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「新入生の諸君、入学おめでとう――」
入学式に限らず、学校集会での校長先生の挨拶は興味を惹かれず長ったらしいものだ。
これは全国のほとんどの学校がそうなのだと思う。
かくいうこの帝桜学園も、その例からは漏れないようだ。
ほとんどの生徒は下を向いて手混ぜをしていたり、睡魔に負け眠りについていたり、近くの友人とこそこそとふざけあったり。
それでもステージに立つ人間に視線を向け、しっかりと話し手の目を見ている生徒も少なくはない。
しかしそのほとんどはステージ上の人間の話など聞いていないように見える。
ただ話し手を見ているだけなのだ。
「続いて、生徒会長の挨拶です」
校長先生の話が終われば、次は生徒会長。
同じように、その話に耳を傾けるのはほんの一部の生徒だけ。
それを知ってか知らずか、生徒会長は淡々と話を進める。
学年、クラスごとに男女別れて出席番号順に一列ずつ。
体育館での今の並びはそんな感じだ。
蒼の隣は、早くもクラスで噂の夜空瑞穂。
集会になると近くの別クラスの男子の視線も集まってくる。
この調子じゃ学年で噂になるのもすぐだろう。
もはや学園で噂になるのも夢ではないと思う。
相変わらず男女問わず視線を集めまくるクラスメイトの方を見ると、ステージで挨拶をする生徒会長の方をじっと見ていた。
彼女も他の生徒と同じで話を聞いているふりをしているだけなのか、それとも真面目に生徒会長の話に耳を傾けているのかはわからない。
しかし少なくとも、喋っていたり眠っている生徒よりは印象がいいのは間違いない。
いつの間にか、また蒼は彼女のことをじっと見つめていることに気がついた。
しかしそれに気づくのは少し遅かったようだ。
蒼が彼女を見ていたことに気づくより先に、その視線の先の美少女は自分が見られていることに気づき、蒼に視線を向けていた。
目が合うと一瞬、時間が止まったような錯覚に襲われ、その数秒後に小さく美しい声が蒼の鼓膜をくすぐった。
「えっと……どうかした……?」
「へ?」
自分がじっと見つめていることがバレたことと、急に目が合い声をかけられたことに驚いて変な声が出てしまった。
まるで呪いのように、まっすぐな視線を送る彼女から目が外せなかった。
「あ、いや! えっと、その……ごめんなさい……」
自分で発した言葉にもかかわらず、何を謝っているのかさっぱりわからない。
入学早々から、クラス一の美少女におかしな人間だと思われたのではないだろうか。
蒼は一人で勝手に不安に陥っていた。
「ふふふ、変なの」
隣の美少女は、口元を手で抑えてくすくすと静かに笑った。
見た目の美しさも相まって、その見た目通りの清楚な振る舞いに思わず見惚れてしまう。
生徒会長様が挨拶をしているというのに、ここらだけは皆彼女に釘付けだ。
「集会って退屈だよね」
小さく微笑み、小声で声をかける。
こんな根暗野郎に、あんなに自然に笑顔を見せてくれる女性は彼女くらいなのではないだろうか。
蒼にはなんだか彼女が女神にも思えてきていた。
「そ、そうだね……」
なにか返事をしなければととっさに発した一言。
なんとも面白みのない応えだ。
その言葉で会話は終了。
集会中、彼女はそれ以降口を開くことはなかった。
自分のコミュニケーション能力の低さを恨みたくなる蒼であった。
***
クラス一の美少女が内面まで美少女だったことを確認し、自分の情けなさを痛感させられた入学式。
そんな入学式も終わり、そのまま新入生は体育館に残され先輩たちの部活動紹介を見せられていた。
ステージ前で部活動ごとに、真面目に紹介する部もあれば、面白おかしく紹介していたり。
これを見て気になった部活を見学に行く、というのが毎年の流れのようだ。
ちなみに蒼が目をつけているのはバドミントン部と文芸部。
バドミントンは中学生の頃の体育でやってハマったので、少しだけ興味があった。
