけ食べたいところですね」
「私は済ませてきたので無用だ」
「あたしも要らないよ」
「では、軽食と飲み物を手配してきますね」
「む、飲み物は儂の分も頼む。買い忘れたのでな」
「はい、かしこまりました」
そう言うと、レティスは部屋を出ていった。
あの子は如才ないというか、気が効き過ぎているくらいだね。
あれだと気苦労が多いだろうに、ご苦労なこったね。
「で、件の小僧はどちらなのだ?」
こいつはこいつで、もう少し気を使って欲しいところだね。
買ってきた料理をさっそく口に運びながら、爺がユー坊とライナス坊やを交互に見やっている。
「あ、話があるのは僕の方です」
「俺はいきなり当事者扱いされて巻き込まれた口だな」
「まさかこんなに早く変化するとは思わなかったけどね」
「使用率も関係してんだろ? 俺の場合は毎日使ってるからなぁ」
二人のやり取りを聞いた爺がわずかに顔をしかめた。
「ふむ、話と言うのはそれか」
「アンタなら、この事態の重要性が解ると思うんだけどねぇ?」
「ふん、技能の昇格か……確かに面倒だな」
爺がどこか確信めいた言い方をする。
どうやらユー坊のスキルが変わったのは昇格したという認識であっているらしい。
「昇格? そんなことがあり得るのかい?」
私も話には聞いたことがあるけども、今回が初めてだ。
「そうせっつくな。先に聞くべきは小僧の話だ。それに、レティス嬢がまだ戻っておらぬ」
「わかったよ。まったく……長年生きて来たけど、こんなことは初めてだよ」
「ふん、貴様等は森の奥に籠り過ぎなのだ」
……ちっ、思い出したくもないことを思い出しちまったよ。
「教会に籠りっぱなしのアンタには言われたくないね」
「儂はもう目立ちたくはないのでな。今の生活が性に合っておるわ。何よりも異世界人と関わり合いにならなくて済むのが良い」
「それに関しては同感だね」
まったく、同感過ぎて泣けてくるね。
爺との話が一区切りしたところで、レティスが戻ってきた。
「お待たせしました。注文した物は後ほど届くので、まずは話を始めましょうか」
▲
ギルドの会議室にて、ようやく話し合いが始まった。
最初の――というよりは主な原因であり、今回の話し合いの場の提案者でもあるユーグが話を始める。
「まずはスキルの変化内容と、そこに至った経緯を説明します。スキルの内容ですが――」
と、淀みなく説明をしていくユーグは、スキルの内容を説明し終えたところで一度話を区切り、質疑を求める。
「――と、変化した内容がこんな感じです。何か質問はありますか?」
それに対してドワルムが質問を投げかけた。
「任意で対象に一のダメージを与えると言うが、固定減算と言う名の通り、減らす事のみが可能だという認識で合っているか?」
「はい、それで合ってます」
「対象は生物、非生物を選ばないというのも事実か?」
「はい」
「ふむ、そう聞いただけならば特に脅威でもないように思えるが――」
含む様に言い募るドワルムの言葉に、マリアが続けた。
「干渉可能な範囲が異常、ですね」
そんな二人に対し、ネイが挙手しながら声を上げる。
「あの、前にユーグ君が硝子の嵌った錆びた金属の枠だけを木槌で粉々にしてたのを見たことがあるんですけど、それと干渉可能な範囲がどうこうって言うのは関係あるんですか?」
「ほう」
「そういえば、以前に耐久力へ干渉して岩盤を破壊してたね」
「どれ、ひとつ見せてみろ」
「えっと、何にどのように干渉しましょう?」
「ふむ、試しにこの紙切れをどうにかして見せろ」
そう言って、ドワルムが差し出したのは先程まで食べていた料理の包み紙だった。
「料理の包み紙をどうにか……あっ、じゃあ、こんな感じでどうでしょうか?」
少し考えた後、ユーグは包み紙を広げ、卓の上に置いて手を添えた。
ドワルムが渡したのは特に変わった所のない包み紙だ。
料理を包むのに使われていたそれには油の汚れが付着し、皴が付いていた。
その紙をまじまじと見る一同だが、すぐに変化は現れた。
「おっ」
「ほう」
「これは……」
各々が声を上げる中、広げられた紙から皴が消えて行く。
やがて、紙が皴一つない状態になると、今度は汚れが見る間に消えていく。
「うわ、すごっ」
「ふむ、興味深いですね」
「……言葉も出ないとは、このことだね」
ユーグが手を離すと、そこには新品同様の包み紙が残されていた。
「紙の状態の項目から折れ、汚れの数字に干渉しました」
「この状態で零って訳かい」
「はい」
「ふむ……小僧、単刀直入に聞くが、その技能は位階――レベルに干渉可能か?」
「……はい、出来ます」
ユーグの肯定に、ドワルムを除いた面々が絶句する。
そして、誰かが発言するより前に、ドワルムが言葉を続けた。
「そうか。ところで皆、今、何か聞いたか?」
ドワルムの言葉に一瞬、何を言っているんだという表情を浮かべる一同だが、言わんとしていることをいち早く理解したライナスが素知らぬ顔で嘯いた。
「いや、俺にはなんも聞こえなかったな」
次いで、同じく意図を理解したクリスも宣言する。
「うむ、仕事疲れか、居眠りをしてしまっていたようだ」
「え? あっ! あーね! はいっ! 私も何も聞こえませんでしたぁ!」
「あはは……私も、今のは聞かなかったことにします」
「私としては、非常に興味深い内容なので実験をしたいところですが……」
二人に続いて、理解を得たネイとレティスも発言し、マリアは本題とは違った意味で渋った様子を見せるが――
「諦めろ。これは禁忌の領域だ」
