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七十二候の一 東風解凍(はるかぜこおりをとく)


 そのドラゴンは憤っていた。

 黒い鱗黒い翼黒い瞳。漆黒の姿を持つ彼はこの付近の山と森を納める正統な(ぬし)であった。

 少し前から山の麓の森の中に人のようなものが居るという話は聞いていた。

 曰く、オババもしくはババという名を名乗る。

 曰く、傷を癒す術を持つ。

 曰く、心すら癒すと言う。

 怪しすぎる、とドラゴンは思う。

 このドラゴンはまだ(よわい)百ほどでドラゴンにしては年若であったが、住処(すみか)の周囲一帯を守るように生まれた時から言い聞かされており、もしその一帯に住まう小さき者たちを(かどわ)かすような不埒者が現れるようであれば鉄拳制裁を与えるようにとも言い含められていた。

 小さき者たちは見目が麗しく悪い者から好まれる傾向が強い。だからなのかより強き者の庇護の下に集まってくる傾向がある。慕われれば無碍に扱うことが出来ないのは生来の気性である。


「俺も会ってみたい」


 オババに会ったという話で盛り上がる小さな妖精たちに向けて、あくまで独り言ちるようにドラゴンは呟いた。

 (かしま)しいと怒られることはあっても、まさか自分たちの話題にドラゴンが乗ってくるとは思ってもみなかった妖精たちは、蝶のような淡く光る羽をはためかせてくるくるとドラゴンの周りを旋回する。


(ぬし)さま」


(ぬし)さま」


(ぬし)さま」


「本当に?」


「本当の本当に?」


「ババ様に会ってくれるの?」


 きゃわきゃわとさざめく木の葉擦れのように囁きながら、くるくると妖精たちの旋回は続く。


「ババ様はやさしいの」


「ババ様はつよいの」


「ババ様はか弱いの」


「「「主さま、ババ様を守ってくれる???」」」


 最後の言葉は輪唱のように歌い上げられた。


「守る、だと?」


「ババ様はひとりなの」


「ひとりはさみしいもの」


「ひとりはかなしいもの」


「……小さき者よ、それは会って確かめねば分からん」


 会っても居ない者の人となりを、聞いただけの言葉から信じないのは当たり前だ。

 けれど、妖精たちは言い募る。


「主さまも気に入るわ」


(それはどうかな)


 反論すると話が長くなるのは身に沁みていたので、ドラゴンはそれ以上妖精たちに話すことはなかった。唐突に会話を中断された妖精たちはちょっとザワザワしていたがその後は何も無かったかのように散開していった。基本的に彼女らは気まぐれなのだ。



 この世界に生きるものはすべからく必ず魔力を宿している。それは異界からやって来るという異邦人も例外ではないし、魔物たちもそうだ。そしてその魔力は千差万別十人十色で種族ごとに大まかな種別はあるが、同じものは同じ時代には現れないと言われていた。

 ドラゴンは住処を離れゆっくりと森の上を低空飛行しながら、ババ様と呼ばれている存在の魔力を探した。ドラゴンではなく、妖精たちでなく、精霊や魔物でもない。

 神経を研ぎ澄ませて飛び続けること半刻。森の穴が開いたように開けた小さな草原の中に今まで見たことのない反応を見つけた。ぐっと首を巡らせると旋回しながらその場所へと向かっていく。

 その草原の只中に深緑のフードを深く被った小柄な人影が目に映る。人影はドラゴンの存在に気付いたようだった。

 ドラゴンはその上空でホバリングをするようにして留まると、一声、吠えた。


「そなたがババ様と呼ばれているものか」


 魔力を込めビリビリと大気が震動するように放った言の葉を受けて、フードの人物は持っていた杖を握りしめる。


(魔術師か?)


