空っぽの怪物
そこは人のよりつかない秘境の地。
昔からの人類の夢、完全な人間の創造。
それを成すためにそこはある。
そこの最高傑作と呼ばれるものがいた。
それは高い知能に柔軟で強靭な肉体を持つ、あらゆる理を納めたもの。しかし、それは能力は完全に近くとも明確な欠点があった。
それは心がない。人を思うことができない。
それは理性の怪物。
それは里で得るものがないと判断した。
里の人をすべて消し、里の痕跡も消した。
こうして里は滅び、最高傑作と呼ばれた怪物が世に解き放たれた。
今日は気分が落ち込むような曇天だ。
重苦しい気分を吐き出すように深く息を吐き出したのは、この王都の守護を担う兵士達の現場における長である兵士長である。
「はぁ、気が重いなあ。せめて天気ぐらい明るくなってくれればいいものを」
空を見ながらぼんやりと呟く。
「兵士長、真面目に仕事をしてください」
「クレアちゃんは真面目だなあ」
「クレアちゃんと呼ぶのはやめてください」
「は、了解しました。クレア補佐官」
補佐官は現場に赴き事件の詳細を王城にて報告する職務だ。その立場は法の上では兵士長と同格だが城付き書記官になるための下積み役職である。すなわち出世が約束されたエリートであるため、周りからは兵士長よりも上の立場と見られている。
「しかし、ひどい現場です。とても人のなす所業とは思えません」
「そうだな。俺も長年色々な現場を見てきたけど街中で白昼堂々とこんなことをやらかすやつは初めてだよ」
「許せません。これで10件目ですよ。一刻も早く捕まえなければ」
「これだけ派手にやってるのに手掛かり処か目撃者一人いない。いかれている割には頭が働くとはな。厄介だ」
ここ最近の王都では連続殺人が起こっている。ただ人が殺させているだけならばそれほど騒がれることもなかったかもしれない。しかし、今回の事件はその手口に王都の民達を心底震え上がらせた。
なにせその殺人鬼の手によって出来上がる死体はその全てが見るに耐えないほど拷問されているからだ。そしてその対象は女子供も大の大人も関係ない。
王都でも疎まれていた豪腕の乱暴者もその対象となり、民達も清々しく思うこともなくただただ恐怖した。あの乱暴者すら抵抗できずにやられたのか、と。
そして今ではこの事件を調べる兵士達ですらも恐怖している。なにせその死体は明らかに凶器ではなく素手によって行われているからだ。
「手首が握り潰されてやがる。どんな怪力だよ」
「まさしく怪物、ですね」
「しかし、大男だと思っていたけど手首の損傷から体のサイズは平均的のようだ」
「手掛かりには違いありませんが、逆に絞り込むことは困難になりましたね」
「結局わかったのは相手がより怪物だったということだけだ。はあ、巡回方法を見直すか」
結局、今回も手掛かりは何も得られなかった。
場所は王城。
「王都に怪物が現れたですか。私も友人から聞き及んでいます」
「さすが、姫様。お耳が早い。今では王都の民達は恐怖に震えています。そんなものが出るようになったのですから、姫様もいい加減に自身の身を守る近衛を置いていたたけませんか?」
そう勧めるのはこの国の一軍をまとめる立場の将軍である。
「将軍の言うこともわかります。しかし、近衛は私自身の手によって選びたいのです。私が心から信用できる方でないと」
「ならば、ここにいる若者はどうですかな?この若者こそ騎士の中の騎士。若手のなかで最も腕の立つ者ですぞ」
「お初にお目にかかります。アウルス・サール・コルーシャと申します」
「アウルスはコルーシャ侯爵の三男で身元もはっきりしています。私が信頼できると保証しますぞ」
姫は王の血を引く唯一の女性で国王にも溺愛されている。そして誰もが目を引く美貌の持ち主でもある。そのため国の誰もが姫の価値を理解しており夫となることを夢に見る。
この将軍もその一人であり自身の手の者を姫とくっつけようと画策している者でもある。
「将軍、二度は言いません。用向きがそれだけならば失礼します」
姫はにべもなく断り、去っていく。
その後ろ姿を将軍は思案顔で見送る。その横で姫の後ろ姿をじっと見る騎士がいた。
月が雲に隠れて一際暗い闇夜だった。
姫は今日の将軍との面談を思いだし思案する。
「今後もこのようなアプローチが続くのは面倒ですね」
誰か適当な者を近衛に選んでしまおうかしら、と姫は思う。
カタ、どこからか音が聞こえた。姫以外誰もいないはずなのに。
「誰かいるのですか?」
静寂が辺りを包む。姫は不安になり侍女を呼ぼうと呼び鈴を鳴らした。
扉からトントンと音がなる。侍女が来たのだと思い部屋へ入るよう促す。
すっと開いた扉から入って来たのは侍女ではなかった。
「何者ですか!」
「私ですよ、姫様。昼間にお会いしましたアウルスでございます」
「出ていきなさい。あなたを呼んだ覚えはありません」
姫は毅然と命ずる。アウルスは不気味に頬を吊り上げる。笑っているのかそれは獲物に飛び付く前の肉食獣を思わせる。姫は気丈にするも体の震えを押さえることができない。騎士はとうとうと語りだす。