「ですよね。では、私もなにも聞こえていませんでした」
ドワルムに釘を刺され、諦めたようだった。
「それで? 国家公認鑑定士のお前さんはどう判断する?」
ドワルムがわざわざオババの立場を強調するように尋ねた。
鑑定師とは国から派遣されて各地の自治体に身を置いており、本来であればこのような事態が発生した際には国への報告義務が発生するのである。
しかし、過去にその報告によって多数の有望な技能持ちが死亡してしまうという事件があった結果、鑑定士には現場判断による報告の有無の独自裁量権が与えられている。
今回の場合はユーグ本人の技能の昇華に加えてこれまでの技能習得難度の軽減等に対する報告の義務が生じるが、これを真正直に報告した場合、王国や教会が確実に動く。
そうなった場合、ただの山奥の村に住む少年が村での生活を望んでいようと強制的に連行される可能性の方が高い。
大昔と比較して平和になったとはいえ、争いは絶えない世の中であり、技能の昇華という稀有な例に加えて技能習得期間を短縮する知識を持っているともなれば寿命で死ぬまで拘束されかねない。
「……わかった。あたしも聞かなかったことにするよ。確かにこれは面倒だ」
「うむ、満場一致だな」
「え……良いんですか?」
「いや、良くないぞ? 良くはないが、面倒な事態になるのは間違いないからな。となれば、無かったことにするのが一番楽だろう?」
「えぇ……」
「ただし、その技能はむやみに人に見せてはならん。それと、村の外に出る際には技能の存在を伏せた方が良かろう。理想は村から出ないことだがな」
「あ、その点は大丈夫だと思います。余程のことがない限り村から出るつもりはないですし、スキルに関しても使い方には特に気を付けているので」
ユーグとしても危険なことは避けて生きていきたい所存である為、危険が伴う村の外へ出るつもりなどは微塵もないのである。
成人を控えた少年の言としてはいささか頼りなく思えるが、彼の境遇を鑑みるのであれば都合の良いことではあった。
「うむ、それが賢明であろうな。であれば、その技能の処遇については儂から言う事は無いな」
「随分とお優しいこったね」
オババが皮肉を言うが、ドワルムは鼻で笑って答える。
「この程度の技能ならまだ可愛い物よ。儂に言わせれば破壊や災厄を振りまくような実害を伴う技能の方がよほど厄介だぞ」
実際にそれらを見て、相対してきたドワルムからしてみたら、ユーグの技能は本当に可愛い物であった。
「それはそうだがねぇ。まあいいさ、じゃあ、次の話を聞かせてもらおうか」
「あ、はい。じゃあ、次はスキルがこうなってしまった経緯ですが――」
オババに促され、ユーグが変化の経緯を説明し始める。
ただ、その内容というのが、あまりにも異質過ぎた。
「ちょ、ちょっと待ちな!」
堪らずオババが説明を中断させた。
「え、どうかしました?」
当の本人はなにが不味かったのかもわかっていない様子で首をかしげている。
「どうもこうもあるかい! 並列思考で訓練の効率化ってのはどういうことだい!」
「え、先生に教えてもらいましたけど……」
「えっと、ユーグ君? 並列思考と言うのは習得できても精神力の消耗が激しいので、ユーグ君が言っているような思考を百分割というのは――あっ」
「なんだい? なにか心当たりでもあるのかい?」
オババがマリアを問い詰めようとするも、先に推論に至ったドワルムがユーグに尋ねる。
「小僧、お前の技能は自分自身にも効果があるのか?」
「はい、あります」
「なるほどな。つまり、並列思考の使用に伴う精神力の消耗を技能で抑えたのか」
そう呟くドワルムの言葉にネイが反応した。
「え、じゃあ、その理屈だと、魔法とかもほとんど使い放題ってこと?」
この世界における魔法は魔力という自然力の一種を消費して行使することが可能となっている。
魔力の源となる魔素は大気中に満ちており、自然界の生物は魔素を取り込む事で体内に魔力を生成し続ける。これを体内魔力と言う。
一般的な魔法の行使は体内魔力の消費によって行われるものであるため、ユーグの言っていることが事実であれば、ネイの言う通り魔法がほぼ使い放題という事になる。
「僕は魔法の才能がないので魔法は使えませんけど……たぶん、そうなるとは思います」
肝心の当人に魔法の才能がない為、確証はないらしい。
そんなユーグの方を見ていたライナスが、はっとした様子で声を上げる。
「あっ、もしかして、お前があれだけ訓練をしても疲れを見せないのは……」
ライナスが訓練の際に息ひとつ乱さないユーグを思い出して問うが、答えは残酷なものだった。
「それもできるけど、してないよ? 疲労に干渉すると訓練の効果が落ちるし」
「じゃあ、天然であの体力かよ……」
幼なじみの化け物っぷりに項垂れるライナス。
実際の所は技能によって体力消費が抑えられている為にそう見えるのであって、人並みにきちんと疲労はしているユーグである。
「しれっと言ったが、肉体の疲労も減らせるのかい……」
「はい、それも鑑定で確認出来たので」
「ふむ、聞く限りでは鑑定と揃ってこそ真価を発揮する技能と言った所か」
「はい、あと、僕自身の感覚なのでなんとも言えないんですけど、スキルが変化したのは鑑定を習得したのも一因だと思います」
「ほう、なぜそう思った?」
「スキルの鑑定を習得した時、直観的にそう思いました」
「ふむ、直感か。確かに似たような話は聞くが、感覚になにかあるのか?」
「確か、ユー坊には感覚の六感ってのがあったね」
