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『幸せ』という虚数

作者: 雪都



 あなたは「幸せ」になりたいか?


 そう尋ねられれば、多くの人が頷いて答えるだろう。


 「幸せ」は私達の生活において、人生において、目標とされるべき存在であることは疑いようもない。


 勉強し、進学し、就職し、結婚し、子供を作り、家を建てる……すべては「幸せ」のために、私達は様々な人生の一大イベントを通過していく。それこそが「人生」の意義なのだと。


 私達は何の疑いもなく、そういった「幸せ」の価値観を受け入れてきたが、そもそも「幸せ」とは何なのだろうか?


 それは「結婚すること」だとか「大企業に就職すること」だとか「趣味に没頭すること」だとか色々あるだろうが……ここに普遍的な共通点を見出すとすれば、それは「よりよい状態」であるといえる。


 「よりよい状態」とは、現在の優位性を説くということだ。「独身の時より」「無職の時より」「無趣味の時より」という過去のある状態よりも満たされた状態であると自覚した時に発生する充足感とでも言い表せる。


 私達のエネルギーはこうした「よりよい状態」になるために働いている。しかし結局のところ、それは相対的なものでしかない。「~より」と言っているうちは、そうした相対的価値に支配される。


 だが全ての現象は常に変化する。一時はそういった「幸せ」を味わうことができても、その感情は次第に薄れ、さらに新しい「よりよい状態」を目指さなくてはならなくなる。


 私達は「幸せ」のループの中に閉じ込められてしまう。


 そして「幸せ」を追い駆けているうちに私達の身体は老い朽ちてしまい、結局「真の幸せ」を掴むことなくその命を消費してしまう。


 だがしかし、「真の幸せ」などありえるのだろうか? つまりそれは「永遠のよりよい状態」ということになるが、「永遠」と「よりよい」はどうしても相反してしまう。なぜなら、先程も言ったように全ての現象は常に変化してしまうからだ。


 私の家族も、仕事も、趣味も……すべて変化していく。川が常に流れていても、それを同じ川と私達は思ってしまうが、そうではないのだ。


 私達に「永遠のよりよい状態」は永遠にやってこないのだ。


 ここまで考えて辿り着いた答えは、私達は「よりよい状態」になろうと努力するが「欠如した状態」の中からは決して抜け出せないということだ。これは私達は生まれながらにして「不幸せ」であるとも言えてしまう恐ろしい結論だ。


 だが、ちょっと待ってほしい。そもそも「幸せ」なんて存在するのだろうか?


 私達が決して「幸せ」になれない「不幸せ」な存在であるとするなら、この世界で「幸せ」の存在を確認した者は一人もいないということになる。私達は今まで「幸せ」というものがあると信じていたが、誰もそれを確認したことがないのだ。


 それはもう存在しないと考えていいのではないか?


 ツチノコがいると信じている間はみんなで「ツチノコとはこんなものだ」といった共通認識を持っていたが、誰もツチノコを見つけることができなかった場合、それでもツチノコは存在すると言えるだろうか?


 よっぽどのツチノコ愛好家ならいるかもしれないが……普通の人なら「なーんだ。ツチノコなんて嘘っぱちだったんだ」と考えるだろう。


 だが、こと「幸せ」に関しては、未だにみんなその存在を信じている。これは私達が「幸せ愛好家」だからといえないだろうか。中には「私は今幸せですけど?」という人もいるかもしれないが、それは太った蛇を連れてきて「ツチノコならここにいますけど?」と言っているようなものだ。


 「幸せ」が存在しないとすれば、逆になぜ人は「幸せ」というものを作らねばならなかったのか?


 それを考える場合、幸せという概念が存在しない世界を想像してみるといい。


 人は「よりよい状態」を目指すことがないから、生存できる程度の生活を送れればそれでいい。毎日同じように働き同じように食べて同じように寝る。


 「幸せ」もなければ「不幸」もない。幸せのループから抜け出した状態だ。


 だがその場合、突然の飢饉や災害などに対応できない可能性が大きくなってくる。それら自然災害に適応した人間だけが生き残る可能性は考えられるが、種全体としての危機は免れないだろう。


 他の動物ならそれでよかったのかもしれない。だが人間は自らの手でこれを克服する方法を生み出したのだ。それは「よりよい状態」への意思、つまり「幸せ」だ。


 「幸せ」という概念があれば、人はそれに向けて頑張ることができる。頑張って働き経済を発展させ、頑張って家庭を作り子孫を繁栄させることができる。人類という種の発展のためには「幸せ」という概念が必要だったのだ。


 だが長い年月を経て、私達は「幸せ」が当たり前のように存在するものだと思うようになってしまった。そこには本来の意味が抜け落ち、ただ形骸化された「幸せ」があるだけだ。


 言い換えれば、「幸せ」というのは虚数のようなものである。


 例えば、虚数iとは二乗すると-1になる数のことであるが、そんな数は存在しない。1の二乗は1であるし、-1の二乗も1である。したがって虚数iという数はこの世に存在しないのだが、では虚数は全く価値のない役立たずだろうか?


 実際は、虚数は様々な分野で役立っている。量子力学や電磁気学や地図の座標を表すのに虚数は応用される。つまり、虚数は存在はしないが、あると仮定すれば役に立つのだ。


 私達の「幸せ」もまた、存在しないが、あると仮定すれば役に立つ。


 「幸せ」があれば、明日は今日よりも素晴らしい日になり、人生は意義のあるものと思えるようになる、非常に有用な概念だ。


 しかし、「幸せ」の存在を追求しようとすると、「幸せ」に振り回され自分を見失ってしい、永遠に答えのない袋小路に迷い込んでしまう。それはまるで、虚数が存在すると信じて必死に計算式を解こうとするようなものだ。


「幸せ」はあくまで手段であり、目的ではない。


 それを理解し、上手く「幸せ」を応用すれば、既存の価値観に振り回されることなく、今まで解決できなかった問題を解決する助けになってくれることだろう。

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― 新着の感想 ―
[一言]  仮定、考察、結論。  絶対論文書くの得意だと思った。
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