「姫様は城下町での怪物の噂をご存知でしたね。その怪物は女性を拷問する事に快楽を覚えるのです。最初はスラムで、次第により幸福そうな女性へと興味は移っていきました。そしてとうとうそれでは物足りなくなっていたのです。初めて目にした時からあなたには興味がありました。おそらくこの国でもっとも美しくもっとも恵まれている女性だ。私はあなたのことを思うだけで、もう……」
身ぶり手振りで大袈裟に話していたら唐突に身もだえし震えだす。
「もう、いいでしょう?私の気持ちは、わかって頂けましたか?」
すらりと腰に下げた剣を抜く。その所作は流麗で、なおさら恐怖を煽る。
「この近辺の兵士も侍女も眠っています。邪魔するものは誰もいません」
「私に、このような……ただですむとお思いですか?」
「私の心配は必要ありません。下手人も用意してあります。私に代わって罪を被ってくれる親切な方がね」
姫は出来る限りの声を叫ぶ。
「誰か!誰か居ないのですか!」
「無駄ですよ」
姫はきっと睨み付ける。
「近づかないで!それ以上近づくと舌を噛みます!」
アウルスは常人には反応できない速度で踏み込み左手を姫の口に突っ込んだ。
「無駄といっているでしょう」
よりいっそう笑みを深め、そして……
コンコン、扉がなる。
「なっ!!」
息を飲むアウルス。
「姫様。どうかしましたか」
侍女の声が聞こえる。
仕方ない……アウルスはすっと目を細める。
「うぐ」
何かを口に押し込まれた。姫は体に力が入らなくなる。
「ご心配なく。ただの痺れ薬です」
「姫様?どうかなさいましたか?……入りますよ?」
侍女が入室すると同時、襲いかかるアウルス。
姫は次に起こることを思い目を反らす。
ガタンと何かが床に叩きつけられる音が聞こえる。姫はゆっくりと目をあけた。
すると予想外の光景が目に飛び込んできた。
「……があああ!」
見ると倒れているのは騎士だった。明らかに右肩が人間に可能な稼働域を越えて曲がっている。それを侍女は凍りつくような瞳で見下していた。
騎士は痛がりながらも素早く立ち上がり左で剣を握る。
「はあ、はあ……何者ですか。油断していたとはいえ私を容易く投げるとは」
侍女は答えない。それに業を煮やしたアウルスは今度は油断しない……と切りかかる。
次の瞬間、信じられない光景があった。
振り下ろした剣を指でつまんで止めていたのだ。それを何が起こったかわからないといった面持ちで見つめる騎士。
「く、この……なんで!くう……この、化物があああ!」
騎士は力を込めたり引いたりしたが剣はびくとも動かない。
侍女はノーモーションで見事な回し蹴りを放つ。姫には蹴りの残像の軌跡が綺麗な円を描いているのが見えた。
その一撃は騎士の顎に当たり……地に沈んだ。
姫はなんとか回るようになった舌を動かしお礼を言う。
「助けて、くれて、ありがとうございます」
「そう、感謝してくれるならお願いがあるのだけど」
声変わりする前の子供のような声だった。
「お願い?」
「僕は心がわからないんだ。だから教えて欲しい」
それはあまりにも奇妙なお願いだった。
「なんで……」
なんでここにいるのか? なんでそんなに強いのか? どこの手の者なのか? 様々な疑問が浮かんだかその全てを飲み込み恩人の問いに答えるために考えを巡らす。
「心……私には心は何という疑問に明確な答えを返せないわ。思い付く言葉はあるけれどきっとあなたの望む答えではないと思うの。……それでね提案があるわ」
姫は真摯に侍女を見つめる。
「私のもとで侍女として働きませんか。私の側に居れば心を知る体験をさせてあげられるわ」
「本当に?」
「ええ、本当です」
どこの誰だろうと気にしない。私はこの子を気に入りました。……姫はこの騎士を圧倒する戦闘能力を持つ少し変わった子を心底気に入ったのだ。
侍女は少し思案すると、わかった……と了承した。
「あなたの名前は何ですか?私はイリス・ウル・サハテイン。皆は私を姫様と呼びます」
「僕の名はカミナシ」
姫は首をかしげる。
「カミナシは侍女ではないわよね? 普段は何をしているの?」
「うん。これは少し借りただけ。普段は特にこれといって決まったことはしてないよ」
「……そう」
姫は今更ながらに気になったことを聞いていく。
「少し質問をよろしいですか?」
「うん、いいよ」
「なぜここに来たのですか?」
「あいつをつけていたんだ」
「なぜですか?」
「殺人鬼の噂を聞いてどんなやつなのか知りたいと思ったんだ。殺す必要もないのに殺すのはそこに心があるからかも。そう思ったんだ」
そのような動機で殺人鬼の正体を突き止め、この国でも実力者の騎士に気づかれずに私の部屋にまで侵入する……姫は改めてこの侍女の格好をした人物の能力に驚愕した。
「そう……ですか。ならなぜ私を助けたくれたのですか?」
「それは姫様があいつに怯えても屈しようとしなかったから」
カミナシは続ける。
「合理的に敵わないと思ったら取り敢えず言うこと聞いた方が生きられるかもしれないのにそれをしなかった。それはきっと心があるからだとそう思ったんだ」
「だから助けてくれたのですね。よくわかりました。ありがとうございます」
姫はよくわからないながらもきっと悪い子ではない……と感じた。
「これからよろしくお願いしますね」
「うん、よろしくね」
これが美貌の姫と心のない怪物の出会い。
物語はここから始まる。
「ところで姫様、僕は男だけど侍女になれるのかな?」
「え?」
始まる。