「はい、その影響だと思います」
「ふむ、やはり感覚か。教会ではあまり重視されておらぬが、あれはそう簡単に軽視できたものではないからな」
「ふん、教会の頭でっかち共は技能が全てだからね。嘆かわしいことだよ」
「技能主義は教会に限ったことではないがな。それよりも、驚嘆すべきは小僧の執念よ。使えないと断じられた技能を見事に昇華してみせたのだからな」
「えっと、ありがとうございます?」
「当の本人がピンと来てないやつだぜこれ」
「同じゴミスキル持ちからしてみたらとんでもないことしてるけど、ピンと来ないってのもわからなくはないかな?」
戸惑いながらも礼を言うユーグに対してライナスが呆れ、ネイは一定の理解を示す。
そんな二名に対してオババがじろりと視線を向ける。
「そう言うあんた達もユー坊と同じ訓練をしているようだが?」
「訓練っつーか、ユーグが言ってたようにスキルの日常的な多用を心がけてるだけだぜ?」
「私もそんな感じかな? スキルには成長の先があるって言われたからやってみてるけども。あ、流石に並列思考までは使ってないですよ?」
「出来てたまるかい。しかし、それだけのことで技能が昇華するのかい?」
「そう言う事例はあるが、断言はできん。技能の昇華という現象そのものの事例が少ないからな」
「そう言えば、ライナス君もスキルが変化したんですよね?」
「お、そうそう。俺のスキルも昨日の晩に変化したんだよ」
「うん? いったい、どうやってスキルの変化を察したんだい?」
鑑定を使えるわけでもないライナスの言葉にオババが訝しむ。
「俺のスキルは使った時に確率が視えるからな。で、昨晩使用した時にいつもと違ったからすぐにわかったんだ」
「確か、あんたの技能は確率操作だったね」
「ああ、いつもなら確率の振れ幅も小さいんだけど、なんか倍くらいになってた。他は特に変わってねぇかな?」
その言葉に真っ先に反応したのはレティスだった。
「倍ですかっ? という事は……五割ですよねっ? 凄いじゃないですか!」
「お、おう、そうなのか?」
「そうですよ! 私、頑張りますからねっ!」
「何の話をしてるんだい、まったく……それで? 他に何か変わったことは?」
「なんせ変わったばかりだし、まだよくわかんねぇな」
「確率干渉系統の技能は別段大きな変化はないはずだ。せいぜいがその小僧の言う通り、確率の振れ幅が増えた程度だろう」
「なんとも地味な変化だね」
「技能の昇華といっても、大半はそのようなものだ」
「ライナス君のスキルは問題ないのですか?」
「問題の無い技能など存在しない。所有者の心構え次第だな。まあ、万が一にも悪用をするのであれば儂が直々に裁きを与えよう」
「はい! 気を付けます!」
「ふん、調子のいいことだ。貴様の父親を思い出す」
「うげっ! やめてくれよな!」
「ふん、なかなかに嫌われたものだな。ところで、奴は相変わらず外をうろつき回っておるのか?」
「はい、稀に手紙が届きますが、今年は帰ってこられないようです」
「そうか。いずれ帰ってきた時には顔を出すように伝えておいてくれ」
「はい。あの人も喜ぶと思います」
「うむ。さて、話がそれたな。後はそちらの小娘――ネイだったか。貴様の技能はまだ変化していないということだったな?」
「あ、はい。とりあえずユーグ君の助言通りにスキルは使ってますけど、やめた方がいいですかね?」
「いや、好きにして構わん。技能の昇華自体は悪しきものではないからな。ただし、昇華した際にはレティスあたりに報告しておけ」
「はい、そうさせていただきます」
「うむ。よもやこの村に技能を昇華させる者が現れるとは思わなかったが、なかなかに愉快なことが起こっているようだ。小僧、これまで通り研鑽を怠るなよ?」
「は、はいっ」
「正直、ユーグの訓練はほどほどにした方がいいと思うけどなぁ」
「大丈夫だよ、ちゃんと限界は見極めてやっているからね」
「ユーグ君の訓練きっついよねぇ。私も初めて参加した時は驚いちゃったもの」
「ふむ、そういえば、孤児院の子らが訓練だなんだと騒いでいたな。話に聞く限りは生ぬるいとは思っていたが、結果は出ているようだな?」
「まあ、そうだね。ここ一、二年の子供達の成長率は目を見張るものがあるよ」
「能力は子供の方が伸びやすいとはいえ、ユーグ君の訓練を受けていると驚くくらい伸びる子もいますからね」
「希望者限定で冒険者にも行わせていますが、こちらも平均値を大きく上回る伸びを見せる方が多いですね」
そんなマリアとレティスの報告にドワルムが顔をしかめる。
「そこまでか。むしろその事実の方が驚きだな」
「はい、私も驚きました。これまでの訓練は軍隊式を採用していたのですが、ユーグ君式であれば新人冒険者でも安全に能力を伸ばすことができるんです」
「軍隊式か……あれは、古い形式の物はまだ実戦的だったのだがな」
「ああ、帝国時代のですね。あれは、死傷者が多数出ていましたから……」
「治癒魔法が衰退した今、現代の治癒士では致命傷すら治せんからな」
「なあなあ、致命傷って手遅れだから致命傷なんだよな?」
「それはそうだけど……」
「昔話で聞いたけど、昔の治癒魔法は死んでさえいなければどんな状態からでも元通りに治せたみたいよ?」
「そうですね。昔は戦も多かったので、必然的に治癒魔法が発展していったのですが、戦が減るにつれて需要も少なくなっていったので、自然と衰退していった形でしょうか」
