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Twitchy  作者: 蒼原悠
9/11

#9



 【こっちで採れた野菜、余ってしまいそうなので送ります。最近連絡がないので心配。大学はちゃんと通っていますか。何かあったらすぐ、連絡してきていいんだからね。】


 メールが届いた時、翔には送信主の名前がすぐに浮かんだ。この通話アプリ全盛期の御時世、メールなんて使おうとするのは母親くらいしかいない。少なくとも同年代の知り合いたちでは、ない。

 野菜は数日後に届くらしい。最後まで読みきる前に目から頭痛が走って、翔はスマホを放り出した。

「う…………」

 熱が高い。浮かされた涙が、今にも頬を落ちていきそうだ。

 布団の中にくるまったまま、翔はじっと天井を見上げた。

 上を向いて歩けば涙がこぼれないなんて、大嘘だと思った。




 翔のTwitter生活は、すっかり様変わりしてしまっていた。

 リア垢は放置。

 趣味垢にも滅多に近寄れなくなった。

 代わりに作った小さな引きこもり用のアカウントが、今となっては翔の貴重な生息場所だった。


 あの後、講義室で洋と会う機会があったのだ。はじめは気まずそうに視線を反らした洋だったが、勇気を振り絞って翔が尋ねにいくと、吹っ切れたように笑って答えた。

──『だってなんか、桜田であんまりタイムラインが埋められちゃうから……。てか、そんなに気にすること? よくあるでしょ?』

 違う人種の話でも聞かされているかのような距離感のひどさに、翔は返す言葉を失った。洋に悪気はなさそうだった。

──『取捨選択くらい誰だってやってるよ。だってTwitterなんて暇潰しみたいなもんじゃん。暇潰しのせいで気分悪くなったり、不愉快な気持ちにさせられたら嫌でしょ? ……あ、勘違いしないでほしいんだけどさ、あたし別に桜田本人が嫌いなわけじゃ』

──『ごめん』

 それ以上の言葉を受け止めきれる自信がなかった。翔は俯いたまま、足早にその場を離れた。

 それっきり洋とは口をきいていない。というよりも、次に会う機会が巡ってくる前に翔が大学に通わなくなり、話しようがなくなってしまった。


 みんなに頼られていた自負があったからこそ、授業に出ていた。

 それが自分をみんなに認めさせることになると信じていたから、丁寧に板書も取っていた。

 けれどしばらく離れていた間に、翔への印象はさらに悪くなっていたようだ。何かツイートするたびに注目を集めるようになった。【今度は何を言うんだろ】という、明らかにプラスではない注目だった。

 フォロワーたちの顔を見たくなくなった。もちろんそれは、大学の授業に出られなくなることを意味している。出られなくたって構わないと思った。どうせ苦労して出席したところで、今はもう得られるものも、守れるものも何もない。

 以前の精勤が嘘のように、翔は大学に行かなくなった。

 家から出たくない。出れば、目の前にあるのはよく写真の題材にした芝浦の運河の風景。必然的にリア垢を思い出してしまいそうで、出掛けるのは誰もいない深夜の暗闇の中だけになった。黙々と並ぶ青白いLEDの街灯と、ホタルの光のように明滅するビル群の航空障害灯だけが、翔を受け入れてくれる唯一の景色の在り方だった。

 定期的にすると心に決めていた両親への連絡など、当然のごとく途絶えてしまった。

 滅多に外出しないので食生活のバランスも悪化した。そんなことが続いたせいか、昨日からはついに風邪まで引き、今に至るまで高熱に(うな)されている。

 だからといって誰かを頼ることもできなくて、していることと言えばせいぜい、頭痛の小さい時間を縫ってTwitterに現状報告をすることくらいだ。こんな時にも開いてしまうのは、やっぱり翔の弱さなのか、それとも。


 愚痴(アカ)、というものがあるのだという。メインのアカウントでは口にできないような愚痴を吐き出すための、専用のアカウントだ。

 フォローするのは愚痴を言っても大丈夫そうなメンバーだけ。ツイート非公開の設定、通称『鍵』もかける。こうすることで、見も知らぬ他人からツイートの中身を見られることを防げるのである。

 翔も作った。『欠 @twitchy_KS』──フォロワーはわずかに数人の、リア垢に比べれば遥かに狭い世界。それでもリア垢の方が窮屈に感じてしまう翔にとって、このくらいの人数はむしろありがたかった。