文芸の方はなんとなく落ち着いたイメージがあったので、自分にはあっている気がしたからだ。
部活動紹介が終われば見学。
先輩たちは入学式が終わるとすぐに部活動を始めていたようで、体育館を出ると運動部の掛け声が響いていた。
まずはバドミントン。
活動は体育館がメインらしいが、それは入学式で使ったこの体育館ではなく一つ隣の体育館らしい。
いくつも体育館があるのは部活動の数が多いから、とこの学園のパンフレットにも書いてある。
さっそくバドミントン部が活動している体育館へ向かうと、運動着ではなく制服を着たままの新入生らしき生徒が、すでに数名隅の方に固まっていた。
勝手なイメージで、バドミントン部というのはインドア派の普段運動をしないような人たちが入る運動部だと思っていたのだが、なかなかに激しくマッチョな先輩が多い。
――なんか、思ってたのと違う……。
――もっとのんびりした部活がいいんだけど……。
結局その日はバドミントン部の先輩たちに捕まり、いろいろと質問され、気づくと外はすっかり暗くなっていた。
バドミントン部のマッチョ地獄から開放されると、蒼はすぐに帰路につくことにした。
蒼は学園の敷地内の寮で生活をしている。
というよりも、この学園の生徒は学園内に複数存在する寮に入ることを強制されているのだ。
寮にもいくつか種類があり、それらも生徒たちのランクに応じて入ることができる寮も決まっている。
とどのつまり、G組の蒼が今お世話になっている寮は最低ランクなのだ。
校舎からかなり離れた森の中にある古びた寮。
入学式の日に知ったのだが、この寮は学園内では幽霊が出るとか、昔は人道から外れた人体実験が行われ、たくさんの人が死んだとかいう噂が流れているらしい。
住んでいる身としては勘弁してほしいところだった。
幸いなことに、森に囲われているとはいっても山奥というわけではなく、勾配が急な坂道はまったくない。
毎日通る道が、距離が長い上に心臓を破るような坂、なんてことになったら不登校になることもあり得る。
そうでないだけでも蒼にとってはありがたかった。
寮の周囲は森に囲まれ薄暗く、囲う鉄のフェンスには無数の蔓が絡みついている。
部屋の明かりは全て消えており、寮の上空をカラスの群れが舞っている。
正直気味が悪い。入りたくない。
普通ならそう思うだろう。
そんなこと思っていてもここに住んでいる蒼は入るしかないので入るのだが。
見た目は不気味で、学園の生徒たちが怖ろしい噂を流すのも納得の風貌。
だがまあ、実際住んでみればそんなことはないのだ。
ただ、この寮の寮母さんの見た目が少し人間離れしているだけで他はどうということはない。
「お帰り、蒼ちゃん」
出てきたのは子供のように小さく、杖をついたおばあちゃんだ。
ただ、シワだらけの皮はだるだるで骨は浮き出ており、肉がついているのか疑うほどに痩せこけているのだが。
見た目はミイラ、もしくはゾンビのようにも見える。
この寮母さんこそが、生徒たちが恐怖する噂の正体だろう。
しかし見た目とは裏腹に、その口調からも読み取れるほど性格は優しく、温かい笑顔をするのだ。
見るものによってはその笑顔は『死の宣告』などと呼ばれているらしいがそんなことはない。
「ただいまです。たきさん」
「入学式はどうだった? ヒヒヒヒヒ……」
――その笑い方はどうにかならないのかな……。
――たきさんの笑い声、外まで響くんだよな……。
外でこの笑い声が聞こえたときの恐ろしさを思い出しながらも蒼は、とりあえず一日が何事もなく終わったことを伝えた。
「蒼くん、食堂にご飯できてるから食べてもいいわよ」
次にやってきたのは清楚なエプロン姿のきれいな女性。
はるさんといって、この寮の寮母さんであるたきさんのお手伝いさんだ。
たきさんは見た目からもわかる通りお年寄りで、はるさんはたきさんにできない仕事やお手伝いをしている。
そして、はるさんとたきさんの手料理は絶品だ。
「わかりました。ありがとうございます」
