七十二候の二 黄鶯睍睆(うぐいすなく)
春告鳥が鳴く。
甲高いその声で、エアルは目を覚ました。
体を起こして伸びをひとつすると大きく深呼吸する。ふかふかの布団にもようやく慣れてきたところだ。二階にあるエアルの部屋の窓はひらひらのレースがついたカーテンが取り付けられており、それが風に揺れている。
エアルの住んでいるこの家は小さいがしっかりとした作りをしている。
白い木の壁にかわいい赤い屋根。まるでエアルそのもののような見た目をした家の周りは、白い柵に囲まれており小さな庭には薬草園もある。
「まさか、こんなことになるとは……」
エアルはほんの数日前のことを思い出していた。
彼女はもともと、この世界の人間ではない。
厳密にいえば、彼女の魂は、だ。
ある時、彼女は命を落とした。何もかもに絶望した結果だった。
誰も頼れなかったし、自分の命で決着をつけないといけないと思っていた。
正しくは、思いこんでいた。
薄れゆく意識の中で、父親が死なせるか、と言っていたのを聞いた。
その時に、愛されていなかったと思っていた親に、愛されていたことを実感した。それを知るには少し、遅かったのだけれど。
気づけば、白い部屋の中にいた。
「こんにちは」
白い部屋には、同じように白いひとりの何かがいた。
少年ではないが少女でもない、老人ではないが老婆でもない。瞬きする間にいろんな姿に変わるような何かが、そこにはいた。
「わたし、死んだの、に」
「そうです。あなたは、死んだから、ここに、いるんです」
あっさりと彼女の死を肯定して白い何かは笑顔のようなものを見せた。
「はじめまして、異邦人よ。あなたはわたしの世界で生まれなおすことになりました」
「何で」
「だって、もっと、生きていたかったって、思った、でしょ?」
声色もくるぐると変わる。千変万化、その言葉が間違いなくあてはまる。
「あの世界の体はもう死んじゃってたので、ならばこちらで生きてもらおうかと」
「はあ」
「何か望みはありますか?」
聞かれて、彼女は目をしばたたかせた。
何度も、何度も、同じ動作をして、それからごくんと喉を鳴らす。
「なん、でも、かないます、か?」
「そうですね。無理やりこちらに引っ張ってきてしまったお詫びに、何でも叶えましょう」
そう言って、にや、と何かが笑う。
「じゃあ衣食住には困らないようにしてください」
「ほう」
「それ以外は、どうでもいいです」
「どうでも」
「どうでも」
「ふむ。なるほど。ならばあとは適当にサービスしておきますね」
にや、とまた笑った。
何か嫌な予感はしたが、まぁもうそれも彼女にとってはどうでもいいことになってしまった。
「では、すてきな、セカンドライフを」
そうして、生まれ変わったのだ。
ところが生まれ変わった先では、自分の見た目は忌み子と呼ばれるような姿でいじめはもちろん村八分になって十になった年に追い出された。
自分が生まれ変わりと気づいたのは九歳になった年だったから、まぁ、そこまでのことはどうしようもないのかとは思ったけれど、両親に生まれ変わってまで疎まれるというのはなかなか心にくるものがある。
そうして旅をした。新しく住める場所を探して。
不思議なことに、衣食住に困ったことはなかった。旅の途中の人間が助けてくれたり、さまざまな巡りあわせがあった。
まぁ、こういうことなのか、とも思った。
望んだものの大小によって、幸せというのもきっと変わってくるのだ。
そしてある時、不思議な三人の老婆に出会った。
彼女たちはそれぞれに困っており、エアルは彼女たちの願いを叶えた。
汚れに汚れた髪を洗って櫛削って整え、汚れた体を洗って清め、すくない路銀から食料を用意して料理してふるまった。
老婆たちは三人とも、とても満足していた。
そして、聞いたのだ。
「お前さん、望みはあるかい?」