「現在はせいぜい頭部を除いた末端部位の欠損を修復できる程度ですね。歴史的な事件としても有名ですが、教会の本拠が魔王に襲撃され、治癒魔法の使い手達が虐殺されたのも一因だとか」
「ああ、そんなこともあったね」
「あれは異世界人の治癒魔法使いに辛酸をなめさせられた魔王による報復だな。おかげで無関係な治癒魔法使い達が殺され、ただでさえ少ない担い手が減っていったというのもある」
「昔の治癒魔法使いってそんなにすごかったのか」
「今は大抵の怪我はポーションで治せるからね」
「それも衰退の一因だな。薬で事足りるからと研鑽を怠る者が多いことよ」
「愚痴るなら他所でやんな。なんにせよ、ユー坊の訓練で落伍者が減るのは助かるからね。これからも頼むよ?」
「あ、お給料は出すので、冒険者の方も引き続きお願いしますね?」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
「ふむ、まあ、こんなところか。小僧、その内……そうだな、暇な時にでも貴様が訓練しているところを見に行くからな。無様な姿は見せるなよ?」
「は、はいっ、いつでもどうぞ! 何か不足な点があったらご意見もお願いします!」
「ほう、言うではないか。では、その日を楽しみにしておくとしよう」
なぜか喜色を示すユーグと、それを挑戦的な物だと受け取ったらしいドワルムを見て嫌な予感を感じずにはいられないライナスとネイがこそこそと話す。
「やべぇ……訓練の事となるとユーグのぶっ飛び具合はおかしいからなぁ」
「これはあれだね。ただでさえやばい訓練がさらにやばくなるやつだね」
そんな二人の様子を見て疑問を抱いたマリアとレティスがユーグに問う。
「気になっていたのですが、普段はどのような訓練を?」
「そういえば、私も実際に目にしたことはないんですよね。冒険者達が疲れをあらわにするほどなので相応の内容だとは思うのですが」
「だいたいは村の周りを走ったり、体幹を鍛える訓練をしてるだけですよ?」
「え? それだけですか?」
「いえ、最低限ですが、冒険者の方達には訓練の間、装備や荷物と同等の重りを装着してもらっていました」
「ああ、確かに冒険者であればそれくらいは……ました?」
「はい、今はさらにその倍、最終的にはさらに倍の重量に耐えられるように訓練してもらっています」
「つまり、そこまで出来るならば、怪我人を二人抱えて逃げることも可能だと?」
「はい! まさにそれです!」
「な、なるほど、装備や荷物の重量を一人分として、倍の倍で装備や荷物を含んだ二名分、ということですか」
「装備や荷物は捨ててもいいけど、それができない状況もあるのよね」
「うむ、有事の際に生存を第一に考えるのであれば必要な訓練であろうな」
「それで、どれくらい走っているのですか?」
「え? 倒れるまでですけど……?」
「さも当然のように倒れるのが普通みたいに言うね……」
「はい、そこまでやることで気絶耐性っていうスキルが付くんです。もちろん他にも獲得できるんですけど、訓練を行う上でこれが特に重要なんです」
「なるほど……くくっ、これはますます見学の日が楽しみだな」
「け、見学だけですからねっ?」
獰猛な笑みを浮かべるドワルムに、すかさず釘を刺すレティスであった。
そんなやり取りを見ていた若干二名が――
「すげぇ、あんなに恐ろしい笑顔なんて初めて見たぜ……」
「私が参加してない時がいいなぁ……」
――などと呟いていた為に訓練へ参加させられる羽目になるのはまた別の話である。
◆
話し合いが終わり、そろそろおひらきとして、皆が部屋を後にしようとしていたところに、それは突如として現れた。
「ごきげんよう。少しだけ、よろしいかしら?」
突如部屋に響いた聞き覚えのない声に皆が振り向くと、そこには忽然と現れたかのように佇む少女の姿があった。
「えっ、今、どこから……?」
「ぬぅ……なんだ、この娘は?」
「ああ、そう警戒しないでちょうだい? ここにはうちの人も来たことがあるみたいだし、そもそも争いに来たわけでもないの」
「えっと、どなたでしょうか?」
「名乗りもせずにごめんなさいね。私の名前は――そうね。エル、とでも呼んでくれたらいいわ。私の目的は貴方の持っているスキルなの」
「僕のスキル、ですか?」
「ええ、久しぶりに面白そうなスキルを持った子が出てきたみたいだから確認に、ね」
「確認、ですか?」
「ええ、ところで貴方。鑑定のスキルを持っているようだけど、そのスキルで私の事は鑑定できるかしら?」
「いいんですか?」
「ええ、試してくれる?」
「わかりました……えっ? あれ? で、できない……?」
「なるほど……貴方は違うのね」
「え?」
「じゃあ、次は貴方が生まれ持ったスキルで私に干渉できるか試してくれる? 干渉するのはどの値でも構わないわ」
「わ、わかりました。じゃあ、体力に少しだけ」
「ええ、お願いね」
「じゃあ、始めます……ん、あれ? できない……?」
「なるほど。ありがとう。もういいわ」
「え、あ、はい」
「お騒がせしたわね。これはほんのお礼と迷惑料よ」
エルがそう告げて、微笑と共に小さな包みをユーグに手渡す。
「いえ、こちらこそ何もできなくてすみません」
「いいのよ。それでは、さようなら」
そう言うなり、突如として現れたエルと名乗った少女は瞬く間に姿を消し去った。
「転移魔法、でしょうか? でも、あれは失伝していたはずでは……?」
「或いは技能かもしれないね。あんな悍ましい気配を持った奴が現れるとはね……寿命が縮んだよ」