 そうであれば厄介だとドラゴンは思った。

 彼奴等はドラゴンの属性を見定め、一番苦手としている属性で攻め立ててくる。まぁ、そうとなれば魔法が自分に当たる前に術師ごと一呑みにしてしまえばいい、とも考える。


「……そうですよ、(ドラゴン)(かた)


 やわらかい声音は女性のもののようだった。


「わたしが、ババ様と呼ばれているものです」


 少しだけ顔を上げるが、その顔は見えない。


「何故、顔を見せぬ」


「わたしは醜いので」


「ひとの美醜など我には関係ない。見せよ」


 その声におびえるでもなく、少し苦笑したような気配が伝わってきた。


「尊き御方。わたしの姿を見ても、どうかお怒りになりませぬよう」


 するりとフードが肩に落ちる。合わせてさらりと髪が一筋外に落ちた。

 見事なまでの白金の髪。白にほど近くフードの上にあるからこそ、金が混じっているのが分かる。

 瞳は赤。まるで人間の血のように赤い。燃える炎よりも赤い、赤。

 肌は白。宙に浮かぶ昼の月のような儚げな白。


「どうかお許しを」


 齢は十五にも満たない少女に深々と頭を下げられて、ドラゴンは少し慌てた。

 どう見ても、どこからどう見ても、彼女がババ様と呼ばれている理由が分からない。ドラゴンは勝手に老婆を想像していたのだ。だが、実際はまるっきり正反対だった。


「何故、」


「何故?」


「何故、ババ様などと名乗っているのだ」


「わたしは老婆なので」


 困ったように彼女は微笑む。声に込めていた魔力を違う方向へと変換させて、ドラゴンは人の形を取った。ふわりと彼女の前の前に降り立ってみせる。見た目は二十に少し足りないくらいの年齢の青年だ。浅黒い肌と黒い髪、瞳も黒い。黒を基調とした礼服を着て自分より頭ふたつ小柄な彼女を見下ろした。


「俺はこの森と山を守るドラゴンだ」


「知ってます。妖精さんたちが教えてくれました」


 まるで驚くことも怯えることもなく、まっすぐに自分を見つめる瞳をドラゴンは久方ぶりに見た。

 ふわり、と赤い瞳が笑みを刻む。


「名前を教えてくれ」


「この森に住んでも、いいんですか?」


 おそるおそる、彼女はそう聞く。

 そういえば、その件があったのを忘れていた。でも、ドラゴンにとっては、もうそれはどうでもいいことになってしまっていた。



 だって、恋に、生まれてはじめての、恋に、落ちてしまったのだから。



「住人の名前は、覚えなくてはならん」


 不遜な態度でドラゴンが胸を張ると、そばに小さな灯りがたくさん燈っていく。きらきらと光る鱗粉をこぼしながら妖精たちが集まってきた。


(ドラゴン)(かた)


「あー、そうだな。ひとに聞く前に自分が名乗らないといけないな」


「あ、あ、そういうわけではなくて」


 ぱたぱたと手を振って否定する姿もかわいらしい。小さな娘。可愛くてかわいくて、たまらない。


「いいのだ。俺はアートルム」


「はい。アートゥ、アート、えと」


 一生懸命名前を発音しようとする姿もかわいい。舌ったらずだ。


「アートでもいい。お前は? あ、ババ様は無しだ」


「エアル、です。アート様」


「様付けもいらん。アートと呼んでほしい」


 さわさわと楽しそうにからかうように妖精たちが彼らの周りを飛び交っていく。


「よろしく、エアル。ようこそ、俺の治める地へ」


 騙されてもいいかも、なんてドラゴンことアートは思っていた。


「俺が認める。エアルはここに住むといい」


 にっこりと笑ってみせたつもりだったが、なんとなくうまく出来た気がしない。

 人間との交渉術もここにひとり残された時に習ったはずだが、そんなのはもう遠い昔のことだ。

 ぎこちない笑顔のアートに、エアルは少し笑ってぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございます。アート」


 ああ、やっぱりかわいい、としみじみアートは思っていた。





 森にはゆっくりとやわらかい東風が吹き込みはじめたころ。

 ひとりぼっちの黒い竜のところへ、真っ白な娘がやってきたのはそんな季節だった。




 これはふたりが、ゆっくりと季節を過ごしていくおはなし。




竜と魔女が出会うところまで、です。

エアルがなぜババ様と名乗るのか、そのあたりは次のお話のあたりで書けたらいいかな。

のんびり書きますので、のんびりお付き合い下さいませ。

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