 リア垢には触れたくもない。

 趣味垢の世界はリア垢ほどの崩壊はしていない。けれど、同じような使い方をしていれば、いつかきっと趣味垢の翔もフォロワーたちから見捨てられてしまう。それが恐ろしくて、触れられない。

 廉太郎も洋もいない、気を払わねばならない存在のいない愚痴垢(アカウント)で、辛うじて翔は浅い呼吸を続けることができるのだ。




 咳をするのでさえ、頭痛を伴う。翔は顔をしかめ、咳を小さく抑え込んだ。

「けほ……っ」

 せめて部屋の空気を入れ換えたいけれど、倦怠感のせいで身体を起こすこともできない。布団の中で背中を丸めた翔は、鈍い動きで膝を抱えた。普通に寝ているよりも、こんな風に縮こまっている方が楽に感じるから。

 大学に行かなくなって二週間。

 外に出られないのではすることもなくて、ぼうっと意識を失ったようにネットを見るばかりの日々だった。その挙げ句、風邪ときた。

 当然の報いだと笑う声がする。誰の声かは分からないが、翔を非難する資格のある人の名前ならいくらでも思い付きそうで、翔は考えるのをやめた。


(俺)


 翔は口を固く結んだ。


(何のために大学、受けたんだっけ。何のために上京したんだっけ)


 親にお金を出してもらって、他の受験生を蹴落として、それでようやく手に入れた身分のはずなのに。

 今の自分は何をしている?

 学業にも打ち込まず。

 アルバイトやサークルで社会勉強をすることもせず。

 自動車免許も取らなければ、検定や資格にも手を出さず。

 かといって、思いきって全力で遊んだり、楽しんだりするわけでもなく。

 入学してからの数ヵ月間、翔はいったい何をしてきたのか。思い出せるのはTwitterだけ。もしもそれが本当に全てなのだとしたら、翔の送る日々はあまりにも虚しい。

 どうして、こうなった。

 ──【何かあったらすぐ、連絡してきていいんだからね。】

 ──『苦しくなったり、つらくなったりしたら、新幹線に乗っていつでも帰ってきなさい』

 メールの文面が思い出された。いつか電話口でかけられた母の言葉も、ついでに思い出した。

 無理に決まってるだろ、と感じた。すっかり無気力に成り下がった自分の姿を見て、親は何を思うだろう。想像するのさえ怖かった。

(だいたい、何て説明すればいいんだよ……。SNSに時間を吸われましただなんて、言えるわけ、ない)

 翔は膝を抱え込む力を強めた。

(こんな俺のままじゃ、帰ることだって……)

 泣きたいと思った。ちょうど熱のせいで目尻にたまっていた涙が、時を得たりとばかりに流れ落ちていく。

 いくら涙を流したって、傷付いた心の内を癒すことはできないのに。

 失ったものを取り戻す一助にすら、ならないのに。




 ドアが叩かれる重たい音が、翔の頭痛をさらに強めた。

「…………?」

 翔は布団から顔を出した。ノックでは伝わらないと思ったのか、今度はチャイムが鳴らされた。甲高い音が響き渡り、反射的に耳を塞ぎたくなる。

 こんな時にいったい誰だろう。料金徴収の類いか。それとも宗教勧誘か。慶興大生はいいカモだと思われているらしく、その手の勧誘なら以前にも受けたことがある。どちらにしろ、帰ってもらおう。

 身体を引きずるようにドアに向かい、翔は扉を開けた。

 よもや廉太郎だとは予想もせずに。


「よ」

 言うなり、廉太郎はレジ袋を翔に押し付けた。「薬とか適当に買ってきてみたけど、使うか」

 翔はまだ眼前の事態が分かっていなかった。なぜ廉太郎が、ここに? どうして家の場所を知っている?どうして愚痴垢でしか口にしていないはずの風邪のことまで知っている?

「こ、こんな」

 我に返ってレジ袋を押し返そうとしたが、翔のくたびれた身体にはその力さえ残っていない。

 いいから黙って受け取れ、と廉太郎は笑った。

「風邪引いてるんだろ。無理すんな。嬉しくなくたって、好意はとりあえず受け取っとくもんだよ」







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