「まったくだな。過去に相対した魔王とは比べ物にならん重圧だったぞ」
「え、あの姉ちゃん、そんなにやばかったのかよ?」
「姉ちゃんって、ライナス君より小さかったよ? 見た目も若いというか、なんなら幼く見えたし」
「いや、間違いなく年上だな。レティスさんと似た感じがした」
ライナスの発言に対してレティスが何か言いたげな反応をするが、その場の発言は控えて成り行きを見守ることにした様子だ。
「ライナスのそういう勘は外れないからね」
「まぁな! で、あの姉ちゃんから何をもらったんだよ?」
ライナスに問われて、ようやく小さな包みを開くと、そこには小さな粒――おそらく植物の種であろうものがぎっしりと詰まっていた。
早速鑑定を使って調べてみるが、何の情報も出ない。
先ほどの女性と同様の結果に首を傾げるが、鑑定ができなかったことはこれまでにも何度かあったので、そういうものだと割り切って見た目で判断をする。
「えっと……あれ? 鑑定ができない? 見た目は植物の種、かな? 先生、わかりますか?」
ユーグに問われたマリアが、包みの中から種を取り出して検分する。
しかし、賢者として生を受けて以来、幅広く知識を収集して来たマリアをもってしても、その種が何の種であるかは不明であった。
「種だけでは何とも言えませんが……不思議な魔力を感じますね」
種の見た目と魔力の質から候補となるものをいくつか思い浮かべるも、確証があるわけではない以上、断定もできずにわかることだけを述べるに留める。
「魔草の類でしょうか?」
この世界において動植物の多くはその内部に少なからず魔力を内包しており、内包する魔力によって外見や生態に変調をきたす。
特にそれが顕著なものは基本的に魔草、魔物といった頭文字に【魔】のついた総称で呼ばれている。
とはいえ、この分野に関しては数千年以上前から研究されているにも関わらず未だ解明されてない事例や新例が発見され続けていることもあり、専門家泣かせの分野となっている。
「調べてみないことには何とも……いえ、ナナリーちゃんならわかるかもしれませんね」
この手の物に詳しそうな古い知り合いに連絡を取ろうかと考えるマリアだが、身近なところに詳しそうな者が居たことを思い出していた。
「え、ナナちゃんですか?」
ナナリーとは村の薬屋の娘であり、製薬業界では神秘の薬師と呼ばれる程の腕をもっている。
「はい、あの子の植物に関する知識は、私も一目置いているくらいですから」
マリアの屋敷にあった植物などをはじめとして製薬に関する数多の書物は数年前には読破されており、毎週のように届けられる実証検分の資料は未知の配合でありながらすでに実用化どころか商用化可能な域にまでまとめられているものが大半という有様だ。
「いつの間にそんなことに……わかりました。帰ったらナナちゃんに聞いてみます」
「ええ、私の方でも色々と調べてみますが、何かわかったら教えてくださいね」
「はい。あ、先生の方はどれくらい必要そうですか?」
「これ一つで構いませんよ。おそらくナナリーちゃんの方が詳しいでしょうし」
「わかりました。じゃあ、もう帰ってもいいんですよね?」
と、ユーグは一同を見渡す。
エルと名乗る少女の来訪に虚を突かれていた一同はそういえばそうだったと思い出し、ユーグのスキルを発端とした話し合いは、ひとまず問題なしという結果で解散となるのであった。
◆
とある大陸の屋敷にて、メイド姿の女性が屋敷の主に詰め寄っていた。
「なんてことをしてくれたんですかぁっ!」
どこかの女神によく似た容姿のメイドの前には、にやにやと笑みを浮かべるエルと呼ばれていた少女を成長させたような姿の女性が居る。
「あら? さっきぶり、というべきかしら?」
「質問に答えてください! なぜあの少年に混沌の種なんてものを渡したのですかっ!」
混沌の種とはかつてこの世界に廃棄された異世生物の種子であり、本来の世界では邪神と称されていたそれの種は、瞬く間にこの星の生態系を大いに狂わせ、その対処に追われた神々はやむなく影響を受けた知的生命体、この星に生きる生物のおよそ六割強を根絶せざるを得なかったほどだ。
「なぜって、私の目的は知っているでしょう?」
その混沌の種を使って、かつてこの世界を危機的状況に陥れ、同時に終息させた立役者でもある当人は、悪びれもせずに言う。
彼女がそうする理由を正しく理解している者の一人として、苦い表情を浮かべながらもメイドは乞うように問いかける。
「知っていますが、その目的はもう達成されていますよね?」
「ええ、そうね。もはやこの世界の滅亡は止められない。とはいえ、それまでの猶予期間は退屈でしょう? だから、あれはいわば暇つぶしのようなものね」
「ひ、暇つぶし……」
「安心なさい。アレには手を加えてあるから、前のようにはならないわ」
「といいますと?」
「あの種の一番厄介なところは対象を問わず苗床にするところだけど、適性のある土壌以外では芽吹かないようにしてあるのよ」
「なるほど……あれは苗床によって性質を変えるので対処はしやすくなりますね。では、いったいどのような土壌で?」
「あそこは近くに聖域があるようだったから、そこでしか育たないようにしてあるわね」
「……本当にそれだけですか?」
「ええ、それだけよ?」
「ならばよいのですが……ところで、混沌の種を聖域で育てると何になるかご存じですよね?」
「ええ、ご存じよ? 貴女は知らないのかしら?」
「生憎と当時は複数の神々で対処していましたので」