二回の自分の部屋に荷物を置いてくると、すぐに登った階段を降りて食堂に向かった。
食欲をそそる香りが漂っている。
「うん、いい匂い……」
料理の美味しそうな香りにお腹が鳴る。
我慢できない様子で、せっかちに棚から食器を取り出しご飯を装い席に座った。
「いただきます」
料理を口にしようとしたとき、食堂に入ってくる誰かの足音が聞こえた。
食堂の入り口を振り返ると、そこには蒼い髪の少女が立っていた。
二人は一瞬固まってお互いにじっと見つめ合った。
「へ?」
「あ、えっと、確か体育館の……」
「あ、えっと……夜空さん……だっけ?」
驚きのあまりまたおかしな声が出てしまう蒼。
そしてしっかりと覚えているのになぜか記憶が曖昧な風な言い方になってしまった。
足音の正体はクラスのアイドル、夜空瑞穂だった。
「覚えてくれてたんだ! 嬉しい!」
満面の笑みで駆け寄り、蒼の両手を同じく両の手でぎゅっと握りしめた。
いきなり手を握りしめられ、目が回ってしまる蒼。
そんなこともお構いなしに夜空は続けた。
「でも夜空さんじゃなくて、瑞穂のほうがいいな」
瑞穂は頬を膨らませてぐっと蒼に顔を近づけた。
「ええ、えっと、わ、わかったよ。瑞穂……さん……」
思わず瑞穂の申し入れを承諾してしまった蒼。
瑞穂は満足気ににこっと笑うと手を離し、蒼と同じように棚から食器を取り出した。
「蒼くんもこの寮だったんだね。校舎からも遠いし、古い寮だから私一人だと思ってたよ」
「ぼ、僕もだよ。それも同じクラスの……」
「そうだね。Gクラスの寮の中でも、校舎に一番遠いところだもんね。でもほんとに偶然だね」
瑞穂は自分の分の食事をお盆に乗せると、笑いながら蒼の隣の席に食事を運んだ。
同級生が同じ寮にいたことが嬉しかったのだろう。
――普通座るなら正面だと思うけど……。なんで二人なのにわざわざ隣に……。
――心臓に悪いです。
クラス一の美少女と同じ寮。
Gクラスの男子が知ったら羨ましがるだろう。
それだけでは済まず恨まれるだろう。
だが、蒼にとってこれはアンラッキーでしかない。
なんといったって、蒼の願いは平和に学園生活を過ごすこと。
さっきも言ったように、このことがクラスの男子の耳なんかに入ろうものならば、蒼は一気にGクラス男子の敵となるだろう。
彼女が近くにいるということは、蒼にとって災いの種でしかないのだ。
――とんだアンラッキーマンだ僕は……。
「どうかした?」
「い、いや別に!」
油断していたところにいきなり顔を近づける瑞穂に、蒼は驚いて目をそらした。
――いきなり顔を近づけるのはやめてほしいかも……。
「その、瑞穂さんごめんね。今日は疲れたから、僕もう寝るよ」
「ん、そっか、わかった。おやすみなさい蒼くん」
「うん、おやすみなさい。また明日」
蒼は、彼女から逃げるように食器を片付け、一人で階段を駆け上がり自分の部屋に閉じこもった。
部屋のドアが閉まる音が響くと、蒼はすぐにベッドにダイブした。
そしてこれからの学園生活のことを考え頭を悩ませていた。
――このままじゃ僕の平和な学園生活が夢のまた夢だ! 瑞穂さんをなんとか離さないと……。
蒼が部屋に戻ったすぐあと、誰かが階段を上がる音と部屋の扉が開く音が聞こえた。
それは隣の部屋から聞こえる。
蒼の隣の部屋。
そこは瑞穂の部屋だった。
同じくベッドにダイブする瑞穂。
そしてうずくまりながら布団をぎゅっと抱きしめていた。
そんな彼女の胸中は穏やかではなかった。
「なんでなんで!? なんであんなに嫌そうな顔するの!? せっかく私が話しかけてあげたのに!! 私を一人で食事させるなんて信じられない!! もう! 私に惚れないなんてありえないのにい!!」
部屋で一人、散々喚き散らした直後、瑞穂は泣き出してしまった。
夜空瑞穂、とんだ曲者だったらしい。
自分がモテていることを自覚した上で、蒼に接触していたのだ。
どうやら瑞穂は、自分にデレない蒼にムキになっているようだ。
蒼からすればこれ以上迷惑なことはないのだが、瑞穂はそんなこと知る由もなかった。