エアルは二十歳になっていた。旅は十年にわたり、ちょっと疲れてきていた。
「おうちが、ほしい」
ぼそり、と叶うはずはないと思いながら、そう呟いた。
「こころ優しい娘よ、その願い、叶えよう」
三人の老婆は光り輝いた一人の美女に姿を変えていた。
何が起こったのかわからなくて一瞬エアルはとても呆けた顔をしていたと思う。
「え?」
「この地には竜が住まう。人間はほとんど近寄らぬが、それ故そなたなら安心してのんびりと暮らせることだろう」
そう言うだけ言って美女は姿を消した。そして残ったのはこの家だったというわけだ。
「おとぎ話が現実に起こる場所だってのを忘れてたんだよね」
ふぅ、と一息ついてベッドから降りると、階下へと向かった。朝食は何にしようか迷う。パンを焼いてもいいし、かゆを炊いてもいい。迷いながら階段をひとつずつ踏みしめていくと、一番下にたどり着いたところで見計らったかのようにドアがノックされた。
「はーい?」
「ババ様、いますかー?」
ババ様というのは愛称だ。というか蔑称だった。生まれた土地ではこの白い髪を老婆のようだと散々に詰られた。だからこの土地に住むようになって妖精たちに名前を聞かれたときに、意地悪で自分の名前をそう名乗ったのだった。しかし彼女たちの純粋さにちょっと打ちのめされつつある。
「いますよー? あ、ちょっと待って、顔洗うから」
ぱたぱたと水がめまで小走りで近寄ると、バシャバシャと顔を洗う。横に置いたタオルを手に取って顔を拭った後、対面に置いた鏡を見て身だしなみを少しだけ整えた。
「……こんなもんかな」
なんとなく、ドキドキするのは気のせいでもなんでもない。
だって、
「はいはい。おはようございま、す」
ドアを開けると暗い影が上から落ちてきて、思わず見上げて固まった。
長身の美男子。黒髪に黒い瞳、浅黒い肌をした美丈夫。
「あー、と、さん」
「アート、だ。エアル。おはよう」
「おはよう、ございます」
この美男がなぜか毎日毎朝、自分の様子を見に来るようになったからだ。
ドキドキする。ときめく、というのが正しいのかもしれないがエアルには今のところそれが緊張から来るのか別のところから発生しているのかの判別がついていない。
「あの、あの、わたし、朝ごはんまだ食べてなくて、あの、ごはん、いっしょに、食べます、か?」
ものすごくつっかえつっかえになりながらそこまで言って、ちょっと馬鹿っぽい質問だったかなぁ、とエアルは反省する。
でもアートは少し驚いた顔はしたけれど、すごくうれしそうに笑ってうなずいた。
「もしよかったら、エアルと同じものが食べたい」
「はい! あの、ちょっと待ってて、くださいね?」
あわあわと台所の奥へと彼女が駆け込んでいくので、人型のアートの周りを飛び交っていた妖精たちは嬉しそうに笑った。
「ババ様、楽しそうね」
「ババ様、よかったね」
「楽しそう、か?」
「そうだよ、主さま」
「楽しいはいいことだよ」
「ああ、そうだな」
ドラゴンであるアートラムはいつもひとりだった。同族は傍にはおらず、周りにいるのは自分よりも小さな生き物ばかり。まっすぐに自分を見るものなど、親以外に初めて出会ったのだ。
いわゆる刷り込みに近いかも、しれない。
パンを炙るいい匂いが台所からしてくる。部屋もほんのりとあたたかくなっていく。それに比例するように胸のあたりからあたたかい気持ちが、なぜかあふれてくるような気がする。
アートは不思議そうな顔をして、胸のあたりを少しさすった。
春告鳥が春を告げる声をあげる。
もうすぐ春がやってくるよ、と告げている。
ふたりの距離はゆっくりゆっくりと近づいていくのだった。
調子に乗って今夜中にともう一本書かせていただきました。
エアルの家の話はどこかで見た童話の一節のはず。
ちゃんと覚えてません。明日も出来たら更新したいです。