「そうだったわね。おかげで当時、目障りだった神々をおびき出して始末することができたわ」
「あの時は本当に大変だったんですよ……」
当時の苦労を思い出してメイドが遠い目をするが、少女の方はすまし顔で答えた。
「私の知ったことではないわね」
何せ、少女にとっては遠い過去の事である。
「はぁ……それで、結局のところ、どうなるのですか?」
「大したものじゃないわ。ちょっと世界樹っぽいのになるだけよ」
「十分以上に大したものじゃないですかっ!」
「別にいいでしょう? 本来、この世界にあった世界樹の半数以上は枯れ落ちてしまったのだし」
「それはそうですが……」
「それに、別に私は世界樹になるだなんて言っていないわよ?」
「ですが、世界樹っぽいものなど、それこそ世界樹しかないはずです」
「ええ、そうね。つまり、どういうことかしら?」
「えぇ? 謎掛けですか?」
「いいえ? そのまま素直に考えて?」
「世界樹っぽい、でも世界樹ではない……類似、近似……では変種、いえ、新種ということですか?」
「まあ、そんなところかしら? もっとも、あれを植物と称していいのかわからないけど」
「き、危険ではないのですよね?」
「ええ、生物に害はないから平気よ?」
「引っかかる言い方ですね」
「強いて言うなら、この星の寿命が少し短くなる可能性がある程度ね」
「大問題じゃないですか!」
「大丈夫よ。調子に乗って大量に植えたりしない限りはね」
「……あの、世界樹相当の物ともなると、それは難しいかと」
「だから面白いのでしょう? 邪魔しちゃだめよ?」
「出来ないとわかっていて言っていますよね?」
「ええ、もちろん」
「はぁ……あの村が辺境にあるのがせめてもの救いでしょうか」
「そうね。滅多なことでは情報が漏れることはないでしょうね」
「神に祈りたい気分です」
「貴女が神でしょう?」
「知ってます……」
◆
自宅へと戻ってきたユーグは、先ほど手に入れた種を持ってナナリーのもとを訪れていた。
「ナナちゃん。なんか珍しい種をもらったんだけど、何かわかるかな?」
「珍しい種?」
「うん。先生でもわからないくらいには珍しいみたいだね。鑑定でもわからなかったし」
「ん、それは珍しい。見せて」
「はい」
「……魔力反応が気になる。いくつか使ってもいい?」
「うん、いいよ。あと、植えてみた方がいいかな?」
「それはまだやめた方がいい」
「え、なんで?」
「これ、ただの種じゃない。何かの生き物。何に育つかわからない」
「えっ! 種じゃないのっ?」
「ん、魔力反応が生命寄り。ただの種から出ていい反応じゃない」
「先生は特に何も言ってなかったけど……」
「植物という前提で視るとそうなると思う」
「え、じゃあ、ナナちゃんは何で植物じゃないって思ったの?」
「見た目が大昔の文献に載ってた混沌の種に似てる。先生の書庫で見た」
「そ、そうなんだ。何に使えるのかな?」
「ん……加工すれば色々使えるけど、特級薬物の素材としても優秀。劇薬だけど」
「そうなんだね。じゃあ、ナナちゃんに任せてもいいかな? 僕が持っててもしょうがないし」
「ん、任された。でも、この種は少しおかしい」
「そうなの? 僕にはもとから普通の種にしか見えないけど」
「文献で見た混沌の種は触れるものすべてを苗床にするくらいに危険」
「えっ! 僕と先生は普通に触っちゃったんだけど……」
「ん、だから少しおかしい。何かの方法で弄られてる」
「品種改良とか?」
「たぶん、そう。これをくれたのは、どんな人?」
「知らない人だけど……その人、いきなり現れたんだよね」
事実とはいえ、ユーグの返答にナナリーが怪訝な顔をする。
「いきなり……? 転生者?」
あまりに無茶苦茶な登場の仕方から転生者の可能性を疑うが、実際に目の当たりにしたユーグはその可能性を否定する。
「多分、違うと思う。ちょっと変わった雰囲気の女の子――じゃなくて、女の人だったよ。転生者特有の雰囲気は感じなかったしね。あ、名前はエルって名乗ってた」
転生者特有の雰囲気というのはナナリーもなんとなしに判るため、ユーグが言うのであれば間違いないと断じ、話題を戻すことにした。
「……混沌の種は、大本を含めて大昔に駆逐されたはず」
「えっ、それじゃあ、これは?」
「混沌の種で間違いない……と思う。問題は、持ってきた人はこれをどうやって手に入れたのか」
「なくなったものを手に入れる方法かぁ……偶々残ってたとか?」
「……残っていたら問題が起きていないとおかしい。私が見た本でも完全に駆逐されて世界は平穏を取り戻したと書かれていた。混沌の種はそれくらいに危険なもの」
「でも実際は残っていて、品種改良までされてここにあるんだよね」
「ん、正直にいうと、ものすごく胡散臭い」
「じゃあ、どうにか処分する方法を考えないといけないのかな?」
「……それはそれ。胡散臭くてもこれがすごく希少で優秀な素材であることには変わりない。それに、混沌の種は植えるところによってはもっと有用な素材に育つこともある」
「つまり、危険物だけど薬の材料としては希少だから手放したくないってことだよね?」
「ん、そうなる」
「とりあえず先生にも相談しようか……」
「念のため、オババ……あと、オジジも呼んだ方がいい」
「オジジって?」
聞きなれない呼称を耳にしたユーグが思わず問い返すと、ナナリーが首を傾げながらも答えた。
「? 教会の神父をやってるひと。オババの元旦那さん」
教会の神父と言われてユーグに思い浮かぶ人物は一人しかいない。
「えっ! ドワルムさんってそうだったのっ?」
思わぬ事実に驚愕するユーグだったが、ナナリーは淡々とうなずく。
「ずっと昔に夫婦だったことがあるってオババがぼやいてた」
その言い方から、なんとなしに現在の二人の関係を察したユーグは深く追求せずに納得することにした。
「そうだったんだ……まあ、二人とも長命種だし、そういうこともあるんだね」
「ん、ドワーフとエルフの夫婦は珍しい」
「そうだよね? 種族的にも仲が悪いって話だし、余計に驚いちゃったよ」
「あの二人はかなりの長生き。混沌の種について何か意見が聞けるかもしれない」
「あの二人の年齢って幾つぐらいなんだろ?」
「村ができるよりもずっと前から生きてるって聞いたことがある」
「エルフもドワーフも寿命は千年くらいだっけ?」
この世界のエルフやドワーフは精霊の系譜に連なっており、寿命がそこらの種族よりもずっと長いものとなっている。
咲くほどユーグが口にした種族間の仲の悪さというのはそれぞれの種族の系譜元となる精霊同士の仲の悪さが起因しており、系譜に連なるだけでしかないエルフとドワーフが仲を悪くする必要はないのだが、様々なしがらみ――主に王族とか宗教とか――によって連綿と続いている。
そんな種族間のしがらみに嫌気がさして其々に飛び出してきた二名が意気投合してくっつくのは自明の理であったのかもしれないが、男女の仲というのが長い時の中で移ろい行くモノであるのもまた自明の理と言えるだろう。
ちなみに、一般的に知られてはいないが、この世界におけるエルフやドワーフの中でも長命の個体ともなると億単位の年月を生きることが可能であり、そうでない者を含めても平均寿命は数千万歳程となっている。
そんなことは露知らず、ナナリーはしたり顔で頷く。
「ん、大体それくらい」
「知ってるといいんだけどね……とりあえず、これの話は重要だけど緊急じゃないって感じかな?」
「ん、もう少し私も調べてみたいから、後でいい」
むしろ今すぐ研究を始めそうな程度にはそわそわしているナナリーである。
一方でユーグは新たに出てきた問題に疲れた様子を見せる。
「じゃあ、また今度だね。僕のスキルの話が終わったと思ったら、今度はこれかぁ」
「でも、手に入れたのはユーくん」
身もふたもないことを言われ、がっくりとうなだれながらもユーグは肯定する。
「うん……でも、なんでこんなものをくれたんだろう?」
渡してきた当人は迷惑料とは言っていたが、あのちょっとしたやり取りの中にこれほどの価値があるとは思えず、困惑するばかりである。
「わからない。でも、私は嬉しいから良い。これで色んなものが作れる」
ナナリーの興味は完全に混沌の種に移ったようで、何を作ろうかと思案している。
そんな幼馴染の様子に苦笑しながらユーグは言った。
「ナナちゃんにかかれば、こんな危険物も素材にしかならないんだね」
「ものは使いよう。危ないものも用途次第」
それでも危険物であることには変わりないので詭弁に過ぎないのだが、極上の素材を目の前にしたナナリーにとっては些末事だった。
「それはそうなんだろうけど、今回のはなぁ……」
意外なことに、これまでこの手の事で大きな問題を起こしたことはないナナリーだが、今回ばかりはユーグも不安に駆られていた。
「大丈夫。実験は慎重に行う」
「しれっとなにかに盛ったりしないでよ?」
「さすがにこれを使ったものではやらない」
良識、と言えるのかは定かではないが、一応ナナリーにもそれなりの線引きはあるらしい。
それならそうと、ユーグは普段の行いを改めて欲しいと願ってみるが――
「他の物でもやらないで欲しいんだけど……」
「それは無理」
「即答することじゃないよねっ?」
少年のはかない望みは無残にも断られるのであった。
◆
「ひとまずは安心、でしょうか……?」
「なんだ。つまらないわね」
あの後、現世の事を化身に任せて職場に戻ると、なぜか先回りしていたエル様に待ち伏せされ、例の村の様子を一緒に観察する流れとなったが、幸いにも知識ある者の手に混沌の種はわたったようでした。
過分に興味を惹かれている様子でしたが、少年がブレーキ役となってくれそうなのでひとまずは安心、という判断を下しました。
肝心のエル様はつまらなそうにしていましたが、その興味は先だって連れてきた子供達の方へと移ったのか、楽しそうに世界の管理に勤しんでいる私の子供達を慈愛に満ちた表情で眺めていました。
「……問題はなさそうね?」
「はい、能力面では我々よりも優秀かもしれません」
経験という点においては我々には劣りますが、これまでに我々が蓄積した管理記録などで十分に補えますね。
「まあ、あの人と貴女の子供なんだから。それは当然でしょうね」
「我が事ながら、あの人には妙な能力を与えてしまったものです」
「そもそも貴女が与える能力って突飛なものが多いでしょうに」
呆れたようにエル様が言いますが、私が使途に与える能力は私が選択しているわけではなく、使徒の魂の在り方で決まりますからね。私が狙っておかしな能力を授けているわけではありません。
「そういえば、エル様は私の使徒を殺害したことがありませんよね?」
そんな私の使徒達ですが、現在は数名を除いて天命を全うしています。
あ、ちなみに使徒=転生者もしくは転移者とお考えいただければ幸いです。
神の力を使って外界より招き寄せている存在なので、こちらの力の影響を強く受けているため、便宜上使徒と呼んでいるだけであって、特別扱いをしてるわけではありませんよ?
あと、私が変わり者というわけでもありませんのであしからず。
「だって、あなたの使徒達っておかしな能力を持った者ばかりだから面白いんだもの」
「まさか、それだけがご理由で……?」
「そんなわけないでしょう? まあ、それが理由の大半ではあるけれど、不思議なことに貴女の使徒達って私を不快にさせないのよね。その点は特に大きいと思うわ」
「使徒の選定はその神が司る性質が重視されますので……」
「貴女の場合は……平たく言うと博愛と豊穣だったかしら?」
「お気遣いありがとうございます。とはいえ、情愛と繁殖も私の一面ですから」
「あの人――うちの旦那は特にそのあたりが強く反映されてるわよね」
「あの人は、あれで壮絶な人生を送ってきた方なので……強く惹かれてしまったのは否めません」
「ふふっ、確かにそうね。とてもそうは見えないけれど」
「さすがにエル様ほどではないかと」
「だって、私には力があったもの」
「それはそうですが……」
「この話はやめましょう。過去を振り返っても過ぎた時は戻らないもの」
いや、できますよね? 今なら時間操作とか余裕でできますよね? とは流石にいえない。
そういう問題ではないのはエル様も私も理解しているし、何よりエル様の力で消された者達はいかなる手段を持っても戻ることはない。
一度起こってしまったことを無かったことになどできない。してはいけない。
それが神々であっても例外ではないのは、身をもって知っている。
「わかりました。ところで話は変わるのですが、あの人とは連絡がつきましたか?」
「ええ、実はついさっきね。ところで、また色々と駄々洩れになっているようだけど?」
「え? あっ!」
またですか! どうにも最近は世界観のほころびが多すぎますね。まったくどうなって
◆
「ふう、なんか今日は変な一日だったなぁ」
あれからナナちゃんは混沌の種の調査に集中し始めちゃったし、今夜は徹夜する気だと思う。
明日の朝になっても起きているようだったらきちんと寝かせないと。
「そうだったんだ? なにかあったの?」
一方で僕はもう寝るだけなんだけど、相変わらず女性陣による添い寝は続いている。
今日はカナちゃんの番で、部屋に戻ってきた時にはすでにベッドの中でくつろいでいた。
そもそもこの添い寝、僕の女性に対する性的な意識改善の――要は性的興奮を引き出す――ために行われていたはずなんだけど、逆に耐性がついてきている気がする。
「僕のスキルの話が終わったと思ったら知らない人が突然現れてとんでもないものを押し付けてきた。って感じかな?」
「おぉ、まとめたねぇ。そういえば今日はスキルの話だったっけ? そっちは大丈夫だったの?」
「うん、大っぴらに喧伝したり使ったりしない限りは大丈夫だって。後、外部の人の目があるところでも使わない方がいいって言われたよ。それに付随して村を出ることもできないって」
「そっかぁ。でもユーグ君って村を出るつもりは――」
「ないよ?」
「だよね。じゃあ、いつも通りだ」
「そうなるかな?」
「それじゃあ、今日はもう寝る? それともお触りする?」
そう言って布団をめくり、ポンポンと誘うように敷布団を叩く。
「なにその選択肢。ほら、変なこと言ってないで寝るよ」
最近は僕の耐性が上がったのを危惧してか変なことを言ってくることが多くて困る。
まだ成人を迎えてないからこそのお触りなんだろうけども、そこへ一歩でも踏み出してしまったら色々と多感なお年頃としては非常に辛いことになるのはなんとなくわかる。
ただでさえ押し付けられたり抱き着かれたりして大変だというのに、僕の方から触るという免罪符を手にしてしまったら引き返せない自信があるね。
「うーん、残念。ちなみにユーグ君は結婚した時の初夜はどうするつもり?」
後半に関してはあえて聞き流すとして、結婚かぁ。
「結婚って言われてもなぁ」
考えたことくらいはあるけど、その場合の相手はナナちゃんだろう。
流石にカナちゃん相手にそんな話はできない。
「あ、もしかして相手は一人で想定してる?」
「……え? 今なんて?」
「……すぅ」
「いや寝つき早っ! 噓でしょっ?」
慌てて揺さぶるが、カナちゃんはこの短時間で熟睡に入ってしまっていた。
こうなるともう、ちょっとやそっとでは起きない。
え、なに、僕ってお嫁さん複数人もらってもいいの?
この村って普通に一夫一妻だよね?
第二婦人とか愛人とかっていうのは外から来たそういう家族とか身分の高い人だけのはずだ。
僕の知らないところで何かが進行している気がしてならないけど、変に首を突っ込むと余計にややこしくなる気がしてならない。
「……とりあえず僕も寝よ」
考えたところで仕方がないし、女性陣が動いているとなると、もはや僕には止められないので何があっても素直に受け入れるしかない。
仮にそういうことになったとしても、それはその時の僕に任せよう。
ただでさえ今日は変なことがあったりしてすごく疲れたし、明日は明日でナナちゃんに頼まれた実験の手配をしなきゃいけないから、さっさと眠ってしまいたい。
こうして忙しいのも僕の変なスキルのせいだけど、別に嫌ってわけじゃない。
このスキルのおかげでナナちゃんの命を救ったこともあるし、村の発展にも貢献できているし、何より鍛錬の役に立つから、狩人に就かされそうになったことを除けば良いこと尽くめなんだよね。
流石に今も狩人に成る気だけはないけど、色んなスキルを身に着けたから転職候補も増えたし、大概の仕事はこなせる自信がある。
成人まではまだ二年以上あることだし、これまで通り堅実な努力を継続していこう。
今日の話でスキルの評価はおかしなことになってしまったけど、今なら卑屈にならずに言える気がする。
ゴミスキル持ちですが、精いっぱい生きてます。
ってね。